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お嬢様は笑わない  作者: ゆなみ
前編
2/17

#1

 邸宅というにはこじんまりとした住まいだが、二人と住み込みの家政婦が住むには十分な広さだろう。「足るを知る」はカーマイン家の家訓である。

 これから住人となる二人のうちの一人、アイリス・カーマインは、まだ新しい苗が植えられたばかりの花壇の前を静かに歩いた。必要な荷物はあらかじめ送っており、家政婦が数日前から住めるようにメンテナンスをしてくれている。あとは家主が入るばかりとなっている家である。家主となるアイリスはノッカーを打ちつけた。

 しばらくしてドアが開く。顔を出したのは、ふっくらとした柔らかい印象の女性だ。視線が少し彷徨い、アイリスを捉える。

「マルグリットさんですか?」

「えぇ、はい……」

 アイリスに対してとまどいが見て取れるが、それも仕方あるまい。アイリスは十三歳ではあるのだが、初代の血が発育にも濃く出ているのか、小柄で十歳より下に見られることもあるくらい幼く見えるのだ。ブルネットよりも濃く黒い髪は癖がなくまっすぐで、艶やかである。黒目がちの目は長いまつ毛に縁取られ、白い肌と対照的。パーツの位置も形も申し分ないのだが、表情が顔に現れず、悪い意味で人形のようであった。ビスクドールではなく、市松人形の方向で。

「初めまして、アイリス・カーマインです。よろしくお願いします」

「あ、ああ、はい。どうぞお入りください」

 やっと雇い主の名前と繋がったらしい。マルグリットはアイリスを中へと促した。

「お待ちしていました。長旅お疲れ様です」

「えぇ。お伝えしていましたが、改めて。私はまだ未成年ですから──」

 アイリスの後ろについていた男が一歩出る。

「私がお嬢様の後見人です。代々カーマイン家をお守りしてきました、ロック・ジジと申します」

「仕事の指示はジジから聞いてください」

 アイリスはできれば愛想よく笑いたかったのだが、生まれてから使っていなかった筋肉は、簡単に言うことを聞いてくれない。表情の作り方はまだまだ練習中である。

 対照的にロックは朗らかに笑う。月光を紡いだような髪をした青年のように見える男。青年としては小柄だが、わずかに覗く首元や腕は、よく引き締まっていた。見るものが見れば、手練れだとわかるだろう。

「わかりました。お嬢様もジジ様もよろしくお願いします。お部屋のご用意はできています。ご案内しますので、楽になさってください。お茶をご用意します」

「ええ、お願いします。お茶は三人分で──マルグリットさんの分も」

「私の分ですか?」

「はい。お話ししておきたいことがありますから」


 領地を持つ領主はその土地に住み、治めるものだが、直系のものを王都へ派遣して住まわせるという通例がある。言い訳は様々あるが、要するに人質のようなものだ。それを踏まえた上で、アイリスとロックが田舎から王都へ出てきたのにはわけがある。

 初代領主は、アイリスから見て曽祖父というくらいに、村はまだ若い。初代は他国の出身で、特例で領地を与えられた。結婚して子を成し、アイリスまでの家系図を作ることになるのだが、その当時は身内がおらず、五十年王都への派遣を免除されていた。

 その免除も期限が迫り、現役を退いたアイリスの祖父母が王都に一時的に住んでいたのだが、空気が合わず村に帰ってきた。しばらくはお目こぼししてもらっていたが、視察を兼ねて第二王子のリュシアンがやってきた。そして、「末の娘を王都の学校に通わせればいい」と案を出した。リュシアンの思いつきのような案だが、それは勅命に近い。領地を王より預かっているカーマイン家は、それに従わざるを得なかったのだ。

 ここで言う王都の学校とは、王立の学校で、ご子息ご令嬢が通う学校である。田舎の領主の娘としては、その資格はあるにはある。リュシアンからも「手を回しておく」と言われたのだが──。

「というわけで、これからしばらくの予定としては、編入試験を受けて王立学園に通うことになります」

「編入するにしても半端な時期ですね」

「麦と米の刈り入れを手伝っていたので」

「お嬢様も農作業をなさるのですか?」

「えぇ。祖父の代で土壌改良と農作物の品種改良を熱心に行った結果、収穫量が増えたのですが、増えただけ刈り入れにも人手がかかるようになって。父の代で収穫方法の改善もしたのですが、まだ人の手はあればあるだけいいんです。兄もさらなる改善を模索していますから、いずれより効率的になると思います。というわけですから、米と麦は実家から売るほど送られてきますので、管理をよろしくお願いします」

「わかりました。確かに事前に送っていただいています。質の良さを確認しました。ただ、私、米料理のレパートリーはあまり多くありません。増やす努力はしますから、少し時間をください」

「米料理のレパートリーなら、俺から教えられる」

 あまり口を挟まなかったロックが口を開く。

「米は初代の好みのために作付けされているんですよ」

「それで、代々仕えていらっしゃるジジ様はお詳しいんですね」

「あぁ、大体そんな感じだ」

「余ったものは売っても寄付しても構いません。そこは一任しますので、私達が食べる以外で在庫を動かした場合は、報告だけお願いします」

「まあ! じゃあ、パンを焼いてマルシェに出そうかしら。パン屋さん、憧れなんです」

 マルグリットは花のような笑みを見せる。早く自然にそのように笑えるようになりたいと、アイリスは思うのだ。

 自然に笑ってみたい。その欲求は常にアイリスについて回った。顔の筋肉が正常に戻ってから数年経つものの、まだ上手く笑えた試しはない。アイリスのそれに慣れている家族がいたからだろう。表情を作るように努力はしているつもりだが、危機感が足りていなかったのかもしれない。これからはアイリスの事情を知る者がいない中で暮らすのだ。早く笑えるようになろう、と心に誓うのだった。

 とはいえ、やはりまだ言葉に頼ってしまうのが現実というものだ。

「先にお伝えしていましたが、私の表情についても説明させてください」

 同じ屋根の下で暮らしていくのであれば、伝えておかなければならないことだった。魔女の呪いとは伝えず、病気が原因ということにしていたが。

 アイリスがなぜ魔女の呪いを受けることになったかは分かっていない。呪いにも詳しかった初代が、魔女の能力が高くないことと、呪いへの耐性を持ってアイリスが生まれてきたことを突き止め、最悪なことにはなっていないと結論付けた。呪いは完全に効かなかったわけではなく、顔に表情が出ない程度には効いた。残っていた呪いは無理やり引き剥がすことはできたのだが、感情とリンクしている繊細なもので、訓練を積んで自ら解呪するのが安全だと初代は分析した。初代の訓練とアイリスの努力もあって、自力での解呪は成功したのだった。

 次に努力する必要があったのは、表情を出すことだった。

「ご病気の後遺症で表情が出にくいということは伺っていましたけど、お嬢様にお会いしてどういうものか実感しました」

「えぇ。今も、何も感じていないわけではないのです。できるだけ言葉にして伝えるようにしているので、お話のテンポが悪くなることもありますけど、気長に付き合ってください。よろしくお願いします」

「お任せください。私、お嬢様に雇っていただく前は看取りをしていたんです。お話を聞くことには慣れていますから、いつでもお付き合いします」

「では、早速ですが。マルグリットさんを雇う時、調査などを行いましたが、全部書類上でしかなく、今日まで少し不安もありました。今日初めてお会いして、優しくてあたたかそうな人だと思いました。お掃除も、花壇の世話までよく行き届いています。お茶とお菓子もとても美味しいです。パン屋さんに憧れるって素敵ですね。食事が楽しみです。村の作物には自信がありますから、より一層美味しいものができるのでしょうね」

「まあ! ふふっ、お嬢様に『美味しくて幸せ』の顔をさせてみせますよ!」

 アイリスの表情の動きはかすかでしかない。マルグリットにはまだ読み取れないのだろうが、慣れているロックにはアイリスの笑顔が見えていたのだった。

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