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この国は美しい。

 

 

 

 ひらり、ひらり。

 そよ風に吹かれて、淡い花弁が舞った。

 瑞穂(みずほ)帝国、帝都。大陸東岸部に広大な領土を持つ帝国には今、春が訪れていた。


 ――良いですか、蓮華。


 帝国の中心部に位置する宮の内部。

 古くからの流れを汲んだ木造建築は長年、帝国の中枢として君臨した歴史の威厳に溢れている。

 建物の外と同じように、庭には国の象徴である桜の木が多数植えられていた。春になると一斉に咲き誇り、都を薄紅の楽園へと彩る。


 その一室で膝をつき、九条蓮華(くじょうれんげ)は頭を垂れた。

 畳の上を滑る鮮やかな鶯色の着物が重くのしかかる。肩から零れる黒髪が艶やかに跳ね、椿油の香りが鼻をくすぐった。

 白い顔に無表情を貼り付けて、蓮華は他の女官たちと同じように身動き一つしない。

 息を殺すように静止したまま、長い時間が過ぎる。

 縦長い広間の中央を空け、そこを通り過ぎる人物をじっと待った。


 ――良いですか、蓮華。忘れてはなりませぬ。


 宮中へ上がるずっと前……幼いころに母から言われた言葉を、蓮華は今になって思い起こす。

 そして、噛み締めるように、確かな決意を固めていく。


 ――この国は美しい。そう……とても、美しいのですよ。


 今も庭で咲き乱れ、花弁を散らす桜。

 美しい帝国の象徴。

 だが、それらが覆い尽くす国の闇は底知れない。

 昔は知らなかった闇の存在を、今の蓮華は知っている。

 異民族にも自由を与え、博愛と平和を謳う帝国――その影に、どれだけの闇を抱えているか。どれだけの命が犠牲になったか。

 蓮華は知っている。この国の闇を。母が信じて止まなかった美しさの陰に潜んでいる闇を。


 シャン。シャン。


 清涼な鈴の音色と共に、最奥の襖が開く。

 そして、女官たちの囲む部屋の中央を、宮の主が進む。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 この広大な帝国を統べる帝。病気がちな主を支えて、臣下が隣に付き添っている。

 その後ろを彼の息子と娘たちが続く。

 瑞穂では、皇子も皇女も分け隔てなく帝位継承権が与えられており、功績に応じて宮での地位や継承順位が決まっている。他国のように、長男が必ず相続するとは限らないのだ。


 帝の子供たちは全員で七人。

 この日は、武官として属州の総督に任命されている第三皇女胡蝶(こちょう)を除いた六人が揃っていた。

 先頭を歩くのは、二人の皇子。

 第一皇子秀明(しゅうめい)と、第二皇子暁貴(あかつき)だ。そのあとに、皇女二人と年若い皇子二人が続いていた。


 蓮華は緊張で肩が強張るのを感じながら、自分が「殺す相手」を盗み見る。


 長男である秀明は、春の陽射しのような微笑を浮かべて父帝の後について歩いている。

 顔立ちは端正で、柔和で平和的な表情のせいか、優しげに見える。強さは決して感じないが、聡明で温厚な性格だと思わせた。

 人の良さそうに見える秀明の横顔を睨み、蓮華は掌を握り締める。

 そして、再び自らの決意を確かめた。


 騙されない。騙されるものか。


 蓮華は知っている。

 秀明が人の良さそうな顔の裏で行ってきた闇を。だから、自分はここにいる。ここで、こうして機会を見計らっているのだ。

 視線に熱が篭り、憎しみで染まっていくのを感じる。


「…………ッ」


 しかし、不意に視線がぶつかって、蓮華は急いで頭を下げた。

 一瞬だけ、こちらを振り向いた視線が眼に焼きついて、胸の動悸を感じる。あまりに驚いたせいで、まだ心臓が悲鳴を上げていた。


 彼女を見たのは、次男暁貴だった。

 切れ長の目から覗いた鋭い黒曜石の輝きが、やけに印象に残る。全てを見透かされているようで、恐ろしい眼光。

 だが、暁貴は何も言わずに、帝たちに続いて歩き去る。

 それを見送って、蓮華は内心で息を吐いた。


 帝が去った後、女官たちは慌しく動きはじめる。仕来りが多い宮では、やらねばならない仕事はたくさんあった。

 皇族の身の回りの世話は、主に後宮付きの女官たちの仕事だ。

 豪商や公家の姫は宮仕えとは名ばかりの雑談や娯楽に興じているようだが、出世を狙う者、皇族の寵愛を受けたい者は必死だ。

「蓮華ちゃん、大丈夫?」

 女官仲間の沙耶に声をかけられ、蓮華はとっさに振り返った。

 沙耶とは宮入りするときの試験で一緒になって以来、何かと言葉を交わすようになっていた。


 瑞穂帝国は広大な土地を有する大帝国だ。

 様々な人種の人々が住まい、もはや多民族国家と言っても差し支えがない。そのため、試験によって庶民からも官職を採る制度も持っている。二人とも公家出身ではないため、試験によって宮入りを果たした。

 生まれの順に関係なく、男女共に君主となる可能性がある継承制度。官職の庶民からの採用制度。多種多様な民族を統治し続ける内政。

 表向き、瑞穂帝国は「平等」であると言える。


「なにが?」

「いや、だって……さっき、目が合っていたでしょう? 暁貴殿下と」

 先ほどの動揺が顔に出てしまったのだろうか。蓮華は心配になりながらも、作り笑いを浮かべた。

 だが、沙耶は少し楽しそうに頬を高潮させて、蓮華に詰め寄って軽く腕を小突く。その動作が十六歳の娘らしくて、少し愛らしかった。

 同い年なのに、蓮華には真似出来ない仕草だ。異民族との混血であることを示す翠色の瞳も、羨ましいくらい綺麗に輝いている。

「蓮華ちゃん可愛いし、気をつけた方がいいわよぉ?」

「気をつけるって、なにを」

「えーっ! 知らないの? 殿下の色好みは有名よ? この間も、一人お呼ばれしたんだって!」

「ああ……そういうこと」


 次男の暁貴は政治的にあまり重要視されていない。

 皇族の面々が皆美しい黒髪と黒眸の典型的な瑞穂人であるのに対し、暁貴一人だけが少し色素の薄い髪質と肌色を持っている。

 そのせいで、妾に産ませた子と噂されていた。

 昔は病弱だったらしく、そのとき入れ替わっただとか、実は死んでいるだとか、噂が独り歩きしている。

 本人もそれを理解しているのか、専ら女官に手をつけては遊び惚けているということだ。政治にも参加せず、武勲をあげようともしない。放蕩息子だとなじられている。


「いいなぁ、いいなぁ」

「なにがよ」

 何故か浮かれてぴょんぴょん跳ねる沙耶を横目に、蓮華は溜息を吐いた。言わんとすることは、わかる。

「どうせなら、秀明殿下の方がいいわ。側室にしてもらえたら、将来は帝の妻よ?」

 蓮華は適当に話を合わせることにして、ふふんと笑ってみせた。

 心にもないので、割と適当な表情だったかもしれない。だが、沙耶は本気にしてくれたようだ。

「そうかもだけど! そういう機会に恵まれるって、羨ましいじゃない。殿下はかなりの美丈夫(イケメン)だし。帝の妃じゃなくても、皇族の仲間入りの好機っていうの?」

「でも……政なんて、関わりたくないもの」

「暁貴殿下なら政治とか、そういうの考えずに一生遊んで暮らせそうじゃない? 蓮華ちゃんは、ちぃっともわかってないんだから! 新聞屋の皇族人気投票企画でも、暁貴様はいつも上位なのよ?」

「そんなの、読んだことないわ」

「読みなよー! 面白いよ? 暁貴様って遊んでいらっしゃるけど、帝に愛されない幸薄い感じとか、乙女の心を掴むって話よ」

「へ、へー。そうなんだー」

「もうっ、口調が棒読みになってるよ!」

 沙耶は唇を尖らせて、キャアキャア騒いだ。単に目が合っただけだというのに、浮かれて話を進められても困る。

 とはいえ、年頃の娘は多かれ少なかれ、こういった話題が好きなものだ。彼女の気持ちはわからなくもない。


 しかし、蓮華には関係がないことだ。


「そう言われてみれば、そうね」

「でしょでしょ! 目指せ、玉の輿!」


 恋なんて甘い感情は遠い昔に諦めた。


 この身は、人を殺すために使うのだから。

 

 

 

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