第24話 ラベンダー泥棒
「ラベンダー泥棒だって?」
先ほど起こったことをジョセフに話すと、彼は驚いたように目を見開いたあと、悩むように白いひげを触った。
「そういえば、前にもあったね」
「そうなんですか?」
エルザは初耳だった。少なくとも管理人になってから一年の間にはなかったはずだ。
「ああ、管理人さんが来る前だから一昨年のことだったかな」
「一昨年。……そのときは、どうなったのですか?」
「確かそのときも今頃の暑い季節だったんだけどね、ラベンダーが茎ごと折られていたんだ。気づいたときには犯人の姿はなくて、いくら調べてもわからずじまいだったんだよ」
当時の管理人――エルザの前任は、警備兵に報告はしたものの、そのあと特に進展がなく犯人もわからずじまいのまま終わってしまったらしい。
(もしかして一昨年もあの子が? ……でも、どうしてラベンダーを?)
見た目の清潔さと、着ていた服から察するに貴族の子息だと思われた。
そんな少年が、ラベンダーをわざわざ温室から盗もうとするのだろうか。
理由がわからない。本人に聞いたら手っ取り早いかもしれないけれど、見つかったばかりでまた来るとは限らない。
(それに、まだ一昨年もあの子の仕業と決まったわけではないわよね)
温室は王室の財産だ。それに手を出したら、いくら貴族でも処罰は免れないというのに。
少年と会話をした感じだと、彼もそれはわかっている様子だった。
それなのに、なぜリスクを冒してまで、ラベンダーを盗もうとするのか。
(このことは警備兵に連絡をしなければいけないわね)
ジョセフに話してくれたお礼を言うと、エルザは管理人室に戻った。
それから一週間は、穏やかな日が続いた。
もうすっかりラベンダー泥棒の温室を覗くことを忘れそうになっていた日、少年は再び現れた。
その日も少年は温室の入口から中を覗いていた。
温室を覗く横顔はどこか悩んでいるようにも見える。何かを堪えるような眼差しからは、葛藤とそれから決意もうかがえた。
(また、ラベンダー盗もうとしているの?)
前回は未遂だったから、彼を捕まえようにも証拠はない。
でも、もし今回も盗もうとしているのであれば、警備兵に引き渡さなければいけなくなるだろう。
止めなければと足を踏み出したとき、警戒しながら周囲を見渡した少年と目が合った。
彼は目を見開くと、紫色の瞳を口惜しそうに歪めて逃げ出してしまった。
「あ、ちょっと待って!」
エルザはすぐに少年を追いかける。
彼は今回、ラベンダーに手を出していない。
だから捕まえることはできないけれど、エルザは少年と話がしたかったのだ。
少年は思ったよりも足が速かったが、エルザも負けてはいなかった。
普段から温室の管理などで足腰を鍛えているからかもしれない。
温室のある通りを抜けて、中庭の続く花壇や木の間に辿り着く。
(ここは、どこかしら)
確かこっちは宮殿の右側にある森へ続くところだ。
森でも入口付近はまだ整備されているけれど、深くに入ると動物たちの棲家になっている。王宮の敷地内に熊などの危険な動物がいるとは思えないけれど、森の中はなにがあるかわからない。
「ちょっと、この先は危な――」
呼びかけた声は、途中で消えた。
少年が石に躓いてこけてしまったからだ。
追いかけっこも、それで終わりを迎えた。
「大丈夫!?」
少年のもとに駆け寄ると、地面に倒れた少年に手を差し伸べる。
エルザも息が荒くなっていたが、少年はもっと呼吸が辛そうだった。
肩で息をしながら少年がキッと鋭い視線を向けてくる。
「な、なんで追いかけてくるんだよ。今日は、何もしてないだろ」
息をするだけでも精いっぱいという様子で、もう走る力は残っていないようだけれど、鋭い視線はそのままだ。
エルザは息を整えながら、少年のそばにゆっくりとしゃがみ、微笑みかけた。
「あなたと、話がしたかったのよ」
「……なんでだよ。あんたと話すことなんて何もない」
「私はあるのよ。どうしても、あなたのことが知りたいから」
「僕のことが……?」
訝しむ少年に、エルザは言う。
「そうよ。ラベンダーって、いいハーブよね。香りは強いけれど心地よくて、ついのんびりしたくなるもの。……あなたは、どう思っているの?」
「僕は、好きというか……あれは、お母様の香りだから」
「お母様の?」
途端に少年の顔色が暗くなる。
その紫の瞳に、切なさが滲んでいた。
「……お母様は、どうしているの?」
少年はますます唇を引き締めて、何かを堪えるように俯いた。
「もう、会えないから……」
絞り出した声に嗚咽が混じる。
彼の様子を見て、エルザは察してしまった。
(……遠くにいるのかな。それとも、もうこの世に……)
胸の奥がじんわりする。
いきなり黙ったエルザを不審に思った少年が顔を上げて、ギョッとした顔になった。
「どうして泣いているんだよ」
「……あら?」
いつの間にかエルザは泣いていた。
あのパーティー以来、涙もろくなっているのかもしれない。
涙を拭い、よしっと勢いよく立ち上がる。
くよくよ涙を流してばかりもいられない。
ミントティーはないけれど、少し泣いたらすっきりできたらしい。
エルザは腰のポシェットから布製の巾着を取り出すと、少年の前に差し出した。
「これをあなたにあげる。ラベンダーのサシェよ」
「っ、ラベンダーの? ……これ、僕が貰ってもいいの?」
「うん。もう一度あなたに会えたら、渡そうと思ってずっと持っていたの」
おずおずと少年が巾着に手を伸ばす。
そして中の香りを嗅ぐと、嬉しそうに巾着を抱きしめた。
「ありがとう、お姉さん」
「私はエルザよ」
「……僕は、ラヴェン」
「ラヴェンくんね。もう、温室のハーブを盗もうとしたら駄目よ」
「……うん。わかった」
「もしまたラベンダーの香りが恋しくなったら、私のところに来て。温室の管理人をしているから、いつもは管理人室にいるわ」
ラヴェンはエルザの言葉に、うんうんとうなずく。
屈託なく笑う姿を見て、なぜかふとダリウスの顔が思い浮かんだ。
(やっぱり、少し似ているわね。なぜかしら?)




