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第19話 凛とした返答

「エルザはそんなに僕のことが好きだったんだね。ただの幼馴染みだって思っていると思っていたからさ、知らなかったよ。それなのに婚約解消してごめんね!」


 そう言って頭を下げるデレクに、エルザは怒りを通り越して呆れてくる。


(この男は、どれだけ自分が都合のいいように解釈すれば気が済むの?)


 さっぱり思考回路が理解できない。

 そんなデレクが笑顔を向けてくる。


「でも、そんなに僕のことが好きならさ、また婚約してくれるよね? 謝ったし、もう過去のことは水に流そう」

「何を言っているの? 私は、あなたと婚約するつもりはないわ。さっきからそう言っているのに」

「エルザって、意外と強情なんだね。僕がお願いしているのに、どうして受け入れてくれないの?」


 デレクが眉を顰める。それは不機嫌そうというよりも、悲しそうな笑みだった。

 周囲から、「あの女、デレク様に」とか不穏な言葉が聞こえてきて、いつの間にかエルザたちの周りに人が集まっていることに気づいた。


(目立ってしまっているわね)


 どこか切なそうな顔をしているデレクは、その美貌が相まって周囲の同情を誘っているようだった。

 エルザに非難の視線が集中しているのがわかる。


「……はあ、僕って罪な男だよね」


 ぼそりとデレクがつぶやいた。


「エルザもそうだけど、みんな僕に夢中になるんだ。あのローズマリー様だって、本当は僕のことを想っているのに、いやいや第一王子の婚約者になったんだよ」


「……え?」


 デレクはどうやらすっかり自分の世界に入ってしまっているようだ。とんでもないことを口にしている。


「ローズマリー様にはちゃんと気持ちを伝えられていないけどさ、事業を手伝ってほしいって言われたときに気づいたんだ。きっと僕に好意を抱いているんだって。アカデミーではほとんど同じクラスだったからね。でも僕には婚約者がいたから遠慮して、事業のパートナーとして選んでくれたんだよ」


 エルザの怒りはすっかり引いていた。

 周囲を見渡すと、さっきまでデレクに同情的だった人たちの顔色が悪い。ボソボソと会話をしながら、デレクに動揺した視線を向けている。


「ローズマリー様がそう言っていたの?」

「違うよ。ローズマリー様からは何も言われてない。でもわかるからさ。そうじゃなきゃ僕を事業のパートナーに選ぶわけないし。あの時はチャンスだと思ってエルザと婚約解消したけど、ローズマリー様も政略的に王族の婚約者になったからもう僕への想いも隠すことしかできないと思うんだ」


 怒りだけではなく血の気も引く思いだった。


(よりによってこの場所で、そんなことを言うなんて)


 エルザが人前で怒ったことも恥ずべきことだと思ったけれど、デレクの言葉はそれ以上だった。

 周囲の様子に気づく気配もなく、彼はまだ夢を語っている。


「第一王子殿下とはちゃんと顔を合わせたことはないけどさ、エルザだって噂は知っているだろ。醜い王子に嫁ぐぐらいなら、ローズマリー様も本当は僕のほうがいいと思っているんじゃないかな」


 周囲が一瞬で静まり返った。先ほどまでボソボソ会話をしていた人たちも口を噤んでいる。

 静寂のなか足音が響いてきて、エルザのそばで止まる。

 音の主を見て、エルザは息を忘れるところだった。


「だから僕もローズマリー様への気持ちは諦めることにしたんだ。エルザ、僕のことが好きならさ、もう一度婚約してくれても」

「ビアサル卿」


 周囲の変化に気づくことなく話し続けていたデレクの言葉に、被せるようにして凛とした女性の声が響いた。

 自分の世界に浸っていたデレクが顔を上げて、その顔面が凍りつく。

 でもすぐにその顔は笑みで染まった。


「お久しぶりです、ローズマリー様」

「わたくしは、あなたに名前を呼ぶ許可を出した覚えはありませんが」

「あ、そうだった。ここは公の場だからね……マロリス公女様」

「……そういう意味ではありませんが、まあ、いいでしょう。ご無沙汰しております、ビアサル卿」


 こうして近くでローズマリーの姿を見るのは初めてのことだった。

 人前でも物怖じすることなく堂々と立っている姿は、凛として真っ直ぐ咲く彼女の名前と同じハーブを連想する。


(やっぱり、きれい)


 じっと見ていたからか、ローズマリーの薄桃色の瞳と視線が合った。


「……ごめんなさいね」


 エルザにだけ聞こえる小声で、そんなことを言われる。

 ローズマリーはもうすでに前を見ていて、デレクに微笑みかけていた。


「通りがかったらわたくしの名前が聞こえてきたのですが……。すこし、信じられないことが聞こえてきたので確認のために来ました。二人の話し合いの邪魔をして失礼かと思いますが、いくつか質問してもよろしいですか?」

「もちろんです」

「それでは――。ビアサル卿、わたくしがあなたに事業の手伝いを申し出たのは、わたくしがあなたに好意を抱いているからと思っているのですか?」

「っ、はい、もちろんです!」


 笑顔で答えるデレクとは裏腹に、周囲の温度はどんどん下がっていく。

 ローズマリーは笑顔を浮かべているものの、その目は笑っていなかった。


「……そうでしたか。わたくしの行動の何があなたに誤解を与えてしまったのかはわかりませんが、ひとまず謝罪します。ビアサル卿。わたくしはあなたに好意を抱いたことはありません」

「え、でもそれでは、なんのために僕を事業のパートナーに?」

「これを素直に答えていいものか悩むところですが、隠すことではありませんね。アカデミー時代から卒業したら起こしたいと思っていた事業がありました。あなたが、そのモデル(・・・)に相応しいと思ったから、声をかけたのです」

「モデル?」

「はい。新しい紳士服のブランドを立ち上げるにしても、誰が着るのかが重要ですから。ビアサル卿は身長が高く、見目が麗しい方です」


 褒められたデレクが顔を赤くしている。

 反対に周囲の空気は冷えるだけだった。


「あなたがわたくしのブランドの服を着てくれれば、大きな宣伝になるのではないかと。だからわたくしはあなたに誘いを掛けました」

「でも、パーティーではよくパートナーに選んでくれましたよね?」

「ええ。事業の宣伝のためですわ。それ以外の意味はありません。おそらく他の方々もそう思っていたでしょう」

「……で、ですが……っ! ほ、本当にそれ以外に理由なんてないと? 僕のことを、好きだとか……」

「ありませんわ」


 ローズマリーの凛とした声が響く。

 デレクの顔がさっきとは別の意味で赤くなっていく。

 羞恥心から赤くなったデレクは助けを求めるように周囲を見渡して、エルザを見た。


「え、エルザ」


 デレクが近づいてきて、エルザは一歩下がる。


「エルザは、僕のこと、好きだよね?」


 確認するような言葉に、エルザはローズマリーのようにまっすぐ向かい合うと、首を振った。


「もう好きじゃないわ。あなたみたいに自分勝手な人なんて、いまさら願い下げよ」

「じゃ、じゃあ、もう僕とは婚約してくれないの?」

「さっきからそう言っているのよ。もうあなたと婚約することなんてありえないわ」


 ローズマリーを真似るような、凛とした返答。

 さすがに今回はデレクにも通じたようだ。


 デレクは肩を落とすと、なぜかポロポロと泣きだした。見目がいいからか、その泣き姿さえ絵になっているが、周囲の視線は変わらなかった。


「僕は、僕が恥ずかしいよ……」


 まるで悲劇の中心にいるようなデレクの言葉に、流される人はいない。


「ビアサル卿。わたくしの説明不足であなたに誤解を与えたことは謝罪します。ですが、先ほどのあなたの発言には正式に抗議をさせていただきますので、そのつもりでお願いしますね。あなたはあろうことか、公衆の面前で第一王子殿下を侮辱されたのですから」


 冷たく告げられる、ローズマリーの言葉。

 周囲を見渡したデレクの顔が青ざめる。やっと自分のしでかしたことに気づいたのだ。


(……これで、終わりね)


 やっと――やっと、デレクに対する憤りが消えたような気分だった。

 それなのになぜかエルザは、気が晴れない思いでいっぱいだった。


 俯いたデレクが一人で会場から出ていくのを眺めていると、ローズマリーが近づいてきた。


「わたくしのせいで、ごめんなさいね」

「いえ、ローズマリー様が……あ、すみません。公女様が悪いわけではありませんので」

「わたくしのことは、ローズマリーで良いわ。それよりも、あなたの名前を教えてくださる?」

「ミツレイ伯爵家のエルザです」

「エルザさんとお呼びしてもよろしいかしら?」

「もちろんです!」

「ありがとう、エルザさん。また、お会いしましょうね」


 アカデミーでも社交界でもほとんど接点のなかった、憧れの人。

 ローズマリーの言葉に、エルザは勢いよく頷いた。


「私こそ、また話せると嬉しいです!」


 ローズマリーはうっとりとするほど綺麗に笑っていた。


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