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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
2章
8/38

「招かれざるもの」



 朝方になると森の前はちょっとした物見客で溢れ返っていた。

 隊商の連中と、騒ぎを嗅ぎつけた隣村の奴らである。


「にしたって、デケェー船だなぁ…」

「どこから落っこちてきたんだ? まさか神様の落としもんじゃあるめえな」

「…おかしいなぁ。落ちてきたにしちゃどこも壊れてねえ。ホントは村の奴らがここで作ったんでねえのか?」

「はあ? ばかかー? 山ん上からここらへん昨日みたろーがあ。だいいち意味ねーぎゃ、こんな陸地に船なんぞこしらえよって」

「おら、こんな船見たことあるだ! 都さいったとき、寄った港にあっただ。山みてーにでっけぇ船でなぁ、腹に大砲ぎょうさん抱えてんだ。こいつは漁船でねえよ、戦艦ってやつだよ」


 飛び交う憶測の中を横切り、鋼は仮設の詰め所に入っていく。木立の間に括り付けただけの簡易な天幕には、昨夜から見張りに付いていた男衆が休んでいた。


「──鋼か!」


 中には村長の黄尾が待っていた。


「雅ちゃんの様子はどうだ?」

「まだ寝てるよ。寺にいる。それより動きはあったか」

「ない。中で何かの動いとる音は聞こえるんだが」


 黄尾はまんじりともしない様子で椅子に腰掛けた。昨夜から一睡もしていないのだろうが、とても眠れたものじゃないに違いない。疲れのたまった溜息を吐く。


「少し山に入ってきた。あの船が見下ろせる位置くらいまでな」

「…何か見えたのか?」

「船の乗員が見えたよ。あっちも慌ててるみたいだった」


 黄尾は目を覆う。無人であったならという淡い期待もあったのだろう。


「ならばやはり出方を待つしかないか。しかし、鋼よ、そやつらが慌てた様子なら何故、こちらに助けを求めない? お前はどう思う」


「分からねえよ。なんか後ろめたいことでもあるんじゃねえの」


 そんなのは見当も付かないし、知ったことじゃない。大事なのは敵か味方か、単純にそれだけだと鋼は思う。


「敵ではない、とワシは考えとる。襲ってくるなら夜のうちにできたはずだからな。慌ててまごついておるなら、この事態は相手にとっても想定外のことなのだ」


 おおむね鋼も同じ意見だが、黄尾は昨日坊主が酒場で言っていたような、戦の臭いを嗅ぎ取っているようだ。招かれざる者を敵か味方かで判断する程度には。


「鋼、あの船お前は何と見る?」

「なんで俺に聞く」

「隠すな隠すな。お前が乱世を歩いてきた事なんぞお見通しだ。前の長、白葉(はくば)は話してくれなんだが、物騒な事になりゃいつもお前を引っ張り出してきた。詳しくは言わんでいい。ワシもお前を信用したいと思っとる、特にこういう時にはな」

「そりゃどーも」


 まったく、お抱えの用心棒みたいな扱いは昔から変わらない。それが嫌ってわけでもないが。


 鋼はひとつ胸襟を開いた。


「あの船は、普通の船じゃねえ。空飛ぶ船だ」


「なんだと…!」


「見たろ、森の木が一直線に倒れて道みたいになってたの。あれが落ちてきたとき、俺は真下にいた。松ぼっくりが外れて木から落っこちてきたみたいな落ち方じゃねえ、鷲が襲ってきた感じだ。あれは滑空してここに降りてきたんだよ」


「まさか、あれほど大きなものが飛んで来るとは…そんな事が可能なのか」


「…人器、なら」


 どのような原理であれが空を飛ぶのかは分からないが、鋼の我射丸も似たような働きをする。あらゆる物をその重さに関係無く投げ飛ばすことが可能だ。もっともその起動条件には最初の力、即ち「歩き始め」や「投げ始め」のようにある程度の勢いが必要なので、もし家をぶん投げるなら家を持ち上げるくらいの力がいる。使い手の素質によって、そんな過程はふっとばせるのだか。


「そうか…お前の家はあれに吹き飛ばされたんだったな。四方八方に散っていたから家かどうかも判らんかったぞ。血まみれのお前を見たときは、肝を冷やした。雅ちゃんが無傷でいたのはとんでもない幸運だろう。お前も無理せずもう休め。傷に障る」


 昨夜の件は、そう解釈されていた。

 鋼が誰にも話さなかった。

 黄尾は知らない。

 飛び散った瓦礫の中に、犬の死体など無かったのだから。


「俺の心配はいい。この先どうするかのほうが心配だ」


「そうだな…こちらが敵か味方かで判じかねていたのだから、あちらも同じと見て良いかもしれん。使いを送って話し合うのが筋道というものだ」


 そう話しているとき、外がいっそう騒がしくなった。


「…どうやら、あちらさんも同じ考えみたいだな」


                 +


 森の入り口に見慣れない一団が集まっているのが見て取れた。


 裃だけを着ているような袖の無い白装束。帯を締め、腰布は小さく皆一様に前掛けで顔を隠していた。薙刀や剣を携えて隊列を組む威容は、戦支度というよりむしろ儀礼的な厳格さ表しているように見える。


 その全員が雌だ。


「目隠しした、女……?」


 悪寒がこみ上げてくる。

 見憶えがあったからである。

 それは思い出したくもない類の記憶だった。


「鋼、なんなんだやつらは」


「………巫女だ」


 それも、ただの巫女じゃない。宮廷を守る巫女。即ち天元陛下の身辺に最も近い側役を務める集団である。

 彼女らが五稜郭の宮廷を出ることは基本的に許されていないはずだ。それに例外があるとすれば、つまり──


「俺用事できたわ」


「待て。なんで逃げる?」


「ほら雅のこととか心配だし」


「雅ちゃんならホラ、あそこにおるだろうが」


「なぁ──!?」


 雅は巫女集団に向かい合う犬の中に紛れていた。というかほとんど、先頭に立っている。


「ひかえいひかえーい! ほらほらひかえーい、コラひかえいって言ってるでしょうが! ひかえなさーい!」


 段取りの悪い巫女が頑張っていた。隊商も村の連中もオイどうする? どうするってどうする? と相談しているだけで、一向にまとまりが無い。だいたいの犬は顔につーかこのねーちゃん何? と困惑を貼り付けていた。頼むやめてくれ、事を荒立てないでくれと鋼は祈る。


「そこのもの」


「──?」


 雅が指名された。


「ムラオサのところへあないせい」


 最悪の事態すぎて涙が出た。


「いーやそれには及びませんぞ!」


 黄尾が大声をあげたせいで引くに引けなくなってしまう。鋼はもう腹を括るしかなくなり、というよりほとんど頭の中は真っ白で自動人形のように足が出た。心がすでに死んでいた。


「ワシは村長の黄尾と申すもの。あなたがたの身分と用向きを明らかにされたい。礼を尽くすのはまずそれから」


「──道理じゃな」


 ひとりだけ格好の違う少女が巫女の中を割って一歩前に出た。他の巫女と同じに顔に前掛けはしているが、袖付きの導師服を着込んでいる。これも動きやすいように膝が見えるくらい丈を詰めていた。何よりも特徴的なのは、背中まである長い髪だ。普通の犬はあそこまで髪をのばさない。


 少女は扇子を広げる。

 それを合図にお付きの巫女が傘を差し、少女の脇に歩み出た。


「──こちらにおわすは神の眷族、天土を結ぶ調停者! 我らが光の道しるべなる、弁天院アヤヒ女王殿下であらせられるぞ! ものどもひかえおろー!」

「くるしゅうないぞ」


 ──女王だって?

 つまりヒトの血を継ぐもの。神の親類縁者。

 すべての犬にとっては生き神同然の存在である。


 黄尾は膝をつき平伏した。


「やんごとなきお方とは露知らず、非礼をお詫び申し上げます」


 その場にいたすべての犬が水を打ったように静まり、次々に伏せていった。わけがわからずポツンと突っ立っていた雅も鋼が無理矢理させた。


(──雅なにやってんだこんなところで! 出てきちゃダメだろ!)

(だって、起きたらパパがいなかったので、昨日のことも気になったので…)

(とにかく今は下手なのことはするな。頼むから、後生だから)


 アヤヒは扇子を閉じて、面をあげよと促す。


「我らは柳川へ向かう途にあった。領主ヤナギ殿と危急の折衝があったでな。ところが昨晩、わらわの操る飛行人器〝明照帆(みょうじょうほ)〟が突然言うことを聞かなくなったのじゃ。結果このザマ、以来ウンともスンとも言いよらぬ。しからばこの地に逗留し、大事に備えるべきとまかり越したわけじゃ。わらわは村に助力を乞いたい。黄尾よ、受けるや否や」


「断る理由が見当たりませぬ。仰せのままに致しましょう」


 再び頭を下げる黄尾を見ながら、冗談じゃないと鋼は思う。雅のことがバレたら一巻の終わりなのだ。自分一人の首が飛んで済むならまだ良い。だが最悪、村全体が縛り首に遭う。十年ものあいだ姿かたちの違う者とは知らずに村人として過ごしていたなんて、信じないに決まっている。絶対に目を付けられてはならなかった。


「ときに、黄尾よ」


「は」


「この村に人器使いはいるか?」


 気絶しかけた。


「は。村に人器はありませぬが、模倣人器に素養のあるものなら、そこに」


 黄尾は雅を差して言う。

 雅は分かっていないのか、きょとんとするだけだ。


「ここにいる大柄の犬は鋼、となりは雅と申します。この親子には常より、村にある模倣人器の手入れを任せており、ほかの村衆より目端は利きましょう」

 それを聞くとアヤヒは歩み出た。鋼の手元に影が差し、編み上げ靴の爪先が目の前に降りてくる。


「アヤヒ様っ、下々の者にそれほど近付かれては」


「黙っておれ」


 巫女を制するアヤヒに、年かさ通りの犬らしさは無い。鋼は心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。


「そちや、鋼と申したか」


「はい」


「お手」


「え?」


「お手」


 しん………と場が静まり返った。

 アヤヒが手を差しのべている。

 巫女たちが取り乱している。


「あ、あ、あ、アヤヒ様いったいなにを!」

「なんてこと! あたしもまだお手を召してもらったこと無いのに!」

「あのオス刺し殺してやりますわ! きぃぃー!」


 なに……これ。


「あの、殿下?」


「…恥をかかせるでない」


「わ、ワン…」


 作法に則って鋼はお手をした。臣下の犬にとって、お手は忠節を誓うための儀礼であるが主人にとってはねぎらいの意味がある。鋼はアヤヒにまだ何もしてやっていないし臣下でも下僕でも何でもない。不可解にもほどがあった。


 アヤヒは周りに分からないよう、そっと耳打ちした。


「──牙はぬいたのかえ?」


「!!」


 手を離し、扇子で口許を隠した。布越しにうっすら見える目は猫のように細められ、微笑みは底意地悪く染まっていた。鬼の首を取ったかのようとはまさにこの笑みであった。


「このふたりを船の修理に借り受けたい」

「どうぞ使ってやって下さい」

「──黄尾!」

「おい鋼、こんな機会は滅多に無いぞ。村を代表して行ってやってくれ。粗相の無いようにな」


 鋼は即座に断りの句が思い浮かばない。まずい。まずいことには変わりない。アヤヒを見ると絶対に拒否などできんと確信していような構えだし、鋼は一抹の希望を込めて雅をうかがう。


「なあ、雅はやりたくないよな」


「しらない」


 なんか機嫌が悪かった。


「決まりじゃな。黄尾よ、この森の入口に門番を置くことを許せ。なるべく船には近付いてくれるな。豪奢な屋敷など望まぬ。寝泊まりのできる家を一軒借りたい。要求ばかりですまんが褒美は取らせよう。宴の誘いがあるのなら、決して断らぬと申し置いておく」

 鋼はわけが分からずにいた。


 ──牙はぬいたのかえ?


 この言葉がどんな意味を持つか、分からないわけがない。知らずに何の意味も無く口を突くはずがない。


 人質を取られ動けない。相手は不敵に笑い、まだ奥の手を残している。


 そんな気分。



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