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第38話 眠っていたい


 自室に戻ったダリウスは、まだ香りの強いラベンダーをベッド脇の棚に置いた。

 ベッドに座ると、この距離でもラベンダーの強烈な香りが鼻孔に届く。


 いままではラベンダーの香りがすると、自分を殺そうとした女のことを思いだしてしまうから忌避していた。

 それなのに、なぜかいまは――いや、日記を読んでから、無性にこの香りが恋しかった。


「……あなたは、ラヴェンだけが大切だったのですか?」


 日記にはラヴェンの身を案じる言葉が書かれていた。

 自分の秘密がラヴェンの身に危険を及ばすかもしれない。

 だからラヴェンを守るために、ランドルフに唆されたオリビアは、ダリウスに毒を飲ませようとした。そうする以外になかったという焦燥が、日記からも読み取れた。


「……どうして、毒なんて」


 追い詰められていることを知っていれば、何かできただろうか。

 いや、八歳の子供にできることなんて限られている。

 あの時のダリウスには何もできなかった。


(解毒剤がなければ、オレも死んでいたかもな。……だからと言って、第二王妃の選択は許されることではない)


 オリビアがどうして自ら毒を飲んだのか。

 それは分からないけれど、もしかしたら罪滅ぼしだったのかもしれない。


 ラベンダーの濃い香りに、頭がくらくらしてくる。

 いや、これは眠気だ。

 エルザに会う以外で、久しぶりに感じる感覚。

 前までならこの香りに嫌悪すら抱いていたはずなのに、いまは不思議と瞼が重くなってくる――。

 

 知らないうちに、ダリウスは眠っていた。



 その夜、ダリウスは久しぶりに夢を見た。

 木漏れ日の差す庭園で、母と慕っていたオリビアやまだ幼いラヴェンと机を囲んでお茶会をしていた。

 そこに少し遅れて父がやってきて、みんなで笑いあいながらひと時を過ごした。


 悪夢ではない、夢だった。



    ◇



 数日後、貴族裁判によりランドルフの罪状が正式に決定した。

 殺人教唆と公爵令嬢による殺人未遂だ。


 罪状に懐疑的な貴族もいたが、調査により確かな証拠がいくつも出てきたことにより、ランドルフ・レミンティーノの罪は誰もが知ることになった。

 ただ、ローズマリーの出自と、オリビアの秘密はさらなる混乱を招きかねないということで秘匿されることになった。


 ダリウスとローズマリーの婚約は解消されることになった。

 ローズマリーが強く望んだということもあるが、彼女の出自のこともあり、これ以上婚約の継続はできないという判断によるものだ。

 表向きは、公爵令嬢の療養によるものとなっている。


「ダリウス殿下、短い間でしたがあなたの婚約者でいることができて幸せでした」


 ローズマリーは解毒剤がよく効いたこともあり、数日で立って歩けるようにまでなっていた。まだ手足のしびれは残っているようで、もしかしたら後遺症が残るかもしれないとは王宮医の言葉だ。


「本心は隠すことにしたのか?」

「ええ。表向きはそちらのほうが楽みたいですので。……いまはまだ、そちらのほうがよろしいかと」


 たおやかにほほ笑むローズマリーは、婚約したころよりもすっきりした顔つきになっている。

 自分を縛っていた鎖から解放されて、自由になれたからかもしれない。


「公爵領に行くんだったな」

「はい。しばらくは領地で療養しながら、好きなことを探そうと思っていますわ」


 ローズマリーは半分だが王族の血を引いている。そのため、その処遇をどうするか内情を知っている者たちは決めかねていたが、すかさずマロリス公爵家が手を挙げた。

 彼女は出自はどうあれ、表向きは公爵家の娘だ。

 公爵夫妻が、ローズマリーはいまも変わらず公爵家の一員で、それはこれからも変わらないと発言した。


 ローズマリーはこれからも公爵令嬢として生きていくことになるだろう。


「公爵領は海の近くにあるらしいな」

「ええ。海を見るのは初めてですから、それがいま一番の楽しみですわ。――あ、そうだ、殿下。最後に頼みを聞いてくださいませんか?」

「なんだ?」


 ローズマリーが渡してきたのは、一通の手紙だった。


「これを、ミツレイ伯爵家のエルザさんに渡していただきたいのです」

「わかった」


 受け取った手紙を、ダリウスは丁寧に懐にしまった。


「それから……」


 ローズマリーが室内を見渡す。

 ここにいるのは二人だけで、ほかの人の姿はない。


「……バージウィル卿は、いらっしゃいませんのね」

「今日は別の任務についている。何か用でもあるのか?」

「……そうですね。領地に着いたら手紙を送りますと、お伝えいただけますか?」

「了解した。……いささか頼みごとが多い気がするがな」


 苦笑するダリウスの言葉に、ローズマリーがくすくす笑う。


(そういえば、マロリス公爵家とバージウィル公爵家は親しかったな。ということは、二人は昔馴染みなのか?)


「では、わたくしはこれで失礼させていただきますわ」

「ああ。マロリス公爵令嬢のこれからの幸せを祈っている」


 ローズマリーは洗練された動作で頭を下げると、部屋から出ていった。


 それを見届けると、ダリウスも部屋から出た。

 今日はこの後、温室を訪問する予定がある。


(久しぶりに会うな)


 あの日以来、いろいろと忙しくて温室に行くことができていなかった。

 睡眠も、あれからぐっすり眠れない日々が続いている。


 回廊までくると、快晴の日差しに、まぶしく目を細める。

 澄んだ青空には雲ひとつなく、まるで何事も憂いがないようにも感じる。


 ふと、あの時ランドルフが言っていた言葉が脳裏を過った。


(手に入らないものを欲しいと思うのは、当然のことか……。オレにとって、エルザさんはどういう存在なんだろう)


 エルザがそばにいるとよく眠れる。

 それは、きっと彼女が持つ能力によるものだろう。

 本人は無自覚みたいだけれど、彼女の香りはダリウスを睡眠へといざなった。


(オレはエルザさんにそばにいてほしい。でも、それはよく眠れるからなのか? それとも、あの笑顔に惹きつけられるからだろうか)


 わからない。でも、いまはまだ彼女のそばで眠っていたいという思いが強かった。


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