第11話 時間を奪っているような
(さすがに一日では終わらなかったわね)
他の作業を終えた庭師たち数人を加えて、ミントの根を抜く作業をしていたのだが、さすがに量が多すぎて今日中には終わりそうもなかった。
「続きは明日にしようか」
「そうですね」
ジョセフの言葉で、今日はお開きになった。
ロニーはまだやりたそうにしていたけれど、休息も大切なことだ。
すっかり夏を迎える準備のできている空は、夕方になってもまだ明るい。
それでもこれ以上長引くと、明日の仕事にも差し支えるだろう。
「それじゃあ、わしたちは先に帰るよ。管理人さんも、今日は疲れが出るだろうから早く帰って休むんだよ」
「はい。ありがとうございます、ジョセフさん」
ロニーを連れたジョセフと他の庭師たちと挨拶を交わすと、エルザは管理人室に戻った。
明日の訪問予定の客人の確認をしていると、管理人室の扉がノックされた。
扉を開けると、外に立っていたのはカレンデュラのような鮮やかなオレンジ色の瞳の青年――ダリだった。
「今日もいらっしゃい。お休みされますか?」
「……ああ」
エルザの姿を見ると安堵とともにダリは欠伸を漏らした。おぼつかない足取りで室内に入ってくると、そのままソファーに倒れ込む。
最初の頃に比べると、彼はエルザに会った瞬間に寝落ちることは無くなり、自力で寝る場所を探すようになっていた。
少しして聞こえてきた寝息に、エルザはふふっと笑みを浮かべる。
(今日も良く寝ているわ)
エルザと会うとよく眠れると言っていたダリは、名前を名乗ってから毎日のように夕方のこの時間に管理人室にやってきた。
そして一、二時間ほど眠ると、エルザとすこし会話を交わしてから帰って行くのだった。
(仕事終わりにここに来てるって言っていたけれど、どんな仕事をしているのかしら?)
毎日のように管理人室にやってくると言うことは、少なくとも宮殿に勤めているのだろう。外部からわざわざやってきているとは思えない。
(まあ、大丈夫よね。温室のハーブを求めにやってくる人は、きちんと身元が明らかな人だから)
秘密の情報もあるため、すべての訪問客の素性までは知らされていない。
エルザの仕事は、訪問予定の客人に時間通り、求められた品を渡すのが第一だ。
庭師や温室の管理も仕事の内だけれど、一番は貴族の対応だった。
もし顔見知りから突然ハーブを譲ってくれと言われても、訪問予定のない相手にハーブを渡すことはできない。
もし不審者などが現れても、管理人室には警備兵をすぐ呼ぶことのできる装置があるので、この室内にいる限りは安全だった。
あれからダリが訪問する時は、「ダリ」という名前のみが訪問予定欄に書かれている。彼が求めているのはカモミールだというが、もしかしたらここで寝るのが一番の目的なのかもしれないと、エルザはなんとなく思った。
(ダリさんが何をしている人なのかはわからないけれど、素性を探るのは失礼だし、契約に反するわ)
温室の管理人になるにあたって、王室と契約を交わしている。
その中に、「客の素性を探ってはならない」というようなことも書いてあった。
だからこれ以上、彼のことを考えるのはやめた方がいいだろう。
それに、何事も踏み込みすぎるのはよくない気がした。
一時間後、ダリが静かに目を覚ました。
彼はオレンジ色の瞳をパチパチ瞬かせると、小さく欠伸をしてからエルザに顔を向けてくる。
「すまない。今日も迷惑をかけたな」
「もう、そんなことばかり言わないでください。ダリさんは睡眠が足りてないんですから、少しでも眠れる時に寝たほうがいいですよ」
「……いや、君の時間を奪っているような気がしてな」
ダリは困ったようにほほ笑むが、エルザの言葉は本心だった。
ここ一カ月ほど、ダリと会話をしていて気づいたことがある。
彼はどこからどう見ても高貴な見た目をしている。おそらく名のある高位の貴族だろう。
そのはずなのに、彼は容易く謝罪を口にするのだった。それも、どこか自信なさげに。
(貴族では珍しいことだわ)
多くの貴族は容易く謝罪を口にしない。特に名のある貴族の場合はそれが顕著に表れる。それは高慢というよりかは、謝罪ばかり口にしていると、足元を見られる危険性があるからだった。
ミツレイ家も数多くある伯爵家のひとつで、父は王宮に勤めている文官の一人だ。
そこまで位が高いわけではないけれど、貴族としての誇りも持っている。
おそらく、ダリはそんなミツレイ家がかすむほどの高位の貴族にみえた。
それなのに自分よりもはるかに位が高い年下の令嬢に対して、簡単に謝罪を口にするのはいかがなものかと、エルザは思った。それに、彼は悪いことをしているわけではない。
「私は自分の時間を奪われていると感じたことはありませんよ」
本心からの言葉を口にする。ダリと一緒にいる時間は嫌ではなかった。
彼がぐっすり眠っていると、なぜかこちらも安心した気持ちになれるのだ。
「そうなのか?」
「はい。だからこれからも来てくださいね」
「ああ。……と言いたいところなのだが、実はしばらく来られなくなるんだ」
「どうしてですか?」
残念そうに項垂れるダリの姿を見て、彼と会えなくなることにエルザは寂しさを感じた。
「しばらく初夏のパーティーの準備で忙しくなりそうなんだ」
初夏のパーティー!
ダリの言葉を聞いた瞬間、今朝ミツレイ家に届いた最悪な手紙を思い出した。
「そうだ、返事をしないと!」
「返事? 突然、どうしたんだ?」
「聞いてくださいよ、ダリさん。元婚約者から手紙が届いたんですけど、その内容がっ!」
つい一気にまくしたてるように話してしまっていた。
ダリは目を白黒させながらも、エルザの話を最後まで聞いてくれた。
「君の元婚約者は、最低な男なのだな」
「そうだったみたいですねー。パートナーは当然断りますが、いまのところ一緒に舞踏会に参加できる人がいないんですよねぇ。代わりの相手がいないと、また誘われそうで……」
「……代わりの相手か」
ダリは少し悩むようにしていたが、すぐに顔を上げた。
「オレはその日はどうしても都合がつかないが……。知り合いに当てがないか聞いてみよう」
「あ、いや、いざとなったら父に頼もうかと思っていますので」
つい勢い込んで話してしまったけれど、失礼なことを言ってしまったのではないだろうか。
心配になったエルザだったが、ダリは気を悪くした素ぶりもなく微笑んだ。
「そうか。だが、もし何かあればいつでも相談してほしい」
「ありがとうございます。ダリさんも、ここに来られない間も、少しでもいいから睡眠をとるようにしてくださいね」
「ああ。……君のことを思い出すと、眠れるような気がするからな」




