うつくしいあざ
花型のあざが、あるばっかりに。少女は教会で『聖女』だった。『神の子』だった。『巫女』だった。何でも良い、少女にとってはどれも同じ。とにかく特別扱いだったのだ。
少女は孤児だった。生まれついて大きな花型のあざが、幼い右ほおに赤くあかく浮いていた。ごみをあさっては腐りきっていない生ごみに食いついて、時おりひどく腹を壊し、それでも裏通りのごみ溜めの片隅で、何とか日々を生きていた。
十歳くらいの時に、人さらいに遭った。白いマットです巻きにされて、声も出せずに汗だくで運ばれてきた先が、怪しげな宗教の教会だったという訳だ。
それからはもう、素晴らしき囚人の暮らしだった。食べるものにも飲むものにも困らない、美しい絹の服を着せられ、生まれついての銀髪は長く伸ばされくしけずられ、無理やりに読み書きを習わされ、訳の分からない『聖書』を読まされ、教会からは一歩も出してもらえなかった。
それもこれも、ほおの花型のあざのせいだ。生まれながらにたまたま生じた『花型のあざ』は、怪しげなその宗教の聖書によれば『神の子の再臨』なのだそうだ。少女はそんな、扱いの良い囚人の暮らしにうんざりだった。どうにかして脱け出したかった。けれど四肢を見えない鎖に縛られたかのごとく、監視の目は行き届いていて、教会の窓を開けて身を乗り出すことすらかなわなかった。
……そんなある日、教会にひとりの天使が運ばれてきた。幼い天使の少年は、少し考える能力の足りない子どものようだった。
彼の話によれば、彼はまだ生まれたばかりで、雲のすきまから足を踏み外して地上に落ちてしまったらしい。そうしてたちの悪い人間たちに捕まり、愛玩奴隷として売り飛ばされそうになっていたのを、たまたま現場に遭遇した教会の信徒が奪って連れてきたらしい。
「しょうがない、教会でめんどうをみてやるか。いちおう天使のようだからな」
そんな感覚で教会の人々は、幼い天使に接していた。あざの少女はそれこそペットでも扱うように、天使の少年をなでたりしてあり余るひまを潰していた。やがて少女は、天使の少年に淡いあわい恋心をいだくようになっていた。
……訳の分からない『聖女』『神の子』としてではなく、ただふつうの少女として、自分に接してくれる少年天使に、淡い甘い恋心を。
そんなある日、教会の人々は明日開かれる祝祭の準備に忙しく、奇跡のように監視の目が薄れたある日……天使の少年が青い大きな目をぱちくりし、こう少女に訊いたのだ。
「ねえ、お姉さん。もしかしてお姉さん、そのあざ嫌い?」
「…………嫌いよ。この生まれつきのあざのせいで、わたしはどんなにきゅうくつな想い……」
「ふーん、そう? じゃあ取ってあげるね!」
あっという間もなかった。天使はすっと幼い右手をさし伸ばし……触れられた右ほおに、あたたかくくすぐったい感覚がして……それだけだった。少年は手もとに転がっていた小さな手鏡をさし出して、のぞいた自分のその顔には、あざなど少しも映っていない。
はかったように次の瞬間、部屋の扉が大きく開いた。教会の『おつきの人』の腕から、明日の祝祭に少女に着せる予定だった、美しいドレスがすべり落ちた。
「――あざが! あざがない、あの素晴らしく咲いた花型のあざ!!」
「お前か、お前のしわざか天使!! 聖性のあざをどこにやった!!」
「うん? 消しちゃった、すうって。だってお姉さんが、あのあざ嫌いって言ったんだもん」
怒り狂った人間たちは、天使の背中の白い羽根をめちゃくちゃに根元からむしり取り、あざをなくした少女もろとも教会から追い出した。
……呆然とした表情の少女に、天使の少年はちょっとばかり困った様子で問いかける。
「あのぅ……ぼくなんか間違っちゃった? お姉さん、ずっとあの教会にいたかった?」
「……ううん、ううん……でもあなた、羽根をすっかりもがれちゃって……」
「うん? 大丈夫だよ、そんなもん! 背中の痛みはもう消えたし、ほら、このとおり! ぼくには歩く足があるもん!」
そう言ってへたくそなスキップをする少年に、少女の赤い瞳からぽろぽろと熱いものがあふれる。少女は泣きながら笑いながら、思いきり少年を抱きしめた。
「……お姉さん……?」
「ありがとう、ほんとにありがとう……! これでわたしはほんとに自由よ、あの忌まわしいあざもない……自由に生きて、いけるのよ……!!」
「――そう? そんじゃあ良かった! ぼくもね、羽根がなくなったから人間みたいになったんだ! 人間みたいに歳も取る、いずれは死んで土に還る! だから、ねえ、お姉さん……人間みたいになったぼくは、いつまでも一緒にいても良い?」
返事の代わりに、少女は元天使の少年を、思いきり思いきり抱きしめた。
* * *
「それからふたりは、その宗教を良く思わない人々に保護され、ふたりで古い空き家を借り受け、道に咲く小花や野花を摘んでは売って、ふたりで貧しく、でも幸せに暮らしたと……そんなありふれたお話ですわ……」
目の前の老婦人はそう語り終え、ふっと赤い目で微笑んだ。吟遊詩人の青年は、メモを取っていた手帳を閉じた。「何とも、素晴らしいお話を……」と言って深々とおじぎする。
「素晴らしいなんて、あなたそんなお上手を! しわだらけのじいちゃんばあちゃんのただの想い出話ですわ!」
「そうだよ、吟遊詩人さん! ほらほら、お話は終わったろう? お茶の時間だ、少しおなかがすいたろう? 元天使のじいちゃんが手作りした、かりかりに焼いたベーコンをのっけたパンケーキだよ! メープルシロップをたっぷりかけて召し上がれ!」
「やあ、これはどうも! 素敵なお話をうかがった上に、おやつまでごちそうしていただいて……!」
『いやいや、しょうもない昔話ですよ!』
老人と老婦人が声を合わしてそう言って、顔を見合わしてけらけら笑う。微笑ましく思いながら、吟遊詩人はパンケーキにかぶりつく。甘くてしょっぱい、何とも深い美味しさが口の中にじんわり満ちる。
(聞かでものことを)と思いつつ、青年はふっと食べる手を止めてこう訊いた。
「あのう……あなたがたは、この家にずっとおふたりで?」
「そりゃそうさ、旅人さん! 羽根をなくしても元天使と人間とじゃあ、子どもなんかは出来ないからね!」
「――すみません、とんだ失礼を……!!」
「だからね、わたしたちいつも話しているんですよ。今度ふたりして生まれ変わったら、天使でも人間でも良い、おんなじ種族に生まれようって……」
なんの気負いもなく当たり前にそう言って、老婦人はそこだけふっと日の照るように微笑んだ。しわだらけの右ほおにふわっと花の咲くような、そんな美しい笑顔だった。
吟遊詩人は深くふかくうなずいて、またパンケーキにかぶりついた。美味しいものは旅の道々いろいろ食べるが、この『ありふれたパンケーキ』は一生のあいだ忘れられない味になる……想いで胸をいっぱいにして。
(完)