#7
大きい家であれば来客の対応に特化した者もいるだろう。ここはそうではない。あくまで家事をメインの仕事としているマルグリッドには、来客の対応まで手が回らないこともある。
アイリスがノッカーの音に対応すると、見覚えのある者が立っていた。
「たしか、文官のアルノーさん?」
「はい。リュシアン様からお手紙を預かっております」
「すぐに確認した方がよろしいですか?」
「お願いします。できればお返事もいただけると……。リュシアン様が弱っていますので」
「弱っている、ですか?」
どうも急を要するようだ。受け取った手紙をその場で開け、ざっと目を通す。
「すぐに返事を書きます。マルグリットさん、お茶をお願いします」
アルノーは客用の部屋で待たせて、アイリスは自室に戻る。
リュシアンからの手紙には、アデルともども体調を崩してしまったのでお茶会を延期してほしい、ということが書かれていた。その内容はアイリスにとっては本題ではなかった。
リュシアンの手紙に、かすかにきな臭くて覚えのあるにおいがついていたのだ。
尻尾を掴んだ。そう思った。
手紙の返事は不調を心配する定型文でまとめてしまう。アイリスらしい一言二言も添えて。
「お待たせしました。リュシアン様はそんなに具合が悪いのですか?」
「いえ、リュシアン様はお元気な方です。不調の原因はまだわかっていませんので、先のことですが、お茶会の延期は念のためとおっしゃっていました」
『リュシアン様“は”』ということは、もっと症状がひどい者もいるのだろう。早急に手を打たねばなるまい。
「これはお返事の手紙です。お守りとお花を。私の曽祖父は『珊瑚の杖の魔法使い』です。我が家では珊瑚はお守りなんです。手紙にも書いていますが、私の珊瑚のかんざしをお貸しします。お貸ししますが、早く返してくださいとお伝えください」
いつも使っている珊瑚のかんざしと、マルグリッドに断って一本手折った花を添えて渡した。
「はい。確かに責任を持ってお渡しします」
「よろしくお願いします。一つ聞いてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「私、リュシアン様から直筆のお手紙をいただくような──ああ、まどろっこしい言い方はやめましょう。リュシアン様は、私のことを買いかぶりすぎていませんか?」
それは最初から思っていたことだ。己は、リュシアンが気にかけるほどの重要人物ではない。曽祖父の偉大さを出されるが、その血を継いでいるだけでしかない。田舎貴族の末の娘でしかないのである。
「私はそうは思いませんよ。アイリス様はとても理知的で聡明な方です。城の文官としてスカウトしたいくらいに。リュシアン様はそれを正しく評価していらっしゃいます」
特に何を想定したわけでもないが、理知的で聡明とは、思っていた評価と異なっていた。それも、リュシアンがアイリスを気に掛ける理由には乏しいと思ったが。
「あまり心当たりはありませんが、就職先としては魅力的ですから、考えさせてください」
「ええ、お待ちしております」
「ジジ様、残り香程度ですけど、においが同じです。あの魔女です」
「ふむ」
ロックはすでにアルノーを見送ったアイリスの傍らに立っていた。
「俺もそのにおいが気になって少し読心した。王族全員に症状が出ているらしい。症状が一番ひどいのは第一王子の婚約者だそうだ」
「血筋だけではなく、連なる者まで対象なのでしょうか」
「ふむ」と、アイリスは考え込む。
「──何かのためと思って珊瑚を託しましたが、それを使って……」
こしょこしょと思いついた策をロックに話す。
「いいだろう。少しは手伝うが、アイリスだけで十分かたがつく」
「一人で片付けたいのですが、ジジ様がそういうのでしたら仕方がないですね」
「俺の手助けが気に入らないか?」
「いえ、大変頼もしいのですが──。私、復讐心を原動力にする復讐劇を、そこまでのものかと思っていたのですけど、今ならわかります。大変……ぶちのめしたいです! できるかぎり私の手で」
はらわたが煮えくり返るというのはこういうことを言うのだろう。呪いの魔女のことを考えると、破壊衝動がわいてくる。
自力で解除したあの呪いがなかったとして、劇的に己の人生が良い方向に転がっていたと思っているわけではない。修行が厳しかったが、十分に耐えられた。家族にも村のみんなにも十分に愛されていた。王都に出てきてからも人に恵まれている。自分を「可哀想だ」「不幸だ」と思ったことはない。
だが、それはそれとして、この顔面で苦労したことはいくらでもあるのだ。その元凶に一発ぶちかましてやりたいと思う程度に。
アイリスの顔は相変わらず凪いでいる。ロックは、にまあっと口角を釣り上げた。
「よしよし、俺の虎の子を貸してやろう。それ以外はお前がやりなさい」
「はい! では、行動は夜に。そのために、昼寝をします! ……マルグリッドさんには何と言いましょうか?」
「星の観察とでも言っておけばいいのではないか?」
マルグリッドは夜食としてベーコンを焼き込んだパンを用意してくれた。それを食べて腹ごしらえをして、鍛錬の時に着る服に着替える。髪はきっちりとまとめ上げ、カーマイン家の象徴でもある珊瑚のかんざしをさしておく。その上にふわりとケープを羽織り、準備は整った。
「それはいるのか?」
「一応、王子様にお会いするのですから、修行着ではだめでしょう」
城の近くまではロックの人力車で移動する。体力温存もあるが、ロックの趣味が強い。音もなく夜の街をすり抜け、城を見上げられる場所までたどり着く。
「助けが必要になったら呼ぶんだよ」
優しく慈しむ声。ロックはそっと車からアイリスを降ろす。
「リュシアン様に挨拶をしてくるだけです。まだ前座ですよ」
「そうは言っても、王子も男だろう。アイリスも女の子なんだからな」
「私は女の子ですが、あなたの弟子ですよ、ジジ様」
「男女の仲というものは、そう簡単に割り切れるものではないんだよ。俺のようにな」
ロックは慈しむようにアイリスの頭を撫で、さあ、と軽く背中を押した。
「その話、また聞かせてくださいね。すぐに戻ります」
アイリスは呼吸を整え、地を蹴った。
縮地。アイリスが唯一使える仙術である。空間を縮め、一歩を何十倍、何百倍にもする。アイリスが空間を縮められるのは、見える範囲と明確な座標がわかる場合だけだ。城内に潜入し、座標を探す。アイリスがお守りとしてリュシアンに貸した珊瑚のかんざしを。
見つけた。
リュシアンの身近に置いてあるようにと願いつつ、座標を目指して駆ける。
「──……ふう」
月明かりだけが光源だった。
大きなベッドの中にポツンと膨らみが一つ。枕元のテーブルにはアイリスの珊瑚のかんざしと、小さな一輪挿しに刺さった花。よくもまあ都合よく置いてくれたものだ。
軽くケープを整え、修行着ができるだけ見えないようにする。
「リュシアン様」
小さく呼びかけ、軽く肩に触れる。
「……ん? ああ、アイリス……」
ゆっくりと目覚めたリュシアンは、完全に覚醒していなかった。明かりはない。闇に溶けるようなアイリスをよく見分けたものだ。
「どうしたんだい?」
「リュシアン様が心配で、夢を伝ってまいりました。ここは夢の中ですから」
“夢の中”、そう印象付けておく。
「そう、夢なのか。残念だな。でも、こうして夢で通じているならば、君も俺のことを思ってくれているのかい?」
お花畑な王子様は、夢見がちなのである。
「もちろんですよ。お慕いしております、リュシアン様」
アイリスはそっと手を重ねる。呪いに蝕まれつつあるリュシアンの手は、ヒヤリと冷たい。
「ああ、嬉しいな」
「国民はお優しい殿下のことを愛していますよ」
「アイリスは特別だよ。気高く、聡明で、美しい。あまり言葉にすると野暮になってしまうね」
かすかな月光の中、リュシアンは微笑む。虐げられていた少女をお姫様にする、おとぎ話の中の王子様のように。
「愛おしいんだ。君が孤立はしていても孤独ではない、その中に俺が数えられていて、嬉しかった。でも、いつかそうでなくなるかもしれない。ずっと君を孤独でなくせる約束がしたかった」
アイリスのために、婚約というあまりに強すぎる切り札を出そうとしたリュシアンだったが、どうやら己の思惑も乗せていたようだ。なぜアイリスをそこまで、と思うのだが、男女の仲というものは簡単に割り切れるものではないらしい。理屈っぽいアイリスにはわからないのだけど。
「約束、しましょうか?」
わからなくても、必要とあらば口先だけでどうとでも言える。
「え……? ──っ! する! 約束する! 君を一生孤独にしない!」
ビリッと指先が小さく爆ぜたような痺れが走った。王家に連なったと判断され、呪いが侵食してくる。
だが、呼吸で気を鎮め、呪いを表層にとどめる。日々の鍛錬の賜物だ。文字通り、息をするように呪いをコントロールする。
これで目的は達成された。
「嬉しいです。あなたを一生守らせてください」
口先だけの言葉ではあるが、関わりがある限り実行するつもりではある。国民に愛される善良な王子を、アイリスも一国民として愛しているのだ。
「俺も、君の一生を──」
「それは無理ですよ。私、リュシアン様が思っている何十倍も長生きする予定ですから」
アイリスは曽祖父の血を濃く受け継ぎ、縮地のような技の一部も受け継いでいる。少しばかり人ではないのである。
「そう、なのか?」
「はい。──さあ、リュシアン様が気持ちよく目覚められるように……私が守りますから」
呪いは採取できた。リュシアンをベッドに押し戻し、寝かせる。
指先の痺れはそのままに、呼吸を乱さずロックの元へ駆け戻る。
「戻りました。呪い、つかめました」
「……アイリスが嫁に行ってしまう」
「そういう茶番はいいですから。こんな状況で婚約が成立すると思いますか? 覚えていたとしても、本当だとは思えないでしょう」
この広い王都で魔女の呪いを辿る糸口をつかむことは難しい。だから、糸口をつかむために、王家の連なりに紛れ込み、わざとその呪いを受けたのである。一度は呪いを受けたことのある身。解除も自力でできた。わかっていれば、呪いのコントロールくらい可能なのである。うやむやにしていた婚約の話を蒸し返すつもりでいたが、話が上手く転がってくれてよかった。
人力車に乗り込み、ケープを脱ぐ。ここからが本番だ。
「方向は?」
「右の方へ……その方向です」
「よし、いくぞ」
直線距離を最短距離にするには、街は障害物が多すぎる。しかし、千里眼で直接目視できない見える座標を定めた上で、縮地を使えればどうだろうか。ロックにはそれができた。方向さえわかれば、まっすぐに進めるのである。
目的地まではあっという間だった。
「認識阻害の結界か」
周囲に溶け込む、なんてことのない一軒家。呪いの元凶がそこにいる。
「大丈夫か?」
「ここにあるとわかっているので、認識阻害は意味がないですよ」
「結界の話ではなく……まあ、いい」
用がなくなったまとわりつく呪いを引き剥がし、こねて丸めてしまう。
「おじゃまします!」
ドアをこじ開け、転がり込む。侵入者にすぐ気づいたのが、上の階からバタバタと騒がしさが聞こえる。結界内の人の気配は一人分だけだ。降りてきたランプの明かりめがけて、呪いを振りかぶって投げつけた。
「ぎゃあ!」
濁った悲鳴。投げ出されたランプをキャッチして、傍らに置いておく。
「誰!?」
「呪いを返しに来ました!」
人を呪わば穴二つ。返された呪いは得てして何倍にもなってしまうものだ。つまり、呪いの魔女は呪いを解除しなければならなくなるのである。
案の定、まだアイリスに少しこびりついていた呪いが消えた。呪いを解除するという一つの目的は達成できた。これでリュシアンを含む王家に連なる人々から呪いは消えたことだろう。
「難儀した呪いなのに、なんてことを!」
「あら、それはいいことを聞きました。ざまあ」
口元がうまく持ち上がってくれた気がする。
自動点灯なのか、明かりが伝播するように灯っていく。
階段を降りてきた呪いの魔女は、寝起きらしく、髪は寝癖で妙なうねりを作っていた。裾が長いストンとしたワンピースは、生活感を覚えるくたびれ方をしている。
アイリスはまだ修行中の身ではあるが、わかるのだ。生活臭があふれんばかりの女性だが、彼女が魔女であることを。そして、彼女はアイリスに笑えない呪いをかけた魔女であることを。
先手必勝。アイリスは飛びかかる。一階は接客をするために横に長いテーブルが置かれている。壁には薬瓶やハーブ。そんな想定はしていないのだろうが、戦闘向けの空間ではない。敵陣ではあるが、小柄で小回りが利くアイリスには有利な点もある。
距離を詰め、あごと腹に一発ずつ。手応えが軽かったため追撃はせずに跳びすさる。魔女の中では下の方だと言われていたが、それでも魔女は魔女であるらしい。不機嫌そうながら、呪いの魔女にダメージの気配はない。
「呪い投げ返してきたり、いきなり殴りかかってきたり、元気なお嬢様だねぇ!」
突きつけられた魔女の指から、ほぼ見えない呪いが放たれる。細かく、たくさんの呪いだ。投網のように迫りくるが、アイリスには十分な対策があった。
こちらでは魔法を使う時に用いられるのは四大元素だ。トーヨーの思想では五大元素。“空”も一つの元素として数えられる。空間、存在、あること・ないこと。アイリスは呪いを自力で解除するため、ロクドウから“空”を徹底的に叩き込まれた。呪いは存在に取り付いて効果が発揮される。つまり、取りつくことができなければ意味がないのだ。
息を吐き、己を無にする。雨のような呪いは取りつくことができず、すり抜け、霧散した。
「へえ、なかなか面白いお嬢さんだこと」
「お褒めいただき光栄です」
アイリスはすぐにでも攻撃を繰り出せるように構える。魔女には不意打ちの攻撃でダメージが入らなかった。アイリスは呪いをかわせるが、魔女の他の手が読めず、動きあぐねる。
「残念だが、お前ではジリ貧がいいところだ。俺の虎の子を貸すと言っただろう」
ロックはポンポンとアイリスの肩を叩く。
「あら、誰かは知りませんが、そんなガキのお守りかしら? そんなのより私に囲われない?」
「ははっ! もういなくなってしまったが、それでも俺が愛するのはベネディクタだけだと決めているからな」
「その名前は!?」
最強の魔女の名は伊達ではない。魔女を返上して能力を失い、死んでなお名が知られている程度には。
「使いなさい」
赤い杖が手渡された。絡まる龍が彫り込まれた赤い珊瑚の杖。初めて触らせてもらったが、その瞬間、理解した。草原に海を出現させた、その方法を。
「お前、ロクドウか! 最強の魔女をただの女にしてしまった、あの!」
ロック・ジジ、もといロクドウ・カーマインは、にいっと笑ってみせる。
「魔女を返上しても、ベネディクタは強かったぞ」
「うるさい!」
余裕ある振る舞いをしていた呪いの魔女は、表情を険しくして漆黒の石が付いた杖を構えていた。放たれる呪いは、ぞっとするほど強い。しかし、ロクドウに届く前に消えてしまった。アイリスは己を無にすることしかできないが、その師匠であるロクドウは、まだ誰にも取り付いていない呪い程度なら無にすることができるのだ。
「アイリス、使い方はわかるね?」
「はい。杖が教えてくれました」
杖は魔法を使う際に必須ではないが、あれば増幅効果が得られる。アイリスが杖を用いるのは“空”を叩き込まれているため、魔法の座標を明確にした方が効果が発揮されやすいのだ。呪いの魔女の黒い石の杖は呪いの効果を増幅させているのだろう。珊瑚の杖も特定の魔法の威力を増幅させる効果を持っている。呪いの魔女が次の魔法を放つ前に、アイリスは魔法を発動させる。
「魔女には、火あぶりでしょうか」
あまり明るくなかった室内の明かりが、炎に打ち負けていた。部屋に広がる火はゆらめきは、影を忙しなく揺らした。むせるような煙。あぶられる熱。赤く黒く変わっていく床と壁。
「なっ!」
呪いの魔女は水魔法で火を抑えようとするが、ゆらめきは変わらず魔女をチリチリと炙った。
足元の火を踏み消そうとしても、やはりそれも変わらない。
「お前、何を……!」
「見抜けないのでしたら、その程度なのでしょうね」
アイリスはもう一度杖を振る。
「ひっ!」
見えない水槽が出現したように、魔女の足元から水が溜まっていく。ちょうど魔女を閉じ込めるように。魔女は水を振り払おうとするが、自在に形を変える水に対しては意味がない。アイリスに魔法を放ってくるが、ロクドウが瞬時に無効化してしまう。
水はあっという間に魔女を包み込む。少し暴れたが、気を失い動かなくなってしまった。
アイリスが杖をおろすと、水も火も一瞬で消えてしまった。魔女が撒き散らした水跡は残っているが、アイリスによる火は何も焦がしていなかった。
「幻影だったのですね。ジジ様が草原に海を呼び出したのは」
「ああ。その杖には、龍のひげが入ってるんだよ。まだ幻しか使えない幼い龍のひげだ」
「お返ししますね」
「いつか継いでくれよ」
幻とは言っても、人が溺れるほどの幻影だ。かなり高度な魔法である。アイリスは杖の力を借りても狭い範囲で精一杯だった。ロクドウは何百人何千人と巻き込む大掛かりな幻影を見せたのだ。その差は歴然としている。
「ジジ様のような“仙人”にはまだ遠いです」
「“道士”と言えるくらいにはよくやっている。さすがは我が曾孫だ」
「道士も体の成長は止まるのですか?」
「仙人に近くなればそうなるが、アイリスはまだまだだよ」
己の発育の遅さは、まだ青年の姿を保つロクドウと同じく、成長あるいは老いが止まっているからではないかと思っていたが、そういうわけではないらしい。
「さて」
ロクドウは床に倒れた魔女を仰向けにした。魔法の枷で手首と足首を床に縫い留めてしまう。
「こいつはどうする? アイリスはどうしたい?」
「ジジ様の手を借りましたけど、自分の手でぎゃふんと言わせたので、私としてはもういいかなと思います。ですが、このまま野放しにすると同じことをしかねないので、それはどうにかした方がいいのではないかと。今回は私怨で動いて、ついでにリュシアン様とアデル様を助ける結果になっただけで、それは本来の目的ではないです。通報して連れてってもらうのがいいんでしょうけど、私が巻き込まれたくありません」
「じゃあ、魔女の印を引き剥がすか」
「そうしましょう」
魔女とは、魔女の始祖に認められた魔法使いのことを言う。認められた証である魔女の印を得ることで、魔法使いとしての能力を飛躍的に向上させる。もちろん、魔女の印を失えば、その力は失われる。
「どこにあるのでしょうか……」
「見える範囲にはなかったな」
「まず私が探しますから、ジジ様は向こうを向いていてください」
ロクドウに向こうを向かせてから、魔女のワンピースをたくし上げる。
足、腹、胸にはない。後で背中側も確認しよう。
冷え性なのか、もこもこの靴下を履いていたので、それを脱がせる。枷を一時的に外して足を持ち上げ、床についていた方も探してみるが、見つからない。
「……あら?」
足裏に肌と同化している幅広のテープが貼られていた。剥がしてみるとそこに。
「見つけました」
「ほうほう。足の裏で、さらに隠してあるとは小物だな」
「そうなのですか?」
「魔女の印は、魔女の始祖が認めた証だからな。汚そうものなら、それだけで剥奪される」
「なるほど。汚せばいいのですね」
「魔力で落書きしてやりなさい」
髪に挿していたかんざしを抜き取り、魔力を注いで印に押し付ける。じわりとインクが滲むように黒が広がり、半分ほど覆われたところで、魔女の印ごと消えてしまった。
「魔女の印は案外脆い。それを守れないなら、魔女の資格はないということだ。強い魔女は、見えるところに魔女の印をもらい、『狙え』と言わんばかりに見せつけるものだ」
「最強の魔女は?」
「胸のところに、こう、ドーンと」
言いながら、ロクドウは鎖骨の下あたりを叩いた。
「そこはデコルテですね」
「そういうのか? 長く生きているが、知らないことはまだまだ多いな」
「私もババ様の初耳情報をいくつか聞きましたよ」
「そうだったか? たしかに、アイリスもそろそろいろんな話ができる年になってきたな。話しておきたいことはたくさんある」
「いつでも聞かせてください」
「ああ。では、帰るか」
「はい」
元魔女にはめていた枷は外しておいた。椅子にかかっていたストールを腹のあたりにかけてやり、二人は出て行ったのだった。
ロクドウ曰く、「薬草の扱いにも長けているようだから、魔女でなくなっても食うには困らんだろ」だそうである。




