前編
深沢さんは、陰でクールビューティと呼ばれている。
というのも、彼女は「可愛い」を通り越して「美しい」という言葉が正にふさわしい女の子だからだ。
肩まである黒い髪は鈍く光り、鼻筋は通っていて、肌は透き通るように白い。まるで名のある彫刻家が、計算に計算を重ねて作った芸術作品みたいだった。
そんな彼女はいつも窓際の席で小説の文庫本を読んでいて、その姿はあまりにも様になっているため、なかなかクラスの子たちも話しかけにくいらしい。一応話しかければ快く応じてくれるが、基本的に彼女は無口だった。そして付けられた通り名が、クールビューティである。
みんなが遠巻きに彼女を見ている中、私はそんなのお構いなしによく彼女とお話をした。
「おはよ、深沢さん。今日も暑いねぇ」
私が片手を上げて気さくに声をかけると、彼女も文庫本から顔を上げて控えめに微笑み返してくれる。
「おはよう、森山さん。今日は三十度を超えるみたいだよ」
「うわっ、沖縄の方が涼しいんじゃないのそれ」
「ふふ、そうかもしれないね」
こんな感じの、ありふれたやりとりだった。しかし深沢さんと話した、ということを友達の美佳に話すと、驚いた顔をされた。
「青、結構度胸あるんだねぇ」
「えっ、そんなにびっくりする?」
「だって深沢さん、正に絶世の美女って感じでしょ? だから私たちと次元が違うっていうか。話しかけにくくない?」
私は少し考えてみる。確かに彼女は綺麗な人だけれど、それがどうして話しかけにくさに直結するのか。私にはよくわからなかった。
そう言うと、美佳は困ったように笑った。
「なるほど、青は度胸があるっていうより、鈍いだけだね」
何がなるほどなのさ、と私は彼女の頭を小突いてやった。
こんな具合で、私は周りの人よりも深沢さんと交流があったわけだけれど。
まさか告白されることになるとは、夢にも思っていなかった。
「あの……森山さん」
玄関で靴を履き替えている時だった。名前を呼ばれて振り向くと、深澤さんが立っていた。彼女から話しかけてくるとは意外で、私は少しびっくりする。
「あ、深澤さん。どうしたの?」
「そ、その……ごめんなさい。話があるの」
少し落ち着かない様子で彼女が言う。いつも凛としている深澤さんにしては、何とも珍しいことだった。
「青ー? 早くしないと置いてくよぉ」
靴箱の陰から美佳が顔を出した。深澤さんを見て目を丸くする。
「ありゃ、取り込み中?」
「うん。悪いけど先行ってて」
「はいよ。了解」
美佳がいなくなったのを見計らって、改めて深澤さんと向き合った。
「それで、話って何かな?」
「あのね……森山さんにとってはいきなりで、びっくりすると思うんだけど……」
深澤さんは俯いて、人差し指同士を擦り合わせる。そして不意に顔を上げると、囁くような声で言った。
「あの……わ、私と、付き合ってくれないかな」
さすがに私も面食らった。今深沢さんが口にしたのは、告白に間違いない。だけど今この場には私と深沢さん以外は誰もいないから、告白されたのは私のようだ。
「そ、それって私に言ってるんだよね?」
「うん」
一応確認すると、深沢さんは小さく頷いた。とりあえず人間違いとかではないみたいだった。
「……私のどこが好きなの?」
「えっと、どこが好きっていうのじゃないんだけど……」
深沢さんが顔を赤らめる。
「森山さんと話しているとね、何だかその時間がとても楽しく感じるの。だからもっと、一緒にいたくなったっていうか……」
森山さんの特別になりたいと思ったの、と彼女は言った。
私は彼女の言葉をよく反芻させてから口を開く。
「特別になりたいっていうのは、私と……キスとか、色々したいってこと?」
途端に彼女はあからさまに、動揺していた。
「えっ、あ、まあそれは……そう、だけど」
しどろもどろの彼女と、言葉の意味から察するに、彼女はどうやら本気みたいだった。少しの間色々と思考を巡らせた後、私は頷く。
「……いいよ。じゃあ付き合おっか」
「えっ!? いいの?」
私の答えに、告白してきた深沢さんが一番驚いていた。
「付き合ってって、言ったのは深沢さんでしょ?」
「だ、だけど女同士だし……」
「深沢さんが言っちゃうの、それ」
「そ、そうだよね。でもまさか……付き合ってくれるなんて、思ってなかったから」
赤い顔で、深沢さんはぼんやりと呆けている。こんな彼女は見たことない。クラスの男子たちが見たら、どう思う事だろう。
でも、私はいいな、と思った。もっと色々な深沢さんを見てみたい。そんな思いがぽっと考えた末に浮かび上がってきたから、私はオーケーしたのだった。
「よろしくね、深沢さん」
「よ、よろしく、森山さん」
私がその場の流れでお辞儀をすると、何故か深沢さんもそれに倣った。端から見たら、きっと変な風に映ったことだろう。事実、当の私たちも変なの、とお辞儀の後笑い合った。
私と深沢さんが付き合うことになって、変わったことが二つほどある。
まず一つは、前よりもたくさん話すようになったこと。話題は相変わらず他愛のないことばかりだけど、自分たちの話もするようになってバリエーションが増えた。
それともう一つ、一緒に学校から帰るようになった。これは、美佳からの提案だった。
「初交際おめでとー。いやぁ、まさか青と深沢さんが付き合うことになったとは驚きだわぁ」
そうだそうだ、と美佳は私の肩を叩きながら言う。
「せっかくなんだから、放課後は二人で帰ればいいじゃん。カップルの定番でしょ。甘酸っぱい時間ですなぁ」
やたらハイテンションの彼女にごまかされることなく、私は言い放つ。
「美佳。あんた、覗いてたでしょ」
「もちろん! だって面白そうだったし!」
まったく悪びれもせず、彼女は満面の笑みで言う。あの時帰った振りをして、私と深沢さんのやり取りも見ていたらしい。呆れたが、まあ彼女の提案は受けることにした。
「深沢さん、今日一緒に帰らない?」
放課後、私は深沢さんの席に行って率直に尋ねてみた。彼女は少し驚いて私を見上げる。
「えっ、でもいつもお友達と帰ってなかったっけ」
「あー、あいつのことは気にしなくていいよ」
経過を聞かせてね、と帰っていった美佳の姿を思い出して私はげんなりする。
「そっか。それじゃあ……ご一緒してもいいですか」
照れ隠しなのか、変に丁寧な言葉遣いをする彼女に私は苦笑した。
「喜んで」
教室を出て、玄関へ。上靴からローファーに履き変えながら、そういえばと思いついた。
「深沢さんの家ってどこ?」
「ここから歩いて二十分くらいの所かな。駅の向こう側なの」
彼女は近場にある地下鉄の駅の名前を言う。私がいつも帰る時に利用する駅だった。
「じゃあそこで別々にって感じだね」
「うん」
玄関の自動ドアを抜けて外に出る。ずっと窮屈な学校に閉じこめられていたせいか、妙にすがすがしい気持ちになった。空気がおいしい。
「そういえばさ……」
また話しかけようとした私の口の動きが止まる。隣にいる深沢さんが、何気なく私の手を握ってきたからだ。
「……あ、ごめん。もしかしてダメだった?」
「い、いやいや。そんなことないよ」
こちらもぎゅっと彼女の手を握り返して歩き出す。その後の会話は、どことなくぎこちないものになってしまった。
どうしても、彼女の手の感触を意識せずにはいられなかったのだ。
身長が高いのに彼女の手は小さめで、とても柔らかかった。
そうやって学校にいる間や下校中を深沢さんと過ごすようになって。
たまに何回かメールのやりとりをするようになった時くらいだろうか。深沢さんからこんな文面が送られてきた。
「今度の日曜日、暇かな?」
文末には何故かキツネの絵文字が添えられている。彼女は絵文字や顔文字を多用するタイプだった。また意外な一面だ。
「暇だけど」
一方の私は何の飾り気もない返信をする。すぐにまたケータイが震えた。
「デートしませんか?」
ディスプレイを見て、どきりとした。文の最後には太陽の絵文字。照れている時に敬語になるのは、彼女の癖なのだろうか。
心なし私は背筋を伸ばして、一文字一文字丁寧に文を作り、力強く送信のボタンを押した。
「いいよ。初めてだね、デート」
デートという響きが何ともこっぱずかしい。私がベッドでばたばたしていると、また携帯が鳴った。
「そうですね。初めてのデート」
今度ははにかんだ絵文字が最後についていた。携帯を見つめながら、同じような顔をしている深沢さんが思い浮かぶ。そしてまた私はベッドの上でばたばたした。
日曜のデートを前日に控えた土曜日。他に相談する相手もいないので、私は美佳に電話をかけてみることにした。
「はぁーい? もしもしぃ?」
少し長めのコールの後、美佳がのんびりと電話に出た。
「週末、深沢さんとデートするんだけどさ」
「ややっ、それはそれは。おめでとうございます」
ぱちぱちと、電話越しに拍手の音がした。私は続ける。
「それで、デートにふさわしい場所教えてくれないかな。私、そういうのには疎いからさ」
「デートは初めてですかな。初々しい青に深沢さんももうメロメロだね」
「そういうのはいいから。さっさと教えなさい」
「……はい、すみません」
じゃああそことかどうかな、と彼女は言う。
「最近街にでっかいショッピングモール出来たじゃん。あそこ、映画館もあるし、食べ物も小物なんかも至れり尽くせりだから、デート初心者にはお勧めだよ」
「まるで自分だけは初心者ではないって口振りだな」
「ふふふ、上級者は車でドライブデートなのだよ、ワトソンくん」
「はいはい。でもショッピングモールっていうのはいいかもしれないね。ありがとう、美佳」
「はいはーい。どういたしまして」
電話を切って、私は少し考え込む。
深沢さん、何か観たい映画あるかな。そのまま、携帯をメール作成画面に変えた。
そんなこんなで、デート当日。早めに家を出て待ち合わせ場所の駅前に向かうと、深沢さんはすでにそこにいた。約束した時間までまだあるのに。さすが深沢さん。しっかりしてらっしゃる。
「ごめん深沢さん、待った?」
話しかけると、深沢さんはびっくりしたのか目を見開いていた。
「あっ! も、森山さん。わ、私も今来たところだから……」
彼女の動きは何だか忙しない。顔が赤らんでいるところを見ると、もしかしたら緊張しているのかもしれない。
「そんな固くならないでよ。デート、なんだしさ」
「そ、そうだね。デートだもんね……」
両手の指と指とを合わせながら俯く彼女は、何だか子供っぽくて可愛らしい。可愛らしいといえば、と私は彼女の格好をまじまじと見つめた。
着ている薄いピンク色のチェニックには、小さなリボンの飾りがあって可愛いデザイン。七分丈のズボンは、すらっと長い足を更に強調させていた。やっぱり深沢さんは、どんなものでも専用に誂えたみたいに着こなすみたいだ。
「深沢さんの服、可愛いね」
そう言ってみると彼女はますます落ち着かなさそうにしていた。
「そ、そうかな。森山さんも、可愛いよ」
「そう?」
あまり気合いを入れすぎてもいけないと思って、今日はショートパンツに袖なしシャツと無難な格好だ。
「うん、森山さんは可愛いよ」
それでも深沢さんが何度も繰り返しそう言うので、私も何だか照れくさくなってしまった。
「……ありがと。じゃあ、行こっか」
「うん。……あっ、あのっ!」
歩きだした私を、深沢さんが呼び止める。
「えっとね、手、繋いでもいいですか」
「あ、うん」
差し出された手をとって歩き出す。深沢さんの手の感触はほんのりと温かく、私はただただ手汗をかいてしまはないかとそれだけが心配だった。