023「交渉の結末」
護衛と言われて普通に想像するのは、護衛対象が乗っている馬車の隣を馬に乗って併走したり遠くから襲撃を警戒したり、そういうものだと思う。
実際、私もそのつもりだったし、護衛中に子爵と交渉できるなーなんて考えたのは、孤児院の中を歩きながら話せばいっかー的な算段を付けていたからなのだ。断じて上級貴族サマの一員であるメロネ子爵と一対一で話せるような状況を想像したわけではない。
けれど、なぜか私は今、メロネ子爵が乗っている馬車の中で彼女と一対一で向かい合っている。
そう、何者の干渉もあり得ない二人きりの時間だ。交渉にはもってこい。
だがそんな状況に喜ぶ余裕など私にはない。
胸に去来するのは、
(ヤベェ超緊張する。なんか子爵サンこっち見てるよどうしよう何したらいいか分かんないよ交渉? 無理無理そんな余裕ない。何を話せというんだえええぇぇぇぇえぇぇえぇえぇえええーーーーっ!?)
という、一言で表せば混乱の極致だ。
最初の会談は向こうから切りだしてくれた。朝は食事という目的があった。
でも今は違う。
メロネ子爵が用意してくれた『一対一で話せる環境』ではあるけど、これはあくまで護衛であって向こうから話を切り出すことはない。交渉は雑談から始まって少しずつ本題に入っていくと聞いたことがあるが、そもそも貴族相手の話のネタなんて持っていない。当然だ、現代日本に貴族なんていなかったのだから。
「あの、アリサさん?」
「ひゃいっ」
ないと思っていた子爵からの声かけに驚き、変な声が出てしまった。恥ずかしさで顔が赤くなる。
子爵はそんな私を見て、おもしろそうに笑っていた。
「ふふっ……。国に対抗してまで孤児院を作ってしまうのだからどんな人かと思っていたけど、意外と普通の女の子なんだね」
「……私はただの一般庶民ですよ」
「そうみたいだね」
話し合いのときだって、私はこんな感じだったはずだ。緊張していて何を話したのか細かい部分はほとんど覚えていないほどである。
メロネ子爵が硬い人じゃなくて良かったと心底思っている。
「あの、子爵はスラムについてどう思っているのですか?」
「……これはまた直球だね」
「私にはそれとなく聞き出すなんて無理ですから」
交渉能力の低さはどうしようもない。職人志望の人なんてそんなものだ。工房に籠っていたせいで対人コミュニケーションの量が絶対的に足りていないのだから。
だったら言い逃れできないように真正面からいく。
開き直ってどうにかするしかないのだから。
まあ、そんな打算はメロネ子爵に対しては必要なかった気がするけれど。
「そうだね。私としてはなくしたいと考えているよ。国王からの命令がなければ、きみがやっている孤児院や炊き出しといった施策を実施していただろうね」
「そうですか」
「しかし、私がそれをやると困ったことになる。できるのは精々、スラムとの境界をぼかして線引きを緩くすることくらいだ」
酷いところだと、スラムと一般街が完全に隔離されたりしているらしい。その境界に警備の兵を配置し、人の出入りを完全に封鎖している領主もいるとのことだ。
それを考えれば、私が最初に来たのがこのリリアの街だったことに感謝するべきだろう。
他の町では話し合いにすらならなかった可能性もあるということだ。
「領主なんてものをやっているが、力の無さに辟易するばかりだよ……。国王の使者を迎えるために屋敷ばかりが立派になって、その金を別のことに使えればどんなにいいか」
メロネ子爵の愚痴に、屋敷があれだけ豪華だった理由を知る。子爵の趣味ではなく、強制的なものだったわけだ。
江戸時代に行われた参勤交代制度のようなものなのだろう。
あれはたしか、貴族の財政を圧迫して力を抑えるための制度だったはずだ。なるほど、たしかに有効な手段だ。領主は好きに予算を組めないし、豪華になっていく屋敷を見れば住民は不満を募らせる。悪質だ。
そんな話をしているうちに、馬車が歩みを止める。
どうやら孤児院に到着したらしい。
メロネ子爵のあとに続いて馬車を降りる。今日は炊き出しを取りやめてもらったので広場から入ることができる。
メロネ子爵は上級貴族だから、裏門から入ってもらったりすると問題があるらしい。
……スラムに立ち入るのは構わないのだが。
馬車を出ると周りには数人の兵士が立っている。当然、冒険者一人に護衛を任せるはずがないのだけど……話し合いが難しくなってしまった。
まずは、サラの待っている管理棟に向かう。メロネ子爵の屋敷みたいに無駄に広くはないから、中に入るとすぐに応接間だ。そこにサラが立ち上がって待っていた。
「ようこそいらっしゃいました、メロネ子爵様」
「いや、こちらこそすまないね。炊き出しを取りやめさせてしまったと聞いている。謝罪しよう」
「いえ、当然のことです」
サラが頭を下げ、メロネ子爵がそれに答える。そこにはすでに、ピリピリとした緊張感があった。
私がしていた雑談のような交渉とは違う。貴族同士の腹の探り合いから始まる本物の交渉の場。戦場がそこにはあった。
サラがソファーを促し、二人が着席する。私はメロネ子爵の護衛としてその背後に立っていた。
「まず、孤児院の概要を教えてくれるかな」
「かしこまりました」
二人の話し合いが始まる。
◇◆◇
交渉は数時間にも及んだ。
貴族としてスラムに手を出している私たちを放置できないメロネ子爵と、不干渉を引き出したい私たち。妥協点を探る以前の問題としてそもそもが相容れない立場だ。
サラはまず、メロネ子爵に対して協力を要請した。自分たちだけでは孤児院の運営や炊き出しを維持していくのが難しいため、子どもたちを助けるために援助をして欲しいと。
メロネ子爵の答えは当然NOだ。気持ちの上では援助したくとも王国からの命令によって止めなければならない。それはサラも承知の上だ。
だが、ここでサラに有利な点がある。それは王国からの命令が一般に知られているものではないという点だ。
スラムを放置するという命令はいわば密命。孤児院を運営しているとはいえ一般人であるサラに対して、それを理由に孤児院を取り潰させることはできない。サラはそれを知っているからこそ、メロネ子爵に対して強気に協力を要請できる。
もちろん私としては不干渉……邪魔されなければ十分だし、それについてはサラにも伝えてある。
どこかで要求のレベルを引き下げていくだろう。
そしてそれは、事前に私と会談をしているメロネ子爵も知っている。
つまりこれは、帰着点の決まった交渉劇。
八百長も良いところである。
それでも実際に交渉をしているのは、この場に王国の手の者が存在している可能性があるからだ。
メロネ子爵の話を聞く限り、現国王は非常に慎重な性格をしている。全ての貴族領には国王の手の者が紛れ込んでいる、と言われているほどらしい。
だからこそ、少しずつ少しずつ、交渉の中身を帰着点へと近づける。
そして、昼食のための休憩を一度はさみ、再開されてしばらくしてようやく不干渉という結末に辿り着いたのだ。
「……では、私たちはこの孤児院の運営に協力はしませんし、何か問題が起きたとしても、こちらに影響のない限り関わりを持たない。それでよろしいですね」
「分かりました。お手を煩わせることのないよう、努力いたしますわ」
メロネ子爵が孤児院を立ち去る時の会話だ。
互いに余計な言質はとらせない。子爵は決定事項を確認しただけだし、サラも暗に「面倒が起ったら押しつけますのでよろしく」と言っている。
貴族同士の苛烈という言葉が生ぬるく感じるほど陰湿な言葉遊びに、私の背筋にうすら寒いものが走った。
「では、私たちは屋敷に戻りましょうか。アリサさん、よろしくお願いします」
「はい」
護衛である私は当然、メロネ子爵が屋敷に戻るまでが仕事となる。サラたちとはいったん別れ、私はメロネ子爵とともに馬車に乗り込む。
サラのほうは今日の炊き出しはなしとして、子どもたちを外で遊ばせる予定のようだ。ルルやカミサマも子どもの相手をしているらしい。
行きと変わらず二人きりの馬車で気まずい雰囲気を味わいながら馬車に揺られていると、子爵が柔らかな表情で口を開いた。
「交渉が無事に終わってなによりです。あとはよろしくお願いしますね」
「はい。シャルさんもいるし、なんとかしますよ」
そう言って笑い返す。
そして、和やかな雰囲気に包まれた馬車が。
突然の爆発により横転した。
ドンッ! と。
響き渡った轟音、襲いかかる衝撃と熱波。とっさに子爵をかばった私は馬車を突き破って地面にたたきつけられる。
「敵襲っ!」
護衛の兵士が槍を構えて叫ぶが、すでに手遅れ。
ドス、という音とともにうめき声一つ上げることなく周りの人が事切れていく。
「まずい、あれはっ」
飛来する赤い球状の魔法。あれはおそらく、火魔法の一つである《爆裂球》だ。馬車を横転させたのもあの魔法だろう。
「魔剣『花鳥』起動」
懐に忍ばせた魔剣に魔力を流す。
宙に現れる十の短刀。それは雷光の速度で空をかけ、《爆裂球》を粉微塵に切り裂いた。
軍短刀・花鳥。
スキル・複写を魔回路によって増幅、大量に発生させた魔力体の短刀を固定魔法によって存在を安定させ、硬化魔法により強化、空間魔法の一つ重力操作によって操る能力を持つ魔剣。私はその力を《軍団》と名付けた。
さらに、この魔剣はミスリルの特性を生かして魔法処理されている。魔剣と違い魔法的な力は発揮しないが、それは魔力に対しても影響力を持つため魔法をも切り裂く事が出来る。
完全なる《魔法殺し》の魔剣だった。
「これはっ!?」
「メロネ子爵、下がってください」
使われた魔法が《爆裂球》のみであることを考えれば、襲ってきた敵は魔法師一人に遠距離の攻撃手段を持つ者が複数。
場は、血の流れぬ言葉の戦場から暴力の支配する殺しの戦場へと移った。
次回は久しぶりの戦闘回です!




