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そんな顔をされると困るな。

 

 

 

 ――行かないでくれ。


 暁貴(あかつき)という人間がわからなかった。昨夜見せた顔は、一体何だったのだろう?

 強く握られたときの感触が残っている気がして、蓮華は自分の手首に触れた。一晩経っても、あのときの記憶が鮮明に蘇る。

 行かないでくれと言ったとき、暁貴はなにを考えていたのだろう。まるで、遠くに行ってしまう誰かを引き止めようとしているみたいだった。

 子供みたいに、臆病な眼をしていた。

 本当に演技だろうか。彼のような策士なら、人を騙すのは簡単なはずだ。そんなことをしても、きっと、何とも思わないだろう。

 騙されるものか。絶対に屈したりなどしない。

 秀明は、蓮華のことを何か勘違いしているようだが、違う。

 自分はそんなに、優しい存在ではない。


「あなた……懲りないのね」

 あいかわらずの様子で肩に回った暁貴の手を、蓮華はあっさり払い除けた。

「さっき、静を帰してしまったからな」

 静は最近、暁貴が重宝している女官の名だ。パチリと開いた二重瞼が愛らしい気丈な女性だったと記憶している。

「さっきって、今の今でしょう? 呆れた。足りないっての!? まだ夕方よ?」

「もうすぐ夜だろう、足りないな」

「だからって、こっち来ないでよ。鬱陶しい!」

「なんだ、照れているのか」

「誰が照れるか、変態!」

 再び忍び寄る手をバシリと叩き落して、蓮華は牙を剥くような眼で暁貴を睨む。だが、どうしても、顔を直視出来ない。

 また、あの表情をされてしまったら、逃げ切る自信がなかった。むしろ、自然と昨晩の記憶と重なって見えてしまう。

 騙されない。そう思っていても、目の当たりにすると自信がない。


「……漬物くさい」

「え?」

 気がつくと、暁貴が蓮華の髪を一房取って眉を寄せていた。

 確か、先ほど秀明のところで少し分けてもらったが……そんな匂いを嗅ぎ分けるなんて、細かすぎる。

 そういえば、暁貴は神経質という程ではないものの、部屋も自分できっちり片付ける性格だ。

 わけの判らない発明品と漬物の壷が散乱していた秀明の部屋とは大違いである。

「また秀に会ったのか」

「悪いかしら」

「妬くな。俺の方がいい男だろう?」

自己陶酔(ナルシスト)もいい加減にしたら? あんたなんか、願い下げよ」

 蓮華は鼻を鳴らして暁貴を突き飛ばした。

 最初は殺されてもいいと思って自棄になっていたが、今では、この程度で彼が怒らないことも知っている。

「それより、帝との夕食が近いので、とっととお召し変えくださいませ、殿下」

 嫌味に言いながら、まだ部屋着の暁貴に重い正装を投げつけてやる。

 暁貴はそれらを軽々と受け取ると、面倒臭そうに着物を脱いでいく。彼が恥ずかしげもなく肌を晒していくので、蓮華はあまり見ないように、急いで背を向けた。


「後で煙管のヤニを取っておいてもらえるか? あと、着替えを手伝っ」

「はいはい。お掃除しておきますね」

「人の話は最後まで聞くものだろう?」

「自分で着られるんでしょ?」

「女に触っていないと死ぬ病気なんだ」

「じゃあ、死ねば」

 サラッと会話を流して、蓮華は無造作に置いてあった煙管を手に取る。

 随分と古い品のようだ。

 金属で出来た吸い口や雁首に施された古臭い柄の装飾は剥げ落ち、少し錆びついている。羅宇の竹は流石に取り替えているようだが、物自体はさほど高い品ではない。

 あまり気をつけて眺めたことがないのでわからなかったが、もっと良い品を使っていると思っていた。


「俺の出生は、周りが噂しているんだろう?」

「好き勝手言ってるわね。ここの人たちは、噂と陰謀がお好きみたいだから。どんどん誇張されて、ありえない話になることもあるわ」

「それは否定しないな。だが、俺の噂に関しては、そこまで外れていない」

 自嘲の笑みを浮かべながら、暁貴は自分で着物を調えた。

 蓮華は聞いてはいけない気がして顔を伏せる。だが、暁貴は物語を聞かせるように淡々と語った。

「第二皇子暁貴は夭折している。俺は代わりに連れてこられた、妾の子だ。側妃である『今の』母の面子のためにな。とりあえず、皇族の血だけは引いているらしいが」

 だいたい、噂通りの話だったので、驚きはない。だが、こんなことを隠しもせず、饒舌に語った暁貴の真意がわからない。

「それは、『前の』母からもらったものだ。いや、盗ったと言うべきか。宮へ入るときに持ち出した」

 着物に扇子を差し込み、暁貴は装いを整えていく。

 蓮華は何と答えればいいのかわからなかったが、自然と唇が開くままに言葉を紡いだ。

「勝手に持ち出すくらい、お母様が好きなの?」

「……さあな。だが、今でも取りに来ないんだから、もらったようなものだろう?」

「盗人の理屈じゃない」

「酷い言われようだな」

 蓮華は暁貴の煙管を眺めながら、記憶を思い起こす。


 母は、今の蓮華を見たら、何と言うだろうか。


「今でも大切に使っているんだから、好きなんでしょ」

「お前は、どうなんだ」

 問われて、蓮華は言葉に詰まった。だが、淀みない気持ちで続ける。

「好きよ。大好き……」

 母のことが忘れられない。忘れられるわけがなかった。

 きっと、母は蓮華がこんな風に復讐しようとするなんて、望んでもいないはずだ。

 わかっているが、止められなかった。それなのに、今はそれさえ成せずに意味もなく囚われている。


「そんな顔をされると困るな」


 着替えを終えた暁貴が、蓮華の前に膝をつく。長い指先が頬に触れ、ゆっくりと撫でるようになぞった。

 暁貴の悪戯めいた表情が霞む。それが、眼に浮かんだ涙のせいだと知って、蓮華は身じろぎした。

 どうして、今こんなものが流れてくるのだろう。頬を伝ってしまった涙が、暁貴の指先に落ちる。

 おもむろに肩へ伸びた手を避けることが出来なかった。

 そのまま胸の中に引き寄せられ、身体が硬直してしまう。肌触りの良い着物越しに、適度に厚い胸板の熱と鼓動が伝わった。


 離れないと。


 頭の中で警告する。


 離れなきゃ……だって、この男は――。


 しかし、暁貴の胸を濡らす涙は少しも止まらない。小刻みに震える身体を包むように背中へ回された腕が温かかった。

 そのまま、縋りつくように、堕ちていくように、蓮華は暁貴の腕の中へ崩れていった。




 † † † † † † †




 いつの間にか、眠りに落ちていたようだ。

 蓮華は虚ろな意識で周囲を見回す。

 陽が沈んだ天上には銀の月が輝き、庭の池を二羽の夜蝶が戯れるように飛んでいた。


 程なくして、自分が何処に寝ているのか気づいて、急いで身を起こす。

 すると、蓮華を膝に乗せたまま舟を漕いで寝入っていた暁貴が驚いて肩を揺らす。

 彼は蓮華が起きていることに気がつくと、寝ぼけた表情で頭を掻いた。

「…………腹が減った」

「第一声は、それなの!?」

「つい、食べそびれてしまったからな。お前のせいで」

 唇の端を釣り上げる暁貴の表情を見て、蓮華は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。

 どうして、こんなことになっているのだろう。思い出そうにも、はっきりとした理由が判らなくて混乱してしまう。

「変なことしてないでしょうねッ!」

「最悪だ」

「なッ……なにがよ」

 起きるなり、いきなり頭を抱えてしまった暁貴の反応に蓮華はたじろいでしまう。

 まさか、想像もしたくない事態になってしまったのだろうか。そして、その感想が悶えるほど最悪だった?

 いくらなんでも、それはあんまりだ。

「飯を食べられなかった上に、女まで喰い忘れてしまうなんて最悪だ。俺はもう駄目だ、いっそ死にたいくらいだ」

 この世の終わりを見てしまったかのような絶望を顔に浮かべる暁貴。

 対して蓮華は安堵して幸せいっぱいだった。何もなくてよかった、と素直に喜んだ。

「お前の誘い方が、あまりに下手だから」

「あたしのせいなの!?」

「それ以外に考えられない。据え膳は必ず食う主義なのに……今から、やり直すか」

「絶対、イヤ!」

 詰め寄る暁貴の腹を蹴りながら、蓮華は急いで後ろに下がる。

「お腹空いたんでしょ。何か作ってきてもらうから、大人しくしててよ!」

 言い置いて、蓮華は逃げるように廊下を歩いた。


 まだ、温かい。

 自分のものではない体温が身体に染み付いているような気がする。何だか、自分の身体ではない気がして複雑だ。

 抱き締められたときの感覚が、鮮明に蘇る。温かくて、心地良くて、力強くて……。

 思えば、こんな感覚は初めてのような気がする。今まで、あんな風に、他人から抱き締められたことはなかった。

 時間が経って、夜風の冷たさが身体を蝕んでいく。体温を失っていく肌に触れると、急に不安が増す気がした。


「なんでよ……」


 今の肌寒さと、思い出した体温。

 一度知ってしまった温もりが、こんなにも恋しくなるなんて、思ってもみなかった。

 けれども、相手を思い出して自己嫌悪する。

 よりによって、何故あんな男なのだろう。

 あんな男に一時でも気を許してしまった自分が、とても恥ずかしい。同時に、悔しさと虚しさでいっぱいになった。

 しかし、よく考えると妙だ。暁貴は夕食を取り止めてまで、蓮華の傍にいた。

 彼は時間にだらしがなく、小さな予定ぐらいならば平気で遅れることは少なくない。

 けれども、彼は蓮華に何もしなかった。週に一度しかない帝との晩餐が、どうでもいい用事だとは思えない。


 蓮華のため?


 全てを見透かすような黒曜石の瞳。

 彼の眼には、蓮華はどんな風に映っているのだろう。心の中まで全て見透かされているようで、怖い。

 

 

 

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