第26話 王子の護衛
エドウィンが騎士の叙任を受けたのは、十五歳になった年だった。
バージリアン公爵家は騎士の家系でもあり、エドウィンは幼いころから厳しく鍛錬を重ねてきた。その思いが報われた形になるだろう。
家族は当然のこととして受け入れて祝福し、幼馴染は喜んでくれた。
そして間もなくして、エドウィンは第一王子ダリウスの護衛を務めることになった。
「同い年のバージリアン卿が、オレの護衛でとても嬉しいよ」
初めて対面したダリウスは、どこか陰のある少年だった。
親しみのこもった言葉遣いとは裏腹に、オレンジ色の瞳はどこか値踏みするようでもあった。
「これからよろしくね」
「この命をもってして必ずお守りいたします」
口から自然に出てきた言葉を噛み締める。王国の騎士として当然の言葉だからだ。
ダリウスは変わらず愛想のいい笑みを浮かべていたけれど、なぜか間には見えない距離があるように感じた。
エドウィンは騎士であり、王子の護衛だ。王族の盾であり、剣でもある。
当たり前のように忠誠心があり、王族を守るのが使命だと信じていた。
距離は感じるものの、ダリウスは騎士や使用人に対して横暴に振る舞ったりすることなく、いつも真摯に接してくれている。
王子宮の使用人はほかの宮殿に比べると使用人の数が少ない、護衛もエドウィンを含めて三人だけだった。
どうやらダリウスはそばに人が多くいることを好まないらしいということも、次第に知っていくことになる。
夜に至っては自室周辺にはほとんど人を寄せ付けなかったから護衛の任もなかった。宮殿には結界が貼ってあるため、何かあればすぐ駆け付けられる部屋をエドウィンは使っていた。ほかの騎士もそうだった。
どうしてそこまで人と距離を取るのか、気になったもののエドウィンにその真意を知る権利はない。ただ忠実に騎士としてそばに仕えるだけ。
そう思っていたのだけれど、その理由は護衛になって幾ばくもしないうちにわかってしまった。
ある夜、見回りのために廊下を歩いていたエドウィンは、ダリウスの部屋からうめき声が聞こえてくることに気づいた。結界は異常を知らせていなかったが、何か不測の事態でもあったのかと主の部屋の中に無断で入ってしまった。
そこで見たのは、ベッドで眠るダリウスの異様な姿。
目を閉じているから夢を見ているのだろう。苦しそうに服の胸の部分を掴み、うめき声をあげている姿だった。
「……て。……っ」
言葉は聞き取れなかったものの、何かに苦しめられているのは分かった。
呆然としていると、ダリウスが目を開けた。人の気配に気づいたのだろう。
目を開けたダリウスは警戒するようにこちらをにらみつけて、事情を説明するエドウィンに向かってただ静かに、「しばらく実家に戻って休め」と冷たい声で告げた。
その目の下にある隈が生々しく脳裏に残った。
そして実家に帰ったエドウィンは、ダリウスの目の下にある隈の意味を考えるようになった。
彼が眠れない理由はなんなのだろうか。
いままで不思議に思いながらも、自分はただの護衛だからと気にしないでいたことだ。
異様にそれが気になり、ある日エドウィンは父親に訊ねた。
そして聞かされたのが、ダリウスが八歳のころに巻き込まれた毒殺事件のことだった。
親世代はほとんどの人が知っているが、悲惨なために口を閉ざしている、第一王子毒殺未遂事件。それは、子供世代までは詳しく語り継がれていない事件だった。
当時の第二王妃が、まだ八歳だったダリウスを毒殺しようとした事件のことだ。
ダリウスを毒殺しようとした第二王妃オリビアは、自らも毒を飲んでこの世を去った。
当時を知っている貴族たちは、第二王妃がそんなことをするなんて誰も信じなかった。
ダリウスが第二王妃を母のように慕っていることは誰もが知っていたし、第二王妃もそんなダリウスのことを息子のように大切にしていた。
だから誰も第二王妃がダリウスを毒殺しようとした理由は知らずに、憶測ばかりが広がっていった。
第二王妃は元平民で、そして有名な舞台女優だった。
優しかったのは演技で、本当はダリウスを殺す機会を虎視眈々と狙っていたのではないだろうか。
第二王子が生まれていたこともあり、もしかしたら自分の息子を次期国王の座につけたかったのかもしれない。
それらの噂はきっとダリウスの耳にも届いたことだろう。
殺されかけた恐怖がダリウスにトラウマを植え付けて、彼は目の下に濃い隈を作るほどになってしまったのだ。
(信じられる人が、誰もいないのだな)
いままでただ騎士としての使命のためだけに仕えていた。
距離を取っていたのはダリウスだけではなかった。
エドウィンも本当の意味でダリウスのことを見ようとしていなかったのだ。
それに気づいたエドウィンは自分を恥じて、再び自分の使命を胸に誓うことにした。
主が誰も信じられないのなら、信頼に足る騎士になろう。
少しでも主が安心できるように。
本当の意味でダリウスから認められたいと、次第にそう思うようになったのだ。
そして休暇明け、エドウィンはダリウスに誓った。
「これからも誠心誠意、あなたに仕えることを誓います」
それからも、ダリウスの態度は特に変わらなかったが、護衛として五年も仕えてきたからか、最初のころに比べるとどこか信頼されているように感じることもあった。
そんなダリウスが最近になって、温室に通っていることは知っていた。
一人の令嬢に会いに行っていることは後から知ったが、温室から帰ってくるときのダリウスはいつもどこかすっきりとした顔をしていた。
「よく眠れるんだ」
そんなことをぼそりと口にしていたのも聞いている。
前に比べると距離もなくなり、最近のダリウスは前ほど周囲を警戒することもなくなった。
夏には婚約者も決まり、エドウィンも心の中でそれを祝っていた。
そんな矢先のこと。
お茶会で、ダリウスの婚約者のローズマリーが毒を飲んで倒れた。
その光景を前に放心しているダリウスを、本来ならエドウィンは護らなければいけなかったのに、口をついて出たのは幼馴染である彼女の名前だった。
◇◆◇
「え、ロージー様が倒れられたんですか!?」
夏の本番ももうそろそろ終わりそうな、八月の下旬。
あれから、ダリウスは週に一回ほど温室にやってくるようになった。
今日は彼の訪問日だ。
エルザはダリウスを迎えるつもりで管理人室の片づけをしていたところ、慌てた様子でやってきたのが王宮医の従者だった。
今朝の段階では訪問予定はなかったものの、急遽必要なハーブがあるからと夕方ごろにやってきたのだ。
なんとか管理人室にあるハーブだけで用意ができたけれど、その間にポロリと従者がこぼした言葉に、エルザはつい反応してしまった。
「第一王子殿下の婚約者が倒れられたんだ」
従者は突然訪れた事態により、どこか興奮している様子だった。高揚しているといったほうが正しいかもしれない。
「どうやら、毒殺未遂らしいです」
「毒殺未遂!? ロージー様は、無事なんですか!?」
予想していなかった言葉に、エルザはつい声を荒げてしまった。
従者が難しい顔で首を振る。
「一種の神経毒なのですが、毒自体は弱いものなのでいまのところ命に別状はなく、意識を失っているだけの状態です」
「命に別状はないのですね」
「解毒剤が効けばですが……。進行速度の遅い毒だと、体内に蓄積されて知らないうちに取り返しがつかないことに――ということもありますので。こちらも全力を尽くして治療しますが、まだ毒の正体が詳しくわかっていないのですよ。どうやら珍しい毒らしくって」
「……そう、なんですね」
エルザは毒については全くわからない。
命に別条がないという言葉を聞いて安堵したものの、どうやらまだ油断ならない状況のようだ。
(ロージー様、大丈夫かしら)
王宮医である子爵は穏やかで律儀な人だったが、どうやらその従者はおしゃべりらしくいろいろ話してくれた。
「毒の正体もですが、それよりも厄介なのが、毒を飲んだのが第一王子殿下とのお茶会の席だったらしいんです」
「お茶会の席?」
「ええ。しかもお茶を用意したのが、マロリス公爵令嬢らしいんですよ。だからもしかして、第一王子殿下を狙ったのではないかと疑われているんです」
「まさか、ロージー様がそんなことするはずありませんよ!?」
「状況を確かめるためにも、マロリス公爵令嬢には目を覚ましてもらわなければいけませんので、我々も全力を尽くしますよ」
長々と話している場合じゃなかった、とハーブの包みを受け取った従者は管理人室から飛び出ていった。
その背中を眺めながら、エルザはどうしようもない不安に襲われた。
(ロージー様が毒を飲んで、でもその毒を用意したのはロージー様らしくって……。一体、どういうことなのかしら。よくわからないわ)
その日は、ダリウスは管理人室にやってこなかった。




