第八話 助けた令嬢と王妃の客間で
春の夜会から二日後。
エリーン・ヴァンドール令嬢は、父である公爵とともに王宮を訪れていた。
謁見の間ではなく、王妃陛下の客間へ通された彼女は、そこで予想もしなかった人物に引き合わされることになる。
「あなたが、あの晩助けてくださった方ね」
王妃陛下のやわらかな声が、静かな客間にふわりと響いた。
エリーンは目の前に座る若い女性を、思わずじっと見つめた。
書記官の制服。銀縁のメガネ。控えめな佇まい。
夜会のあの場で見た時とは、まるで印象が違う。
あの夜、人混みの中から現れた時から気になっていたのだ。
きらびやかなドレスの貴族たちの中で、地味な書記官の制服のまま、一切怯まず歩み出てきた女性。
さぞ勇気があって、闘志に満ちた人物なのだろうと思っていた。
けれど目の前の女性は、どこかぼんやりとした目をしていて、今にも別のことを考え始めそうな空気をまとっている。
「……あの、ルルン店のフルーツタルトは明日で終売なんですよね」
女性がぽつりと呟いた。
「え?」
「いえ、なんでもないです。失礼しました、ヴァンドール令嬢」
女性ははっとしたように背筋を伸ばし、慌てて礼をした。
「ミルフィ・ベルランと申します。この度は大変な目にお遭いになりましたが、ご無事で何よりでした」
「……あなたこそ、あの場に飛び込まれて。危なくはなかったですか」
「処罰については殿下に取り成していただきました」
「そうではなく——怖くなかったですか、ということです」
ミルフィと名乗った女性は、少し考えてから、ぽつりと言った。
「怖かったです。でも、我慢できませんでした」
「我慢できなかった?」
「令嬢が理不尽な目に遭っているのを、知っているのに見て見ぬふりをするのが。性格上、できませんでした。ご迷惑だったかもしれませんが」
「迷惑ではないです!」
エリーンは思わず強く首を振っていた。
「あなたのおかげで助かりました。本当に、どうお礼を言えばいいのか……」
「お礼などは結構です」
「でも」
「ただ、ひとつだけ聞いてもよいですか」
「なんでしょう」
ミルフィは、先ほどまでのぼんやりした空気が嘘のように、真剣な顔で言った。
「令嬢は今後、第二王子殿下との婚約についてどうされるおつもりですか」
エリーンは一瞬、顔を曇らせた。
「……まだ、わかりません。父とも相談中ですが」
「あのような方と婚姻されて、令嬢が幸せになれるとは、私には思えません」
「……」
「捏造書類の件については宰相の関与が疑われていると聞きました。ですが、それを差し引いても——第二王子殿下が、ご自身の婚約者を切り捨てようとしたことは事実です」
「……はい」
「令嬢のご判断ですから、私が口を出す立場にはありません。ただ、幸せになってほしいと、一書記官として思います」
エリーンはしばらく、目の前の女性を見つめた。
変わった人だ、と思う。
でも、その変わった人が、あの夜、人混みの中から歩み出てきてくれた。
誰も助けてくれなかったあの瞬間に、ためらいもなく声を上げてくれたのだ。
「……わかりました。考えます」
「それだけで十分です」
ミルフィは立ち上がり、もう一度ていねいに礼をした。
「長居しました。定時には帰らなければいけませんので」
「あ、あの——また話せますか?」
「書記官室は北棟の三階です。平日の昼間でしたら、だいたいいます」
「……行ってもいいですか」
「もちろんです。ただ、ケーキを持ってきていただけると歓迎度が上がります」
エリーンは思わず、ふふっと声に出して笑った。
それは夜会以来、初めての笑いだった。
ミルフィは礼をして、客間を出て行った。
その背中を見送りながら、エリーンはなんとなく思う。
——この人と友達になれたら、きっと面白い。
そんな予感がした。
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