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第23話 忘れられない香り

(なんで、あんな態度を取ってしまったんだ)


 久しぶりにエルザと会った日の夜、ベッドの上でダリウスは後悔していた。


 エルザから渡されたサシェ。

 濃い香りが鼻腔を満たした瞬間に脳裏に浮かんだのは、自分を殺そうとした女の顔だった。

 なるべく表情に出ないようにしながらも、湧き出る嫌悪感から思わず受け取ったばかりのサシェを押し付けるようにエルザに返してしまった。


 エルザは気にしていないようだったが、いまになって罪悪感が湧き起こってくる。


(同じだったよな)


 もう十三年も経っているというのに、どうして忘れられないのか。

 鼻腔に届いた瞬間に気づいてしまった。

 自分を殺そうとした女からいつも漂っていた、あの香水と同じ香りに。


(ラベンダー。……あれも、ハーブだったんだな)


 ベッドに寝転がり、ダリウスは天井を仰ぐ。

 そこにはいつも見ている無機質な白しかなく、やはり今日も眠れそうになかった。




 早朝。ダリウスは一睡もできずにベッドから起き上がった。

 夜は眠れなかったが、久しぶりにエルザに会ったからか、ここ数日に比べると頭がすっきりしているようにも思える。

 顔を洗って鏡を見ると、そこにはいつものように目の下に濃い隈を残した自分の姿が映っている。


(酷い顔だ)


 誰もがそう思うだろう。こんな顔をしているから、影で「クマ王子」などと呼ばれるのだ。


(……そういえば、エルザさんは何も言ってこなかったな)


 ダリウスの姿を見ても眉ひとつひそめないで、エルザは自然に接してくれた。


(もしかして、内心は……)


 ブンブンと頭を振る。邪推するのは悪い癖だ。

 王子なのに侍従の手を借りずに自分で服を着替えると、ダリウスは部屋を出た。

 すでに外に待機していた侍従が今日のスケジュールを口頭で伝えてくれる。

 それに耳を澄ませていたダリウスは、昼過ぎの予定を聞いて思わず顔を顰めた。


「お茶会だと?」

「はい。定例のお茶会です」

「……そうだったな」


 一週間に一回のお茶会とはいえ、人の淹れたお茶を飲むのは憂鬱だ。

 だけど、これは後継者として大切な務めでもある。


「どうかなさいましたか?」

「いや、続けてくれ」

「かしこまりました」


 侍従はそれ以上踏み込んでくることはなく、スケジュールの確認を続けた。


(……今日はエルザさんに会いに行っている余裕はないな。でも、明日は……)


 お茶会ときくだけでも憂鬱なのに、相手が相手だ。


(……マロリス公爵令嬢。表情が読めなくて、苦手なんだよな)


 ため息を吐きそうになるが、ぼやいてばかりもいられない。

 ダリウスは気を引き締めると、前を向いた。



    ◇◆◇



「今日も日差しが強いわねぇ」


 麦わら帽子の下からエルザは空を見上げる。太陽の光は容赦なく降り注いできて、じんわりと汗も滲んでくる。


 昼過ぎに管理人室から出たエルザは、温室に向かっていた。今日はこのまま訪問者の予定もなくて、退屈していたのだ。

 他の貴族ならそのまま管理人室でのんびりしているかもしれないけれど、エルザはじっとはしていられないタイプだ。

 それに温室の様子を見るのも管理人としての務めでもある。


「……あれ?」


 温室の傍までやってくると、温室を覗くようにしてひとつの黒い影があることに気づいた。

 黒い影に見えたのは、黒髪だからだ。

 ダリウスよりは身長は低く、エルザより少し高めぐらいだろうか。


「どうしたのかしら?」


 怪しく思い、様子を見ていると、黒い影は温室の中にそっと忍び込んだ。

 エルザもその後を追うように、温室の入口から中を覗く。

 温室の入口はいつもは扉が閉まっているけれど、作業の途中みたいで開いていたようだ。


 黒い影は入口付近に育っているラベンダーに近づくと、それに指を伸ばして茎ごと折ろうとしていた。


「ちょっと、なにをしているの!?」


 つい声を上げると、人影がびっくりしたように振り向いた。

 止めようと近づきかけていたエルザはその顔を見て、つい足を止めてしまった。


(ダリウス殿下? ……ううん、似てるけど、違うわ)


 黒髪はダリウスと同じで目鼻立ちもどことなく似ているけれど、瞳の色はまったく違った。ラベンダーのように濃い紫の瞳の少年は、悪戯が見つかった子供のように身を縮ませている。

 幼く見えたが、アカデミーに通っていてもおかしくない年齢にも見える。

 装いから見るに、庭師や使用人ではなく、どこかの貴族の子息のようだ。


「どうして、ラベンダーを盗もうとしたの」


 エルザよりも身長が高いのに少年が幼く見えるのは、身体を隠すように身を縮こませているからだろうか。


「え、えっと……」

「この温室のハーブはね、みんなが大切に世話しているものなのよ。茎を折ったら、生育にも影響がでるわ。それに、温室のハーブは王室の所有のものよ。それを盗んだらいくら貴族といっても刑罰は免れないわ」


 もしかしたら何も知らずに迷い込んできた貴族の子供かもしれない。

 そう思って諭すように口にすると、もごもごと口を動かしていた少年が呟いた。


「……し、知ってる」

「知ってるのに、どうして盗もうとしたの?」

「……どうしても、ほしくて……」

「必要なら、手続きをちゃんとすれば……」

「っ、知ってるよ。でも、許可がもらえないから!」


 それまでしどろもどろ話していた少年が、大きめの声を上げたことにエルザは驚いた。


「邪魔するなよ!」


 少年は叫ぶと、そのままエルザの制止を振り切って温室を走り出て行ってしまった。


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