第二十六話:メイフィールドの仮面
……次回、瑞希君の試合……かなぁ
武競祭本選、一日目。第5試合まで何事もなく行われてきた試合は、余裕のある者は手の内を全て見せないまま勝利を掴み取っている。
まだ初日ということもあってその気持ちは十分理解しているが、なるべく見て学習しようとしている瑞希にとってはストレスが溜まる意外の何物でもない。
そんな中、先ほどまで確かに沸いていた歓声が若干音量を下げた。
確か、第六試合はあの黒騎士だったはず。
そう思って、瑞希は待機室を見回した。しかし、待機室にいるほんの数名の中にあの黒騎士はいなかった。というより、いたらいたであの不気味な威圧感でとっくに気がついているはずだろう。
「……ん? そういや……」
ここにいないということは、恐らく向かい側の待機室に黒騎士はいるのだろう。案の定、決闘場に目を向けてみると黒騎士が圧倒的な存在感と共に向かい側の待機室へと続く通路から歩み出てくるところだった。
だが、あの黒騎士の対戦相手であるはずのネコミミ武人が見当たらない。待機室にもあのキュートな渋面が見えず、瑞希はひしひしと嫌な予感を感じた。
瑞希は決闘場へと目を向ける。
そこで初めて、瑞希は不自然に拡張された声が選手の紹介をしているのに気がついた。
『さあさあ注目の第六試合! 方やその愛くるしいネコミミで女性観客を虜にしたとってもダンディーなご武人、ピンパーネル選手! 方や謎も謎、素顔も経歴も何もかも不明のちょー怪しい黒騎士、クレスウェル選手! 両者あの激しい予選を勝ち進んできた猛者だが、果たして勝利を手にするのはどちらか! あ〜キュートでダンディーなご武人はまだ現れない、黒騎士なんてどうでもいいから早くその渋可愛いお姿を私に見せて〜!』
きゃー! と女性実況者が感激したような声を上げるのに合わせ、女性観客の黄色い歓声がどっと沸き上がる。
大丈夫なのかこの武競祭、と瑞希は表情をひきつらせた。若干、若干であるがあの黒騎士がどんよりとした雰囲気を纏っているように見えた。
『と、私の切実な願いを叫んでみましたが残念なことにピンパーネル選手は第六試合を棄権するとここにお知らせいたします』
え〜と綺麗なハモりブーイングが会場内に響き渡る。
瑞希は堂々とした足取りで去って行く黒騎士に、確かな不信感を抱いた。
思えば、この待機室に来てからピンパーネルの姿を一切見ていない。いや、それを言うなら今日1日彼を見た覚えがない。
もしや、昨日のうちに彼に何か唆したのだろうか。いや、ピンパーネルは見た感じ武人であるし、確かな実力者であることは容易に窺えた。
なら、闇討ちでもしたのか。それこそあり得なさそうだが、あの黒騎士は謎が多い。不気味で禍々しいあの雰囲気は、一体どんな手段に講じるか想像もつかない。
『では気を取り直して第七試合―――』
不自然に響く声が、何か一騒動起きそうな予感を際立たせていて、瑞希は決して小さくない不安を胸に宿らせた。
「ミーズーキー!」
第八試合が無事終わり、お昼の休憩が入った。瑞希は一旦待機室から出て、他の選手たちが向かう流れについて歩いているところだった。
流れの向こうから聞こえてくる綺麗な少女の声に顔を上げてみると、案の定何やら嬉しそうな顔でこちらにかけてくるメルヴィアの姿が目に入った。その後ろには、変装用なのかドレスではなく普通の服を身に纏った彼女の姉二人が苦笑いを浮かべてこちらに向かっているところだった。
「ミズキ!」
ガン! と硬い何かが鎧にぶつかる音が響く。飛び込んできたメルヴィアが勢い余って額を鎧に打ち付けたのだ。
「……い、痛い……私としたことが……」
赤くなった額を涙目で擦るメルヴィア。和むその姿に笑みを浮かべた瑞希はポンポンと彼女の頭を叩く。
「ミズキさん、これからお昼いかがですか?」
追い付いたフローラが、にこやかな笑みと共にそう言う。隣では
「もちろん行くわよね?」と目線で拒否を許さないフィオナが腕を組んでいる。
周囲から嫉妬のような視線を感じながら、せっかくの誘いを受けない理由もない瑞希は素直に首を縦に振った。
三人が向かった先は、武競祭参加者が利用する食堂だ。円形のテーブルと横長のテーブルと二種類ある。
参加者のみならず、参加者の関係者も入ることが許されているせいか、広い食堂内の三分の二がすでにもう埋まっていた。
「人がいっぱいー」
「ふふっ。確か、ユリアが席取りしてくれてるはずよ」
「んー………あ! あそこ、あそこにいるよ姉さま!」
さっそく見つけたらしいメルヴィアが、フィオナの手を引っ張って駆けていく。フィオナは一瞬転けそうになりつつも、嬉しそうな苦笑いで引っ張られていく。
見ると、円形のテーブルでユリアが微笑みながらこちらに手を振っているところだった。
「ミズキさん。私たちも早く向かいましょう」
にこり、と微笑みフローラはやや早い足取りでユリアたちのいるテーブルへ向かう。
「遅いよミズキ君」
「すみません。ユリアさん、さっきの楽勝そうでしたね」
周囲から何やら視線を感じつつも、瑞希はそれを極力無視して席についた。
美人美少女と揃っている中で、ただ自分だけがそこに混じっているのだから当たり前と言えば当たり前なのだろう。
「当たり前でしょう? あれぐらいで私の相手は勤まらないわよ」
「俺も勤まりそうにないんですけどね」
「ミズキミズキ、『くずりゅうせん』ならユリアさんに一発ぐらい当てれるかもしれないよ」
メニュー表を凝視しながらさらりと言うメルヴィア。案の定、皆の視線が彼女一点に集まる。
「メル、その『くずりゅうせん』って何?」
「剣の技ですよ、お姉さま」
「メルちゃん、あれってまさかミズキ君に習ったの? そうだとしたら私、手加減されてたって判断して怒るけど」
メニュー表から視線を外したメルヴィアが、ちらりと瑞希を見る。
口元にうっすら浮かんだ笑みが、瑞希の数秒後の未来を予知させる。
「いいえ、独学です」
思わず腰を浮かせかけた瑞希だったが、最悪の未来を回避できたことにあからさまに安堵の息を吐いた。
クスクスとメルヴィアが笑う。
叩いてやろうかと思ったが、フィオナに何をされるかわかったものではないため我慢する。
「独学かぁ……いやはや、メルちゃんとんでもないわね」
「メル、その『くずりゅうせん』って何ですの?」
フローラもメニュー表を凝視しながら、メルヴィアに疑問を投げ掛けた。その姿がメルヴィルと似ていて、瑞希は思わず少し笑みを浮かべてしまう。
「ミズキ、見せてあげて」
「ここでくるかよ!」
バタン、と音を立てて立ち上がる瑞希。周囲から怪訝な視線を集めてしまい、恥ずかしくなった瑞希は横合いから高速で伸びてきたフィオナの手によって無理やり椅子に座らせられる。
不意討ち気味に悪の手がやってくるのだから、油断ならない。
「……ミズキ君、できるんだ?」
さっきをのせて不機嫌そうに睨み付けてくるユリア。
「できませんよそんなもん。言ったでしょ、剣なんて握ったことないって」
「で、その『くずりゅうせん』って何よミズキ」
「いや、俺に聞かれても」
「一瞬の内に九ヶ所を斬る剣技ですよ、フィオナ様」
ユリアがフィオナの疑問にそう答えた。
フィオナは意外そうな顔をすると、瑞希を見やる。
「へぇ、あんた意外と強いのね」
「……あの、聞いてた? 俺の話聞いてないですよね。泣いていいですか?」
「ああ、可哀想なミズキ。おいで、私の胸でたんと泣きなさい」
母性愛丸出し的な感じで腕を広げて微笑むメルヴィア。なぜかそれを見て真似をするフローラ。
メルヴィアの妹的イタズラは慣れているとして、フローラにやられると瑞希はドギマギしてしまう。何しろ、彼女の胸は豊かなのだ。
「「さあ、おいで」」
「恥ずかしいからやめなさい二人共」
軽く二人の頭を小突くフィオナ。フローラとメルヴィアは顔を見合わせて笑うと、徐に立ち上がってフィオナを挟むように飛び付いた。
「ちょ、ちょっと!?」
「フィー姉さまもしかして寂しいの?」
「あらあら、そうだったなら早く言ってくれればいいのに」
「こ、こら、止めなさい!」
フローラがフィオナの頭をその豊満な胸の谷間に沈めさせ、メルヴィアがフローラに負けず劣らないそのフィオナの胸元に頬擦りするように抱きついている。しかも、二人共わざわざ瑞希に見せつけるように。
王女と言っても、やはり姉妹は姉妹。楽しそうに笑う三人は、どこにでもいる仲の良い姉妹とそう変わりがなかった。
ふと考える。もし今までの日々で、一つでも何かが違っていたら、この楽しそうな光景は二度と繰り広げられなかったのではないかと。
………シリアスな思考に陥るのは、ただ単にだらけてしまいそうな頬を押さえるためである。ここで頬を緩ませたら、確実にあの三姉妹はこちらに矛先を向ける。それだけは勘弁してほしい。
それに過ぎ去った苦しい過去より、今現在の楽しい時があればそれで十分なのだ。
「あの〜ご注文の方は……」
楽しそうな雰囲気に水を差すのに気が引けているのか、ウェイトレスさんが恐る恐る注文を取りにきた。
騒いでいた三姉妹は一旦収まると、それぞれ注文を決める。メルヴィアは姉たちにどんな料理なのか聞きながら注文を決めようとしているが、どれにするか悩んでいるらしい。ユリアは手早く注文を決め、わいわい騒ぐ三姉妹を微笑ましく見つめている。
瑞希もできればどんな料理なのか知りたいのだが、プライドと常識関連で変な目が見られそうなのが怖く聞くに聞けない状態だ。ユリアが頼んだものと同じものにしようかとも思ったが、もう既に彼女は注文を終えてしまっている。
どうしよう、とメニューを凝視する瑞希。思わずむむむと眉をしかめて唸ってしまう。
そこで助け船を出すかのように、三姉妹が動きを見せた。
「私、ミズキと同じものがいいです」
「あらあら。じゃあ、私はミズキさんにこのスープとサンドイッチをオススメしますわ」
「決まりね。ウェイトレスさん、この品を二人分お願い」
何やら勝手に注文が決められてしまった。こっちの選択権はなしかと突っ込んでやりたかったが、素直にありがたく好意を受け取っておく。
と、フィオナが徐にこちらを見やる。
「あんたはこの後試合だからちょっと少ない量だと思うかもしれないけど、あとでいっぱい食べさせてあげるから我慢しなさい」
「…………………」
「な、何よ」
「いや、ちょっと意外だなと」
はあ? と怪訝な顔をするフィオナ。彼女の膝上に乗っかったメルヴィアがコロコロ笑う。
「フィー姉さまはとっても優しいんだよ。ねー」
「ねー」
フローラと顔を見合わせてクスクスと笑う。フィオナは何が何だかわかってないのか、不思議そうに三人を見ていた。
「あ、その髪飾りなら私見たことがありますよ」
「あら、本当? メイド長が恋人に貰ったって嬉しそうにしてたから気になってたのですよ」
「あー、あの翡翠の髪飾り? 綺麗だったわよね〜。メルに似合うんじゃないかしら」
食後、女性三人で雑談を講じている中、瑞希の膝上を占領していたメルヴィアがピクリとエルフ耳を跳ねさせた。
先ほどまではフローラの膝上にいたのだが、食後の紅茶が届いた途端に瑞希のもとへと移動したのだ。
「でも、メルちゃんには銀色の髪飾りが似合うと思いますわ」
「そうねぇ。紅色なんかも良さそうね」
「まあまあ。メルは何でも似合いますからね」
心中で瑞希がうんうんと頷く。
「何でも似合う……私、そんなに可愛いのかな」
ポツリ、と紅茶を飲みながらメルヴィアがそう呟いた。
「確かに自分で美少女だなぁって思った時もあるけど、白い髪に赤い瞳って不気味に思われないのかな……」
「でも、可愛いってのは事実だろ。俺は別にメルが不気味だなんて思ったことなんてないし。なんつーか、すっげぇ美少女だって思ったし」
「でも、出会う人の中には不気味に思う人だっているはずだよ」
瑞希はため息を吐いてメルヴィアの頭を撫でた。
「やけにネガティブになってるみたいだけどさ、メルは掛け値なしの美少女だ。正直、メルみたいに可愛い奴はみたことがなかった」
「なかなか恥ずかしいセリフ言うねミズキ」
身体を捻ってニコリと微笑むメルヴィア。とりあえず瑞希はデコピンをかました。
メルヴィアは鎧を着たままの瑞希に背中を預けると、紅茶をひとすすりする。
「……うん、ミズキが口説いてくれたからちょっと自信もてたよ」
「口説くって………」
「だって、私の周りみんな美人だよ? 男の頃なら大喜びだけど、今だとちょっとした嫉妬が芽生えるのよ。それが肉親なら尚更」
「でもさ、それってある意味ハーレムじゃん」
「それもそうなんだけどね。まあ、ミズキも私みたいになったらわかるかも。あ、でも調子乗ってべたべたくっついたらだめよ。禁断の扉が開かれるから」
「妙にリアルだな」
「私の体験談だから。今はマシなんだけど、その、昔は一瞬に寝てる時に………」
鎧が振動によってカタカタ音を鳴らす。見ると、メルヴィアが虚ろな瞳で身体を震わせていた。
「だ、だめ、お風呂は……ああ、トイレも、一人で、一人でできますから……」
「メ、メル………?」
「はっ!? ああ、私の貞操を死守していた日々がフラッシュバックしてたわ。一歩手遅れな気もするけど」
きっと壮絶な過去があったのだろう。行きすぎた姉妹愛がそこにあったに違いない。こっそり、内心で瑞希は見てみたいなぁと思った。
「…………あれは」
ざわり、と食堂内に不穏なざわめきが起こった。ユリア、フローラ、フィオナの三人が険しい表情でとある方向を見ている。
そちらを見るまでもない。この禍々しい雰囲気を持った者など一人しかいない。
「……クレスウェル」
例の黒騎士だ。相変わらず、全身黒い甲冑で身を包んで素顔を隠している。
黒騎士は人の少ない長テーブルの端に座ると注文を取った。ウェイトレスが今にも泣きそうな顔で必死にそれを覚え、やがて逃げるように小走りで厨房へと駆け込んだ。
待っている間、黒騎士は意外にもピシッとした態度で席に座っていた。
「…………あれ?」
フローラが何かに気がついたような声を上げた。そして、常のほんわかしていた雰囲気とは違った鋭い瞳で黒騎士を見つめる。
やがて注文した品が黒騎士のもとへと運ばれた。
やはり意外にも、黒騎士が頼んだのはサンドイッチ。てっきり暗黒そうなものでも食べるのかと思っていたが、瑞希は自分で自分の思考に突っ込みを入れる。
黒騎士はサンドイッチを前に手を組んだ。まるで何かに祈りを捧げているように見える。
「…………やっぱり」
フローラが何か言ったが、瑞希は黒騎士に夢中で気がつかなかった。
そして、黒騎士はサンドイッチを手に掴む。いよいよ食べるのか、と知らず知らずに瑞希は唾を飲んだ。
サンドイッチはゆっくり、どんどん口元へ運ばれていく。兜で隠されたその口元に。
そして、
「………あ」
サンドイッチは兜にぶつかって止まった。黒騎士か、それとも食堂内の誰が小さく声を漏らした。
当然だ。兜を被ったまま食べるなど、普通はできるはずがない。
わざとなのか、それとも今気がついたのか、黒騎士は兜に手をかけた。
ごくり、とメルヴィアが喉を鳴らした。
こんな、ただ昼食のために素顔を晒すのか、と瑞希は思う。
そして、黒騎士は兜にかけた手を軽く動かす。
カシャッ。
兜を脱いだ音ではない。兜の口元だけが開けられたのだ。
「あ、便利だね」
膝上の幼女が暢気に感想を口にした。
思わず突っ込みかけた瑞希はそれで冷静になり、思わず乗り出していた身を椅子に深く沈めた。
視界の端で、フローラがこちらを見てクスクス笑っていた。
なんだかどうでもよくなった瑞希は首の後ろを触れつつ辺りを見回す。相変わらず、皆黒騎士を警戒していたが、瑞希はなんとなくそこまで警戒しなくてもいいんじゃないかと思った。
「そういや、メイフィールドの奴がいないな」
「メイフィールド?」
メルヴィアが身体を捻ってこちらを見上げた。その視線は、なんだかジトッとしている。
「浮気?」
「あほ言うな」
コロッと表情を変え舌をちろっと出すメルヴィア。その仕草が似合い過ぎて思わずドキドキしてくる瑞希。
「子供みたいに小さな騎士だよ。準決勝で会おうとか言われたんだ」
「あのちっこいの知り合いなの?」
「いや、初対面。なのに、大好きだからって言われた」
「ふーん……。もしかして、ミズキの世界の人なのかもね。もしくは私みたいな転生者とか」
「心当たりがねぇよ」
「昔幼い頃に出会った女の子が、ここで運命的な出会いを………やーん」
「ますますあり得ん。それに、もしそうだとしても俺だとわかるはずがないだろ」
「そうでもないかも知れないよ? だって、ミズキの名前はここじゃ珍しすぎるもん。もしそのメイフィールドって人が転生者だったら、同姓同名で姿が似ているミズキをトリッパーだって思うかもしれないじゃん。名前を知らなかったとしても、姿だけでもきっかけになるんだよ」
「そんな、もんかね」
「転生者なら尚更じゃないかな。理不尽に日常を奪われて、その日常への回帰を望んでいたら望むほど、そこにあった何かと似ているものがあったらすがり付くはずだから。………昔の私が、死を受け入れる前の私がそうだったから」
どこか遠い目をしているメルヴィアは、確かにそのような過去を持っているのだろう。だからこそ、彼女の話には信憑性がある。
瑞希はそんな彼女の頭を軽く撫でる。
「ふふっ、慰められちゃったね」
「幼女はいつも明るく振る舞うもんです。というか、お前は暗い顔すんな」
「ミズキがもっと私を頼ってくれたら、私はずっと笑顔でいられるよ。ミズキは元の世界に帰りたい?」
メルヴィアは身体の向きを変えると、膝立ちになって目線を合わせてきた。頬をゆっくりと撫で、真剣なまっすぐな瞳を向けてくる。
それは、嘘を許さない瞳だ。
「…………ああ、帰りたい」
彼女を守りたい気持ちはある。だが、やはり理不尽に奪われた日常は取り返したい。無理に自分を偽り、優しい彼女を騙してしまうより、自分に正直になった方がいい。
………なら、あのとき立てた誓いはどうなるのか?
そんな思いがふと浮かんだが、瑞希はそれを振り払うようにメルヴィアの頬に触れた。柔らかい頬を指でなぞる。
自分を自分で惑わせてはならない。それでは、彼女を裏切ってしまうことになる。
「……なら、どうしてメイフィールドは素顔を隠すんだろうな」
くすぐったそうにしていたメルヴィアが頬に添えていた手を掴んだ。
彼女はその手を見つめながら、小さな両手で弄る。
「以前の自分とは違う。そんな状態であなたに近づいても、あなたはきっと私を受け入れてくれない。なら、今の私で精一杯近づきたい。………そんな感じかもしれないよ」
「そんな、自分勝手な……」
「そう、だね。そうかもしれないけど……余裕がない人ほど仮面を被るものだと思うから。気づいて欲しい、けどそれが怖いからそれすらも隠す」
手を見つめていた彼女の瞳が、ふいにこちらの瞳を捉える。
その瞳はどこか不安げだ。きっと、彼女はまだ自分が仮面を被っているのではないかと心配しているのだろう。
「俺はメルに嘘なんてつかないよ」
そう言って微笑みかけ、メルヴィアの頭を撫でてやる。
一瞬彼女の瞳が揺らいだが、笑顔を浮かべると再び背中を預けて紅茶をすする。
なら、あの黒騎士もそうなのだろうか。
食事が終わり、立ち上がった黒騎士の後ろ姿からは一体どんな意味で素顔を隠すのか想像もつかない。
いつの間にか再び三人で雑談していた女性陣を見ながら、瑞希は仮面の意味を考える。
「よう」
「ミズキ君」
第十一試合開始前。通路の奥から現れたメイフィールドに、瑞希声をかけた。
この小さな騎士が一体どんな思いを持っているのかわからない。
「がんばれよ」
だから、ただ一言それだけを伝える。
自分ではまだ小さな騎士の思いを汲み取ることができない。なら、彼、もしくは彼女がこちらに歩んでこようとしてくれているなら、せめて自ら仮面を外す決心をしてくれるまでこちらも歩んで行くしかない。
本当に自分を頼ってくれるようにしないといけないと瑞希は思う。
「……うん。頑張るよ」
仮面の奥で、確かに笑う気配がした。
少し近づけただろうか。決闘場に向かう小さな背中を見送りながら、瑞希はそう思った。
第十一試合は小さな騎士の圧勝で終わった。