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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
1章
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「常なるものは何も無く」



 戻ると酒場が賑わっていた。


 そこらじゅうに焚火が置かれ、店の前だけでは足りず、木箱を囲い地べたに座った酔っ払い連中が、広場にまで広がって口々に管を巻いている。


 見憶えの無い顔ばかりなのは客の殆どが隊商だからだ。


 今が稼ぎどきとばかりに、浅葱が飛び回っているのが見えた。

 浅葱は宿場の女じゃないが何かに構わず首を突っ込んでくる性格で、自分から手伝いを買って出たのだろう。あわよくば男をひっかけ昼間欲しがっていた服でも買わせようとしているに違いなく、さっきから尻を触られたり尻尾を撫でられたりしているのに嫌な顔ひとつしないのは、相手を手玉に取る気満々だからに決まっていた。女ってしたたかだなぁと鋼は思うのである。


「エール」


 机に突っ伏して寝息を立てるでぶ犬を突っ転がし、鋼は空いている席に座った。


「あれーん? 鋼ってばお酒飲まないんじゃなかった?」


「馬鹿いえ。これでも昔はウワバミの鋼っていわれて西に東に名を轟かせてたもんよ」


「ああそ、今持ってくるからね。ツケは無しだかんね」


 一息ついて空を見上げる。

 時間がひどくゆっくり、重く冷たく感じる。

 周囲の喧騒から自分だけ浮き出ている気がしてくる。


 どん、と正面に誰が座った。


「犬………ていう字ありますよねぇ」


 袈裟と錫杖。

 顎から下にかけてが白い、あとは茶色に黒斑の、体臭のきつい不健康そうな犬だ。

 鼻と耳にはピアス。数珠を腕や体に新手の健康法かと思うほど巻き付けている。白目に黄色が浮いて見える、目ヤニだらけの病的な目。見るからにふてぶてしい手合いである。


 坊主だ。


「あれって〝大〟の部分が人間様で〝、〟の部分が犬って事だよねぇ。つまり犬ってのは大昔から人に寄り添う生き物だった事、わかりますぅ?」


 例えば、考え事をしている時。一人でいたい時。

 赤の他人が無遠慮に話しかけてきたり、自分の領域にずかずか踏み込んで来たらどう思うだろう。


 鋼は虫の居所が悪かった。真っ正面に座って来た坊主は聖職者だろうと客だろうと鋼にとっては赤の他人だった。


「それが今じゃ大の字に手足のばせるのは犬の方ってワケですよぉ、ふひひひひひ! じゃあさじゃあ〝太い〟つう字はなんなんすかねぇ! しっぽ? しっぽか? ひょっとするとうんこだったりしてね! ケラケラケラ!」


「犬かクソかなんて話は…」


 いきなり胸倉を掴まれ、テーブルに引きずり上げられた坊主は思いきり目を白黒させた。


「どーでもいい。問題なのは、なんでクソか犬かも見分けつかねーようなヤツが寄りにもよって俺の目の前にいるかってことだけだ」


「ひ、ひいぃ! 旦那ゆるしてっ、殴らねぇでくれぇ! 酔っ払ってただけなんだ!」


 坊主は見るも無残に怯えた。


「ホントホント、酔いが覚めたよごめんなさい。不快に思ったのなら謝る。このとーり。なんなら靴も舐めるよ、いえ舐めさせてください、ふひっ。旦那みたいな犬の靴が舐められるなんておいら幸せでさぁ」


 嫌悪感から手を離した。卑屈な笑みが汚染されそうなほど癇に障る。


「…俺は機嫌が悪いんだ。糞くだらねーこと話してるとその真っ黒い唇縫い合わせるぞ」


「じゃあくだらなくない事、話しますよ。それで許してください、ね、ね」


 どう見てもこっちの態度は今すぐ目の前から消え失せろと言っているのに、イマイチ通じてないらしく、坊主はどこか飄々としていて、鋼は気味が悪かった。


「わかりますよいやいやー、他所者がこんな一斉に押しかけて幅利かせてりゃ誰だっていい気じゃないでさぁ。なんだこいつらって思うでしょ。わかる、わかるなぁ、ホントなんであたしらここにいるんでしょうね。この村には立ち寄るだけで、今ごろ町に向ってるはずだったんすよホントはねぇ」勝手にべらべらと喋り始める。「それがどうにも予定が狂った。町に向かえなくなったんでこの村でちっとばかし食糧補給と洒落込んでるわけでさぁ。回り道しなきゃならんのです」


 そういえば、連中は物々交換に応じていた。本来金の無い村民相手に商売することすら珍しいのに。


「さて、この町に向かえなくなった理由ってのが難儀なところ。この村にも関係のない事じゃございませんぜ」


「どういうことだ…?」


 商犬が村を訪れるのは大抵が仕入れのためだ。

 それが今日は町で売る予定の物を売りに出し、食糧に換えている。

 商犬が町を避ける理由。


「流行り病か、戦か」


「旦那意外と鋭いですねぇ。当たり、戦ですよ」


 指先から血が引いていった。


 ついに来た。来てしまった。

 ここ十年、少なくともこの村に戦の影が落ちたことは無かった。大獅子が出た、冷害があった、嵐があって家が潰れた、物騒な話といえばそのくらいで、都まわりの騒乱とはかけ離れた平和があったのだ。


「どのくらいの戦なんだ。争ってるのはどことどこなんだ」


「落ち着いてくださいよ、何も国取りの戦ってわけじゃない。ああ、それにしても喉が乾きましたなあ」


「エールだよーう」


 空気も読まず浅葱が運んできた酒を、当たり前のように受け取って坊主は一気飲みした。


「…ふう、良い酒です。これは良い酒だ。豊穣の地が出す味だ」


「あのーそれ鋼の」


「浅葱、あっち行ってろ」


「なによぅ!」


 坊主は鷹揚にふんぞり返り、浅葱の下から上までを舐めるように見回している。調子が良いと言うより、その態度は豹変に近かった。


「鋼…鋼さんですか。またいかめしい名前ですな」


「いいから、もったいぶるな」


「へへぇ。で、どういう戦かでしたっけ? それを話すにはまずふた月前、五稜郭から発せれた布告についてお話しせねばならんですなぁ」


 五稜郭とは天領、国の中枢であり生き神たる人の治める地『文渓(ぶんきょう)』の最高権威を指して使われる言葉である。その布告と言うからには、陛下直々の下知、勅命だ。


「いわく『天より賜りし人の器、一堂に集めるべし』だそうで」


 人の器。


 古代より伝わる、人の作りし叡智の結晶。人器(じんき)と呼ばれる奇跡の道具。それらは世界中に散らばっていて、すでに散逸してまった物も多い。現存しているものはほとんど信仰の対象そのものとして祀られている。


 そんな物を今さら集めろとは、五稜郭やつら一体どういうつもりだ。


「さてこの布告、全国あまねく広がったころいくつかの領主は青ざめました。人器を持つこと即ち栄耀栄華を勝ち取る事と同義だったからです。自らの封土に人器が置かれていたからこそ、これまでの発展があったと信じる諸侯は少なくなかったワケですな」


「そうか…」


 人器は遡れば町の起源に発する。この地は神の加護を受けし聖なる地だ、とかなんとか言って発展の礎にすることもできるのだから。


 公言していたからこそ布告から逃れることもできない。


「そして恐れ多くも陛下の命を跳ね除けたのが、ここ山青(さんしょう)が領主、ヤナギ殿だったのでございますよ。『こちらから献上するならいざ知らず陛下の方から童子のごとくねだるとは何事か』とね。豪傑ですなぁ、シビれますなぁ」


「それで戦か。おかしな話だ」


 たとえ人、神と同等の力を持つ陛下に絶対の権限があろうと、領土や財産が奪われるとなれば諸侯は反対する。子供だってそうする。軍備を有した一城の主ならなおさらである。

 勅を蹴って即、戦に発展するなど短慮もいいところだった。

 お互い痛い目を見るばかりで益といえば少ない。民に慕われる陛下のやることとはとても思えない。十年前の鋼ならきっとそう考えただろう。


「ええ、ヤナギ殿もまさか出兵されるとは夢にも思わなかったでしょうなぁ。それほど布告は本気だったという事です。しかし陛下は神事を司るお方、軍を従えることは出来ません。五稜郭内にも反対する者がおったのでしょう。此度の出兵は一部の近衛と、各地に散らばる僧兵を集めたものであったようですな」


 規模は少ない、ということか。


 山青の中心地は柳川(やながわ)の城下町。ここから馬を使わずとも半日で辿り着けるほど近い。麦や米、特産品の主な取引先も柳川の町だった。そこで小競り合いがあるならそもそも町に入れないだろう。僧兵部隊と鉢合わせれば売り物を奪われかねない。そういう意味でこの村とは無関係でない話、というわけだ。


 安心した。

 狙いが人器なら、この村が巻き込まれる恐れは少ないはずだ。


「人器を巡る戦ね。そんなもの、ただの言い伝えだろうに。陛下もごうつくばりになったもんだな」


「へへぇ、本気でそう思いますかな?」


 坊主は口角を歪め、おちょくるように言う。


「どういう意味だ?」


「人器は人の生み出す奇跡。持てば万の軍勢に比する力を得ると聞いとります。かつてそいつの力を使った向こう見ずの犬どもが、天領に踏み入った事件があったでしょう、あれは十年前でしたかなぁ」


 鋼は坊主から視線を逸らさなかった。


 一瞬たりとも。指先から目の動きまで意識を外さない。坊主からは見えないように腰布の下へ手を滑らせた。


「あたしゃ人器の事には詳しくありませんがね、そういう事が出来る、とは信じとります。仮にも五稜郭より発せられた布令であるなら、意図はどうあれそれなりの力を持つと考えるべきでしょうが」


 弛緩。


「馬鹿馬鹿しい」


 椅子を蹴って立ち上がった。


「作物が育つのは土地の力だ。犬が繁栄するのは犬の意思の力だ。人の道具があるから、教義があるから、象徴があるからそうなるわけじゃない。必要なら、いくらでも別の代わりになるもんが現れる。世の中ってのはそう出来てるんだよ」


 銅銭を叩きつけ、踵を返した。


「そういえば、坊さんよ」


 去り際に、


「なんで隊商なんかと一緒にいるんだ?」


 聞かなければ良かったことを訊いてしまった。


 坊主はうへへへと笑う。


「もちろん、人器を探すために決まってんじゃないですか」



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