無人島での生活
日が変わって、二日目の朝。
イノシシの肩ロースという重めの朝食を済ませたタズハたちは、地図を見ながら森を進んでいた。
「――どう、タズハ。水の音聞こえる?」
「ううん、まだ」
「結構歩いたと思うんだけどまだ先かぁ。これでハズレだったらたまらないわね」
ミスティが大きく息を吐いた。
四人が目指しているのは、拠点としている洞穴から北東にある水場だ。
既に飲み水を確保できているのになぜ別の水場に行く必要があるのか、理由は単純――水浴びをするためである。
拠点前の小川は跨げてしまうほどの幅で、水深も浅いが故。
ただ、地図には水場の場所が記されているだけで、規模まではわからない。
なので、次の水場も小川である可能性は普通にあるわけで、これは賭けであった。
そんなことをしなくても濡らした布で身体を拭えばいいじゃないか――それは言いっこなし。
何せ、四人は女の子なので。
「あたれぇー、あたれぇー」
タズハは顔の前で両手を組むと、当たりを引けるよう祈りを捧げる。
それをロロネも微笑みながら真似をして。
「ぷっ、何よそれ」
「広い川でありますようにって! ほら、ミスティちゃんも!」
「はいはい。あたれぇー、あたれぇー」
空気的に付き合わざるを得ないと思ったのだろう。
ランラも恥ずかしそうに「あたれぇー」と呟いた。
「――わぁ!」
「やったっ!」
祈りが通じたのか、タズハたちは当たりを引けた。
川は幅があって、深さも腰下くらいまであり、泳げてしまうほど大きかった。
「わーい!」
タズハはさっそく粗末な服や靴を脱ぎ捨てて、スッポンポンに。
躊躇うことなく川の中央まで歩くと、全身を沈める。
数秒後、顔だけ水面に出してぷはあ!
「冷たくて気持ちいい!」
冷たい水が、身体の火照りを汗や汚れと一緒に流してくれてスッキリ。
笑みを浮かべるタズハの姿に、もじもじとしていたミスティたちは意を決したように服を脱いで、ざぶん。
はぁ〜と息を吐き、気持ちよさそうに手で身体を洗う彼女らを見て、タズハの目がキラリと光る。
「えいっ!」
タズハは水面に手のひらを当てて薙ぎ払った。
必殺・タズハ斬り! 水しぶきがロロネとミスティを襲う!
「もー!」
「やったわねー!」
「えへへ! ランラさんにも、えいっ!」
「きゃっ!」
「よし、ロロネ! ランラ! 反撃するわよ!」
「うん!」
「え、と、はい、わかりました」
そうして始まるは水の掛け合いっこ。
お友達と遊ぶのは本当に久しぶりのことで、この時間をタズハは心の底から楽しんだ。
「――この後どうしましょっか」
日光で髪や身体を乾かしていると、ミスティが突然そんなことを言った。
「そうですね……生活に必要な物はもう揃ってますし」
水は小川で飲み放題、火も火打石のおかげでいつでも起こせる。
基地として雨を防げる洞穴を見つけられたし、食料は最終日まで持つくらい多くのイノシシ肉がある。
この無人島で生活するのに最低限必要な物は既に確保できていた。
それはもちろん喜ばしいことなのだが、洞穴を探したり、食料を調達したりする必要がなくなったことで、時間が有り余ってしまっていた。
要は暇なのだ。
何かやることはないだろうか。
タズハは腕を組むと、「うーん」と唸りながら考える。
「特に予定ないなら、わたしから提案があるんだけど」
「ん、なになに?」
「地面が硬くて、昨晩、中々寝付けなかったでしょ? だから何か、カーペットの代わりになりそうなもの探してみない?」
「あっ、それいいかも!」
「わたしもいいと思います」
ロロネとランラが賛成する一方で、タズハは首を傾げた。
寝袋のおかげで地面の硬さなど全く感じなかった。
むしろ、いつも寝ていたテントよりもずっと快適で、爆睡できたくらい。
だからミスティの言葉に共感はできなかったが、特にやることもない。
「うん、わたしもいいよ」
というわけで、タズハたちは敢えて遠回りすることで、拠点に戻りがてら敷き物を探すことになり。
これはダメ。これは微妙。と話しながら歩くことしばらく。
「――ねえ、みんなちょっと来て!」
先のほうで、しゃがんでいたミスティから呼びかけがあった。
「これ触ってみて! 柔らかくて気持ちいいわよ!」
ミスティが触っていたのは青々とした苔。
タズハも触ってみると、そのふわふわとした感触にびっくり。
「ほんとだ!」
「確かに。でも湿ってますね」
「焚き火で乾かせば大丈夫よ。ってわけで、これでいい?」
三人が頷いたことで、この苔を持ち帰ることに決まった。
ミスティは「よし」と気合いを入れると、さっそく土に手を突っ込む。
「あ、わたしやろっか?」
ミスティは子爵令嬢なわけで、土に触れるなど抵抗があるだろう。
そう思ってタズハは代わりを申し出たつもりだったが――
「ええ、じゃあタズハはそっち側をお願い。崩れないよう、ゆっくりね」
返ってきたのは交代の受け入れではなく、指示だった。
ミスティはそのまま真剣な表情で苔を掴むと、ゆっくりと剥がしていく。
汚れを気にしないその姿は、いい意味で貴族らしくなく。
タズハはより親近感を覚え、彼女のことがますます好きになった。
「わかった!」
ミスティに倣い、タズハも隣で苔を剥がしていく。
そこにロロネとランラも加わり、四人は黙々と作業を続けた。
そして迎えた夜。
夕食の後、タズハたちは地面に苔を並べていた。
持ち帰ってから、焚き火の側にずっと置いておいたこともあって、苔は完全に乾いている。
「じゃ、寝てみましょ!」
「うん!」
タズハは最初、寝袋があるんだからカーペットなんて必要ないと思っていたが、足裏から伝わる柔らかさにその考えを改めざるを得なかった。
この上で寝たらどうなっちゃうんだろう。
ワクワクしながら緑の絨毯の上に寝袋を置き、中に入ると目を見開く。
「すごいすごいっ! ふっかふかだぁ!」
想像を超えるふかふか加減にうっとりし、タズハの表情は緩むばかり。
そんなタズハに、隣で横になっているミスティは眉を顰めた。
「……そんなに?」
「うんっ! こんなふかふかなの久しぶり!」
疲れていたこともあってか、一気に睡魔が襲ってきた。
一応タズハは抵抗を試みるも、背中に感じるふかふかな感触になす術はなかった。
☆
その隣、横になっていたミスティは寝袋を開けると上半身を起こし、タズハに顔を向けた。
笑みを浮かべながら眠っているタズハを見て、反対にミスティの表情は暗くなる。
「こんなふかふかなの久しぶり、か……」
ミスティは下に敷いている苔に手のひらを押し当てた。
苔は確かに柔らかく、あるとないのでは全然違う。
昨晩よりもずっと快適に眠れるのは間違いない。
とはいえ所詮は苔なわけで、ミスティはふかふかだとは全く感じなかった。
それなのに、タズハの口調はまるで高級ベッドを指しているかのよう。
「……タズハたちの扱いってそんなに悪いの?」
後ろを向いて、横になっているランラとロロネに尋ねる。
ミスティの家は王都から遠く離れている。
なので、ゼイナスの即位や王妃選抜試験といった特に重要なものを除いて、王都の情報はそこまで入ってこない。
タズハたちのことで知っていたのは、内戦により亡命してきた彼らを王都が受け入れ、城壁の外を貸し与えていることくらい。
どんな暮らしをしているのかまでは知らず、多くの民と同じ様に普通に生活しているものだと思っていた。
そうでないと知ったのは昨晩、タズハから直接聞いてのこと。
それも全てを話してくれたわけではないことが、今わかった。
「……わたしも直接見たことはないので、あくまで聞いた噂ですが――」
ランラはそう前置きして、タズハたち猫人族について話し始めた。
それを聞くミスティとロロネは、ずっと悲しそうな顔をしていた。
☆
翌日。
いつもより深く眠っていたこともあり、タズハは他の三人よりも遅れて目を覚ました。
ミスティに言われた通りに小川で顔を洗うと、焚き火を囲んでいる三人に加わって、イノシシの燻製肉をはむはむ。
「――タズハ、今日は食料を調達するわよ」
タズハはゴクンと肉を飲み込むと、コテンと首を傾げる。
「どうして? お肉、まだまだいっぱいあるよ?」
「量の問題じゃなくて、単純にお肉に飽きたからよ。タズハだって、そろそろ他のもの食べたくなってきたんじゃない?」
タズハはイノシシ肉をじっと見つめる。
味に慣れてしまったのか、食べる毎に感動が薄れていっている。
しかし、これまでの生活を考えれば、お腹いっぱい食べられるだけで十分幸せなこと。
このまま最終日まで食事がイノシシ肉だけでも全く問題ない――とはいえ、他のものを食べたいか食べたくないかの二択で聞かれたら、答えは言うまでもない。
「食べたい!」
「でしょ? というわけで、今日は海で魚を獲るわよ」
魚という言葉に、タズハの耳がピンと立つ。
タズハはお肉も好きだが、それ以上にお魚が大好きだった。
しかし、喜びよりも疑問のほうが勝った。
「道具もないのにどうやって?」
タズハの故郷であるヌココ村は内陸にあり、海から遠く離れていたため漁猟の経験はなく、知識は一般人と変わらない。
なので、釣り竿や漁網といった道具がない今、どうやって魚を獲るのか、見当もつかなかった。
ミスティはふふんと笑うと、胸を張る。
「漁はわたしのほうが詳しいみたいね。まあ、わたしに任せなさい!」
朝食を済ませた一行は、森を抜けて海岸線へやってきた。
「少し時間ちょうだい」
着くなりミスティはそう言って、周囲をきょろきょろと見回し、そして目を細めてじっと海を見つめた。
そんな彼女を眺めながら待つこと数分、ミスティが「うん」と小さく頷く。
「満潮に向かってるわね。ちょうどよかった」
「え、なんでそんなことわかるの?」
「見て。わたしの足、靴の先が波に触れてるでしょ?」
言われて見てみると、ミスティのつま先に寄せた波がかすかに触れていた。
「うん」
「さっきは届かなかったの。なのに今は水が足に当たってるってことは、潮が上がってきてるってこと」
「ほぉ、なるほどー!」
「ミスティちゃん、詳しいんだね」
「ま、勉強してるからね。じゃ、みんな大きめの石をたくさん集めて」
「石? うん、わかった!」
それから四人は散らばり、落ちていた石を拾っては「よいしょ」と海岸線まで運ぶ。
それを繰り返して、二十分ほど経った頃。
「――これだけあれば十分ね」
「それで次はどうするの?」
「この石を浅瀬に並べて、半円状に壁を作るの。高さは水面より少し下くらいにね」
「……なるほど、それは賢いですね」
その説明だけでわかったのだろう、ランラが感心したように言った。
「ロロネちゃん、わかった?」
「全然……」
一方のタズハとロロネはさっぱりだった。
「満潮になればもっと水位が上がるから、魚は石の壁があってもその上を自由に行き来できるわよね? でも干潮になって水位が下がったらどうなると思う?」
そのヒントにタズハははっとした。
「壁を越えられなくて閉じ込められる!」
「そっ! 後はゆっくり捕まえるだけ!」
「わぁ! ミスティちゃん、あったまいいー!」
「すごーい!」
タズハとロロネは笑みを浮かべてぱちぱちと拍手を送る。
すると、ミスティは「あはは」と苦笑した。
「本で見たことあって、それを覚えていただけよ。さっ、石並べていくわよ!」
そうして四人はせっせと石を並べ、半円状の壁を作り上げた。
これで後はしばらく待つだけ。
タズハたちは期待を胸に抱きながら、一旦拠点に帰っていった。
☆
日が落ち、すっかり暗くなった頃。
焚き火を前に、タズハは目をキラキラと輝かせていた。
手に持った串に刺さっているのは、夕方に獲れたばかりの魚。
漁は見事に成功し、大小合わせて七匹も獲ることができたのだった。
「それじゃあ、食べましょうか」
「うん!」
タズハはランラに頷くと、大きく口を開けてお魚にガブっとかぶりついた。
瞬間、タズハは満面の笑みを浮かべて、「んー!」と手をぶるぶると震わせる。
「美味しい?」
ミスティからの質問に、タズハはぶんぶんと首を縦に振った。
そしてすかさず二口目、ご機嫌に尻尾がゆらゆら揺れる。
そんなタズハを見て、ミスティは「よかった」と呟き、目を細めた。