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Imaginary drown

作者: 斎藤慶次

古田高男は五年も暮して京都に倦んだ。四十ぐらいの親父が派手な金髪の自分より背の高い女を連れ歩いているのはうんざりするほど見た。表通りから十メートルしか離れてない裏通りの店から昼間でも猥褻な声が彼にかかる。街にとっての内臓が切開した腹から垂れているような、どこか恥知らずな場所であるような気がした。

 しかし、古田の実情は京都を嫌ったのではなく、京都に嫌われたということだった。大学はタバコ一つ吸えない場所になっていた。古田はこの街の道端に座り込んで悠々自適の廃兵として一服するのが好きだった。何年か前からそれらは全面禁煙の名の元、締めだしをくらった。元より少なかった友人は古田から疎遠になるか、他のことで忙しくなるか、古田をひどく嫌っていくかだった。要は古田は京都にいるべきではなくなったのだ。武蔵鐙、問はぬもつらし問ふもうるさし。かかるおりにや人は死ぬらん、ということらしい。

 三日連続で淫夢を見た古田をバイト先の京都の北のはずれへ運んで行く。卑猥な夢のことを黙って知らないようにしなければならない仕事。しかし、人間は全く別のことを頭の中で考えながら、それとは別のことをすることができるというのが、古田の狂気の結論だ。

車窓に流れる風景は一つの映画だ。それは古田の目はしで見ている時だけ、特に走馬灯のように見える。画面に投げかけられる緑色のドロッピング。喫茶うさぎという看板。北千本の学生街の名残りだろう。古田はこの頃、うさぎをライフルで仕留め、その白い可愛らしい動悸する腹を裂きたいという衝動に駆られる。うさぎのキャラクターの顔が薄汚れて笑う。これも閉鎖したレンタルビデオ店。昭和帝崩御の以前か以後か。質屋のいそべ。大学入学当時にひどく嫌悪を覚えた質屋に行く選択肢を古田は考える。

古田の視覚は車窓を凝視するが、その前席の女子高生を視姦しているように見えなくもない。古田はこの頃、どこでもズボンのジッパーを下ろして、今にも自慰行為をはじめそうな人間だと女性の知り合いに思われている気がする。あまりに学生であると人はオナニー狂になってしまうのか。

 看板を眺めはするが、古田はこの辺りを自分で歩いたことはない。はずれに向っていくと京都とは言え、郊外になっていく。それを過ぎると車窓は、今度は手入れのいい加減なビニールが土にへばりついているのをまばらに写しはじめる。社会科見学みたいだ。一ヶ月は交通費が出るのかどうかも不安だった。大した儲けにもならないバイト。金を作る方法。背取り。中古書籍市場からお救いした『介護入門』第一刷百五円が、一万円になる時でも来るのか。

 何度目かの左折で立派な警官寄合所。各社銀行。金はあるところにはあるということ。カルキがここまで匂ってくるようなイルカ微笑むスウィミング・スクール。イルカや馬にまで古田の神経質は流布するのだ、気をつけなければならない。後はこの辺は学校。社会科見学のレポートを手放さない古田は町のはずれの分布図を作っていく。塾が何社か見えはじめる。古田がバイトしているような個別のもの。ただし、俺が受け持つのは市街まで出れなかった落ちこぼれ達だけだ。しかし、俺も都落ちしてるんだし……。

 いい加減ボロになってきたカバンの中にはドゥールーズ=ガタリ著『イタリアン・ウェディング・アンチョビ・セレクション』。しかし、これを頭に入れる事は期待できない。古田は先程見たスウィミング・スクールの看板から、妄想に取り憑かれはじめたからだった。

 幼稚園児の古田高男は、地元のスウィンミング・スクールに通いはじめて大得意だった。古田は全てのことを家庭で母親に話さなくてはならない。最初に古田を園に送りだした母親が確かに泣いていたのを古田は覚えている。しかし、母親は泣いていたのは古田だと言う。全くの騙し打ちの入園は抜きがたいこの女性への懐疑を古田に植えつけた。古田は毎日砂場で砂に混じった小さな貝殻を拾ってきて、半ズボンのポケットに入れた。おかげで古田のポケットの中身は砂だらけになった。古田の母親は一年間は息子のこの癖に泣かされたことになる。母親が洗濯した次の日も古田はまた貝殻と砂でポケットを台なしにした。本物の大きな貝も海も知らない古田は後で自分を愚かだと思った。

貝を拾うのをようやくやめた古田の頭の中は、今度は『機動武闘伝Gガンダム』のことで一杯になった。古田は机の中に粘土を隠し持っていて、シャイニングガンダム、ドラゴンガンダム、ガンダムローズ、ガンダムシュピーゲル、ノーベルガンダム、マスターガンダム、ネーデルガンダムなどの、各国ガンダムを作る。それはガンダムの王国、ガンダムの小世界なのだった。実際、このガンダムの小世界が崩れ始めたのは、幼稚園の先生が昼休み終わりにあくまで机の中の粘土に拘っていた古田を無理矢理引き剥がしたからだった。園のプログラムから粘土のガンダムは「おかたづけ」される事になった。強く、勇敢で、しかし小さいガンダムたち。あまりに古田が熱中するので、先生たちが潰して元の粘土に戻したそれらは、二度と再建されなかった。

古田が今度は性について考えはじめたからだった。その時まで古田は本当にGガンダムのことしか考えず、性のことなど全く知らなかった。事はある女の子が古田にお昼寝の時間に突然キスをした事に端を発する。古田の人生において、女の子から突然キスされるなどという事件は、――まあ、あと五十年ぐらいはあるにしろ――最初にして最後である。竹内さんという、その前歯の少し出た女の子は、世の中で美人という類型からは外れていると古田にはどうしても考えられたけれど、みんなは美人だと言っていた。竹内さんは確かに美人かもしれない。いずれにせよ、竹内さんにほっぺの端を吸われただけで、古田はわけもわからず真っ赤になったのである。そもそもほっぺの端を吸うとは、どんな行為なのか? 古田は考え、そして母親に説明しようとしたが、どうしてもわからなかった。そうしてみると、竹内さんを古田が好きであると言えるかもしれない。しかし、女の子を好きであるなど、Gガンダムに夢中の古田には軟派なことに思えて到底考えられなかった。

しかも、そんな大胆なことをしてさえ、竹内さんは今度は別の男の子をからかっているのを古田は見たのだった。古田は悔しいような、竹内さんへの自分への好意を周囲へ証明させ続けたいような、奇妙な気持ちに駆られた。そして、竹内さんが例えば、ファンタジックなドラゴンや悪鬼などに、花嫁姿で襲われ、それを剣で守る鎧甲冑を着た自分を想像すると古田は何やら股間の一物を裏返したいような気分になるのだった。事実、時々はパンツに手を突っ込んでそうしてみたが、一向に当時の古田には自分の包茎の一物が小水以外の役に立とうとは想像もできなかった。そして、古田には第一に問題なのは、迎えに来るのが時々平気で遅かったりする母親なのだった。

 そして、今度は母親は古田の園の終った後の時間を地元のスウィミング・スクールにあずける事になる。ある午後、古田はやはりまた不意打ちで母親に連れられ、ガソリンスタンドの裏のイルカマークにやってきた。なに、父母の話し合いも母親の説明も古田はロクに聞いていなかったに違いない。古田にはイルカは例の包茎5cmを裏返した時の浮遊感でニヤニヤ笑っているように見えた。水族館でいつか見たその動物はやはり腹を裏返して陰部を見せながら浮いていた。ふやけたそれは古田のミニ小便ホースに似ていなくはない。そして、その日インストラクターの小口先生にプールに入れられた古田は股間を思う存分浮遊させたのだった。小口先生はスポーツウーマンらしく、長い髪をオールバックにまとめている。のっぺりとした瓜実顔。全ては古田には簡便に考えられ、上機嫌でちょっとうるさいぐらいだった。五歳児がプールでやらなくてはならないことなど、水に顔をつけてみるくらいのものだ。仰向けになった古田からは二階の控え室で母親がスクールのプログラムについて説明されているのが見えた。小口先生の大柄な生温かいゴムみたいな女の人の手も心地よかった。唯一の問題は古田の蓄膿症で、水に顔をつけるたびに、端の水溝にまで歩いて行って手でハナをかんで流した。古田は始終ハナをかまねばならなかったし、かんでもかんでもそれは通じるようにはならなかった。しかし、母親からハナはかまねばならないと教えられた古田は、そんなこと恥とも考えていない。

スウィミング・スクールには同じ幼稚園の友人も当然のように何人も居て、古田の知らない子どもと楽しそうに会話する。街の子どもらしい。彼らは既にプログラムとして、ビート板でバタ足するところまで進んでいる。古田は馬鹿にされた。馬鹿にされてみると、泳げない古田は自分の発育が劣等であることを思った。今までお母さんは女の子たちと一緒にピアノの練習をしなさいとしか言わなかったのに。古田はここでも自閉症児的な孤独に見舞われたが、別段お母さんと小口先生が以外は問題ではない。

 やはりそうしてみると、二十五才の車窓を眺める古田の妄想癖も小児時代から起源を偽造されて発現されてくるのである。果たして俺の過去の人生は正気の産物だったのか。いつ頃から、俺はこの物事に全く手の着かなくなるような、脳内映像に囚えられはじめたのか。そして、遂には自分の狂気にほとほと呆れ、馬鹿馬鹿しくなって、全部無視して、構わず日常のあれこれを片づけはじめたのか。それらの映像は正しい記憶の問題とも言えないだろう。そして、これらの映像が快か不快かの欲動に導かれていることを恥もしない。古田はバスの座席で隣りの大学生を街の知恵遅れのように、内的映像に影響された不意な動作で他人を脅かす。しかし、その動作は微細なことであったので、大学生の軽侮までには至らなかった。

 しかし、古田は泳げるようになったのだった。努力の記憶として燦然として古田に輝くそれは、小学四年生のことである。小学四年生の古田高男は発育劣等ながら、泣きながら逆上がりを可能にし、二重跳びができるようになり、25m泳げるようになった。相変わらず同級生からは馬鹿にされたが、父母と祖父母は彼を努力の人としてほめそやした。業を煮やした父親が泣く彼を休日に鍛えたのである。父は八十年代に専属の家庭教師にエリート教育された過去を持っていた。小四の古田の好きな言葉――努力、根性、負けず嫌い、一日一善。

 学校は今、篠田先生が持っていて大変な荒れようだ。田舎の小学生たちは堕落しはじめた。体育大学出の女の篠田先生は強権を以て、テルモピュレーを戦う。暴君だ。本当は古田は努力家でも負けず嫌いでもない。優等生でもない。反抗を覚えはじめたのは古田も同じだ。

 何時間でも時間は費やされる。授業は延長される。古田は夕方家に帰ると遊ぶ暇もない。篠田先生が言うことが本当に正しいのかわからない。遊ぶ時間もないので、古田はいつだったか母に涙ながらに人間社会で生きていきたくないことを告げたのだ。――狩りや農業で生きていってはいけんのん? それだって、篠田先生が社会科で教えた、縄文時代の日本人の暮しに違いない。

 古田は今日は家のこたつで読書としゃれこんでいる。また、父は彼に読書を教えたのだった。古田はなんでも本を最初から読む。本は開いたら、母が呼ぶまで閉じない。しおりなど便利なものはない。食事が終わってまた本を開いたらまた最初から読む。「抄訳ギリシャ神話」、「奇岩城」、「足ながおじさん」、「シャーロック・ホームズの冒険」。ホームズは古田には難しかった。児童向けの抄訳版から卒業して、平仮名は多いが、新潮社版を読む。ホームズの人間関係に部類する話が好きだ。レストレード君は猟犬のよう。祖母が録画したBBC版のバスカヴィル家。狼と血縁の恐ろしい犬たち。新聞に小さな記事で「バスカヴィル」が模倣作だと言う噂が載ったことがあった。しかし、「四つの署名」は何度読んでも難しすぎる。「まだらの紐」の蛇が首にまとわりつく。

 何度も忘れてははじめのところから「冒険」を読む。「ボヘミアの醜聞」はどんな話だったか。変装の得意な俳優たち。余はドイツ皇帝であるぞよ。シャーロックは侮っているのだ。民主主義にはドイツ皇帝も関係ない。女性にも敬意を払うことにしよう。恋とはなんだろう? 古田は女の子に恋されたことがない。シャーロックはワトソンは好きな癖にアイリーンもハドソン夫人も馬鹿にしているのか。シャーロックはいつまで経っても結婚しないのか。結婚したと事件で決まった女性に憧れて、シャーロックはどうするんだろう。アヘン窟とはどんなところか。――当時はタバコみたいなもんよね、と父。禁止される前はなんでもそうよね。――じゃあ、モルモン教ってなんなん? ――黙って読みなさい。

 泳げる小学四年生の古田は泳げなかったことを思い出した。それ以後にも水泳の特訓の中で、何度も溺れた。水がゴボゴボと喉の中に入る。息継ぎを失敗したら、水を飲むはめになる。次、水面に顔を出した時、引っかくのが力不足であれば、また水を飲むだろう。そうやって、か弱く溺れる。母親――あんたは昔はよう泳ぎよったわいねえ。すいすいしよったわいねえ。なんで泳げんようになったんね。僕は泳げなかったのだ。何故。溺れたからだ。何故、僕は溺れたのだろう。僕は泳げなくなったのだろう。溺れて死を覚悟した大事件を何故、忘れていたのか。小学四年生の古田は探偵にして被害者、証言者、依頼者になったのだ。

 再び車外が古田の脳髄に印象付けされる。京都郊外は『伊勢物語』の平安京開府以前に帰っていく。農耕だけの民が寄り集まって暮す。都通りは商人の都会だが、ここはそうでもない。この真っ暗闇の古代に男は娘を盗んだ。国境までどんどん盗んで逃げていく。ぬす人なりければ、国の守にからめられにけり。日本古代のレストレード君だ。

 昼下がりに農家の親爺が食うにも足らぬ畑でトラクターを進める。古田の眼前をめらめらと野焼きが燃え上がる。「この野はぬす人あなり」。頬を焦がすように炎は燃え上がって、パチパチ言った後消えた。武蔵のは今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり。女は犯されただろうか、ぬす人に。国の守の兵にも犯されただろうか。全ては古田の空想だ。古代とは言え、そんな無法なことはないだろう。女盗みは儀式のようなものだったろう。女をばとりて、ともに率ていにけり。

 復活した記憶は鮮明だ。溺れるまでの五歳の古田は上機嫌に過ぎた。五歳の古田はだるまうきが得意になる。誰よりも潜っていられる。小口先生は古田を誉めちぎる。古田は膝を抱いて、プカーと自分の肺の浮力で浮き上がる。膝を抱いて、眼をつぶっていればいいので簡単だ。古田の潜水は十五秒、二十二秒を記録し、三十秒を数えた。スクールのプログラムは進む。もう少しで街の子にも馬鹿にされないかもしれない。

 溺れた日、古田は園児用に底上げされたプールの浅瀬で、だるまうきの練習をしていたところだった。みんな我慢が続かないと古田は思う。我慢だけなら、古田は天才か。得意になって例のだるまうきをしていて、浅瀬のへ先で古田は足を取られた。三十数え終って、立とうとしたら、底が無かった。水中から見える真っ暗闇の排水溝は怖ろしい。子どもでもカルキでもなんでも吸いこんでいく。何度も浅瀬へ上ろうとするが、プラスチックの底はつるつる滑って、思うように浅瀬に向えない。息継ぎも知らない。水音と子どもたちの声がくぐもって聞える。また水を飲む。プールサイドの小口先生を呼ぶ。水を飲んで思うように声が出せない。ストップウォッチを持っていて、こちらを見ていない。小口先生は本当は何を考えているのだろう。二階の母親を見かける。助けにも来れまい。息ができないのは苦しい。段々、沈んでいく。水中が眼に入る。死の観念を考えた。死ぬことは天国に行くこと。地獄に行くとは思えない。きっとそこには神様がいるのだろう。想像の神様はスローブと髭の洋風だ。神様を信じている。今まで想像もできなかった程、水を飲んだ。今は水面なんて見えず、身長なんかよりよっぽど深い深いプールの底が見える。抵抗を止めた。沈んでいく。気が遠くなる。溺れて死ぬのは想像より苦しくないみたいだ。

 気付いた時には矮小な古田は浅瀬に押し上げられていた。古田は五歳で死にはしなかった。助かったと思った拍子に身体中に喜びが満ちた。プールの浅瀬でぜいぜい水を吐きながら、またお母さんの食事も食べれるし、おばあちゃん家にも遊びに行けると思った。それは古田には神聖化された奇蹟だった。しかし、何の事はない。古田を助けたのは同級の西田君だった。古田は無意識に西田君の腰をつかみ、発育のいい西田君はそのまま古田を浅瀬まで引っ張って行ったのだ。

 あれだけ信用していた小口先生は古田を助けなかった。それどころか、友人に捕まり、下手すれば双方溺れる恐れがあると、西田君につかまった古田を批判した。一人沈んでいけと言うのか。死ねと言うのか。母は当然、猛講義した。――溺れているうちに泳げるようになるんです。いけしゃあしゃあと小口先生は言った。だるまうきから「進歩」しない、古田に苛立ったらしい。

 文明批評を加えよう。「溺れているうちに泳げるようにはならない。」溺れる者が卒然と泳げるようになるなら、溺れて死ぬ人間はいない。むしろ、泳げる人間ですら溺れる。泳げるのは技術のある人間だけである。水難事故ほど恐ろしいものはない。

 小四の古田は考える。何故、小口先生は古田を助けなかったのか。見逃したのだろうか。あんなに叫んだのに。小口先生は明らかに気付いていたはずだ。古田はまだボヘミアンを知らない。何故、古田は底上げされたプールの浅瀬から、足を踏み外したのか。溺れる前に小口先生は言ったことを思い出す。

――そこでだるまうきしなさい。

 二十秒後に顔を出す。

――やったよ、先生。

――今度は、三十秒に挑戦しなさい。

 ストップウォッチ片手にだ。息は段々続かなくなる。段々、流されて、古田は浅瀬から、遠ざかっていく。何度も小口先生は古田にだるまうきさせる。

――やったよ、先生。

――もう一度。

 眼も鼻もつぶって外界に無感覚になっている古田を小口先生はプールに入って行って、プールの遠瀬へついと押した。古田は溺れるべくして溺れた。小口先生はプールサイドに上がる。三十数えて、今度こそ終ったと思って、古田は立とうとする。プールには底が無い。水を飲みはじめる。

 小口先生はプールサイドで数えていた。図書館の本には子どもの肺が、水で一杯になるのに何秒かかるか、書いてある。だるまうきの新記録など、はなから問題ではない。そして、肺に入った水は二度と出て来ない。助かった子どもが肺炎で死んだ話。

 小口先生はどこに行ったのだろう。スポーツウーマンの小口先生と篠田先生は重なってしょうがない。小口先生は篠田先生なのではないか? 何故、そんな事があり得るのだろう。女性の姓が変わる理由は一つだけである。結婚したのだ。体育大を出て、スウィミング・スクールで講師のバイトをしていた小口先生は、結婚し、姓を変えて、篠田先生として、小四になった古田の小学校に赴任してきたのだ。

その考えに至った古田は図書館から学校を歩いて行って、給食を摂っている篠田先生に訪ねに行った。クラスに不満足である篠田先生。不機嫌そうに片ひじをついている。

――怒鳴ってやれ、と古田高男は思う。お前には怒る権利があり、怒る対象もすぐそばにいるのだ。お前がとやかく言われる謂われはないんだ。どう考えても、小口=篠田先生はひどい事をしたんだ。殺されかけたんだぞ。怒ることを覚えろ。

 古田は先生に説明することしかできない。作文が得意なこの小学生は、女教師に対するべったりとした感情がぬけきらない。

 それでも小四の古田は辿りついたのだ。忘れていたことを思い出したのだ。忘れる、ということがおよそあり得ないことにしろ。事実を構成し直したのだ。怒ることのできる自我も今は備えているかもしれない。五歳では無理でも九歳なら戦えるかもしれない。

 しかし、さも当然の如く、篠田先生は「そうよ。それがどうかしたの?」と言っただけだった。篠田先生は心底無意味そうに古田を見返した。

 本当の記憶はどうであろうか。どれほど真実に近しいだろうか。誤謬推理なのか。誰に確しかめればいい記憶なのか。地元のスウィミング・スクールは以前潰れてしまった。母親は地元で生きている。しかし、口に出せそうな記憶ではない。事後確認はしようがない。であれば、それは古田の記憶の中にしかない出来事なのだ。それらを構成していた諸物質のエーテルも世界に飛び散って、今はもうどこにもない。プールも、水面も、篠田先生も。ただ、脳細胞の電気信号だけが、その風景と事件を残している。時たま、古田の脳内で移動しては古田を白昼夢に呆けさせる。

車庫に着く手前で古田はバスを降りる。古田は今、自分が泳げるかどうか知らない。

 古田高男は塾講師のバイトをはじめる。教師もいずれやるかもしれない。教室に入り、時間が来る。およそ勉強をするつもりのない小五の生徒に、古田は言った。

「――授業をはじめます。」



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[一言] 心理主義の何たるかは寡聞にして存ぜぬ私ですが、 語り手の感じる世間からの疎外感がひしひしと伝わってきました。 水底に取り残され、見捨てることをよしとされた子供時代、 今もなお記憶の奥底から離…
[良い点] 細部の感想で申し訳ないですけど、ウサギとライフルの描写が良かったです。 でもいくつか気になった点がありました。 [気になる点] 古田はこの頃、うさぎをライフルで仕留め、その白い可愛らしい…
2014/05/26 13:24 アメリカの鯛焼き釣り
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