第三十二話:最愛の貴方へ
些か雑な点が見られ色々と台無しになっているかも……
まだ陽が登って間もない時間。城の奥地にひっそりと作られた庭園に、日の光とは違う光が、様々な色が満ちていた。
その光の中心には、真っ白な髪をした少女がいる。
少女―――メルヴィアは、割と大きな規模の庭園の中心にある広場で膝をつき、祈るように両手を組んで瞳を閉じていた。
メルヴィアの周辺から霧のように発生する様々な色を放つ光が神秘的な演出となっていて、事実この空間は一つの聖域と化していた。
「…………………ふぅ」
やがて、絶え間なく発生していた光が消え去り庭園の照明が上ったばかりの日の光のみになった頃、額にうっすらと汗を浮かせたメルヴィアがため息と共に立ち上がった。
閉じていた瞳を開き、何も描かれていないはずの地面を、空間を何かを辿るように見渡したメルヴィアは満足そうに頷いてパチンと指を鳴らす。
その動作は意味があるものではなかった。しかし、不敵に笑って片手を腰に当てる彼女は、なかなかどうして似合っていた。
「さすが私。やっぱり天才だね」
普通ならちょっと可哀想な目を向けられそうな台詞も今の彼女が言えばなかなか様になっていたが、悲しい事にそれを見ている者は誰一人いない。
メルヴィアもそれからくる虚しさに気づいたのか、達観したような感じでため息を吐くと背後にくるりと回った。
「………ミズキのとこ行こっと」
どことなく恥ずかしさを含んだ呟きを漏らし、メルヴィアは一歩前に足を踏み出す。
その瞬間、彼女は庭園から文字通り姿を消していた。
「…………うおっ」
「あれ?」
トン、と軽く音を立てて廊下に文字通り出現したメルヴィアは、すぐ横で驚いたように声を上げた瑞希に振り向いた。
彼の背後には、一つの扉がある。そこは父――つまり王の私室であり、こんな朝早くから、ましてや最近騎士の訓練にのめり込んでいるらしい瑞希が訪れるような場所ではなかった。
――――――もしかして。
メルヴィアはふと浮かんだ自分の考えに知らず顔を強張らせた。
瑞希は旅人ということになっているが、その正体はこの世界には存在しない筈の異世界人だ。メルヴィアの一件もあり詳しい事情は聞かれなかったが、それが終わった今出身や居場所が不明な彼をいつまでもこの城に止めておく筈がないだろう。
万が一、彼の居場所をここに作ったとしても、彼の出身がネックとなる。第三王女を善意で救った、という事実があっても身分が不明というだけで怪しい存在へと変わってしまう。
このままでは、彼はここを追い出される事になる。最悪、秘密裏に消されてしまうかもしれない。
――――早く、帰してあげないと。
強迫観念に似た思考に囚われているメルヴィアは、小さなその手を強く握って瑞希に笑顔を向けた。
もしこの時、奇しくも時直前にオースティンに告げられた『提案』のせいでメルヴィアを直視できなかった彼が、彼女の表情の変化に気づいていればまた別の未来を迎えていただろう。
「ミズキ、今日は訓練しないの?」
「え? あ、うん、そうだな……たまには休むのもいいかもな」
この言葉を、笑顔を崩さずに聞いたメルヴィアは一体どういう風に受け取ったのか。
「じゃあ、今日はずっと一緒だねっ。また城下町に行こうよ!」
「また抜け出す気かよ」
飛び付いてくるメルヴィアを恥ずかしげに、だが苦笑混じりに受け止めた瑞希は彼女の内心に気付けないまま彼女と共に廊下を歩いていく。
やけに父が瑞希に話しかける姿に疑問を抱きつつ、瑞希を交えた家族全員で昼食を摂った後。メルヴィアは瑞希と共に城下町に降りていた。
「メル、わざわざ警備を掻い潜るような事しなくてもいいんじゃね?」
「正面から堂々と出ようとしたら誰かついてくるもん。せっかくのデートに水を挿されたくないわ」
「デート……。いや、まだメルは王女だって事公表されてないんだろ?」
「表立っては、ね。一部の王立騎士団……『蒼翼騎士団』の人達には既に私の事が知らされてるみたい。はぁ……せっかく記憶消したのに意味がないじゃない」
姉たちに城に連れ戻され、そして父親をタコ殴りにしたあの日。ちょっとした勘違いで再び城の奥で幽閉生活を送るのだと思っていたメルヴィアは、親しい人物を除いた全ての騎士達の記憶を操作している。それには、もし瑞希と共に城から逃げ出す時の保険も兼ねていたのだが、全てが解決した今となってはさりげなくものすごく頑張った彼女の労力は無駄となっていた。
繊細で多大な魔力行使は無視できない疲労感と精神不安定を催す。あの時、瑞希から全てが終わったと聞かされていなければちょっとした復讐するところだったと彼に告げていたのは、記憶操作というとんでもない事とそれまでの魔力消費が関係していたのだ。
「正直に言えば、ちょっとスリルを味わいたいからああしてるだけなんだけど」
てへっ、と可愛らしく舌を出すメルヴィアに瑞希は苦笑しか向けられない。
「……今日も人がいっぱいいるね」
「そうだなぁ。なんか、お祭りみたいな感じだ」
王国オルグレンは大陸一豊かで比較的種族差別がない為、かなり人口が多い。恐らく大陸一の人口だろう。その為どの通りも活気に満ち溢れ、その中で商人達の声を聞いたりすると祭りを彷彿させられてしまう。
元の世界を思い返しているだろうとメルヴィアはこっそり瑞希を見上げるが、懐かしそうにして別段寂しそうにしていない事を確認してホッとため息を吐く。
そして、視界の端で見つけた店を見つけて笑顔で瑞希を引っ張って行く。瑞希ははしゃぐ彼女を宥めつつも引っ張る手に従ってその店へと入って行った。
「いらっしゃいませー」
カウンターで応対していた女性店員が笑顔を向けてくる。中々に小洒落た店内は、様々なアクセサリーが飾られており殆ど客が女性であった。
珍しい男性客ということで一瞬周りの視線を集めてしまった瑞希は思わず尻込みしてしまう。いつの間にか瑞希から離れていたメルヴィアはそんな彼の様子に気づかず、視界に映る様々な貴金属類を心なしか目をキラキラと輝かせて見回している。
普段どこか大人びている彼女が子供らしい表情を浮かべているのを見て微笑ましく思えた瑞希は、ふと女性店員がこちらを見ているのに気づいて慌てて表情を繕った。
「可愛らしい彼女に何かプレゼントですか?」
そんな彼をくすりと笑い、カウンター越しに女性店員が話しかけてくる。
「いや、ちょっと寄ってみただけですよ」
「なら、今度またいらっしゃった時にはぜひともお買い求めを」
爽やかに笑う女性店員に瑞希は曖昧な笑みを返す。
周りに最上級な美人がいる瑞希は美人に対する耐性がいくらか身に付いているが、真っ正面から笑顔を向けられれば僅ながらに動揺してしまう青少年だ。その動揺を隠すように瑞希は女性店員から目を逸らし、何気なく商品棚に目を向ける。
そこで目に入ったアクセサリーを、気がつけば瑞希はそれを手にとっていた。
それは、白銀で装飾された親指大の紅い宝石を嵌め込んだペンダントだった。まるでメルヴィアそのものを体現しているようで、瑞希は無意識のうちに財布を確認していた。
一応、瑞希はメルヴィアの一件で騎士としての位とは一緒に謝礼として幾らかのお金を貰っている。そして、その額は今彼が手にしているペンダントを買っても余る額だ。
「あの、すみませんこれ幾らですか?」
「あら。……ふふっ、ええと金貨2枚になります」
女性店員は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
瑞希は言われた金額を支払ってメルヴィアの方を見やる。何やら商品棚にある物が気になっているらしく、じーっと何かを見つめていた。
「メル」
呼ぼうかどうか一瞬迷った瑞希だが、先程買ったペンダントに視線を落とすと意を決して彼女を呼んだ。
何かに夢中になっていた筈のメルヴィアはすぐに瑞希の声に反応すると笑顔で駆け寄ってきた。瑞希はさりげなく右手に持ったペンダントを背中に隠してそれを悟られないように左手で頭を撫でた。
「……ミズキ?」
「なんか良さそうなもんでもあったか?」
「えっ……あ、う、うん」
メルヴィアは恥ずかしそうに頬を赤らめると一度俯いてから上目遣いに瑞希を見やった。瑞希が何か企んでいるのはわかっているようだが、何を企んでいるのかわからないのかそれとも探る余裕がないのか、僅かに視線を泳がしながら瑞希を見上げている。
瑞希も瑞希ではにかんでいる為、もしメルヴィアがもう少し成長していれば本当に仲睦まじい恋人同士にでも見えていただろう。
「……うん、その、これ」
何度かメルヴィアの頭を撫でた瑞希は、決心したように隠していたペンダントを彼女の目の前に翳した。
それを見たメルヴィアはびっくりしたように目を見開くと、おずおずと言った様子でもう一度瑞希を見上げる。
「……これって」
「ああ、プレゼント。メルに似合いそうだから」
そう言ってペンダントを手渡してくる瑞希は、暖かな笑みをしている。
メルヴィアはそんな彼をぼーっと見つめた後、繊細な物を扱うかのようにそれを受け取った。それからすぐに何か思い付いたかのように瑞希を見上げると、先程プレゼントされたペンダントを差し出した。
「ミズキ……お願い」
一瞬気に入らなかったかと勘違いした瑞希だったが、すぐに彼女の意を読み取ってしゃがんだ。そして、メルヴィアからペンダントを受け取り今度はそれを彼女の首にかけてやる。
必然的に距離が縮まりどちらともなく意識したような素振りを見せたが、ふと互いに目が合うと可笑しそうに笑いあった。
「よし、っと……」
「……似合うかな?」
はにかんで首を傾げて見せた彼女の動きに合わせるように、首元にかけたペンダントが小さく揺れた。白銀のチェーンとペンダントトップは、微かに光を反射して薄く輝いている。紅い宝石がまるでメルヴィアの綺麗な紅い瞳のようで、彼女以外にはこのペンダントは似合わないだろうという確信を瑞希は抱いた。
「………ああ、似合ってる」
「………っ。ありがとう、ミズキ」
そうしてどちらともなく見つめ合い、抱き合った二人。年齢差など関係なしに良い雰囲気を撒き散らす彼らは、もう既に店内にいる人達の視線に気付いていない。次いでに、ここがどこなのかも忘れてしまっている。
二人だけの世界にのめり込むという癖が、どうやら再発したらしかった。
「……たまにいるのよねぇ、こういうお客様が」
憂鬱そうに呟いた女性店員の声は、やはり二人には届いていなかった。
「ミーズキ、ほら早く早くっ」
その日の夜。深夜とも言える時間帯に、メルヴィアは瑞希を連れ出して庭園へと訪れていた。
昼間、彼女らはもはや恋仲としか言えないような時間を送っていた。もちろん今までにもそれに近い雰囲気はあったが、今日の二人は完全に恋人同士のそれとなっている。
もし、今夜二人して次の日を迎えていれば二人して今日の事を悶えていただろう。
だが、奇しくも今日はメルヴィアが『思い出作り』と決めた日であり、そして瑞希を元の世界へと返すと決めた日である。つまり、今日は二人の別れの日でもあった。
「一体どうしたんだよ、こんな時間にこんなとこでさ」
刻々と迫る別れの時に気付かぬまま、瑞希は苦笑混じりにメルヴィアを追う。
やがて瑞希がメルヴィアに追い付き、庭園の中心に二人は立った。そこはメルヴィアが瑞希を帰す為に完成させた魔術の中心地でもある。
「ふふっ、この庭園綺麗でしょ? 今は夜だからあんまりわからないかもしれないけど、お昼だとすごい景色になるんだ」
そう言ってその場でくるりと回って見せたメルヴィアに一瞬見惚れ、彼女に倣うように周囲を見回す。
月明かりで照らされた庭園は、今でも十分に美しいものであるが確かに昼間に見れば圧倒される景色となるだろう。
「………なっ、メル!?」
その光景を、その中心にメルヴィアがいるのを想像していた瑞希はふと背後にいる筈のメルヴィアの方でパチンと指を鳴らした音を聞いて振り返った。それと同時に眩い閃光が瑞希の視界を奪い、強大な魔力を感じて無意識の内に彼女の名を呼んでいた。
「大丈夫だよ」
思わず駆け寄ろうとしたところでふと耳に届いた彼女の優しい声を聞き、とりあえず安心したように瑞希は一息ついた。
そして、やがて光で瞑れていた視界を取り戻した瑞希が目にしたのは、思わず惚けてしまうような光景だった。
「メル…………?」
いつの間にか、月明かりでのみ照らされていた筈の庭園は別の光で満たされていた。
それは、ありとあらゆる光だ。とても言葉では現せられない、不思議な光。
その中心で、メルヴィアは輝いていた。プレゼントしたペンダントが、彼女を中心に溢れる光を受けてより一層強く輝いている。
幻想的な、神秘的なその光景に瑞希は言葉を失っていた。
「どう、びっくりした? すごいでしょ。実はこれ、あなたを向こうの世界へと帰す魔術なの」
そう言って微笑んだメルヴィアがパチンと指を鳴らし、それにあわせて僅かに光が強まった。見れば、いつの間にかそこら中に幾何学的な紋様が現れていた。それは地面だけに留まらず、空中にも描かれている。
「………帰れる、のか?」
それを呆然としながら見つめて、瑞希は小さく呟いた。
彼の脳裏に、とある記憶が浮かんだ。
それはこちらの世界にくる前の記憶。至って普通の学生生活を送っていた日々の記憶だ。
友人や家族たちの顔ぶれが次々に流れ出すその記憶は、こちらの世界にくる直前までを鮮明に描き出した。その望郷の念は、彼の心の深層にひっそりと巣くっていた帰りたいという気持ちを蘇らせる。
「ミズキと今まで過ごした日々は、私にとって掛け替えのない宝物。それだけで、私は救われた。貴方が傍にいるだけで、私は幸せでした」
だから、とメルヴィアはそこで一息溜め深く頭を下げた。
「ありがとうございました。私の、私だけの騎士様」
そして、顔を上げた彼女は瞳にいっぱいの涙を溜めていた。
「あ、ぅ……ごめん、ちょっと、涙が………」
そう言って顔を掌で覆ったメルヴィアに瑞希は近づこうとした。が、メルヴィアはそれを拒絶するように首を振って後ろに下がった。
チクリと瑞希の胸に痛みが走る。
「だめよ、ミズキ。貴方は優しいから、きっと悲しむ私を抱き締めてくれる。でも……それだと、私は貴方を向こうに帰せなくなる。ずっと傍にいたいっていう気持ちに歯止めが効かなくなるわ」
そう言って無理に笑顔を浮かべるメルヴィアに、瑞希は声をかけられなかった。何と言えばいいのかわからなかった。
いや、違う。
それを言ってしまうと、帰りたいという気持ちが無くなってしまいそうで言えなかったのだ。
「………俺も」
だから、やっとの思いで紡いだ言葉は、本心であっても本当に言いたい事とは違う言葉だった。
「俺も、メルに救われたよ。もしこっちの世界で一番にメルに会ってなかったら、きっと狂ったりしてた。メルが思うより、ずっと俺はメルに救われた。………ありがとう」
「じゃあ……お互い様だね」
それを聞いたメルヴィアは、涙に濡れた顔で綺麗に笑った。
それは、別れの合図でもあった。
「………ミズキ。きっと、この先奇跡でも起きない限り私たちは会えなくなると思う」
それは、彼女の未練が言わせた言葉なのだろう。そう思った瑞希は、そんな彼女を安心させるように笑ってみせた。
「俺達が出会った事自体が奇跡なんだ。だから、またきっと逢えるよ」
別れは寂しいが、悲しむものではないと強がって見せる瑞希に、メルヴィアは可笑しそうに笑ってみせる。
「ミズキって結構恥ずかしいセリフを言うんだね」
「うるせぇ。恥ずかしい言うな」
「ふふっ……あ、そう言えば」
メルヴィアは何かを思い出したようにポケットに手を入れると、それを瑞希に手渡す。
それは、一組のペアリング。
「私から、ミズキへのプレゼント」
はにかみながらそう言うメルヴィアに微笑み、ペアリングの片方を受け取る。
「……お揃いだね」
「……ああ」
同時にリングを指に嵌め、互いに一頻り笑いあった二人は、どちらともなく近づいて手を握り合った。
互いの暖かさを、互いの存在を心に刻むように、しっかりと相手の手を握り、相手の瞳を見る。
いつものように抱き合ったりはしない。もしそれをしてしまえば、絶対に別れられなくなるとどこかで理解していた。
だから、ふと浮かんだ言いかけた言葉も飲み込んだ。
「……ミズキの言葉を信じるなら、『またね』になるのかな」
「さよならなんて、悲しいじゃんか」
「そう、だね。……うん、また、ね」
「…………ああ、また、な」
別れの言葉を交わし、メルヴィアはより一層瑞希の手を握り締めた。瑞希もそれに応えるように力を込める。
やがて、既に発動していた魔術が、彼女が作り上げた魔方陣が強い光を放ち始める。丁度その時、庭園に複数の足音が響いたが二人はそちらに見向きもしないで、お互いの瞳を真っ直ぐに見合わせた。
眩い光に包まれても、決して目を逸らさずに見詰め合った。
そして、互いの姿が光に塗り潰され――――――――
―――――――光が無くなった頃には、二人はまだ互いに手を握り合い、見詰めあっていた。
「…………あれ?」
パチパチと瞬きした瑞希は、そんな声を上げて周りを見回す。
彼の視界に映ったのは、先ほどまであった不思議な光は無くなっていてもそれ以外は変わらない全く同じ光景であった。
「メル!」
ふと、聞き慣れた声が耳に届いたのでそちらを見てみると、フィオナがこちらに駆けてくるところだった。他にも彼女の姉のフローラ、そしてどういう訳か三姉妹の親であるオースティンとクラレンスがいる。
「……ごめん、ミズキ。約束守れなかった」
ふと、メルヴィアが申し訳なさそうに言って瑞希から離れようとした。が、瑞希は彼女の手を離さず、駆け寄ってくるフィオナたちに振り向く。
「こんなとこでメルに何やらせてんのよ!」
そう言って瑞希に掴みかかろうとしたフィオナだが、それを防ぐようにメルヴィアが前に出てきた為睨み付けるだけに留まった。
「お姉様、お父様、お母様。大事なお話があります」
そして、フローラ達が追い付いたところでメルヴィアがそう切り出した。真剣でどこか焦っている様子の彼女に、皆何事かと言った表情を浮かべる。
「もう時間がありませんから手短に言います。ミズキはこの世界には存在しない筈の異世界人です」
早口でそう告げるメルヴィアに、瑞希を含めた一同が驚愕の表情を浮かべる。
メルヴィアは彼らに口を開く暇も与えず、言葉を続けた。
「どうか、彼を責めないで下さい。これは、私が望み独断で行った結果。だから彼は私がこうなる事を知りませんでした」
「メルヴィア、一体何の話を――――ッ!?」
オースティンが詳細を聞こうと言葉を発したが、それは最後まで言葉にならず絶句に終わった。怪訝に思った瑞希だが、見ればクラレンスも、フローラもフィオナも同じように驚愕の表情を浮かべている。
その視線の先は、メルヴィアだ。
丁度彼女の背後にいた彼は、その変化に最初気が付いていた。だが、先ほどの残滓かと思って注意深く見ていなかった。
嫌な予感が過り、瑞希は前に庇うように立つメルヴィアを見やった。
「な……メルっ!」
悲鳴に似た声を上げて瑞希が見たのは、足元から少しずつ光の粒子となって消えていくメルヴィアだった。
メルヴィアは、そんな彼を申し訳なさそうな笑みで振り返り、すぐに家族の方へ真剣な表情を向けた。
「これは、私からのお願いです。どうか、彼を責めないで。そして、彼の居場所をここに作って上げてください」
既に膝まで消えてしまったメルヴィアは、必死にそう家族に懇願した。理解の追い付かない彼らは、そんなメルヴィアに歩み寄ろうと足を踏み出したが見えない壁に阻まれたかのように一定の距離を詰められなくなった。
「メ……メルヴィア!」
誰よりも一番先にそれにぶち当たったオースティンが、吼えるような声を上げた。
フローラ達はそんな彼を驚いたように見たが、もしオースティンが取り乱していなければ他の誰かがそうなっていただろう。
見えない壁をぶち破ろうと魔術を使い、全く効き目がないと悟るも今度はそれを殴って破ろうとする父の姿を、メルヴィアは嬉しそうに見つめた。
「くっ、何故だ! なぜ越えられないっ……メルヴィアァァ!!」
「………お父様、お母様、フローラお姉様、フィオナお姉様。……短い間でしたが、私は幸せでした」
そう言って頭を下げたメルヴィアの名を、誰かが叫んだ。誰が叫んだのかわからない。皆同じように必死な形相で固まってしまってる今では、確かめようがない。
時が止まっていた。
可笑しな事に、瑞希とメルヴィアを除いた全ての時間が凍りついていたのだ。
「ミズキ、ごめんね」
そう言って振り返った彼女は既に腰まで消え去っている。
そこで瑞希は、ようやく取り返しのつかない事態に陥った事を知る。
「……もう、泣かないでよミズキ」
そう言われ、メルヴィアに優しく抱き締められ自分が泣いている事を知った。
「……そん、な。なんで、メル……」
掠れた声を出す瑞希をメルヴィアは抱き締め、優しく背中を撫でる。
こうして感じる彼女が、彼女の匂いが、彼女の暖かさが、彼女の存在が今全て消えようとしていた。
帰りたいと望んだ結果、彼女が消えようとしていた。
「ミズキは悪くないわ。私の小さな、でも大きなミスのせいだから」
瑞希の心を読んだかのようにメルヴィアが優しくそう話し掛けた。そして、幾分か躊躇ってから恥ずかしそうにその言葉を口にする。
「………私、メルヴィア・オルグレンは、貴方に永遠の愛を誓います」
「え…………?」
「本当は言わないつもりだったんだ。でも、こうして私を抱き締めて、私の為に泣いてくれたから……歯止めが効かなくなっちゃった」
てへっと可愛らしくそう笑ったメルヴィアは服を除いて腹の辺りまで消えてしまっている。侵食のような消失はそこで止まりを見せているが、今度は全体的に消え始めていた。
―――時間が、ない。
その事実が、先程の彼女の誓いが瑞希が意図的に飲み込み、心に閉まった言葉を引き出す。
「俺も、愛してるよ」
驚いて目を見開くメルヴィアに、瑞希は笑みを向けて言葉を続ける。
「今朝、王様にメルとの婚約の話をされたんだ。その時はいきなりで驚いたから曖昧に答えて保留になったけど……今は違う」
ひょっとしたら、その笑みは焦燥感に駆り立てられ歪んでいるかもしれない。しかし、その言葉は彼の本心だった。
「宮本瑞希は、貴女に永遠の愛を誓います。……合ってるよな?」
「え、あ……合ってる、けど……その、う、嘘じゃないよね?」
「嘘じゃない。俺はメルが好きだ。好きになってた。いつの間にか一人の女の子として見てた。だから、俺はメルの騎士になったんだ。メルを守りたくて、隣に立ちたくて、強くなろうって訓練も頑張った」
じわりとメルヴィアの瞳に涙が浮かぶ。しかし、それは悲しみの涙ではない。
「…ぁ……私、前は男だったんだよ? 気持ち悪くないの?」
「何言ってんだ。前世なんて関係ない。前世は前世だ、今と結び付けるのが間違ってる。メルはメルだ。俺は、メルヴィアっていう一人の女の子が好きなんだ」
それを聞いたメルヴィアは、瞳に溜めた涙を静かに流し始めた。涙を流しながらも、嬉しそうに、幸せそうに笑った。
もう既に、別れの時間は訪れている。
「……ミズキ」
「うん?」
「キス、して欲しいな」
「………ああ」
メルヴィアの身体は既に反対側が見える程透けていた。
しかし、まだ彼女の感触が存在消えた訳じゃない。
二人はどちらともなくきつく抱き合うと、そっと唇を合わせる。本当に短い間の口付けだが、それは永遠にも等しい間だった。
やがてどちらともなく唇を離し、二人で照れ笑いを浮かべる。
「相思相愛、だね」
「ああ」
「恋人同士で、夫婦なんだよね」
「ああ、そうだよ」
「浮気はダメだよ? エルフっていうのは独占欲強いんだから」
「ああ……浮気なんて、しないさ」
幸せそうに笑うメルヴィアに対し、瑞希は涙を流しながらも必死に笑みを保つ。
メルヴィアはそんな彼を困ったように見て、愛おしげに頬を小さな掌で包む。
「あんまり気を負っちゃダメだよ、ミズキ」
「………っ」
「『またね』だよ。私たちが出逢ったのが奇跡なんだから、またいつか逢えるわ」
「ああっ、ああ。……また、な、メル」
「うん。………愛してます、ミズキ」
「ああ、愛してるよ……メルっ………」
それを聞いたメルヴィアは、満足そうに笑った。
やがて、彼女の全てが薄まり止まっていた時間が再び動き始める。そして、時間が元通りになったと同時に、彼の最愛の少女は光の粒子となって姿を消した。
「メル……っ!」
「メルヴィア………」
ペアリングの片方と、彼女に贈ったペンダントが、まだ彼女の温もりが残る服の上へと落ちる。
「――――――――――」
最愛の少女の姉が、父が、母が呆然とそれを見る中、彼はそれを手に取り涙を流した。
それまで必死に抑えていた感情を吐き出すように泣き叫んだ。
悲しみの咆哮は、消えてしまった彼女の光を追うように夜空へと消えて行く。
次回、第一部エピローグとなります
……やっとここまで書けたぁ
どれだけ時間かけてんだよっ