第二十四話:スパルタ特訓
ガギィン! という音と共に、瑞希の持っていた剣は天高く舞った。
その瞬間、横合いから迫ってきた細剣を本能的に交わし、距離を取ろうとする。
それが、致命的だった。
「甘い!」
鋭い一言と共に、右下から残像を残しながら2メートル級の大剣が迫り、程なくして瑞希は意識を失った。
「…………ユリア先生。俺殺す気だったでしょう」
数分後、例によってクリスタルで強制的に回復させられた瑞希は、目の前で苦笑いを浮かべている怪物にジト目を向ける。
「いや、ごめん。なんか、さっきのミズキ君めちゃくちゃ早かったからつい……」
「ついですか!? しかも殺す気だったのは否定なしですか!」
「でもほら、鎧あるから大丈夫でしょう?」
「大丈夫でしょうじゃないでしょう!? ユリアさん、これ、わかります? この、血がべっとり付いてひしゃげた無惨な鎧君です。今までで一番酷くないですか? 酷いですよね。俺さっきのはマジで死んだと思ったんですよ!?」
今までのスパルタで溜まっていたストレスがここにきて爆発したのだろう。次第にヒートアップしていく瑞希に、ユリアは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
師匠が弟子に叱られるという情けない師弟姿であるだろうが、果たして瑞希と同じ立場に立った者はそれだけの余裕が残されるだろうか。
そう、余裕である。
訓練で何度も臨死体験をしているのに、普通にガミガミ言えるのは恐らく彼だけだろう。
王都から、馬車で丸一日の距離にある交易都市プリムローズに着いたのがつい先日。もちろん、強制的に実力を上げなければならない瑞希はそのまま武競祭に参加する騎士たちが使う専用の訓練場の一つに連れて行かれ、スパルタ特訓をやらされた。
そのスパルタ特訓というのは、甲冑を身に付けての本格的な実戦訓練である。
もちろん、木剣でやっている為にそこそこは安全であるのだが、戦場で戦女神と呼ばれるユリアの手加減なしのコンボの前には、安全の文字など皆無であり、いくつかの骨と甲冑、あと木剣をダメにしてきていたりする。
そして、今日。ユリアは訓練場にドデカイ大剣とレイピアを持って現れたのだ。
曰く、ちょっと本気だす。
今まで本気だった癖に何を言う、と少々イラつきながらもそれを了承してしまったのだ。
その時の彼は、今まで木剣だったがそろそろ武競祭に向けて真剣で訓練をするんだろう、ぐらいにしか思っていなかった。
故に、とある可能性に気がつかなかったのだ。なぜわざわざ二本も剣を持って来たのか。多分、それぞれの武器に慣れさせる為なのだろうと考えていたのだ。
しかし、それが間違いであると訓練開始直後に瑞希は思い知らされた。
……信じられるだろうか。
ユリアは、2メートル級の大剣とレイピアを両方持って瑞希に襲いかかってきたのだ。
それも、恐ろしいことに今まで以上の目で追えないほどのスピードで、しかも大剣を普通の剣の如く振り回すなんて人間離れした動きで。
本来、2メートルもある大剣を片手で振り回すことなどできない。それが女性であるならば尚更だ。持てるとしてもバカでかい図体の持ち主でなければ無理だ。
ユリアは見た目普通の女性だ。異常な程ムキムキでも、でかくもない。170センチ台の長身の美人である。
確かに彼女の身体は鍛えられ引き締まっているが、理想の女性の体つきで留まっているに過ぎず、間違っても2メートルの大剣など片手で持てる体格ではない。
「つーか、なんでそんなもん片手で持てるんですか」
「ん。そっか、ミズキ君魔術の心得ないんだったかしら」
「一般人にそんな技術あるわけないでしょう」
ため息を吐きながら言う彼に、ユリアはふむ、と顎に手を当て考え込む。
そうして何か纏まったのか、ユリアは徐に地面に突き刺していた大剣に手をかけた。
反射的に身構える瑞希に、ユリアは苦笑しながらそれを持ち上げる。もちろん片手で。
「いくら一般人とは言え、ミズキ君も旅人だから知ってるわよね? 魔力付加について」
知らない、そう言いかけて瑞希は口を閉ざした。
彼の立場は旅人なのだ。恐らく、これから彼女の語る魔力付加とやらはこの世界の常識なのだろう。
今さらながら、その常識を知らないという事に焦りが生じてくる。が、ユリアはそんな彼の変化に気がつかず、そして沈黙を肯定として受け取ってくれたようで、大剣をゆらゆら揺らしながら話を続ける。
「魔力付加はその通り、魔力を付加して物や自分自身を強化する術なんだけど、これは厳密には術と呼べるものではないの。知っての通り、魔力とは誰もが持つ生命力よ。その生命力は、土壇場での感情の高ぶりによって変化する。ミズキ君もあるでしょ? 火事場のバカ力って奴。それを意識的に行うのが、魔力付加なのよ」
はぁ、と若干目を逸らしつつ瑞希は相槌を打つ。
そんなの知らないです、と言えないのが歯がゆかった。
「これは精霊術士以外の魔術士、騎士の初歩の初歩の技術なのよ。これを意識的に扱えるようになって、ようやく半人前と言ったところかしら。私が今こうして大剣を片手に持てているのはその魔力付加のおかげなの。だから、これを切ると……うわっ、と」
よろり、とユリアの身体が傾きズシンと地面に剣が突き刺さった。
ユリアさんがよろけるなど初めて見た、と瑞希は全く関係ない事を考える。
「まぁこんな感じね。こうなると、私の膂力じゃ両手で持ち上げるのがやっとね」
うんしょっ、と頑張って両手で大剣を持つユリアに、不覚にもときめいてしまう瑞希。
それを誤魔化すかのように、瑞希は浮かんだ疑問を口にする。
「魔力付加はまあ大体わかりました。でも、そういうのって目には見えないんですか?」
「普通は見えないわね。魔力は生命力で、生命力なんて見えるもんじゃないでしょう? 魔力に属性を付加すれば見えるものだけど、基本的には魔力は無色なのよ」
「んじゃ、精霊術士以外というのは?」
「あー、何て言うのかな……。精霊術士は、精霊っていう存在に身体強化を任せてる、って言えばいいのかしら。精霊術士って、魔力を全て精霊の制御に使うから魔力付加ができないのよ」
ほぉーと瑞希はわかっているのかそうでないのか判断しづらい反応を見せる。
「魔力付加で身体能力が幾分か上がるのは共通点なんだけど、魔力性質に合った魔力付加をすれば、その分性能は劇的に上がるわ」
さすがにもう理解の範疇を越える。知らない単語が次から次へて出てもう覚えきれないのだ。
「要するに、魔力付加は覚えとけってことですか」
自分なりの解釈に、ユリアは肯定的に頷いた。
「その点はまあ、合格ライン行ってるんじゃないかなミズキ君は」
「はい?」
「局地的だけど、ミズキ君は無意識に魔力付加をしているわ。じゃないとさっきの私の動きに追い付けるはずがないもの。思わず本気で剣振っちゃったぐらいだし。多分、メルちゃんのおかげじゃないかしら?」
「メルの……? というか、やっぱり殺す気だったんですね」
「そんな細かいこと気にしないの。……まあ、あのおかげでミズキ君強くなってるみたいだから。ちゃんと褒めてあげなさいよ?」
そう言われ、瑞希は曖昧な笑みを浮かべた。
確かに、言われてみればなんとなく強くなった自覚はある。あるが、あのやり方は少々よろしくないと思うのだ。
「何か不満そうね。素敵なプレゼント貰ってるのに」
「いや、不満ってわけじゃ……ただ、もうちょっとマシなやり方でやって欲しかったっていうか」
「あー、確かにそうかもね。あの時のミズキ君ちょっとヤバそうだったし。………でも、あの子なりのスキンシップなんでしょうから、ちゃんと構ってあげなさいよ?」
ユリアの言葉に、瑞希は苦笑を浮かべた。
「………やっぱり、魔力付加が使いこなせてないわね」
「ど、どっちです、か、使いこなせてないのか、使いこなせて、るのか」
ゼェゼェハアハアと、膝をついて空気を貪る瑞希。
そろそろ本選が明日ということも合って、今日は割りと手加減してくれていたのか、瑞希の鎧は所々へこむだけで済んでいた。
特注の鎧をへこませるなど異常の一言なのだが、今更である。ついでに、特注の鎧を潰しているせいでその分の予算がアーマッドに回っているが、今この場には全く関係のない話だ。
「いや、うーん……多分使いこなせてると思うんだけど……だって、ミズキ君動くとき鎧の重さとか気にならないでしょう?」
言われてみて、瑞希はようやく鎧の重量を感じた。
只でさえよれよれだった身体に重さが加わり、瑞希はガクリと両手地面につけた。
なんとなく、瑞希は癒しが欲しくなった。なんでこんな目に合わんといかんのだ、と次第に苛立ちが募っていく。
そうして、何やらモヤモヤと瑞希の身体から虹色の燐光が漏れ始める。
「………そう言えば、ミズキ君の魔力属性って何なの? 私は風なんだけど……ミズキ君のは……全部?」
そう言った瞬間、瑞希から漏れ出ていた光が引っ込んだ。どうやらユリアの声で我に帰ったらしく、何か言ったか的な様子で見上げてきた。
「……………?」
「あ、うん。ミズキ君の魔力属性何かなぁって。ほら、火とか風は赤とか緑でしょう? 魔力付加の時に属性を追加したらその人の持つ魔力属性の色になるはずなんだけど……ほら、ミズキ君の虹色だし」
「はぁ。全部ってことなんじゃないですか?」
「ふむ……そうかもしれないわねぇ。いやはや、メルちゃんも何気にすごいことやらかしてるけど、ミズキ君も何気にとんでもなくすごいのね」
「はぁ。メルはまぁわかるとして、俺がすごいというのは……」
「だって、普通魔力属性は一人一つしか持てないもの」
「……あれ、それ何気にすごくないですか?」
「うん、すごいわよ」
何だか普通に答えるユリアに、瑞希は本当にすごいのかわからなくなった。というより、元から全くこの世界の知識を知らない為仮に驚かれたとしても実感がわかないだろう。
とりあえず、体力的にもう限界である瑞希は均された訓練場の土の上に寝転がる。兜の隙間から見える青空が妙に目に滲みる。そのせいか、少々思考も変なものとなりはじめる。
「……ああ、父さん母さん。青空ってこんなに美しかったんですね。なんか心に滲みるぜこんちくしょー」
どうしてこんな事になってんだろ、そう思いながら瑞希は兜を脱いで放り投げる。
「むー、今日はつまら――いたっ!?」
「あら、メルちゃん」
放り投げたところで突如出現したメルヴィアにヒットしたらしい。割りと痛々しい音と悲鳴が大の字になってる瑞希に届いた。
「うー、何よ、みんな私の頭が嫌いなの? 恨みでもあるの?」
どうやら頭にヒットしたらしい。メルヴィアは頭を擦りながら地面に転がっている兜を忌々しげに睨んでいる。
「えいっ」
そして可愛いらしい掛け声と可愛いらしい蹴り方でその兜をキックした。
ガシャッという音と共に宙を舞う兜。それは綺麗な放物線を描くと、程なくして地面に着地を果たす。
「がっ!?」
否、目を瞑っていた瑞希の顔面にピンポイントで墜落した。
「あははは、鼻は狙ってないから大丈夫だよ〜」
彼女の言う通り、蹴り上げた兜は正確に瑞希の額に命中している。
「そういう問題じゃねぇだろ!――――っつぅ」
悶絶していた瑞希は不意討ち気味に起き上がろうとするが、身体中が痛いらしく再び大の字に地面に寝転がった。
隙ありとばかりに瑞希の頬をつついたり引っ張ったりするメルヴィア。ついでに耳たぶを引っ張ったりする。
「ああ、なんかメルちゃん見てると和むわねぇ」
メルヴィアの背筋に言い知れぬ悪寒が走る。反射的に振り返ってみるが、声の主であるはずのユリアは母親のような笑みを浮かべているだけだった。
とある姉と同じ気配を感じたのは気のせいだろうか、そう首を傾げつつメルヴィアはさっと立ち上がった。
「稽古はもう終わりなの、ユリアさん?」
「今日はこのぐらいで、ね。もしかして見たかった?」
「それもあるけど、私もやってちょっとみたかったから。今までお姉さま達と一緒でこれなかったので」
瑞希たちが特訓中の間、メルヴィアは姉たちと予選を観戦したり一足先に街を回ったりしていたのだ。
そのため、今の彼女の服装は新品なものとなっている。しかし、その首についた首輪が相変わらずというのが、ユリアを何とも言えない気持ちにさせた。
もちろん、あの一件のあとはオースティン自らが彼女の首輪を外そうとした。だが、どういう訳か外すことが出来なくなっていたのだ。
それが表情に出ないよう笑顔を浮かべ、ユリアは努めて明るい声で話す。
「そっかそっか。あ、じゃあ予選とか観てたのかしら?」
「見てましたよ。お姉さま達とは一緒にいられなかったですけど」
が、メルヴィアのその返答で危うく表情が暗くなりかけた。なんとか表情を保てたのは言っている本人が全く気にかけていない様子だったからだ。
が、無理をしているという可能性もある。そうだとしたら、少し気の紛れることをしてあげなければ、とユリアは思い立った。幸い、彼女が今一番何がしたいかを先ほど口にしている。
仮にも一国の王女にそんな危険な真似をさせてはならないのだが……少しでもストレスを発散させるなら運動が一番だ、と理由をつけた。
それが、少々肝を冷やすことになるとは知らず。
ユリアは一応準備していた木剣二本を手に持つとメルヴィアへと振り返る。
「メルちゃん、さっきちょっとやってみたいって言ったわよね。やってみる?」
「いいの!?」
途端に目を輝かせるメルヴィア。興味津々と言ったその様子はやんちゃな姫そのもので、ユリアは自然と笑みを溢していた。
「ユリア先生。ないとは思いますけど、相手は幼女ですからね」
「君は私をどう思ってるのよ………」
ため息を吐きつつ、ユリアはメルヴィアに片方の木剣を渡す。
受け取ったメルヴィアは感激した様子でそれを掲げたり、ブンブン危うい感じで振り回したりする。
つい先日真剣を手に持ったはずなのに、まるで初めて剣を握ったような反応はなんとも可愛いものだった。
「じゃあメルちゃん、好きなように打ち込んできて」
そう言うと、剣に振り回されていたメルヴィアが緊張した面持ちで剣を構えた。
素人、しかもお嬢様丸出しのその構え方はユリアと瑞希にとって微笑ましい光景だった。
「えいっ」
そうしている内に、メルヴィアが真っ直ぐ剣を降り下ろす。恐る恐るやっているのはやはりというか、微笑ましいものだった。
ユリアはメルヴィアの体制を崩さない程度に弾き、たまにゆっくりと剣を振ったりする。
「えいっえいっ、うわわ、やぁっ!」
「焦らず、落ち着いて剣を振るのよ。そうそう、メルちゃんなかなか上手ね」
「え、えいっ! できてるかな…?」
「うんうん、できてるわ」
「えへへ……えいっ!」
少しだけ剣を振らせてあげる程度だったのだが、ちょっとした出来心でアドバイスをする度に嬉しそうに笑顔を浮かべるものだから、ついつい本当の稽古のようにしてしまう。
何しろ、アドバイスした通りに理想の太刀筋を描くのだから最近できた師匠魂に火がついてしまったのだ。
そして、ある程度打ち終えたところで、満足でもしたのか満面の笑顔でユリアから一歩下がった。
ユリアは構えを解こうとするが、途端にメルヴィアがものを取り上げられたような表情となる。
「あ〜、今から本番なのに」
ユリアは苦笑しながら再び木剣を構える。どうせ時間はたっぷりあるのだ。彼女が満足するまで付き合ってあげよう、とユリアは思った。
「あんまり強く振りすぎて手を痛めないようにね」
「大丈夫ですよ〜」
本番、というぐらいだから今までより強く剣を振ってくるだろう。一応そう注意して、なるべく衝撃を感じさせないように受け止めようとユリアは少しだけ真面目に構えてみせた。
相手は王女、それ以前に小さな女の子であるのだ。絶対にケガをさせてはならない。
「………よし」
何度か深呼吸をし、息を整えたメルヴィアは真正面に剣を構えて腰を落とす。
ユリアは一瞬だけ目を見開いた。ちゃんとした構え方など教えていないのに、メルヴィアはしっかりとした構え方をしてみせたのだ。
予選を見ていたはずだから、そのイメージ通りにやっているだけなのだろうがそれでも下手な武人がやるよりずっと綺麗な構え方だった。
この子にも剣の才能があるのでは、とユリアは思った。
「……………行きます」
思ったところで、ユリアは漠然とした危機感を感じ思わず瞬間的に身構えた。
そして、その無意識な判断が間違いではなかったと知ることとなる。
「ひてんみ、みちゅ、……くずりゅうせんー!」
噛みでもしたのか途中を省略しながらたどたどしく、どことなくほんわかした掛け声と共に迫る、
九つの斬撃。
「(うそ………ッ!?)」
はっきり言って、めちゃくちゃな剣速だ。そして、メルヴィア自身の動きも早かった。気がつけば、九つの斬撃がもうすぐ側まで来ているのだ。
無意識に防御体制を取っていたユリアは瞬時に意識を切り替え全て捌こうとして、
「ぶふっ」
盛大にすっこけたメルヴィアを見て唖然となった。
「い、痛た………うう」
噛んだことを誤魔化そうとして勢いよく突進し、ちょっと頑張り過ぎてこけてしまったことが恥ずかしいのか、メルヴィアは首まで真っ赤にしてぺたんと座り込んだ。
俯いていたメルヴィアが顔を上げ、身構えていたユリアと視線が合う。
じわり、とメルヴィアの瞳に涙が溜まった。
「だ、大丈夫?」
ユリアは内心の動揺を隠すのに精一杯で、メルヴィアの無防備な姿に反応する余裕がなかった。
次回、いよいよ武競祭本番です