第28話 森の宮殿
ほかの庭師たちには帰ってもらおうとしたが、みんなこの状況だからと、温室の手入れの仕事に戻って行ってしまい、管理人室にはエルザ一人になった。
(……本当に、ロージー様の飲んだ毒に温室のハーブが使われたのかしら)
毒性のあるハーブの温室は、簡単には手が出せないように鍵がかかっている。
ジェイソンは神経質なところもあるから、そう簡単に鍵をかけ忘れたりもしないはずだ。
考えるが、いまの状況では何もわからない。
エルザにできることはジェイソンを信じることと、ローズマリーの回復を祈ることのみだ。
「……もう、変なこと考えていたら駄目ね。お茶を飲みましょう」
リラックスすれば、少しは胸のざわつきも治まるかもしれない。
そう思ってソファーから立ち上がったとき、控えめに扉をノックする音が響いた。
(もしかして、騎士の方?)
そう思って、恐るおそる扉を開けると、そこにいたのはラヴェンだった。
「あ、お姉さ――エルザさん」
「どうしたの?」
「前に、エルザさんからもらったラヴェンダーのサシェのお礼に、見せたいものがあるんだ。いまなら宮のみんなも忙しそうにしている時間だから、少しぐらいならエルザさんを呼んでもバレないと思うんだ」
「宮?」
「僕の住んでいるところだよ。どうしてもエルザさんに確認してほしくて」
「……ごめんなさい。いまは厳しいわ」
「どうして?」
事情をかいつまんで説明すると、ラヴェンが俯いた。
寂しい思いをさせてしまったかもしれないと思ったら、ラヴェンが勢いよく顔をあげる。
「それならなおのこと、いまから来てほしいんだ」
「え?」
「きっと、いまのエルザさんの役に立つと思うから。お願い」
エルザは迷った。騎士には管理人室にいるように言われていて、いつ呼ばれるかもわからない。
でも、ラヴェンの紫色の瞳は真剣で、断ることもしづらかった。
(……それに、もしかしたら今回の事件の手掛かりが見つかるかもしれないわ)
ローズマリーやジェイソンを救うことができるかもしれない。
「ちょっと、待ってて。すぐに行くから」
エルザは机に戻ると、書き置きを残すことにした。
それからラヴェンのもとに戻ると、彼の案内で歩き出す。
「……ここって」
温室からそこまで遠く離れていない森――前に、ラヴェンを追ってやってきたところだった。
王宮の地図を頭の中で思い浮かべる。
確かこの森のそばには、ひとつの建物があったはずだ。
本宮よりも遠く離れたところに、隔離されるようにして立っている、森の宮殿。
第二王子が過ごしていると聞いたことのある離宮だった。
(誰かに似ていると思っていたけれど、もしかして――)
改めてラヴェンを見る。
瞳の色こそ紫だけれど、顔立ちはどことなく見覚えがある。黒髪はそのままで、瞳がオレンジだったらエルザのよく知っている人を幼くした顔立ちになりそうだ。
森の道を抜けると、開けたところに出た。
そこにはほかの宮殿に比べるとこぢんまりとしているけれど、それでもがっしりとした出で立ちの宮殿が立っている。
周辺の雑草は手入れされていないのか伸びたままだけれど、建物の入り口あたりは手入れをされているようだった。
「ついてきて」
ラヴェンが扉を開けて中に入ると、使用人の姿が見えた。
使用人はラヴェンに目を向けたが、すぐに興味がないように逸らしてしまった。エルザには気づかなかったようだ。
建物の広さに比べて使用人の数が少ないのか、みんな忙しそうにしている。
「おもてなしできなくてごめん。……こっち、僕の部屋だから」
ラヴェンに連れられるがまま、エルザは階段を上る。
そこからしばらく行ったところにある部屋の扉の前で、ラヴェンは周囲を警戒するように見渡した。
誰もいないのを確認すると、エルザに中に入るように促す。
「お邪魔します」
小声でつぶやいて入ると、そこは質素な部屋だった。
とても王族が住んでいるところだとは思えない。
「ここって」
「僕の部屋だよ。一般的な貴族よりも、質素だよね。……でも、それでもいいんだ。ここにあるのは、もともとお母様が使っていた家具とかだから」
「お母様が……」
「あの頃はもっと広い宮殿で暮らしていたけれど、お母様は素朴な素材の家具が好きだったから……。でも、本当はもっとカーテンや小物などもきれいなもので溢れていたんだけど、それらは全部取られちゃったからさ」
ラヴェンにとってはここにある少ない家具が、母との数少ない思い出なのだろう。
温室のラヴェンダーを盗むのは駄目なことだけれど、母の思い出を少しでも感じたい彼の気持ちは、理解できるかもしれない。
「その椅子に座っていて。すぐに持ってくるから」
エルザを椅子に座らせると、ラヴェンはベッドに近寄った。
ベッドの脇には木の棚があった。上に物を置くスペースがあり、下は左右に開く扉になっている。
その扉を開けて、中に入っていた小物を外に出すと、棚の底をゴソゴソ探り出す。
カチッと音がしたかと思うと、底の板を外し、中から一冊の本を取り出した。
「これを、読んでほしいんだ」
「……これは?」
ラヴェンが机の上に置いたのは、一冊の本のようなものだった。
装丁は古く、日焼けで劣化している。題名は書いていないことから、流通している本ではないようだ。
「お母様の日記」
「お母様というと」
「――うん。僕のお母様――第二王妃オリビアの日記だよ」
やはり、とエルザは再び彼を見る。
エルザもよく知る、ダリウスに似た顔立ちの少年を。
(ラヴェンは、第二王子殿下だったのね)




