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目を覚ましたら、見知らぬ場所にいました。
出来の悪い和訳の様な、そんな感想がついつい頭をよぎってしまう。だって、ほら。想像してみて欲しい。目を開けてみたら、全く見覚えのない灰色一色の部屋。
寝かされているのも、ちょっと動くたびに音が鳴るようなやたらと硬いベッド。他に目に張る物は特にない。
どうだろう。そんな部屋で突然目を覚ましたとして、もう、それは慌てて跳び起きるか、こうしてぼんやりとくだらないことを考えるか、その二択だと思う。
「夢ならそのうち冷めるだろうけど。」
さて、是非夢であってほしいものだけど。
そんな事を考えながら、すっかり目が覚めてしまったからと、体を起こす。
で、結局ここは何処で、なんでこんなところにと、改めてそんな事を考える。
あたりは、打ちっぱなしのコンクリート。ときどき見る廃ビルの画像だったり、肝試しの会場だったり。ちょうどそんな建物の中、その一室。そこにポンと置かれたベッドの上に僕はいるんだけど。
「あれ。」
さて、困った。本当に。考えが全く纏まらず、急に汗が背中を伝い、やけに寒く感じるほどに。
覚えてない。いつ寝たのか。ここに来る直前、自分が何をしていたのか。
それがとにかく何一つ思い出せない。
「え、なんで。」
ただただ思考がグダグダとから回る。だって、これは、ほらおかしい。さっき出来の悪い和訳、そんな事を思った。でも僕はそれをどこで。
習った記憶はある、学校という名称も覚えている。でも、その名前は。具体的にいつ。
教科書を見たのは覚えている。でもその教科書、それ自体は何一つ思い出せない。
「なんだ、これ。」
気が付けばガチガチとか、そんな音が聞こえている。そして、その聞き覚えのない音がただただ怖くなって周りを見渡してみるけれど。そこに何かがあるわけなんて、当然ない。
音は僕の口からなっているのだから。
寒さを感じていたのは確かだけれど、ここまでの物でもない。それでも何もかもが分からない。それが今こうして僕の体を震わせて。歯が打ち鳴らす音が何もない部屋にただ響いている。
うるさい音はそれが原因だ。気が付けば、それを抑えようと自分の体を抱え込んで、どれくらいの時間がたったのだろう。
「僕は、僕の名前は。」
今度は先ほど思いついて、思わず鼻で笑ったような、そんな言葉を縋るように口に出す。
「僕の名前は、井無田 純一。」
そう、イムタジュンイチ。名前は憶えていた。そこから、思い出せることを並べようとする。
年齢は。
分かる。17、高校二年。
何をしていたか。
別に特別な事は何も。友人と遊んで、学校で勉強して。
部活は。
帰宅部。バイトがあったから。
バイト先は。
コンビニ。学校と家の間にあった、そこで。
家族は。
両親と、妹が一人。
住所は。
分からない。
通っていた学校は。
分からない。
バイト先のコンビニの名前は。
分からない。
友人の名前は、家族の名前は。
分からない。
そう、細かい事が何一つ分からない。とても大雑把に、自分がどんな人間なのか。それだけはわかる。でもそれ以外がなにも分からない。最後の記憶、それも具体的な日付、時間、それが何一つ分からない。
ただ、いつも通り。朝起きて、学校に行って、授業を受けて友達と話して。それからバイトにそのまま言って、帰って食事をしながら両親と、妹と話して。それで寝たはず。
最後の日でも、特別な日でもない。本当にそんなありふれた事が有ったはずだ、そんな事だけが思い出せる。
そう、その事実がありました。その程度の感覚で。
例えば、そうだ。日記があったとして、その他人の日記に、ただ抑揚も何もなく、平坦な文章で書かれているそれを読むような。そんなぼんやりとした状態で把握できる。
だって、家族の顔も両親の顔も思い出せないのだから。
「ほんと、これ、一体何なんだ。」
そうして僕は無理やり声を出す。怒っている、それを前面に押し出して。
そうでもしなければ、此処からどこにも動けそうにないから。全力で虚勢を張って、ただ叫ぶように声を上げる。
「誰かいるんだろう。なんでこんなところに僕を連れてきた。」
勿論返事があるわけもない。
ただただ灰色と、それ以外の色は寝ていた、今は座っているベッドの白、それだけ。
そんな無機質な部屋の中に、ただ僕の声だけが響く。
窓のない部屋だが、扉はある。
叫んだ勢いで立ち上がり、そのドアに向かって歩こうとして。
立ち上がるためにと、ベッドについた手に、何かが触れた事に気が付く。
「なんだ。何か、有ったのか。」
つるりとした、硬い感触。スマホが薄ければ、こんな感触かもしれない。
そして、それを拾い上げると、そこには厚手のカードが2枚置いてある。そして、直ぐに目についた一枚には、ただただシンプルに、次のように書かれていた。
プレイヤー1 井無田 純一
僕の名前と、その前に一つの単語だけ。
そしてもう一つには、ゲームルール、そう銘打たれて、二文。
ルールの番号と、その内容。
「本当に、何なんだよ、これは。」
どうやら、何もかも分からない。それでも唯一の手がかかり、どこにでもいる僕の名前が書かれたものまで用意されているなら、恐らくはゲームの参加者に渡される物らしい、このカードだけ。
僕にはそんな、こんなゲームに参加した記憶は全くないというのに。