第36話 手に入らないもの
『わたくしは、大公殿下と平民の娘から生まれた私生児なのです』
ローズマリー本人から聞いた彼女の生い立ちは、想像を絶するものだった。
ローズマリーの実母は商家の娘だった。ローズマリーと同じ薄い桃色の髪に桃色の瞳をしたたいそうな美人で、ランドルフもそんな娘に心を惹かれたのか、一夜限りの関係を持ってしまったらしい。
実母はランドルフに黙って、ローズマリーを産んで育てることにした。
『わたくしの名前は、亡くなった実母が名付けてくれたのですわ』
ローズマリーのように強く健やかに育ってほしい。
そんな意味を持って名付けられたと、彼女は誇らしそうに語った。
五歳のころまで実母のもとで育ったローズマリーだったが、実母が流行り病で亡くなったあと、親戚だという男爵家が引き取りにやってきた。
『男爵家に行くと、そこに大公殿下がいました』
ランドルフは自分が彼女の実の父だと名乗った。
いままでは訳があってローズマリーのもとを離れていたけれど、母の代わりにこれからは自分が支援をして面倒を見ると。
私生児という体面はよろしくないので、あくまでも男爵家の娘としてローズマリーは育つことになった。
ランドルフは男爵家への支援を惜しまなかった。
でもある日、ローズマリーは気づいたのだ。自分がただ利用されるためだけに生まれてきたということに。
『男爵と大公殿下の会話を盗み聞いてしまったのです』
ランドルフには自由に使える駒が必要だった。
妻との間に子宝に恵まれなかったということもあり、外で子供を作ることにしたそうだ。
そうして生まれたのがローズマリーで、実母との間にはロマンスの欠片もなかったことを知ってしまった。
最初は信じられない思いでいっぱいだったが、ランドルフが自分を見つめる眼差しを見て徐々に気づくことになる。
ランドルフは表向きは笑顔を装っているけれど、蛇のような瞳で常に相手を見下している。
それはローズマリーに対しても同じで、彼女は幼いながらもそれを理解した。
ローズマリーは賢い子供だった。
ランドルフの言いなりになりながらも、陰で彼の不正の証拠を集めていた。
彼が破り捨てたり、暖炉に捨てた書類を灰の中から集め、固有能力で復元して保存した。いつか何かに利用できるかもしれないと、内容を理解していない書類まで。
男爵家では見つからないように必死に隠していたが、公爵家の養子になってからは別だった。
公爵夫妻はローズマリーを快く迎え入れてくれて、実の娘のように大切にしてくれた。
ローズマリーが無事に書類を隠し通せたのも、マロリス公爵夫妻が善人だったからだろう。
『公爵家の娘になってからも、わたくしは大公殿下の言いなりになるしかありませんでした。でも、エルザさんに出会ってから変わったのです』
エルザに出会ってから、ローズマリーは自分自身の道を進みたいと強く望むようになった。
王子の婚約者の座から降りれば、ランドルフはローズマリーを見放すかもしれない。
それでも言いなりのまま人生を終えるのが嫌だったローズマリーは、勇気を出してランドルフに直談判した。
もしかしたら用済みだと捨てられるかもしれないと思ったが、彼は娘の頼みを蔑ろにはしないと口にした。
父親としてしてあげられることが少なかったから、娘の最初で最後の願いには応えたいと。これからは自分の思うがまま好きに過ごしてもいいと。
ローズマリーは浮かれていたのだ。
いままでさんざんランドルフに利用されたいたことを忘れて、気を許してしまった。
茶葉はランドルフからプレゼントされたものだった。
お茶を口にするまでは、ローズマリーはランドルフのことを信じていた。
『――でも、あの男はそう簡単にわたくしを諦めてはくれなかったようですわ。利用できなくなったのなら捨てればいいと、そう考えたのでしょう』
ダリウスとのお茶会で、茶葉を振舞ったのはランドルフの勧めによるものだったそうだ。
ダリウスが、ローズマリーとの会話を思い出して奥歯を噛み締めていると、ランドルフが呆れたような声を上げた。
「どうやら、私が大切に育てた雛は、とんだお転婆だったようですね」
「……そんなに大切なら、どうして公爵令嬢に毒入りの茶葉を送ったんだ?」
あのお茶会でローズマリーが先にお茶を飲む可能性は十分にあったはずだ。
死ぬ可能性もあったかもしれないのに、目の前にいる男からは娘に対する愛情を感じない。
いくら大切だと口にしようとも、蛇のような瞳にあるのは野心だけ。
「育てているうちはかわいらしいものでしたが、そこから飛び立とうとするなんて……羽をもぎたくなるではありませんか」
ランドルフにとって、毒入りのお茶を飲むのは二人の内のどちらでも構わなかったのだ。
利用価値のなくなった娘が死んでも、ダリウスが飲んでも、どちらに転ぼうがランドルフにとっては都合がいい。
「……そこまでして、王座が欲しいのか?」
オリビアやローズマリーを使って、執拗にダリウスを狙った理由。
それは、王座を目的としたものだろう。
オリビアの事件で罪人の息子となったラヴェンは、王位継承権を失った。
もしダリウスが毒によって倒れたら、王位継承権はランドルフの物になる。
あとは国王さえどうにかすれば、王座はすぐそこだ。
「……ええ。ずっと兄上が羨ましく思っていました。先に生まれたというだけで王座を手に入れるができたのですから。手に入らないものを欲しいと思うのは、当然のことではありませんか?」
「だから、第二王妃を殺したのか?」
「どうやら殿下は勘違いをしているようですね。毒を渡したのは私ですが、それを使ったのは第二王妃自身ですよ。彼女は自分で毒を飲む選択をしたのです」
「叔父上。あなたのやったことは、立派な殺人教唆だ」
ダリウスの言葉に、ランドルフはくっくっと笑った。
「ああ。そういえば殿下は知りませんでしたな。第二王妃となったあの卑しい女は、舞台女優のときから他者を欺いていたのです。あの女の母親は、隣国で罪を犯した罪人でした。あの女はそれを知っていながら私たち王族や貴族、それから国民を騙していた。本来なら、王妃になることすらできない平民以下の出だというのに」
頭が痛くなるというのはこのことか。
ランドルフは自分のやったことを認識していながらも、それを悪いことだとは思っていないようだ。
「第二王妃の出自についてはこれから調査すればいいことだ。あなたの罪も同様にな」
「おや、いったい私に何の罪があるというのでしょうか」
「殺人教唆や、公爵令嬢に対する毒殺未遂だ。もうすでに陛下には進言してあるから、捕まるのも時間の問題だな」
「ははぁ。やはり、そうだったのですね。あなたがここに来た時から嫌な予感はしていました」
やけに素直に自白をしたと思ったが、ランドルフも覚悟の上だったようだ。
もしかしたらオリビアの日記がダリウスの手に渡った時から、こうなることを予想していたのかもしれない。
「……まさか、娘の固有能力が復元だったとは、一杯食わされたものですよ」
「あなたのことを信頼していなかったのだろう」
「実の娘にすら見放されるとは……。ふむ。やはりあの子は母親に似ていますね。賢い瞳を見たときから、思ってはいましたが……」
ランドルフはもう蛇のような瞳を伏せていた。
彼が何を考えているのか、ダリウスにはわからなかった。
しばらくすると、国王直属の近衛騎士が室内に入ってきた。
ランドルフはおとなしく捕まったように見えたが、腹の内のわからない男だ。また口八丁で相手を誑かすことも考えられるから、油断はできない。
「妻には会えますか?」
「しばらくは無理だ。でも、便宜は図ろう」
「お心遣いに感謝します、殿下」
最後までランドルフは心の内を見せなかった。
幼いころは慕っていた叔父の姿を、ダリウスは厳しい表情で見送った。
数分後、エルザに声を掛けられるまで、ダリウスの顔は険しいままだった。




