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心の蹄跡  作者: ria
9/22

9章 心のズレ

初勝利の輝きは束の間、次の舞台で結果を出さなければ、自分たちの価値は証明できない――その現実が二人を襲った。

トレーニング場に立つと、空気は昨日と同じように澄んでいた。しかし、微妙な違和感が諸星の胸を締め付ける。ドーブルハントの背中に跨ると、馬の呼吸は規則正しいはずなのに、どこか反応が鈍い。加速のタイミングも迷う瞬間が増え、いつもなら軽やかに踏み出す蹄が重く感じられることもある。

「どうして…また勝てないのか」

諸星は焦り、手綱を握る手に無意識の力が入る。初勝利で自信をつけたはずなのに、その自信はすぐにプレッシャーに変わる。初めて勝利の味を知ったことで、「次も勝たなければならない」という思いが重くのしかかるのだ。

田村が隣で静かに声をかけた。「焦るな、諸星。馬も人の心理を敏感に感じ取る。強く出すと逆効果になることがある」

諸星は深く息を吐く。初勝利の喜びに浮かれていた自分が、馬の心理を読み切れず、無意識にプレッシャーを伝えていたことに気づく。

「勝たなきゃ…でも、勝ちたい気持ちが強すぎると、馬に伝わっちゃうんだな」

日々のトレーニングは緊張の連続だった。序盤では軽やかに走ることもあるが、加速の瞬間に諸星が一瞬迷うと、ドーブルハントは反応を遅らせ、走るリズムが崩れる。初勝利の後で馬が焦りを覚え、心理的な変化を見せるようになっていた。

1戦目のレースは、諸星にとって試金石だった。序盤は順調にポジションを取ったが、勝負どころで判断が遅れ、加速するタイミングを逸する。ゴール前でわずかに差され、結果は二着。初勝利後の連勝はできなかった。

「なんで…俺たち、まだ力不足なのか…」

諸星の胸に焦りと自己不信が渦巻く。勝てない悔しさに加え、自分の判断ミスが原因だという事実が、彼の心を締め付ける。ドーブルハントもまた、騎手の不安を感じ取り、力を出し切れなかったのかもしれない。

2戦目はさらに厳しかった。スタート直後に前方の馬とポジション争いで迷い、わずかに遅れを取る。加速しようと手綱を操作するが、タイミングが合わず、馬のリズムも崩れる。ゴール直前で追い上げるも、勝利には届かず着外。諸星は手綱を握ったまま、地面を見つめて言葉を失った。

「俺…何やってるんだ…」

初勝利の喜びが遠くなるにつれ、心の中で恐怖が膨らんでいく。次のレースまでの間、夜も眠れず、厩舎で馬の寝顔を見ながら自問自答する。初勝利はただの偶然だったのではないか、そんな思いが頭を離れない。

さらに追い打ちをかけるように、3戦目は天候が悪化。雨でぬかるんだ馬場にドーブルハントの反応が鈍り、いつもなら軽やかに踏み出す蹄が泥に沈むように見えた。諸星は焦って手綱を強く握りすぎ、馬との呼吸が合わない。結果、わずかな差で勝利を逃す。

田村や高橋は励まそうと声をかける。「落ち着け、諸星。焦ると馬に伝わるんだ」

だが、諸星の心は焦りでいっぱいだった。初勝利の余韻は、もはや遠く、馬との呼吸も合わない。心理的な壁は高く、圧倒的に立ちはだかる。勝てない日々は、諸星に孤独感と無力感を抱かせる。

夜、厩舎でドーブルハントを撫でながら、諸星は静かに呟く。「どうすれば…次は勝てるんだ…」

馬の瞳がじっと諸星を見返す。言葉はなくても、互いの不安が伝わる瞬間がある。諸星は初めて、勝利の喜びが簡単に得られるものではなく、心理的な壁を越えることこそが真の試練だと実感する。

日を重ねるごとに、連敗の重みは増し、諸星の焦りと自己不信は頂点に達する。スタート前に手が震え、胸が高鳴る。判断の遅れ、加速のタイミングの失敗、馬との呼吸の不一致――すべてが恐怖として心に迫る。

「俺は…まだ勝てる力が足りないのか…」

厩舎の窓から見える空に、諸星は小さく拳を握る。初勝利の輝きは遠く、しかし諦めきれない。心理的な試練が二人を引き裂こうとする中、諸星は必死に心を落ち着かせ、次の挑戦に備えるのだった。


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