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第25話 お茶会

「おや、最近よく会いますね、殿下」


 穏やかな口調とともに現れた人物を見て、ダリウスは「またか」と顔をゆがめるところだった。

 ダリウスは護衛のエドウィンを伴って、宮殿の中庭に続く回廊を歩いていた。

 今日は、婚約者であるローズマリーとの定例のお茶会の日だ。

 人の淹れたお茶を飲むというのを考えるのも憂鬱なのに、そのうえ顔を合わせるのも億劫な人に鉢合わせてしまった。


 昔と変わらないにこやかな笑顔。

 子供の頃なら、ランドルフの姿を見かけた瞬間に人懐っこく駆け寄っていただろう。

 だけど、あの毒殺未遂事件以来、どうしても距離ができてしまっている。

 いや、ランドルフだけではない。あれ以来、そばに誰かがいるだけで不安になるようになってしまった。


「大公殿下も、お元気そうでなによりだ。……では、オレはこれで失礼する」

「……そういえば、殿下は動物か何かを飼っておいでですかな?」

「動物?」


 不躾に何を言うんだという視線を向けると、ランドルフはどこか嘆くような様子を見せた。


「実は、私には長年育てていた鳥がいたのです。雛の頃から手塩にかけて育てていたのですが、知らないうちに雛も成長してしまっていたみたいでして……。まだ雛の頃は私の後をついて、ちょこちょこしていたのにですよ。いまでは、すっかり私に反抗するようになってしまったのです」


「何が言いたいんだ?」


 ランドルフが鳥を飼っているという話は聞いたことがないが、彼の物言いはどこか実感がこもっているようにも感じる。もしかしたら知らないうちに、鳥を育てていたのかもしれない。

 

「いや、なに。雛も成長したら、親元から旅立っていくのかと思うと、少し寂しいものがありましてね。その旅立ちを後押しするのももしかしたら親の役目なのではないのかと、最近よく考えているのですよ」


 レミンティーノ大公夫婦には、確か子供がいなかったはずだ。


(やはり、知らないだけで鳥を飼っていたのだろう)


「成鳥になってしまうと、どうしても勝手に羽ばたいてしまうものですからね」

「……そうか。では、オレはこれから予定があるから失礼する」


 雑談にかまけている余裕はない。

 お茶会も憂鬱だけれど、これ以上ランドルフの長話に付き合うのも億劫だった。

 そう思ってランドルフの横を通ろうとしたとき、思い出したように彼が言葉を続けた。


「ああ、そういえば殿下も雛を飼っているのでしたね。いや、あれは成鳥ですかな?」

「……鳥など、飼った覚えはないぞ」


 ダリウスはつい足を止める。


「いや、失礼。本物の鳥ではありませんでしたね。でも、あながち間違いではないでしょう。どうやら最近、足繁く通っているところがあるみたいですので」

「……なにが言いたい?」

「いえ、婚約者のいる身なれば、他の令嬢に目移りするのはあまり好ましくはないのではないかと、そう思うのですよ。……長々と時間を取らせてしまって、申し訳ございません。では、お茶会をお楽しみください」


 どうやらランドルフは、ダリウスがこれからお茶会に行くことを知っていながら話しかけてきたらしい。


(食えない人だ)


 ランドルフは頭を下げると、どこか楽しそうな笑みを浮かべながら歩いて行ってしまった。


(足繁く通っているところ……。もしかして、温室のことを言っているのか?)


 最初はたまたま迷い込んだだけだった。

 二回目以降はなるべく周囲に人目がないのを確認していたけれど、もしかしたら誰かに見られていたのかもしれない。


(……不快なものだな。人を鳥に喩えるなんて)



    ◇



 お茶会の席に向かうと、すでにローズマリーは着席していた。

 ダリウスの姿に気づくと、立ち上がり挨拶をしてから腰を折る。


「楽にしてくれ。待たせてすまないな」

「……いえ、殿下にお会いできるだけでも光栄です」


 静々とした態度でそう答えるローズマリーの顔を見て、ダリウスは首を傾げた。

 いつもなら笑みを浮かべていて心の底から嬉しそうな顔をするのに、今日はやけに静かだ。


 ローズマリーの笑顔はほかの令嬢とは違っていた。

 ほとんどの令嬢は家のためだけに、うわべだけの笑みを浮かべている。中にはダリウスの見た目に嫌悪を感じているのを隠そうともしていない令嬢もいた。

 そんな令嬢たちとは違い、ローズマリーの笑顔はいつも鉄壁だった。

 彼女はダリウスの前で嫌な顔をひとつ見せずに、心の底からダリウスに興味があるように振舞っている。


 だけどそれはしょせん仮面には過ぎない。

 婚約してから――いや、婚約する前から、彼女の桃色の瞳と目を合わせるたびに違和感を抱いていた。

 きっとローズマリーは、本質的にダリウスに興味がない。

 いや、どちらかというと、ダリウスと接するのは義務のように笑顔の仮面で接してきている。


 だから、ダリウスはローズマリーと顔を合わせるのが苦手だった。

 

(でも、今日は違うな。……なにか、いつもよりもリラックスしているように見える)

 

 いつもとは違い、ローズマリーは穏やかな笑みを浮かべていた。

 まるで何かから解放されたかのような、すっきりとした顔だ。


「殿下。今日は特別な茶葉を用意しているのです。わたくしが、お茶を淹れてもよろしいですか?」

「……かまわない」


 人の淹れたお茶はなるべく飲みたくないが、こういう場では断ることはできない。

 エルザにはつい教えてしまったが、次期後継者であるダリウスに弱点があることが知られたら、そこを利用されかねない。


 ローズマリーが連れてきたマロリス家の使用人から受け取った茶葉の入れ物を机の上に置くと、彼女は丁寧な手つきでお茶を淹れはじめた。

 茶葉は香りのいいお茶みたいで、蓋を開けてすぐにダリウスのもとまで香ってくる。


(……はじめての香りだが……これは、なんだ)


 なぜか懐かしい気持ちになった。

 一瞬、十三年前の事件を思い出すが、あの時とは違う香りだ。


「殿下。実はわたくしは、生まれたころからずっと決められた道を歩くしかなかったのです」

「……そうか」


 ダリウスも第一王子として生まれてから、次期国王となるべく勉学や交流に励んできた。

 貴族令嬢である彼女なら、貴族夫人としての教養を鍛えられていてもおかしくはない。貴族は平民とは違い、その役割は重くも逃れられないものが多い。


「でも、最近になって、その道から少し逸れたくなりました。……ずっと求めていた、親友に会えたからでしょうか」


 ローズマリーはダリウスの前と自分の前に、お茶の入ったカップを置いた。

 カップに注がれたお茶の色は、十三年前とは別物だ。

 それに安堵しつつも、つい、ローズマリーの言葉に聞き耳を立てる。


「彼女のまっすぐさはわたくしにはないものでした。ああやって自分の意見を素直に伝えたら、わたくしも変われるのではないか、そう思って勇気を出すことにしたのです」


 カップを持ち上げて、ローズマリーが一口お茶を飲む。

 ダリウスはそれを確認してから、カップの持ち手を軽くつまむ。


「勇気を出して正解でした。今回のお茶会が終わったら、わたくしを解放してくれると約束をしてくれましたから。……ですので、殿下。わたくしとの婚約は今回をもって破棄を――」


 ダリウスも一口だけでもいいから飲んだふりをするために口をつけようとしたとき、ローズマリーの顔色が変わった。

 口を押えて、咳き込みだす。

 それからどこかを桃色の瞳でにらんだかと思うと、その体がゆっくりと椅子から落ちていった。


「っ、ローズマリー!」


 遠くで、エドウィンの叫び声が聞こえた気がした。


 カップの割れる音でダリウスが正気に戻ったときには、もうすでにローズマリーは地面に倒れていた。

 

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