表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

裏切りの地に咲く花

その夜、森の外れにある洞窟で、俺たちは焚き火を囲んでいた。


「名前は?」


「は?」


「お前の名前だ。さっきは聞く余裕もなかった」


「……ツルギ。偽名みたいなもんだ」


「……ツルギ、か。名乗ってくれただけで十分だ」


そう言って、女騎士は笑った。焚き火の赤い光が、彼女の横顔を照らしていた。あれだけ深手を負ったのに、応急処置の後、文句一つ言わずに俺の肩を借りながらここまで来た。


「私はリィナ。ヴェルゼ地方南部の警備隊所属の騎士だ」


「……ヴェルゼって、どこ?」


「お前、本当にここの人間じゃないのか?」


俺は笑ってごまかした。

リィナは怪しむ様子もなく、軽く頷く。


「まあ、いい。お前には命を助けられた。借りは返す。今日から二日間、お前を保護する」


「保護って……なんで?」


「その手に握ってる剣、私の見立てでは“未鍛成”の鋳潰し物だ。素人に渡ってる理由があるなら、それなりに危険な目にも遭ってるってことだろ」


そう言って、リィナは短剣を指差した。


俺は無意識に柄を握る。まるでそれを握っている間だけ、俺がこの世界で“生きている”ような錯覚がある。けれどその手の甲には、相変わらず《逆信》の刻印が、じくじくとした熱を持って灯っている。


「……信じてるのか、俺のこと」


「……あ?」


「いや。俺が裏切るような人間だったら、どうする」


「そうだな」


リィナは少し考えたあと、また笑った。


「そん時は、斬る」


「……」


「でも、そうでないなら。一度、命を救ってくれたお前を、私は信じたいと思うよ」


胸がズキリと痛んだ。

それは肩の傷でも、空腹でもない。言葉の奥にあるまっすぐな善意が、心のどこかを抉った。


(裏切れば、強くなる。わかってる。そうすればこの腐った世界でも生き残れる)


だが――。


翌朝、俺は目を覚ますと、焚き火のそばに新しい包帯と水袋が置かれていた。リィナの姿は見えない。


辺りを見渡すと、洞窟の奥から金属音が聞こえてくる。

俺が近づくと、リィナは一人で剣を振っていた。まだ腕は治っていないはずなのに。


「……無茶するなよ」


「体を動かしてないと、傷が疼くんだよ。気が滅入る」


「……」


彼女の剣筋は荒れていた。まだ全快には程遠い。

けれど、その目には迷いがなかった。あの時、俺をかばってまで戦ったのは偶然でも気まぐれでもない。


「お前、何で騎士になったんだ?」


「故郷の村が魔族に焼かれた。家族も皆殺しだ。誰も守ってくれなかった。……なら、自分がそうなるしかない」


あっさりとした声だった。だが、そこに乗っているものの重さは、想像もできない。


俺は言葉を失った。

そんな奴を――俺は、裏切ろうとしてる。


(でも……)


右手の刻印が熱を帯びる。

《逆信》。裏切ることで、力になる。相手の“信頼”が深ければ深いほど、その“反動”は大きく、力も膨大になる。


――リィナを裏切れば、きっと俺はこの世界で無敵に近い力を手に入れるだろう。


だからこそ、俺は彼女と行動を共にし始めた。


三日間。森の外れにある集落を目指して、リィナと俺は進んだ。

道中、傷を抱えながらも魔物を倒し、時には雨風をしのいで狭い洞に身を寄せ合った。

焚き火を囲み、笑い合い、時には過去の話をした。

彼女は多くを語らなかったが、俺が質問すれば、どこか恥ずかしそうにぽつぽつと答えた。


(――信じてる)


その目を、声を、俺は何度も見た。聞いた。


(裏切れば……終わる)


それでも、俺は夜中、そっとリィナの荷物に手を伸ばす。

集落に近づいた今――裏切るなら、今しかない。


信頼を最大にしてから裏切れば、それだけ《逆信》の力は膨らむ。


指先が、短剣の柄を握った。


その時だった。


「……ツルギ」


闇の中から、小さく俺の名が呼ばれた。

リィナだ。寝ているはずの彼女が、目を覚ましていた。


「なに、してる」


その声には、怒りも、悲しみも、何もなかった。ただ、静かだった。


「俺は……」


言葉が出なかった。

何か言えば、全てが崩れる気がした。


「……戻って、寝ろ」


リィナはそれだけ言って、また目を閉じた。


(……まだ、間に合う)


そう思った。でも、その瞬間――


《逆信》が、光った。


俺の右手が、灼けるような熱を放ち、脳裏に力が流れ込む。


彼女の“信頼”が、“裏切り”へと変換される瞬間――

俺は、取り返しのつかない一線を、越えてしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ