第十九話:処刑の理由、本当の伝承 後編
……なんか、無理やり感いっぱいな気がする
その日の夜。様々なハプニングで喧騒に溢れていた城内も、今では不自然なぐらいに静まり返っていた。
結果的には、今回の一連の騒動は解決したと言える。城下町は『神の救い』のおかげか元から暴動紛いの騒ぎはなく、一番バタバタしていた軍なども王自らが静めた。
一連の騒動は収まった。しかし、根本的な問題が解決したわけではない。
今現在、『白髪紅目のエルフ』は処刑された扱いになっている。もちろん『扱い』であって、その対象であるメルヴィアは無事生きている。だが、彼女の境遇が根本的に変わったわけではないのだ。国会指名手配は消えたとは言え、また城の最深部にて人の目をはばからって生きていく生活に変わりはなかった。
第三王女は存在しない事になっている。今回の一件で多少、彼女の存在が広まる事となったが主要人物意外の記憶はその第三王女本人によって削除されてしまっている。これは王室の体面を守るためであり、彼女なりの愛国心であった。
それが、とある伝承によって致し方ないとは言え末娘を殺そうとした事実に塞ぎ込んでいた王を立ち上がらせることとなり、謝罪も含めてその理由を明かすこととなった。
場所は、城内にある王族専用の食堂。長いテーブルの席に着く人物は、王と、第三王女以外の王女たちと、王室騎士団団長、非公式に新生された蒼翼騎士団団長と、最後に今回の一件に巻き込まれた旅人だ。
第三王女メルヴィアがいない理由は、これから聞かせる伝承を聞かせたくなかったからだ。こんな馬鹿げた伝承を信じて殺そうとした、など本人の前で言いたくなかったのだ。今頃は彼女の部屋にて母であるクラレンスと他愛ない会話をしているだろう。
「お父様、いい加減死にそうな顔はしないで下さい」
沈黙が続く食堂内で、第二王女フィオナの棘のある声色が響く。
「う、うむ。すまない。……いや、やはり私は父親失格だな、と」
「お父様は不器用ですから。お父様なりに、あの子の為を思っていたのでしょう?」
第一王女フローラが優しい表情と優しげな口調でフォローするが、恐ろしいことに彼女の目は一切穏やかではなかった。物凄く冷たい光を宿したその瞳が、言外に『お前は父親以前に生物として失格だ』と言っている。フィオナもフィオナで十分恐ろしいのだが、静かなプレッシャーを正確に本人にのみぶつけてくるフローラは、流石第一王女と言えた。双子の妹であるフィオナとは、色々とレベルが違っている。
「……それで、メルを……いや、メルヴィア様を処刑しようとした理由は」
「畏まらんでいいよミズキ君。君はメルヴィアの恩人であり、友人だ。厚かましいだろうが、私にとっても君は恩人であって友人なのだよ。だから、自然体でいて欲しい」
王様、というより一人の父親の雰囲気で話しかけてくるオースティンに、瑞希は驚いた。
「そうだな……まず、あの子のことを少しだけ話そうか」
―――メルヴィアは聡明な子だ。
言語を覚えるきるのに1ヶ月はかからなかったし、歩き始めたのもエルフであることを鑑みても異常と言えるほど早かった。
私はその時、あの子が天才であることを信じて疑わなかった。何をやらせても教えた通りに、もしくは私より上手くやってのけた。当時は妻も、娘も混じってあの子の天才ぶりに喜んだものだ。だが、その時から私はあの子に恐怖心を抱いてしまっていた。もちろん、あの子自身が怖かったわけじゃない。あの子があの子ではなくなることに、恐怖心を抱いていたのだ。
「……メルちゃんが、メルちゃんじゃなくなる……?」
真剣に話を聞いていたユリアが、怪訝そうに首を傾げていた。僅かに身を乗り出していた瑞希も同じ疑問を抱いてオースティンを見つめる。
それには心当たりがあったのか、フローラが若干表情に陰りを見せる。
「今はとっても明るいんだけど、一時期暗い時期があったんです。それだけならまだ大丈夫だったんですが、あの子たまに自分を違う名前で………」
それを聞いた瑞希はどこか納得したような表情を見せた。
瑞希は彼女が転生者であることを彼女自身から聞かされているから知っているのだ。前世はしがない男子高校生であることを、日本に住んでいたということを。
「そう言えば、最初はなぜか男っぽかったわよね。自分を『イオリ』って言ってたし」
フィオナの口から出た『イオリ』という名前に、瑞希は確信を持った。持つと同時に、彼女が元男であることを改めて認識し複雑な気持ちになった。あれが嘘の言葉なら、という希望がほんの少しだけあったのも否めない。何せ、今は愛嬌たっぷりな完全女の子なのだから。
だが、フローラはそれを言ったわけではなかったらしい。しかし、他の皆はそんな彼女に気づかず話を進めていく。
「そこで王家に、正確には王のみに語り継がれた伝承に結び付く。あまり内容は変わらないが、生まれながらにして聡明であることとまだ生まれて間もない時自分を一度でも違う名で呼ぶこと。……もちろん、そんな馬鹿げた伝承など信じていなかった。だが、あの子が一度暴走してから……」
「暴走?」
瑞希の言葉に、王が頷く。暴走と言う言葉に反応したのは、なにも彼だけではない。アーマッドやフローラが驚愕に目を見開きながら、どこか納得したような表情をしていた。
「王都の人間全員が、意識不明に陥ることとなってな。そのまま息絶えた者もいる。私とクラレンス、フローラとアーマッドは無事だったから何とか被害は最小に抑えられた」
「そ、そんなの初耳です!」
フィオナが声を荒げて席を立つ。が、ユリアに宥められ渋々と席についた。
「その時の者以外全員意識がなかったからな。知っているのは私たちだけなのだ」
「……もしかして、宮廷魔術士長が亡くなったのは……」
オースティンはそれに答えない。だが、その沈黙は肯定を示しているのと同じであった。
「……フィオナ、メルを恨まないであげてね」
「私をお父様と一緒にしないで! ……私たちが、あの子を無理に閉じ込めていたことにも責任があるでしょう。私たちがお爺さんを殺したのと同じよ」
申し訳なさそうに俯くオースティン。どうやら最初の言葉が効いたらしく、うっすらと目尻が光って見えるようだ。
「………あれが伝承の片鱗だとするなら、このままでは間違いなくあの子に辛い思いをさせてしまうと考えた。だからと言ってすぐにこの手にかけようとしたわけじゃない。あの子の力の源を封じようと、消失させようと努力した。……だが、全て通じなかった。なにも、してやれなかった。魔王と呼ばれていたのに、何一つできない自分をあれほど悔やんだのは今までになかった」
「……それで、あの子の心を痛めつけるやり方をしたのですか」
それまで黙っていたアーマッドが、僅かに表情を歪めてそう呟いた。
「……確かに、私はとても残酷な方法を取った。……初めから嫌われているなら、いっそと自暴自棄に」
「そう思ってるわけないでしょう!」
とうとう堪忍袋の尾が切れたのか、勢いよく席を立ったフィオナがオースティンへと駆け寄った。胸ぐらを掴んで無理やり立たせると、殺意に近い怒りを視線に込めて父親を睨み付けた。
「あなたのような鈍感にはわからないでしょうけどね、あの子は、メルは一番あなたの事を好いていたのよ! 私たち姉妹の中で一番あなたを理解してたのよ! 例え怒られても、あの部屋から一歩も外に出してもらえなくとも、メルはあなたを信じてたのよっ! それなのに、あなたはあの子の気持ちをろくにみないで―――」
「やめなさい、フィオナ!」
慌ててフローラが止めに入る。引き剥がされたフィオナは納得いかないようにしばらく睨み付けたが、やがて苛立たしげに視線を逸らすと早足で席についた。しかし、なぜか瑞希の隣という先程とは違う席に。
突然隣に座られた瑞希は内心びくびくするが、なるべく自然な態度でやり過ごす。
「あんな父親よりこいつの方がよっぽどマシよ」
「そりゃどういう意味だよ」
「うるさいわね、変態」
思わずツッコミを入れたところで、フィオナがジロリと睨み付けてきた。と思ったら明後日の方向にぷいっと目を逸らす。
まだツッコミたい部分はあるものの、彼女なりに認めてくれているのだろうと思い視線をオースティンに戻す。
オースティンはしばらく無言でいたが、やがて自嘲するような笑みを浮かべて天井を仰ぐ。
そして、視線を元に戻すとどこか意志の強さを感じさせる瞳で一同を見渡した。
「なら、私は全力で罪を償わなければならないな」
「もしかして、王を止めるだなんて言いませんよね」
何となく瑞希が口にしたその言葉に、王以外の全員が目を見開いた。
だが、オースティンは声を上げて軽快に笑ってみせる。
「そんな愚直なことをすれば、娘たちに殺されてしまうよ。……伝承には続きがあるのだよ」
「続き?」
誰かが呟いたその言葉に、オースティンが不敵な笑みで頷く。
「怒れる白髪紅目のエルフは国を滅ぼす。しかし、一度宥めればもう国の脅威になることはない。……私の祖父は、この国の英雄だった。そして、その祖父の付き人が白髪紅目のエルフだったという不思議な話がある」
いまいち要領を得ないその言葉に、一同が揃って首を傾げた。だが、皆どこかでもしかしてという思いが表情に出ていた。
あのあと、メルヴィアのこれからが決まった。
第三王女を、存在することにする。
オースティンは最初からそれを言うつもりだったらしい。変に出し惜しみをしたことであの後フィオナに追いかけ回されるのだが。
王はこれを簡単に言ってのけたが、実際にはそう簡単にいくものではない。今まで存在を秘匿していたことが、王室への不信に繋がるからだ。
だが、オースティンは今回の騒動を使って何とかしようとすると言った。そうすれば、大幅に時間も短縮でき面倒ないざこざがあまり起きないとのこと。
ぜんぜんさっぱりな話であったが、とりあえず瑞希は彼女の境遇が一変するならとあまり深く考えることはなかった。
「……んああー」
城内で特別に貸し当てられた一室のベッドに倒れ込んだ瑞希は、高級ベッドのふかふか感を堪能しながら気だるい声を吐き出す。寝返りを打って仰向けになれば、何やら夜空をモチーフにした絵柄がそこに広がっていた。
「………一ヶ月」
メルヴィアが公に第三王女として、一目をはばかって生活しないように済むようになる準備期間だ。
その後の大きな式をもって、ようやく彼女は日の目に出ることができる。瑞希はそれが自分のことのように思えて安心し、喜んだ。
さすがにその一ヶ月間は閉じ籠った生活を続けなければならないが、それが過ぎれば彼女は自由だ。いや、王女としてまた別の囲いに囚われて生きることになるかもしれないが、今までとは段違いの生活が送れるのに間違いはなかった。
存在していないと扱われていた彼女が、一ヶ月後になると王女として華々しい生活を送れるようになるのだ。それぞれ彼女を第一に考える素晴らしい家族がいるから、きっと一ヶ月後の彼女の生活はとても幸せな日々になるだろう。
「………やんちゃ姫って呼ばれるだろうな」
ふと、その時の彼女を想像して瑞希は可笑しそうに笑った。
それと同時に、瑞希は自分の未来も考えてみる。
「…………あるぇー」
考えて、何やら嫌な予感しかしないことに気がついた。
自分は異世界人だ。だが、メルヴィア以外のみんなは自分をただの旅人だと思っている。実際に自分は旅人だと自己紹介した。
なら、この一件のあと自分はどうなる?
ここは城だ。辛うじて今回の関係者として中に入れてもらっているし、フローラの好意で特別にここに止めさせてもらっている。今自分がここにいられるのは全て『特別』であり、自分はあくまでただの旅人という身分。さすがにどこから来たかわからない旅人をいつまでもここに置いておくわけがないだろう。
「……やべぇ、どうしよう」
瑞希は異世界人だ。今ここを放り出されれば、無一文であてのない彼は確実に野垂れ死にする。ファンタジーな世界なら尚更だろう。
いや、しかし。秘匿にされていたとはいえ第三王女助けているのだ。それの褒美が出てもおかしくない。いや、ただの礼で終わるかもしれない。ご都合主義などそうそうないのだ。例えなにか褒美を貰えても、それが金品であってもしばらく生き永らえれるというだけであっていずれはひもじい思いをすることになる。
「……ああ、父さん母さん。先立つことをお許し下さい」
現実というのを肌で感じた瑞希は、そこでホロリと涙を流す。
「何言ってるの?」
と、その時耳元で幼い声が聞こえてきた。盛大に驚いた瑞希はそのままベッドから落ち、後頭部を思い切りぶつけることとなる。
そして聞こえてくる笑い声。ベッドの方を見てみると、いつからいたのかメルヴィアがベッドから落ちた瑞希を笑いながら見下ろしていた。
「め、メル? お前、どこから入ってきた!」
「ぷっ、ふふ。最初からいたよ、ベッドの中に。気づかなかった?」
「いや、てかなんでここに」
自分はそんなに疲れていたのか、それとも彼女が完璧に気配を絶っていたのか。とりあえず瑞希半分混乱していた。
メルヴィアはベッドから出てくると未だに地面に落ちている瑞希の側でしゃがんで頬を突っつく。
「な、なんだよ」
「んふふ。なんでもないよー」
「なら突っつくなよ」
「やだよ。ぐりぐりー」
ぐいぐいぐい。頬の形が変わるほど人差し指を押し付けてくるメルヴィア。彼女の今の服装はほんの少し紫がかった白いパジャマ。可愛らしいそのパジャマは、今までどこか大人びていた彼女が年相応に見えてしまう。
瑞希は一度立ち上がると軽く背伸びをしてからベッドへと腰かける。その隣にささっとメルヴィアが腰かけ、何やらニコニコ顔でこちらを見上げてきた。
何となく頭を撫でたくなった瑞希はその思いのままにメルヴィアの頭を撫でる。彼女の髪はとてもサラサラしていて、全く指に絡みつかず滑り落ちていく。
「お父様、フィー姉さまに怒鳴られなかった?」
「ん……ああ、確かに怒鳴ってた」
「王家の伝承と、処刑のこと言ってたでしょ?」
「詳しい伝承を聞かされたな。なんでも、王様にだけ口伝で伝えられるものも話にでてた。んで、処刑は取り消されて、一ヶ月後にメルは堂々と日の目に出られることになるぜ」
「……そっか」
「そっかって……リアクション薄いな」
いつの間にか止まっていた手から、さらりと髪が零れる。
メルヴィアは一度こちらを見て微笑むと、瑞希の胸に自分の頭を預けた。
予想外の行動に、瑞希は思わずドギマギする。
「実感なんてないんだ。なんか、あっという間に時が流れちゃって」
頭を預ける彼女の口調がどこか弱々しく感じ、瑞希はメルヴィアの細い肩に手を回していた。左手も彼女の柔らかくて小さな両手に掴まれていた。
「……もう、お父様にもお母様にもお姉さまたちにも見捨てられて、そのまま生きて行くんだと思ってたから。お姉さまたちが迎えにきたって言った時も全然信じられなくて、私を誘き寄せる罠だと思って。さっきのさっきまでそう思ってたんだよ? それに、隙を見て仕返ししてやろうなんて考えてて。でも、お母様がお父様の本当の気持ちを教えてくれて……」
気がつくと、彼女の身体は微かに震えていた。瑞希はそれを抑えるかのように腕に力を入れて、メルヴィアの小さな身体を抱き寄せる。
「……嘘だって思ってたんだ。私をここに留めるだけの口実なんだって、思ってたんだ。さっきまで、そう思ってたんだ。私がここにいたのも、ミズキに仕返しのことを話そうって思って……」
「もう終わったんだ。一ヶ月後には普通に生きられるんだ。もう処刑なんてされないんだぜ」
「……うん、うん。だから、さっきの、さっきのミズキの、言葉でぇ……」
その先は嗚咽となって続かなかった。しきりに肩を震わせ、少し声を上げて泣くメルヴィア。
瑞希は彼女の身体を持ち上げ自分の膝の上に置いてしっかりと抱き締めた。背中を優しく撫でて、思う存分泣けるようにする。
しばらくした後、メルヴィアは瑞希の腕の中で深く深呼吸して言葉を続ける。
「形はどうあれ、お父様たちは私を大切に思ってくれてた。私のためにいっぱいがんばってた。でも、私はお父様たちの気持ちをろくに見ないで、勝手に恨みをもって。本当にバカだよね。親不孝ものだよ」
「……お互いさまだろ。メルも最初は、ちゃんとわかってたんだろ?」
瑞希の言葉にメルヴィアは微笑んだ。泣いて少しだけ赤くなった頬は不謹慎にも美しいと思った。瑞希の手は無意識に彼女の目尻に溜まった涙を払っていた。
「買いかぶりだよ。……でも、うん、そうかもしれないね」
メルヴィアは涙を払っていた瑞希の大きな手に自分の手を添え、ゆっくり瞳を閉じた。その時涙を拭きとった筈の目尻に涙が通って頬を顎を伝い、瑞希のシャツに滴り落ちる。
「メル………?」
「ちょっと、嬉しくて」
「嬉しい?」
「うん。……だから、このまま」
しばらく沈黙が続く。だが、その沈黙は決して悲しみを帯びて折らずどこか暖かなものであった。
自分の手を頬に添えて瞳を閉じたメルヴィアは、とても美しかった。人形のようにも見えるその美しさは、しかし掌に感じる暖かな体温を確かに感じ決して人形とは違う美しさがそこにある。
瑞希の脳裏に、自然と浮かんできた光景。自分が彼女の騎士であろうと誓ったあのとき。
今の彼女は、その時のような弱さを感じないが、手放すとすぐに消えてしまいそうなその儚さは以前とまるで同じであった。
――手放したくない。失いたくない。ずっと守ってあげたい。
そんな気持ちが、自然と浮かんでくる。
やがて、彼女はゆっくりと瞳をあける。眠りから覚めたような彼女の紅い瞳は、犯しがたい神秘を感じる。
そして少しだけ頬を染めた彼女は、頬に添えていた手をゆっくりと離して顔をしかめる。
「……自分でも言うのはあれだけど、元男とは思えないよ」
「昔なんて関係ないだろ。メルはメルだ」
「言うねミズキ。……まあ、昔の自分なんてもう思い出せないし」
「イオリって名前だったんだろ?」
「おや、お姉さまに聞いたかな? まあ確かにそんな名前だったっけ。もうどう書くかなんて覚えてないよ」
「おいおい、いいのかよそんなんで。仮にも自分の過去だぜ?」
「ふふっ。いいのよ。まんざらでもない人生だったって覚えておけばいいんだから」
そう笑って、メルヴィアは瑞希から離れた。一気に彼女の体温が離れ、少しだけ物寂しく感じる。
ベッドから離れ、瑞希の前で腕を広げてくるくる回る彼女は、どことなく楽しそうだった。
「スッキリしたか?」
「おかげさまで。ありがとね、ミズキ」
面と向かって笑顔で礼を言われるのはなんとも気恥ずかしいものだった。しかもその笑顔がとても美しく、瑞希は早まる鼓動を自覚しなければならなかった。
いい雰囲気というワードが、彼の脳裏を掠める。同時にさりげなく、色々と恥ずかしいことをやっていたのに気がつき、瑞希はそれを紛らわすようにポケットな手を突っ込んだ。
「ん………」
そこで手に触れた物に首を傾げながら、瑞希は徐にそれを取り出す。
出てきたのは、彼愛用の携帯電話。そう言えば持ってたなあ、と思うと同時によく壊れなかったなと苦笑をしつつ電源ON。無事に起動したディスプレイ画面には、ちゃんと満タンの電池マークに圏外表示のアンテナ。
「何してるのミズキー?」
いつの間にかベランダに通じる大窓を開けていたメルヴィアは、背中越しに彼が何かをつついているのに気がつき、駆け足。そしてそのままの勢いで彼の背中に張り付き、肩越しに瑞希の手元に目をやった。
「あれれ、携帯じゃん。おお、久しぶりに見るなぁ」
背中に柔らかい感触、耳に吐息を感じて強制的に意識されつつも、肩越しに手を伸ばす彼女に携帯を手渡す。
受け取ったメルヴィアは彼の背中に持たれたまま、目の前で色々と瑞希の携帯を弄った。久方ぶりだからか手が小さいからか、両手で携帯を操作する彼女の指の動きはどこかぎこちないものだった。
「あんまり長く使うなよ。電池勿体ないから」
「充電すれば大丈夫でしょ。私の魔術で瞬間チャージ」
「何でもアリだな。つか、できるのかよそんなこと」
「できるんじゃないかな。それか『妖精さん』に頼めばなんだって思い通り。精霊術の精度なめんなよぅ!」
やたらとハイテンションなメルヴィア。まだ幼いくせに確かに胸はあるな、と背中の感触を意識しつつ、目の前の携帯のディスプレイを見つめる。そのまま彼女に弄らせているのは、別にやましいものなど一切ないからだ。
「あ、そうだ! ねえねえミズキ、写メ撮ろうよ。美少女エルフとツーショット! なかなかそういう機会ないよー!」
顔の近さにドキドキしつつ、瑞希は肯定の返事を返す。それを聞いたメルヴィアがベッドから飛び降り、瑞希をベランダへと引っ張っていく。
嬉しそうに手を引く彼女は、幼い見た目と相まって可愛い妹に見えた。そんな彼女に和んでいるうちにベランダにたどり着き、メルヴィアはキョロキョロと辺りを見回す。
大方、バックに写る背景でも探しているのだろう。
瑞希も適当に見回してみるが、どれがよさそうなんてさっぱりだ。適当に見渡した空も、地球の月と比べて少し蒼く大きい月以外にないし、その月も今は雲に覆われていて背景には使えない。
「曇ってるな」
「ん。ならどけちゃおっか」
何気なく口にした言葉にメルヴィアがそう言いながら何かを払う仕草をした。
その瞬間、月を覆っていたはずの雲が消え去り、蒼く巨大な満月がその姿を現した。
口を開けてメルヴィアを見てみるが、彼女はバックを探すのに夢中になっていた。先ほどのとんでもないことなんてなんでもないふうに振る舞うメルヴィアを見て、瑞希は思わず笑みを浮かべた。
今更なのだ。この儚くて美しい少女は、そういうとんでもないことを普通にやってのけるのだ。
「んー……私の部屋で撮りたいけど、まあ明日辺りでもいいかな」
ようやくバックが決まったのかメルヴィアは、瑞希をベランダの塀ギリギリに立たせると危なっかしいことに塀に乗り上げそこに腰かけた。転落を危惧した瑞希はいち早く彼女の腰を抱える。
「あ、危ないだろ!」
「だってこうしないとミズキとツーショット撮れないでしょ。それに、ちゃんと支えてくれたから大丈夫」
それでも事前に言って欲しかったと思いつつ、とりあえずメルヴィアに身体を寄せた。
「よーし、笑顔だよー。ええと、何て言うんだっけ…ま、いっか。撮るよー、いぇーい」
終始ハイテンションでマイペースな彼女が可笑しくて笑ったその時、メルヴィアがシャッターを押した。
「おお、いい感じ! ほらミズキ、見て見て! ばっちしだよ!」
そう言って嬉しそうに携帯を見せつけるメルヴィア。
その携帯のディスプレイには、確かに最高のツーショットが撮れていた。
笑顔を浮かべた二人を背後に、月明かりで程よく彩られた庭園が写ったその写メ。
瑞希とメルヴィアは二人揃ってもう一度その写メを見て満足したあとしっかり保存。そして、それを見計らったメルヴィアが携帯を取り上げて、しっかり待ち受けに設定する。
「私とミズキの初めてカタチに残る思い出だね!」
恥じらいもなく、本当に嬉しそうに言うメルヴィアに苦笑しつつ、瑞希は勝手に変えられた待ち受けに目を向ける。
楽しそうな笑顔を浮かべたその二人は、中睦まじい兄妹にも恋人同士にも見えた。