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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
1章
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「なおも手を離れるもの」


 鋼は最後の見送りに、村外れの森まで来ていた。

 葬式を済ませた犬は集落を避け、各々好きな道を行く。

 空が茜色に燃える頃、街道の柵越しに彼、千尋(ちひろ)は待っていた。


「よう、まだ行ってなかったか」


「お前の顔を見たあとでなければ、おちおち冥府になど行けるものか」


「他の奴らは?」


「済ませた。お前が最後だ」


 柵に腕をかけ、自分の腰より小さくなった友を見下ろす。


 千尋は白く細身の犬だった。

 体じゅうに巻かれた装身具のせいで、鎧武者か何かに見える。儀式のときより多いのは見間違いじゃないだろう。


 千尋とは村に来た時から何かといがみ合う仲で、本気の殺し合いに発展したことは一度や二度じゃ済まされない。それもこれも千尋のやつが他所者に厳しく、誰よりも本望的に雅を特別視していたからだ。


 千尋は村の戦士だった。盗賊や熊が村を襲ったとき必ず矢面に立って戦う。それゆえに血の匂いに敏感で、鋼が村に災厄を持ち込む者だとはじめから決めてかかっていた。

 恐らく今も疑ってはいない。

 だが、それも、今日で終わり。


「口惜しい。お前を生かしたまま死ななければならないことが、何より心残りだ」


「俺はいいんだぜ、ここで決着付けてやっても」


 馬鹿を言うなと千尋は鼻を歪ませる。


「私の失敗は、最初にお前を仕留め損なったことだ。お前の穢れを貰いすぎた。これより穢れを増やしたなら、次なる生は百足か毛虫だ」


「ひとを病原菌みたいに言いやがって。その穢れまくった俺よりお前が先に犬返ってんじゃ世話ねえな」


「仕方ない。殺生は穢れを呼ぶ不徳だ。村のために、武僧である私が引き受けるべき務めなのだから、これは本懐と言える。お前に責められる謂れは無いな」


 会えば憎まれ口の応酬。十年繰り返したこのやり取りも、今日で最後になってしまう。千尋は心底やなやつだったし村にいたければ畑仕事をやれだの馬の代わりに農具を引けだ山のてっぺんにしか生えない薬草を採ってこいだの、嫌がらせとしか思えない用事を次々に押し付け、家を作るならこの木を使えだの雅にちゃんと芋を食わせろだの何だのかんだのいちいち煩く、とにかく犬使いが荒いやつだった。


 鋼がひとりでやらなければいけないことを千尋はいくつも奪っていった。

 普通の生き方を、鋼はそれまで知らなかった。

 やなやつだ。今でもそう思う。そう思うことにしている。


「お前、これからどこ行くんだ。まさかこのまま大人しくおっ死ぬようなタマじゃねえだろ」


「北の霊山に登る。言葉が話せるうちに天開橋(てんかいきょう)の巫女に会い、橋の通行手形を貰うのだ」


 天開橋はかつて天にかかっていた橋のことだ。今は崩れて岩山の一部になっているが、そこまで辿り付ければ魂の穢れに関係なく天国へ行けると信じられている。


「そりゃ信心深いこったな」


「私よりお前の事だ。散々話したが、お前一人で雅様をお守りできるとは思えん。保護だ、然るべき場に保護すべきなのだ」


 千尋は雅の正体を知っていた。


 雅の存在が村に無用な混乱を招くのを察し、しかし放逐しようとはしなかったのは、事が大きすぎて誰にも正しい判断ができなかったのが実情だろう。


「…村は良くしてくれたよ。悪人がいない良い村だ。ここ以上に雅を預けて、信用できるところを俺は知らない」


「だが犬の口に戸は立てられん。心は潮の満ち引きのように揺れ動くものだからだ。少しでもさざ波が立てば、村の外から嗅ぎ付けて天の御遣いが連れ去っていくぞ」


 不安は常に付きまとった。雅を育てている限りずっと。


「なんとかする。これまでどおりに」


 ふん、と千尋は鼻を鳴らす。


「我々がしていた事は、所詮神の一人占めに過ぎん。あの方が何も知らぬまま安らかにあれと願う気持ちも、救いを求めて崇め奉る事も、犬の押し付けた身勝手な望みなのだ。運命の輪は必ず回る。川底で磨り減って行く小石のように小さな我々が、留め置く事など出来はせん」


 僧犬の言うことは一味違うなと思った。


 神をどうにかしたい、その点で鋼は散々憎んできた僧院や天領の犬どもと一緒なのだ。理想に燃えていた昔なら、もっと酷いこともしただろう。


 だが、


「勘違いするな。俺は神なんぞ信じちゃいない。この村に来たときからずっとそうだ。犬返りだの輪廻だの魂の穢れだの、糞くだらねーことに付き合ってやってるのは、村に波風立てないためだ。雅は神なんかじゃない。俺の娘だ。父親が娘を守って何が悪い」


 ──昔とは違う。

 雅をどうこうするつもりなんかサラサラ無いし、させるつもりも無い。

 そのとき千尋の目に浮かんでいたのは、強烈な殺意だった。

 信仰を揺るがされたこと、生き方を否定されたこと、どちらも堪え難い屈辱だろう。


「やはりお前は殺しておくべきだった」


「そーかい」


「もう話さん。耳が腐る」


「おー行っちまいな。さよならだ。二度と会いたくねーよバーカバーカ」


「死ね」


「おめーが死ね」


 睨み合ったすえ千尋は離れて行った。


 夕暮れの長い影。かつての友が森に消えて行く。その後ろ姿を見えなくなるまで鋼は追い続けていた。夜が広がり、星空がまたたく頃になっても、鋼はそこに佇んでいた。



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