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第20話 黄色いハンカチ

(ローズマリー様、素敵な人だったなぁ)


 あの後、舞踏会は無事に再開された。

 会場から出て行ったデレクがどうなったのかはわからないけれど、きっと家に帰ったか事情聴取を受けているのかもしれない。


 楽団員による音楽を聴きながらも、エルザは壁際でぼんやりしていた。

 声を掛けてくる人もいなかったが、それはデレクとの騒動を見ていた人が遠慮した結果なのかもしれない。

 ローズマリーが第一王子と踊っているのを遠目に見ると、エルザは会場を抜けて中庭に続く通路に出た。


 ここから温室まではそれなりに距離があるから、歩いたら深夜すぎになるだろう。今日は着飾っているから泥で汚すわけにはいかないし、何よりもガーデンパーティーからほとんど立ちっぱなしで足も疲れている。


 それでも少しでも緑を感じたくて通路から中庭に出ると、わずかな明かりのある道を進んだ。中庭には適度にベンチが並べられていて、そのうちのひとつに腰を下ろす。

 舞踏会はまだ中盤ほどだ。だから人の姿もない。


「……はあぁ」


 深いため息を吐く。

 デレクに言いたいことは、きちんと伝えることができた。

 それなのに、どうしてだかまだいまひとつすっきりしない思いが残っている。


(なんでだろう)


 そのとき、ふと視界の片隅に黄色い花が映った。


(あれって……)


 瞬間、忘れようとしていた記憶が脳裏を過ぎる。


『これ、エルザにあげる』


 まだ幼いころ、デレクと一緒に遊んでいた時に、庭に咲いていたどこにでもある黄色い花。それを差し出して、デレクは笑っていた。

 もしかしたら彼にとってはなんてことのない出来事だったのかもしれないけれど、エルザにとっては幸せな想い出だった。


(そうか、私……)


 デレクに婚約解消されてから、慣れない仕事に夢中になって忘れたつもりになっていた。でも、忘れようと思っても感情までは欺けない。

 エルザはデレクに対して少なからずの想いがあったのだ。


(だからあんなにも、デレクにイライラしたんだ)


 自分勝手に婚約解消しておきながら、また自分勝手に婚約を求めてくる。

 その身勝手さに怒りと同時に感じたもの――。


「悔しくて、悲しかったんだ……」


 頬を流れていく雫に気づいた。

 いまになってやっと出てきた涙により、自分の気持ちに気づくことができた。


 夜の庭園にいるのはエルザ一人だ。

 だからいまは泣いて、帰ったら好きなハーブティーでも飲んですべてを流そう。


 そのまま時間が過ぎるかと思っていた時、足音がした。

 俯いて顔を隠すと、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「エルザさん」

「……ダリさん?」


 落ち着いた温かみのある声は、ダリのものだった。

 顔を上げようと思って、自分がいま酷い顔をしていることを思い出した。


「エルザさん、これを」


 言葉とともに視界に現れた黄色いハンカチ。


「使ってほしい」

「……ありがとうございます」


 受け取ったハンカチで涙を拭う。その気遣いに知らずの内に心がぽかぽかと温かくなる。


(ダリさんって、本当に優しい人だわ)


 涙はすっかり引いていた。

 握りしめていたハンカチを伸ばそうとした時、ふと刺繍された葉っぱの模様に視線が引き寄せられる。


(これって、やっぱり……)


 数枚の葉っぱが扇状に広がっていて、その先は尖っている。この模様は、ハーヴィニアン王国では特に高貴な血族のみが身につけることを許されているものだった。


 はっと顔を上げる。

 黒髪の隙間から、カレンデュラのようなオレンジ色の瞳が覗いていた。

 こちらに微笑みかける彼のその服装を見て、エルザは自分の予想が間違っていないことを悟る。そもそも、第一王子の側近であるエドウィンと知り合いという時点で疑うべきだったのだ。


「ダリさんは、第一王子殿下だったんですね」

「……さすがに、気づくか」


 彼は困ったように――いや、悲しげに笑っていた。


「騙してすまないな」

「……いえ、驚きはしましたけど!」


 まさか会うたびに、突然寝落ちしては顔面から地面に激突していたこの人が、第一王子だとはさすがのエルザも思わなかった。いま話しかけられていなかったら信じてすらいなかったかもしれない。


(いままで、失礼な態度をとらなかったかしら)


「あらためて自己紹介をしよう。オレは、第一王子のダリウス・ハーヴィニアンだ」

「ミツレイ伯爵家のエルザです」


 慌てて立ちあがって、片足を少し後ろに下げる礼を取る。相手は王族だ。だから礼儀は尽くさなければ、そう思っての行動だったのだけれど、ダリウスの声に促されて顔を上げたときエルザは選択を間違えてしまったのではないかと思った。

 ダリウスが、こびりついた隈のある瞳を悲しげに細めていたからだ。


「オレは、そろそろ会場に戻る」

「はい。ハンカチは洗ってお返ししますね」

「……ああ。いつでもいい」


 じっとカレンデュラのような瞳がエルザのことを見つめていたが、すぐに逸らされる。


「今日が良い日になることを、祈っていたのだがな」


 彼が話しているのはデレクのことだろうか。

 それとも、自分の正体がバレてしまったこと?


 どこか悲し気な顔のまま向けられた背中に、エルザはどうしようもない焦燥感に駆られた。

 いま何か言わなければ、彼とはもう二度と会えないような、そんな焦り。


「ダリさん……いえ、殿下!」


 歩み出していたダリウスの足が止まる。


「また、温室に来てくださいね。眠れない日があれば!」

「……ああ、そうだな」

「絶対ですよ!」

「……君は、オレが王子でも気にしないのか?」


 一瞬迷うが、すぐに口を開く。


「はい! 殿下は、ダリさんですから! 眠れない日があれば、いつでもきてくださいね!」

「……ありがとう」


 ダリウスの背中が遠ざかっていく。

 彼の背中が見えなくなると、エルザはベンチに腰を下ろした。


 今日は、久しぶりにパーティーに顔を出して、いろいろなことがあった。


(帰ったら、ミントティーを飲もう)


 もう悲しかった気持ちはすべて涙とともに流すことができた。

 だから帰ってミントティーを飲めば、本当の意味ですっきりできる気がした。


第二章はここまでです。

二話ほど閑話が続きます。

お楽しみに。

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