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閑話 強くなりたい少女たち・前編

 初夏のパーティーから一週間ほど経っていた。

 

(結局、昨日もダリウス殿下はやってこなかったわ)


 もうすっかり夏の気候の中、温室近くの庭園で太陽に向かって咲いているひまわりを横目に管理人室に向かっていたエルザは、早朝から出勤していたジョセフと鉢合わせた。


「おはようございます、ジョセフさん」

「おはよう、管理人さん。……ところで、今日はえらい別嬪さんがお待ちだよ」

「別嬪さん?」


 思い浮かべたのは、ダリことダリウスの姿だ。


(いつもは夕方だけど、今日は早くに来たのかな)


 期待に胸を膨らませて管理人室に向かうと、そこには白い花が咲いていた。

 よく見るとそれは日傘だった。

 日傘を差した令嬢が、こちらを見て優雅に微笑む。


「ご無沙汰しております、エルザさん」

「ローズマリー様!」


 薄桃色の瞳の少女は、暑さをものともしない涼やかな姿で佇んでいる。

 思わぬ客だ。今日の訪問予定にはなかったはずとは思いつつも、早朝とはいえ夏は暑い。ローズマリーを外に立たせたままにするわけにはいかないので、管理人室の中に招き入れた。


「こちらにどうぞ」


 応接スペースにある、机を挟んで向かい合うようにして置かれているソファーのうちのひとつをローズマリーに勧める。


「ありがとう」


 彼女はお礼を言うとソファーに腰を下ろした。


(あれ、そういえば)


 ローズマリーはダリウスの婚約者になったばかりだ。それなのに彼女のそばには護衛や侍女の姿がない。

 一人で出歩いても大丈夫なんだろうかと不思議に思いながらも、エルザはお茶の準備をすると机の上に並べた。それから、ローズマリーの向かいのソファーに腰かける。


「どうぞ。今日は暑いので冷たいお茶をいれてみました」

「ありがとう。いただくわ」


 グラスに入った氷がカランと音を立てる。

 優雅にお茶を飲んだローズマリーのその仕草にエルザが感動していると、彼女はゆっくりと桜色の唇を開いた。


「美味しいお茶をありがとう」

「どういたしまして。ところで、今日はどうしてここにこられたのですか?」

「エルザさんが温室の管理人をしていると耳にしたから、お邪魔させてもらったの。突然の訪問で、迷惑かけてしまったかしら?」

「いいえ。驚きましたけど、ローズマリー様ならいつでも歓迎ですよ。それに、よく……」


 言いかけてハッと口を噤む。思わず、ダリウスがよく管理人室に来ていたことを話すところだった。いくら彼女が婚約者とはいえ、人のプライベートを言いふらすのはやめたほうがいい。


(パーティーから姿を見かけないし、もう来ないのかもしれないわ)


「エルザさん?」


 突然言葉を止めたエルザに、ローズマリーが不思議そうに首を傾げる。


「なんでもないです。ローズマリー様とこうして話すことができて、嬉しいなと思って」

「……わたくしと?」

「はい。ずっと、憧れだったんです!」


 目を輝かせるエルザの姿に、ローズマリーは目を細めた。


「そうなのね、ありがとう。……今日来たのは、どうしてもエルザさんに言っておきたいことがあったからなの。パーティー会場ではきちんと言えなかったものだから。あなたに、改めて謝罪がしたいの」

「謝罪?」


 考えるけれど、ローズマリーに謝られるようなことは何もない。

 ローズマリーは長い睫毛を伏せると、ゆっくりと頭を下げた。


「あなたがビアサル卿に婚約解消をされたのは、わたくしのせいだわ。わたくしがもっとちゃんとビアサル卿に説明していれば、あんなことにはならなかったかもしれない。ずっとそう考えていたの」


 弱々しく伝えられた言葉が、常に堂々としているローズマリーの態度とは結びつかずに、エルザは動揺した。


(ローズマリー様、ずっと悩んでいたんだ)


 完全無欠の秀才で、常に他者を思いやる優しい心を持っている人。

 エルザが憧れた、強い女性。


(……手の届かない人だと思っていたけど、親近感がわくわ)


 ローズマリー・マロリスは、エルザが思っていたよりも完璧ではないのかもしれない。


「ローズマリー様、もういいんですよ。むしろ今回のことで、ビアサル卿が私になんの興味もないことがわかりましたから。結婚する前に知ることができて、よかったぐらいです」


 これは本心からの言葉だった。パーティーの日から、デレクに対する気持ちは本当の意味でなくなっている。

 ローズマリーはエルザの瞳をじっと見てから、ホッとした顔になった。


「ありがとう、エルザさん」


 それからまたお茶を飲み、やっと落ち着いたのか管理人室を見渡した。


「……そういえば、あそこにあるのは何かしら?」


 ローズマリーが興味を示したのは、昨日採取したばかりのハーブだった。


「ハーブですよ」

「ハーブって、お茶のことよね。わたくしもたまに嗜むわ」

「ハーブティーは人気ですものね。でもハーブって有用植物のことを言うのですが、お茶以外にもいろいろな効果があって、薬とかにも使われているんですよ」

「まあ、そうなのね。……そういえば、昔母から言われたことがあるわ。もう随分と昔のことだから詳しくは憶えていないけれど。……たしか、わたくしの名前も植物から名付けられているって」


 ローズマリーの母とは、彼女の実の母である男爵夫人のことだろうか。

 エルザはハーブの話ができるのが嬉しくなり、思わず身を乗り出した。


「そうなんですよ、ローズマリーもハーブのひとつなんです!」

「……あら、そうだったの? わたくしは雑草だと聞いたことがあるわ」

「誰がそんなことを言ったんですか!? ローズマリーはとても強くてたくましいハーブなんですよ!」


 つい食い気味で言うエルザに、ローズマリーが薄桃色の目を丸くする。


「でも、ローズマリーは小さな木みたいな植物よね? 花なんて咲かなくて、なんの役にも立たないと……」

「もう、誰がそんなことを言ったんですか!?」


 つい鼻息が荒くなってしまった。貴族令嬢にあるまじき態度だけれど、ハーブのことになるとエルザは黙ってはいられない。


「いいですか、よく聞いてください。……いえ、説明する前に、一度見てもらったほうがいいと思いますから、いまから外に出ましょう」

「どちらに行くの?」

「温室です。ローズマリーの素晴らしさを教えるためには、直接見てもらったほうがいいと思いますので」

「そ、そう」


 気迫に押されたローズマリーがゆっくりとうなずく。

 エルザの中にあるのは、彼女にローズマリーの素晴らしさを教えるという使命だけだった。


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