9 名前
『もう大丈夫よ』
『まだゆっくり寝てなさい』
『目が覚めて元気になったら、ゆっくり───』
微睡みの中、何度も優しい声がしたような気がする。家には私しか居なかったから、そんな筈は無いのに。居たとしても、私にそんな優しい声を掛けてくれる人なんて居ないのに。
ーこのまま、火事に巻き込まれて死んだ方が楽になれるのかなぁ?ー
「本当に、生きてて良かったわ」
そう言って、誰かが私の頬を優しく撫でていく。
「………おかあ………さん?」
「え?あ………」
目を開けると、そこには知らない女の人が居た。
「目が覚めたのね」
「だれ?ここは………」
と言い掛けて、魔獣や火事の事を思い出し『隠れないと!』と思って飛び起きたけど、体に上手く力が入らない上に頭がクラリと傾いた。
「そんな急に起き上がったら駄目よ。貴方は丸2日間寝たきりだったの。今、水を持って来るから、このまま横になって待ってて。分かった?」
「はい……」
私が素直に頷くと、その女の人は部屋から出て行った。
部屋を見渡す限り、ここは私の家じゃない。私が寝ているベッドも、今迄見た事もないほど大きくて綺麗でふかふかで気持ちが良い。ピサンテに、こんな豪華なベッドどころか、豪華な部屋のある屋敷なんてあったかなぁ?まるで、(見た事はないけど)貴族が住んでいるような部屋だ。
「あ!」
ベッドの横にある机の上に、巾着袋とマントが置いてあるのに気が付いた。2つとも、私にとっては大切なものだ。
「良かった」
少しホッとしたところで、さっきの女の人ともう1人違う女の人の2人が部屋にやって来た。
目が覚めた時に居た女の人は、薬師のオリビアさん。もう1人の女の人は、この屋敷の主のルチア様。
水を飲んだ後、オリビアさんから軽く診察を受けた後、この2日間の話をしてくれたけど、かなり衝撃的な内容だった。
「現時点での生存者は、貴方1人だけなの」
ピサンテから火の手が上がっているとの報告を受けた、隣の領の主であるデミトリア辺境伯がピサンテに駆け付けた時には、もう既に手の打ちようがなかったそうだ。
「今は、調査をしつつ、他に生存者が居ないのか、もう安全なのかの確認をしているところだけど、他の生存者が居る可能性は低いと思う。幼い貴方に聞かせるのは酷な話だと思うけど、このままずっと知らずには居られないだろうから」
「あ……大丈夫……です………」
確かにショックな話だけど、ピサンテには嫌な思い出の方が多い。あの人達が死んだと聞いても涙も出ない。
「それで…あのマントなんだけど、あれは誰かにもらったの?」
「あのマントは、もともと私のお父さんの物で、結婚してからお母さんが貰ったと言ってました。“何かあった時は護ってくれるから”と」
「やっぱりね」
どうやら、そのマントには“護り”と“認識阻害”の魔法が掛けられていたようで、そのお陰で、私は魔獣に見付かる事も炎に飲み込まれる事も無かったそうだ。
「だから、私達があの屋根裏部屋に入った時、貴方の存在に気付かなかったのよ」
と言ったのはオリビアさん。あれから意識を失って忘れていたけど、あの屋根裏部屋に誰かが入って来て私と目が合ったように見えたのに、『誰も居ないわね』と言って部屋から出て行こうとしていた。それで、助けて欲しくて、マントのフードを外して手を伸ばして『行かないで!』と叫んだところで、ようやく私の存在に気付いたようだった。
「それと、家の周りにセイヨウイラクサとゼラニウムを植えていたでしょう?あれは魔獣避けになるの。おまけに、家にも護りの魔法が掛けられていたから、魔獣の襲撃を受けず、炎に包まれる事もなかったの」
「それは……全く知りませんでした……セイヨウイラクサとゼラニウムは、もともとお父さんが植えた物だったと言ってました」
「貴方のお父さんは魔獣に詳しかったり、傭兵だったの?」
「あ……すみません。お父さんは私が3歳の頃に死んでしまったので、よく知らなくて……あ、お母さんも、私が5歳の時に……居なくなって………」
「「………」」
『捨てられた』とは、言えなかった。
「兎に角、貴方がこれからする事は、ぐっすり寝て、沢山食べて、ゆっくり過ごして元気になる事よ。これからの事は、貴方が元気になってから考えましょう。元気になる事以外は、何も気にする事はないわ。分かった?」
「は……はい…………」
ー元気になったところで……ー
「それで、貴方の名前を教えてくれる?」
「あ、すみません!私の名前は────」
『お前が❋❋❋❋❋と────ない。❋❋❋❋❋と───れば、─────だろう』
ーえ?ー
「どうしたの?」
「あ……の…………」
名前を言おうとすると、頭がズキズキして視界に黒いモヤが掛かり、口がハクハクと動くだけだった。
「名前が………分か……りません………」
ー私の名前は何だった?ー




