第15話 憧れの人
パーティーが始まって三十分ぐらいが経とうとしていたころ、会場の入口がにわかに騒がしいことにエルザは気づいた。
一人で庭園を歩いていたからか気付くのに遅れたが、騒ぎは主に女性たちの歓声のようだった。
中心にいたのは、薄桃色の髪の美しい令嬢。彼女は髪と同じ薄桃色の瞳でみんなの視線を受け止めて、一人一人丁寧に対応している。その堂々たる姿は、エルザとは大違いだった。
(……やっぱり、ローズマリー様は美しい人ね)
マロリス公爵家の養女であるローズマリーは、エルザの憧れの人もでもある。
彼女は元々はマロリス公爵家の傍系である男爵家の娘だったのだが、マロリス公爵家には後継者の息子が一人いるだけで娘がいなかった。それにより、政略的にローズマリーはマロリス公爵家の養女になったのだ。
高位貴族ではよくあることだ。特にエルザの二つ上の年には第一王子がいることもあり、婚約者や従者などの座を狙って、多くの貴族家がそうした縁組をしている。
ローズマリーは元男爵令嬢だけれど、いまは立派な公爵家の養女だ。彼女を軽んじることは、すなわち公爵家を侮辱することにもあたるので誰も彼女の出自に関して口にすることはない。
それにローズマリーは、その才覚もあり、いまでは立派な社交界の中心人物だった。アカデミーでも常に学年トップの成績を誇っていて、誰に対しても分け隔てなく接することから令息だけではなく令嬢からも評判が高い。
常に微笑みを絶やさずに、誰とでも面と向かって会話をすることができるその堂々とした佇まいに、エルザは心の底から憧れたのだ。
だからデレクがローズマリーの事業のパートナーになったことを知った時は、自分のことのように喜んだ。その後、婚約解消されてしまったけれど。
(子供っぽい私と違って、ローズマリー様は大人だものね)
青色のタイトなドレスを優雅に着こなしているローズマリーの姿を見て、エルザは感嘆を漏らした。
ローズマリーはそこに立っているだけでも、誰もが見惚れる美しさを持っている。
(デレクの姿は……ないみたいね)
つい探してしまったあの忌々しい緑がないことに、エルザはほっとした。そんな自分に気づき、困惑する。
(……もういいわ。別のところに行きましょう)
その時、ふと薄桃色の視線と目が合ったような気がしたが、きっと気のせいだろう。
エルザはそっとその場を離れると、花々を眺めることにした。
ガーデンパーティーも終わりの時間が近づいてきていた。
エルザは顔見知り数人と会話したが、ほとんどは花を眺めてばかりいた。
あの後、ローズマリーの視界に入らないように動き回ったからかデレクと会うこともなく、難癖つけてきた二人ともすれ違うことすらなかった。
ただ咲き誇る花々を見るだけでも心が踊って、すっかりデレクのことは忘れてしまったころ。
つい夢中になっていたエルザは、いつの間にかあまり人気のない奥まったところにいた。ここから数十分歩けば温室まで行ける距離だ。
(戻らないと。舞踏会に間に合わないわ)
この後、王宮のグランドホールで舞踏会が開かれる。
開場時間は決まっているから、それに合わせないと面倒なことになる。
少し足早に道を引き返そうとしたとき、ふとどこからかくぐもったような声が聞こえてきた。
「……しっかり……お願いしますね」
「……はい」
同時に足音も近づいてくる。
エルザは、咄嗟に木の影に隠れた。こういう時は自分の小柄な体系に感謝できる。
(って、なんで隠れているのかしら。これじゃあ、まるで私が悪いことをしているみたいだわ)
だからと言って、いまさら出ていくのも変だ。
とりあえずその場でじっと足音が通り過ぎていくのを待ってからそっと顔を出すと、二人の人物の後ろ姿が目に入った。
(あのドレスって、ローズマリー様の)
薄桃色の髪からしても、片方はローズマリーのようだった。
そしてもう一人は、後ろ姿だけだとよくわからないけれど、会場で見かけたドレスの女性で――。
(あ、レミンティーノ大公夫人だわ)
初夏の催しである、ガーデンパーティーの主催を務めている人だ。
ガーデンパーティーは代々王族の女性が主催することになっているけれど、現在王国には王妃も王女も不在だ。
現国王の正妃は第一王子を産んですぐに儚くなってしまっていて、その後に召し上げられた第二王妃は十三年前の事故に巻き込まれてお亡くなりになっている。
だから現国王の王弟であるレミンティーノ大公のその夫人が、ガーデンパーティーの主催者をしているのだった。
(ローズマリー様とも親しかったのね)
ローズマリーは公爵令嬢だ。大公夫人と面識があってもおかしくはない。
(そんなことよりも早く戻りましょう)
エルザはほどなくして会場に戻った。
そして陽が沈み始めてから、豪華絢爛な灯りがともされたグランドホールで、舞踏会が始まった。