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第34話 覚悟


 鉄格子越しの窓から朝日が差し込んでいる室内で、エルザは目を覚ました。

 貴族牢に閉じ込められてからもう二日が経過している。

 初日にランドルフがやってきただけで、あれから特に訪問者はいない。食事を運んでくる使用人がいるぐらいだ。


(お父様たちは、どうしているかしら)


 帰ってこない娘のことを心配している様子が脳裏に浮かぶ。年の離れた弟もエルザの帰りを待っているに違いない。


(どうしたら、ここから出られるの)


 逮捕されてから、自分の無実を訴えるためにも、食事を運んできた使用人に騎士宛ての手紙を握らせたりはしたのだが、誰もやってくることはなかった。特に尋問をされる様子はないし、エルザはただ部屋の中に閉じ込められているだけだ。


(温室に行きたいわ。庭師のみんなにも会いたい。……それに、ダリさんにも)


 第一王子のダリウスが、ただの貴族令嬢のエルザにそう簡単に会いに来れないのは分かっているが、どうしても人恋しくなってつい考えてしまう。

 顔を合わせるたびにすぐに寝落ちしてしまうダリウスの、あのオレンジ色の瞳が懐かしい。


(数日会っていないだけなのに、大げさよね)


 ローズマリーは王子の婚約者だ。

 その毒殺未遂の容疑がかけられたということは、極刑は免れないだろう。

 そうなるとダリウスにも、庭師のみんなにも会えなくなってしまう。


(ロージー様も、無事かしら)


 ランドルフが、この事件の犯人はどうあがいてもエルザになると言っていた。

 あの男の思惑は理解できないけれど、いろいろ裏で動いているだろうことは想像できる。

 何も罪がないのは自分自身がわかっていることなのに、ランドルフが関わったら白も簡単に黒に塗りつぶされそうだ。


(オリビア様の日記に書かれていたことは、本当のことだったのね)


 にわかには信じられない言葉だったけれど、自分が当事者になると理解できる。

 あの男は普段は穏やかな笑みを浮かべていて人当たりがよく、誰からも好かれているのに、裏の顔は狡猾だった。


 ランドルフが本気を出せば、ただの伯爵令嬢ごときいくらでも始末できるだろう。

 自分の未来を思って身震いをしていると、部屋の扉のノック音が響いた。


「大公殿下がいらっしゃいました」


 騎士の言葉と共に、ランドルフが姿を見せた。

 緩くひとつに結んだ黒髪が、ランドルフが動くと同時にゆっくりを肩の前に垂れる。

 椅子に座ったままのエルザの前で、軽く腰を折ったランドルフは、エルザの瞳をのぞき込んで言った。


「それで、覚悟は決まりましたか?」

「……っ」


 エルザは口を開くことができなかった。

 初日に訪問したランドルフから受けた提案が脳裏を過る。


 エルザは今回の事件の犯人になると告げた後、ランドルフはとある提案を投げかけてきた。


『あなたにひとつ、提案をしましょう』

『提案?』

『はい。もしこのままあなたが毒殺未遂の犯人として捕まったら、あなたの家族は路頭に迷うことになるでしょう。それは、あなたも本意ではありませんよね?』

『もちろんです! 私は無罪ですし、家族は何も関係ありません』

『ええ、家族は大切ですからね。私も、妻のことは大切にしていますから、よくわかりますよ』


 ランドルフは父と同じぐらいの年齢だろうか。エルザを見るときの父は温かい眼差しをしていることが多いが、ランドルフからはそれを感じない。

 蛇のような瞳はいまにでも嚙みついてきそうで、背筋が寒くなってくる。


『あなたはどうあがいても犯人になりますが、ご家族だけは助けてあげましょう。――あなたが私の甥っ子から受け取ったという日記を渡してくれればの話ですが』

『……そ、それは』


 日記はダリウスに預けてあるから、手元にない。


『まさか、あの女の――第二王妃の日記が残っているのは予想できませんでした。私に関わることはすべて処分したはずだったのですがね。さすがというべきか……下賤の生まれの女はやることも小癪ですね』


 ランドルフはそっとため息をついた。


『話が逸れましたね。日記を私に渡してくれるのであれば、あなたの家族は助けてあげましょう。あなたの罪も軽くなるように取り計らってあげます。……すぐに返答できないのであれば、少し時間をあげます。じっくり、考えてくださいね』


 ランドルフは一方的に告げると、部屋から出ていった。



 あれから二日間、エルザは必死に考えた。

 家族は大切だが、そもそもエルザに罪はない。

 日記も手元にないから、ランドルフに渡すこともできない。


(それに、ダリさんはもう日記を読んでいるはずだわ)


 エルザにできることは何もないけれど、心に決めていることがある。


「大公殿下の提案には乗ることはできません。私は何も罪を犯していないのですから!」


 自分の無実を訴えること。

 無実なのに裁かれるのは納得できない。

 家族を守るためにも、自分のためにも、エルザは日記を託したダリウスを信じることにした。


 ランドルフは背筋を伸ばすと、「そうですか」と呆れたようにつぶやいた。


「あなたも強情な方ですね。第二王妃もそうでした。……まあ、いいでしょう。第一王子との付き合いは私のほうが長いですからね。自分を殺そうとした女の日記をそう簡単に信じることはないでしょう。疑われたとしても、いくらでも言い訳はできます。証拠は、何も残していませんから」


「私に話したことは、どうなんですか?」


 食い下がるエルザに、ランドルフが首を傾げる。


「私がいったい何を話したというのでしょうか? ……妄言もほどほどにしてくださいね」


 まるで何事もなかったかのように微笑を浮かべると、ランドルフは背を向けた。

 部屋から出ようとしたランドルフは扉の前で足を止める。


「……おや? 誰も通すなと言っていたはずですが……」


 ランドルフがの目の前で扉が、ゆっくりと開いた。

 先程の騎士かと思ったが、違うようだ。


 現れたカレンデュラのようなオレンジの瞳が、ゆっくりと部屋の中を見回して、エルザをとらえる。心なしか、目の下の隈がさらに濃くなっているような気がした。

 ランドルフが警戒するような声を出した。


「王子殿下、なぜここにいらっしゃったのですか?」

「……やっと見つけたぞ、叔父上。これから少し、話に付き合ってもらいたい」

「それなら場所を変えましょう。罪人の前で話すことでもないでしょう」


 眉間にしわを寄せたダリウスが、ゆっくりと首を振る。


「ここでいい。証人はいたほうがいいだろうからな」

「ほう。何やら大切な話があるようですね」


 ランドルフの声音がわずかに固くなる。

 

 部屋の中に入ってきたダリウスは、ランドルフを見つめると静かに告げた。


「叔父上の罪を告発しにきたんだ」


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