後編
深沢さんが見たいとリクエストした映画の上映までまだ少し時間があったので、私たちはショッピングモール内の店舗を色々と回ってみることにした。
手始めに入ったのは小物屋。店頭でやっていた猫もの特集に、さっそく深沢さんは食いついていた。
「猫、好きなの?」
尋ねると彼女は頬がこぼれ落ちそうな顔をして言った。
「うん、もう可愛くてたまらないって感じ。道ばたとかで見つけても、撫で回したくなっちゃうんだ」
目を輝かせてあっちを見たりこっちを見たりする彼女。そんなあなたの方が可愛いです、とは思ったけど口には出さなかった。
続いて、モール内の地図で見つけた本屋へと向かう。結構大きめで、参考書、漫画、小説などとコーナーがたくさん分けられており、本の詰まった本棚がずらりと並んでいる。
「深沢さんは、どんな本読むの?」
彼女はいつも学校で本を読んでいた。ここに立ち寄ったのも、実はそのことを思い出したからだ。
「えーっ、私が読む本なんて、マニアックだから面白くないと思うよ」
「平気平気。私、結構色々読むタイプだから」
それに、と私は若干口ごもりながら続ける。
「……深沢さんがどんな本を読んでるのか、興味があるので」
どうやら深沢さんの敬語が出る癖がうつってしまったようだ。
「えっ、あっ……ありがとう、ございます……」
真っ赤になった深沢さんを見て、私も恥ずかしくなってしまった。
彼女が手渡してくれた本は、ロボットとロボットとの戦いに人間が巻き込まれていくという本格的なSF小説だった。なかなか難しそうな内容だが、面白そうだ。
「……ありがとう」
そのままレジに持っていって会計を済ませた私に、深沢さんはまたそう耳打ちする。顔の温度がまた二度くらい高くなった気がした。
そうこうしているうちに、映画の上映時間が近づいていた。私たちは急いでポップコーンと飲み物を買って、劇場に入る。チケットは前もって購入済みだ。
「私、映画館来るの久しぶりなんだ。すごくどきどきするなぁ」
座席に座った深沢さんはそわそわと目の前のスクリーンを見つめている。そんな彼女を見ているだけで、こっちまで楽しい気分になってくるから不思議だ。
誰かと一緒に過ごす時間って、何だかとても満たされた気持ちになるものなんだなぁ。もしかしたらそれは、相手が深沢さんだからなのかもしれないけれど。
やがて劇場内が暗くなり、アクション満載のオープニングが入ると、深沢さんはもう夢中だった。可愛い、と横顔を見ながら思う。今日一日のことを思い返して、自分が深沢さんのことばかり見ていたと気づいた。今だって映画よりも、彼女の方を見たりなんかしている。
私はそっと、深沢さんの手をとった。びっくりしたようにこちらを見た深沢さんは、繋がれた手を見て照れくさそうに笑った。
映画を見終わった私たちは、クレープ屋に寄ってから帰ることにした。外に出たら辺りはすっかり暗くなっている。タイムワープでもしたんじゃないかと思うほど、時間の進みを速く感じた。
「深沢さん、それ何味?」
「私のはいちごのシロップが入ってるみたい。森山さんは?」
「私はバナナチョコレートだって」
クレープを頬張って、顔を見合わせて笑う。今日一日だけで、もう半年分は笑った気がした。
「楽しかったね」
思わずそう言っていた。深沢さんが頷く。
「うん。……またデート、しようね」
「そうだね。次は、どこにしようかなぁ」
「……森山さん」
唐突に名前を呼ばれた。振り向いた私に、深沢さんは顔を近づけてくる。
深沢さんの唇はちょっぴり冷たくて、淡いストロベリーの味がした。
深沢さんと付き合ってから、一ヶ月が過ぎた。学校で話すのはもはや当たり前になって、デートもそれなりにして。……キスは、未だに少し慣れないけれど。私たちの関係はゆっくりと、着実に進展していた。
そんなある時、何でもないことのように突然、深沢さんが言った。
「森山さん。今週末空いてたら、私の家に泊まりに来ない?」
何気ない風を装っているが、彼女の頬がわずかに赤らんでいるのを私は見逃さなかった。
「……うん。空いてるよ。でも泊まっても大丈夫なの?」
「平気平気。私一人暮らしだから、何の気兼ねもしなくてもいいよ」
彼女がマンションに一人で住んでいるというのは聞いていた。両親が今のうちから自主性を鍛える意味で、と勧めてきたかららしい。
「じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
「よかった。細かいことはメールで連絡するね」
それからいつものゆるゆるとした日常の話題に戻る。途中で美佳も混ざってきて、くだらない話で大いに盛り上がった。美佳は持ち前の遠慮のなさですっかり深沢さんと仲良くなったようだ。私に鈍いだの何だのと言っていたのはどの口だったのだろうか。
放課後になって、深沢さんと別れた後の帰り道。私は初めて近所にあるランジェリーショップに行ってみた。試着したものを鏡に映してみて、ふとこういうのは勝負下着というのだろうか、なんて変なことを考えた。
深沢さんのマンションの前に立った私は、玄関に入る前に一度深呼吸をする。見上げると、紺色のモダンな外観が目に入った。どことなく高級感が漂っている。
更に玄関に入ると、番号を打つ文字盤が中へと続く自動ドアの横に置かれている。ここに部屋番号を押すと深沢さんの部屋に繋がって、自動ドアを開けてくれるという仕組みのようだ。セキュリティも万全で、そりゃあご両親も女の子の一人暮らしを許すわけである。もしかしたら深沢さんは、お嬢様なのかもしれない。
「森山さん、いらっしゃい。今開けるね」
辿々しい指使いで教えてもらった番号を入力すると、スピーカーから深沢さんの声がした。同時に自動ドアも迎え入れるように開く。私はその奥にあるエレベーターに乗って上へ上がる。何だか別世界に迷い込んだ気分だ。
「ようこそ森山さん。今日は来てくれてありがとう」
部屋の前にたどり着くと、すぐに深沢さんが扉を開けて出迎えてくれた。今日は状の短いワンピースに、同じく短めのレギンスパンツとラフな格好だ。長い髪もポニーテールにしていて、活発そうに見える。
「こちらこそ。今日はお世話になります」
「いえいえ。さあさあ、中へどうぞ」
さっそく部屋の中に通してもらう。深沢さんの部屋は寝室と居間に分かれていて、広かった。置かれている家具はテーブルやテレビなど最低限のものだけで、シンプルな感じだ。だけど壁際の背の低い本棚の上にはありとあらゆる猫グッズが置かれていて、それが何とも深沢さんらしい。
「食材の買い出しとか、どうしようか。森山さん、何か食べたいものある?」
「えっ、何で?」
「いや、その……手料理を振る舞わせていただきたいなぁって、思いまして」
こう見えても料理は得意なんだよ、と照れ隠しなのか深沢さんはできていない力こぶを作ってみせる。
深沢さんの手料理。とても魅力的な響きだった。
「じゃあ私、パスタが食べたいな。さっそく買い出しに行こうよ」
「そうだね。よーし、とっておきのレシピ、見せちゃおうかな」
「はは、楽しみにしてる」
わいわいと騒ぎながら、二人で出かける。柄にもなくはしゃいでいる自分に気づいて、何だか変な感じがした。
深沢さんと付き合って、私もだいぶ変わったなぁなんてしみじみと思った。
深沢さん特製のパスタはとてもおいしかった。食べ終わった後は私が食器洗いをして、それから少しおしゃべりをしたり、テレビを見たりしてくつろいで。
あっと言う間に窓の外は夜の色に染まっていた。時計の針も八時をちょっと過ぎたくらいだった。
「えっと、森山さん。シャワー……先に入ってきたら?」
ふと深沢さんがやや固い口調で言う。だらけていた空気が、少しだけ張りつめた感じがした。
「そ、そうだね。じゃあお先にお借りしちゃいます」
そそくさと私は立ち上がる。脱衣所で服を脱いで、バスルームへ。一人暮らしにしては広めだった。掃除が行き届いていて、シャンプーなんかもしっかり整理されていた。
いつもより丹念に体の節々を洗っていく。熱いお湯を浴びていたからか、頭がぼーっとしてきた。
この後、どうなるんだろう、なんてことを考える。そんなことは、ここに来る前からわかっていたはずなのに。
上がった私と入れ替わりに、深沢さんがバスルームに入っていった。私は借りたドライヤーで髪を乾かす。
水が流れる音が壁を通して伝わってくる。……深沢さん、シャワー浴びてるんだ。よからぬ想像が頭を過ぎって、胸の鼓動が勝手に騒ぎだす。
……そっか。私、深沢さんとしちゃうのか。今更のようにそう思った。
やがて水音が止まって、しばらくしてから扉を開けてパジャマ姿の深沢さんが出てきた。
「お、お疲れ……」
よくわからないことを言う私の声は、上擦っていたように思う。深沢さんが笑って頷く。
「うん。いいお湯でした」
彼女はベッドに腰掛けていた私の隣に座ってドライヤーを使い始める。私は彼女を見ることが出来ず本棚の上の猫グッズの方に目をやっていた。一秒ごとに、少しずつ心拍数が上がっている気がする。
「……森山さん」
ドライヤーの音がやんだ。かと思うと、深沢さんが私を背中越しに抱きしめてきた。お風呂上がりだからか、その体は火照っていて熱い。
「な、何……」
「キスしても、いいかな」
「い、いいよ」
私の顔に手を添えて、彼女は近づいてくる。目を閉じると、彼女の湿った柔らかい感触を鮮明に感じた。
そのまま舌が唇を割って入ってきたのは驚いたが、私は甘んじてそれを受け入れた。深くて長いキス。思考までとろけて、頭が回らなくなってくる。
「森山さん……」
唇を離して、深沢さんが私を呼ぶ。見つめてくる瞳は、やや不安げに揺れていた。
「……嫌だったら、言って。ここでやめるから」
何を今更、と思う。私をそんな気分にさせたのは、そっちのくせに。
今にも泣きだしそうな彼女の背中に腕を回して、今度は私からキスをする。
「……嫌じゃないよ。しようよ、深沢さん」
着たばかりのお互いのパジャマを、今度は二人で脱がし合う。生まれたままの深沢さんの姿は本当に綺麗で、私はうっとりと見惚れてしまった。こんなに美しい人間がいるなんて、夢でも見ているようだ。
そのままベッドに横たわって、深沢さんは私の体を引き寄せてくれる。人肌の温もりがひたすらに優しく、私を包み込んだ。知らなかった。抱き合うということが、こんなにも気持ちのいいことだなんて。
私を抱く深沢さんの想いを、感じる。確かに彼女は、私を愛してくれていた。
愛おしい、と思う。今私を抱きしめてくれている人が、狂おしいほど愛おしい。
深沢さんは、私の体の強張りを丁寧に解いていってくれた。私の反応を確かめながら、宝石を磨くように優しく。
そして私の中に彼女の指が少しずつ這うように入ってきて、全身が震えるのを感じた。確かに痛みはあったけれど、それ以上に嬉しかった。誰かを私の体の中に受け入れている。そんな喜びを私は初めて感じた。
「ふか、ざわさん……好き」
想いが心からあふれて言葉を紡ぎ、彼女へと伝わっていく。
「好き。好きなの、深沢さん……」
「うん。私も、好きだよ……」
吐息を混じり合わせながら、確かめるように私たちは何度もそう言い続けていた。
薄く点いた照明の中、ベッドの上で私たちは肩を並べて寝転がっていた。あれから、深沢さんにしてもらったことを、私も彼女にしたのだった。一体どれくらい経ったのだろう。時間の感覚がまだ戻ってこない。
まだ体にはくすぶった熱が残っていて、少しだけ気だるかった。でも、とても晴れやかな気分だ。
隣の彼女の手を手繰り寄せて、自分の手のひらに導く。どちらからともなく私たちは向かい合った。澄んだ深沢さんの瞳の中に、私がいる。きっと私も、深沢さんの中にいるのだろう。
「あのさ、深沢さん」
「どうしたの」
「私、付き合う前から、深沢さんに結構話しかけていたじゃない」
「うん。そういえば」
もしかしたら、私は無意識のうちに彼女に憧れを抱いていたのかもしれない。
もっと、仲良くなりたいな。もっと、話してみたいな。もっともっと、彼女のことを知ってみたいな。
最初はそんな淡い好奇心だった。でもきっとその根幹にあった想いの名前を、今の私なら当てることができる。
「私最初から、深沢さんのこと、好きだったみたい」
「えっ、それって……」
「つまり、最初から両想い、だったわけです」
「そ、そうですか……」
赤い顔の彼女が可愛くて頬をつねってみる。すると彼女もお返しとばかりにつねり返してきた。笑い声が、薄暗い部屋の中を満たしていく。
ふと思いついた。前から頭の片隅で言い出そうと思っていたけれど、今がちょうどいいだろう。
「ねえ、深沢さん」
「はい?」
「さん付けじゃなくて、名前で呼んでもいいかな」
「もちろん。喜んで」
私はもったいぶりながら、一音一音を舌の上に乗せて、彼女の名前を呼んだ。