第39話 居眠り番
「エルザさん。これ、ここに置いておけばいい?」
「うん。そこでいいわよ。ありがとう、ラヴェンくん」
ハーブの入ったかごを棚の上においてくれたラヴェンに、エルザはお礼を言う。
ラヴェンが暮らす森の宮殿は、最近使用人が総入れ替えされたらしい。それによりラヴェンの生活は改善して、最近はよくラベンダーを注文してくれるようになった。
そしてたまに管理人室にやってきたかと思うと、手伝いを進んでやってくれるのだった。
管理人の仕事を始めて一年と少し経っているけれど、一人での作業が大変なときもある。
ラヴェンもほとんど森の宮殿で暮らしていて、王宮の外には出られないと言っていたから、管理人室の手伝いは彼にとってもいい息抜きになるのではないだろうか。
「いま、お茶を淹れるわね。何がいい?」
「エルザさんのおすすめは?」
「えーと、そうね。今日は、カモミールがたくさんあるから……あ」
「じゃあ、それで――って、エルザさん、どうしたの?」
(いけない。大事なことを忘れていたわ)
今日は待ちに待った、あの人が久しぶりにやってくる日だ。
そのためにカモミールの収穫を手伝ったというのに、なぜかすっかり忘れていた。
「ごめんなさい、ラヴェンくん。今日はこれから――」
言い終わる前に、扉のノックの音が響いた。
「誰か来たのかな?」
「待って、私が出るわ!」
ラヴェンを制止して、エルザは扉を開けた。
勢いよく開けてしまったからか、扉の向こう側にいた人がオレンジ色の瞳を丸くした。
「エルザさん?」
扉の外にいたのは、黒づくめのフードを被ったダリウスだった。
フッドを捲って顔を出したダリウスに、エルザは待ちきれずに近づく。
「ダリさん、お久しぶりです」
「ああ、久しぶり」
「あ、そうだ。ダリさん、いまなかに……」
「あ、兄上!」
「……ラヴェンか?」
ダリウスが一歩後ろに下がる。
ラヴェンはオリビアの息子で、ダリウスは彼を避けているみたいだった。
いまにも逃げ出しそうな様子だったが、地面を踏みしめると、管理人室の中に入ってくる。
「久しぶりだな、ラヴェン」
「はい。兄上も、お変わりはないですか?」
「ああ。……そうだ。日記はまだ調査に使われているから、すぐに返せない。でも、いつか必ずラヴェンのもとに返せるように、父上にもお願いして了承してもらっている」
「ありがとうございます」
「……ずっと会いに行けてなくてすまない。結果、森の宮殿の内情を知るのが遅くなってしまった」
森の宮殿の使用人の多くは、ランドルフの手の者だったらしい。
用心深い性格の男だ。きっと、オリビアが何か隠していないか探っていたのかもしれない。もしかしたらラヴェンを排除する機会をうかがっていた可能性もある。
オリビアの日記が先にランドルフに見つかっていたら、あそこまで追い詰めることはできなかっただろう。
「いま、カモミールティーを淹れるところだったんですよ。良ければ、ダリさんも……」
言いかけで、ダリウスが人の淹れたお茶を飲めないことを思い出す。
気まずい空気になったが、それを打ち破るようにダリウスが口を開いた。
「エルザさんの淹れたお茶なら、飲んでみたい」
「いいんですか?」
「ああ。……いまなら、平気な気がするんだ」
「じゃあ、用意しますね!」
ダリウスと一緒にお茶ができることに喜んで、給仕スペースに移動する。
カモミールの茶葉を淹れたティーポットにお湯を入れてから、数分待つ。
お盆にポットと一緒に温めていたカップを三つ用意して机に向かうと、そこにはダリウスの姿しかなかった。
「あれ、ラヴェンくんは?」
「なぜかわからないが、邪魔したら悪いから先に帰ると言っていた。一緒にお茶を飲もうと引き留めたのだがな」
ラヴェンが帰ってしまったのは残念だけれど、今度手伝いに来たときは絶対にお茶を振舞おう。
お盆を机の上に置いて、カップにカモミールティーを注いでいく。
すぐにいい香りが立ち込めてきて、エルザの心は躍るようだった。
「ダリさん、どうぞ」
「……」
ダリウスは出されたカップを見つめているだけで手を伸ばそうとしなかった。
その様子を見て気づいたエルザは、先にカップに手を伸ばす。
カモミールの香りを楽しんだあと、カップに口をつけて一口飲んだ。
「うん。おいしいですよ、ダリさん」
「……いただこう」
エルザの動作を見つめていたダリウスが、意を決したかのようにカップに手を伸ばす。
それから恐るおそるカップに口をつけて、目を閉じるとコクリと一口飲んだ。
数秒ほど同じ体制のまま固まったかと思うと、目を開ける。
オレンジ色の瞳を細めて、ダリウスは笑った。
「人の淹れるお茶もおいしいのだな。……いや、これはエルザさんが淹れてくれたからだと思うが」
「ありがとうございます」
ダリウスはどこかホッとした様子だった。
もう一口、もう一口と、カモミールティーを嗜むと、彼はカップを置いた。
「出会ってから、エルザさんにはお世話になりっぱなしだな」
「最初は、不審者かと思いましたよ」
ふらふらとした足取りで歩いてきた黒い外套の青年が、目の前で突然倒れたのには驚いた。
それが寝落ちだと知ってさらに驚いたけれど、普段眠れずに目の下に隈を作っている彼が少しでも眠るようにと、いつしかそんなことばかり考えるようになった。
「うっ、あの時は、本当にエルザさんに迷惑をかけてすまなかったと思っている」
「いえいえ、ダリさんが眠ってる姿を見ると、私も嬉しいですし。これも、ハーブのおかげですね」
「ハーブか……」
ダリウスが思案気な顔になる。
「それなんだが、オレはハーブではなく、別の理由があると考えている」
「バーブ以外の理由ですか?」
「ああ、オレがエルザさんのそばにいるとぐっすり眠れるのはハーブの香りではなく、あなたの能力が影響していると思っているんだ」
「能力?」
ダリウスがエルザのそばに来るたびにすぐ寝落ちする様子は、確かに少し異様だ。
だが、ハーブ以外に理由があるかと考えても、特に何も思いつかない。
エルザにはなんの能力もないはずだ。
「……君の固有能力じゃないかと思っている」
「私に固有能力はありませんよ?」
「本当に、そうなのだろうか?」
固有能力の属性はあっても、能力が開花できずに終わってしまった学生時代。
それに加えてデレクの婚約者だったということで、クラスの女子からやっかみを受けた。
そんな日々を思い出して、少し憂鬱になる。
もしエルザに能力があればと、そう考えたこともある。
でも、いまは温室の管理人として、好きなハーブに囲まれて過ごすことができている。
それだけでも幸せなのに、ダリウスから突然固有能力について話されて、エルザは動揺した。
「エルザさんのそばにいると、抗えない眠気が襲ってくるんだ。ハーブの香りではない、エルザさん特有の何かが影響していると、オレは考えている」
「……でも、もしダリさんが寝落ちするのが私の能力が影響しているのだとしたら、これまでほかの人たちに影響しなかった理由がわかりません」
エルザの固有能力でダリウスが寝落ちするのであれば、いままでもデレクやほかの人たちにも影響を及ぼしていたはずだ。
だが、ダリウスみたいに突然寝落ちする人は誰もいなかった。
「……それなのだが……もし特定の人にだけ発動する能力だとしたら、どうだろうか?」
「特定の人ですか?」
「ああ。固有能力の中には、そういったものもあると聞いたことがある。オレの場合は少し嗅覚がよくなるぐらいだが、中には特定の状況や人物にだけ作用する能力もあるらしい」
「特定の人物……それが、ダリさんということですか?」
カレンデュラの瞳は、冗談のたぐいを言っているようには聞こえない。
ダリウスはまじめに話している。
「……そう、ですね。ダリさんがそういうのなら、その可能性もあるかもしれません」
にわかにはすぐに信じられないけれど、彼の真剣な瞳を見ていると本当のようにも思える。
(私の能力が、ダリさんの役に立っていたんだ。もしそうだとしたら……嬉しい)
顔がにやけそうになる。
何も能力がないと揶揄されたこともあったし、それに落ち込んだこともあった。
それがまさか自分に能力があって、彼の役に立てていた。
それが、とても喜ばしかった。
「エルザさん。オレは、君に会えてよかったと思えている」
「私もです」
なぜか胸のあたりがポカポカとしてくる。
カモミールティーを飲んだからだろうか。
「だから、これからもオレを君のそばに置いてくれないか」
「……っ!?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
でも、すぐにエルザは状況を察する。
(ダリさんが私のそばにいたいのは、眠れるからよね。勘違いしたら駄目だわ)
エルザは平静を装って返答する。
「私も、ダリさんのそばにいたいです。ダリさんのぐっすり寝ている姿を見るのが、最近の楽しみなんですよ」
「……そ、それは……寝顔を見られるのは、少し恥ずかしいのだが」
赤面したダリウスがコホンと咳をしてから目線を逸らす。
その姿さえ、輝いて見えるのはどういうことなのだろうか。
(ほ、本当に勘違いしちゃうわ。私は、もう恋なんてするつもりないのに)
エルザまで赤面してしまいそうになるのをぐっと堪えるために、カップに残っていたカモミールティーを一気に飲み干した。
すっかり冷えてしまっているのに、なぜか全身が温かくなったように感じる。
「オレはまだ眠れない日のほうが多いんだ。だから、これからもまたエルザさんのお世話になるかもしれない」
「はい。ダリさんでしたら、いつでも歓迎ですよ」
「……ありがとう」
ダリウスがカレンデュラのような瞳を細めて笑う。
彼の目の下にはまだ濃い隈がある。
その頬に、エルザはつい手を伸ばしていた。
「そういえば、今日は眠らなくても大丈夫ですか?」
「あ、ああ……。いや、少し眠いような……め、めちゃくちゃ眠いぞ」
「それなら、いまから私の隣で睡眠をとっていかれませんか。前みたいに、膝枕しますよ」
「!? 膝枕は、その……」
「遠慮しないでください」
エルザは机を回り込むと、ダリウスの隣に腰かけた。
膝を両手で示すと、むむむと難しそうな顔をしていたダリウスが、何かに気づいたのかはぁとため息をついてから、そっと頭が膝のところにくるように横たわる。
「では、少しだけ。……オレは、やはり弟みたいなものだろうか」
最後のほうはボソボソ言っていてよく聞き取れなかった。
目を閉じたダリウスの呼吸が少しずつ安定したかと思うと、数分後にはすぅすぅという寝息に変わる。
「……よく眠ってるわ」
いままで何度ダリウスの寝顔を見ただろうか。
エルザにできるのは、彼が居眠りする姿を見ていることぐらいだけれど、今日はやけに温かく感じた。
(もう夏も終わりかけなのに、なぜかしら)
そっと頭に手を伸ばして、黒髪に触れる。
(これからもずっとこのままというわけにはいかないわよね。ダリさんは王子で、私はただの伯爵令嬢だもの。……でも、いまだけはこうしていたいわ)
エルザは管理人室を見渡す。
見える範囲にもたくさんのハーブが保存されている。
そのすべての香りが、ダリウスとエルザを包み込んでいるような気がした。
(いまだけは、私はダリさんの居眠り番ね)
ふふっと、笑いがもれる。
幸せな時間に浸っていると、膝の上でダリウスが身じろぎをした。
膝枕を提案したのは、自分のはずなのに。
弟に膝枕をした時とは違って、なぜか緊張するエルザだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
まだまだこの二人の話を書いていたい気持ちはありますが、これでひとまず完結となります。
連載中、リアクションやブクマ、評価などで応援していただけて、とても励みになりました。
少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
槙村まき




