第十四話:王都危機 後
超展開。とてもおかしくありえないこの展開をお楽しみくださいな
「なんなんだ……あれは」
先ほど聞こえてきた轟音を聞きつけ、宮廷正面の門が見えるテラスまで駆けつけた宮廷魔術士のロルフはそこで見た光景に目を見開いていた。
仮にも宮廷であるこの建物には、様々な対魔術用の術式がかけられている。無論、彼の目の前で無残に破壊されている門にもその術式は使用されている。
もちろん、国のトップを行くほどの実力を持っている魔術士ならばそれを破壊することはできなくはない。しかし、賢者と謳われる偉人たちによって構成されたその術式はそう簡単に突破できるようなものではなく、どれだけ少なく見積もっても数十分は術式の破壊、または解除に時間がかかるのだ。それはどんな方法を用いても変わることはない。それほど、ここにかけられた防護術式は強力なのだ。
彼の目の前に広がっている光景は、まるでその常識までをも破壊するかのように凄まじい。
門は、まるでとてつもなく大きな破壊槌で破られたかのように拉げ、粉砕されていた。
それだけならば、敵国か何かが攻め入って来て門を破壊したと考えるだろう。しかし、今日のオルグレンはとある騒動で戒厳令が敷かれている意外は至って平和である。敵が侵攻してきたなどという情報は一切耳にしていない。
ならば、自然と強力な魔術士か何かが襲撃してきたということになるだろう。それがどれだけ現実から離れているとしても、その考えに至ってしまうのだからそう考えるしかない。実際、破壊された門は物理的なものではなく、魔術的によって破壊されている。
だが、目の前の光景を見てそう簡単に状況を飲み込める者がいるのだろうか?
門を破ってきた襲撃者は、目視できる限り二人しかいない。しかも、片方はまだ幼い少女であるのだ。他にも仲間がいる可能性も否定できはしないが、その幼い少女が件の白髪紅目のエルフであるためその可能性は限りなく低いだろう。遠くからだったとはいえ、只ならぬ雰囲気と変わった容姿のお陰ですぐに結びつけることが出来た。
「―――くそっ!」
襲撃者を撃退すべく展開した魔術士が呆気なく吹き飛ばされるのを見て我に返ったロルフは、忌々しげに舌打ちをすると宮廷内へと戻った。
彼は最近、ようやく宮廷魔術士の地位を得られたばかりだった。
先代の宮廷魔術士が老衰で亡くなり、方々に手を回してやっとこの地位を得られた先の出来事。王都から少し離れたところで、危険分子が脱獄したという事を聞いて悪いイメージを描いていたのだが、まさか本当にそうなるとは思わなかったらしい。
もしあのエルフがここを目的に襲ってきたのだとするのならば、そう易々と宮廷内へと入られては自分の地位が危うくなってしまう。もう門を破られ敷地内に入られているとはいえ、それ以上踏み込められでもすれば地位を剥奪されるは愚か、この先の生活すら不自由になってしまうかもしれない。
「フィア! フィアはどこだ!」
ロルフが苛立たしげに声を上げると、程なくして慌ててこちらに駆け寄る人物がいた。
その者は、紺色の髪の毛を肩口で切りそろえた妙齢の女性であった。彼女は足早に歩くロルフの隣に付くと、指示を仰ぐように目を向ける。
「例のエルフが来た。どうやら、王都を狙っているというのは本当だったらしい」
「で、では先ほどの轟音は……」
「そのエルフによるものだ。お前はすぐに魔術士たちを集めて撃退をしろ」
フィアと呼ばれた女性は、黙って首を縦に振ると急いで出された命令を遂行すべくどこかへ駆け出していった。
それを見送ったロルフは宮廷奥に作られたエントランスのような広場にたどり着くと、そこの中心にある祭壇のような台座の前まで歩みを進めた。
その台座の上に浮かぶのは、力場が直視できるほど強力な防護魔術によって守られた大人一人分の大きさはあるであろう石盤。
大昔から存在していると言われるその石盤には、膨大な魔力と様々な術式が埋め込まれている。一見どこにでもありそうなただの石盤ではあるのだが、それだけで何十万冊の魔道書と同じ情報量を持っている。その石盤は、『神の書』と呼ばれる一種の魔導書であるのだ。
彼はこの魔導書の為だけに宮廷魔術士の地位を手に入れた。この魔導書を解析し、そこに書かれた術式、込められた魔力を己のものとするべく、宮廷魔術士となったのだ。その力を手に入れ、最強の魔術士となるという愚かな野心を胸に抱いて。
この魔導書の解析が一体どれだけかかるのかはわからない。だが、まだ触れてすらいないのにここで宮廷魔術士の地位を失うような出来事があってはならないのだ。
ロルフは拳に力を入れて握り締めると、襲撃者を殲滅すべくその場から姿を消した。
「はっはーん。ミズキってば体力なさすぎー」
「はぁ……はぁ……うっ、せ……はぁ………」
二人は宮廷内部へと繋がる扉を前にして悠長に話し合っていた。
メルヴィアは勝ち誇ったように小さな胸を逸らして、瑞希は思ったより長かった距離を全力疾走したために息を切らしてしまっていた。
「つーか、お前足早すぎ………」
「あ、ミズキもそう思う? 私、この足の速さで追っ手を振り払ってたんだよ? すごいでしょ?」
「どうせ魔法かなんかなんだろ。卑怯だ! イカサマだ!」
「負け犬の遠吠えね。魔術だって、実力の内だもんね。まぁ、この足の速さが魔術関係なんだって事は今気が付いたんだけど」
「……なら、さっきの怪力もか?」
「むー。怪力怪力って、まるで私がモンスターみたいな言い方するね。魔術が使える以外はただのか弱い少女なんだよ?」
「ハイハイ。で、その自称か弱い幼女がどうやってこの扉をぶち破るんだ?」
なぜゴール目の前で立ち止まって話し合っていたのか。理由を簡単に言うとすれば、その扉をぶち破ることができなかったのである。
一応、先に扉にたどり着いたメルヴィアが、スピードが乗ったまま可愛らしい気合いと共に轟音が響く程の強烈なドロップキックを炸裂させたのだが、どういうわけか扉がびくともしなかったのだ。後から辿りついた瑞希もドロップキックをかませたが、色々と破壊力が増しているメルヴィアのドロップキックより劣るそれが扉を蹴破れるはずもなく、傷一つない扉の前でへこたれることとなったのだ。
地面に膝をついていた瑞希ゆっくりと立ち上がると、もう大分収まった呼吸の乱れを落ち着かせようと深く息を吐いた。
メルヴィアはどこか楽しそうな表情で瑞希を見上げると、ズビシ! と文字が飛び出そうな勢いで瑞希を指差した。
「そこで! 本格的魔術の出番というわけです!」
「本格的?」
「そう。今までのを簡単に説明すると、術式を破壊するほどの魔力を含んだ蹴りをくらわせてただけなの。その術式に込められた魔力が少なかったらそれで終わりだけど、相当な魔力が含まれていて緻密かつ複雑な術式の前でそんな突破法は意味をなさない」
科学技術が発展し、オカルト関係に全く身を染めていなかった瑞希に到底そんな話が理解できるわけもない。メルヴィアも一応それをわかってはいるようだが、やはり一般人である彼に魔術諸々の何かを教えるというのはそれなりに楽しいものであるらしい。
「存在するだけで危険分子扱いされめぐらいの存在だから、やろうと思えばそれでこれをぶち破れるかもしれないけど、それだと効率が悪いし、迫力はあってもシチュエーションとしてどうかと思うのよね」
「いや、できるならやればいいじゃん」
「だーかーらー。効率が悪いの! それになんかあれでしょ。こういうのって、厳重な鍵がかけられた金庫みたいなものだから力づくっていうより色んな知識を使って開錠するっていう方がおもしろいじゃない?」
「まるで前世は怪盗やってました的な言い方だなおい」
「残念ながら、私はダイブしながら服を脱げるほど器用な人間じゃなかったよ」
それを想像した瑞希はなんとも微妙な気持ちになった。メルヴィアがふ〜○〜こちゃ〜ん、ならぬみ〜ず〜きちゃ〜んとか言いながらダイブしてくる姿を想像してしまったからだ。色々と自分自身の想像に突っ込みたいところがあったが、今は彼女の話に集中するべきだと考え無理矢理そのイメージを頭の外へと追いやった。
「まあ話を戻すけど、さっき言ったみたいにこの扉に仕組まれた術式の解除をこれからやろうと思ってね。私の天才的な頭脳と圧倒的な魔力をもってすれば、こんな薄い扉簡単に破れるんじゃないかな、多分」
「メルってさ。自信あるのかないのかはっきりしないよな。あとどう見たってこの扉厚さ20cmはいってそうなんですけど」
「断言してできないより、曖昧で出来た方がなんかよくない? あと、さっきの門はそれ以上の厚さがありました」
そう言ってぺたぺたと扉を触るメルヴィア。表情は笑っているが、目が鋭く真剣になっているところを見ると彼女が本気になっているのがわかる。見た感じその術式の構成とやらを調べているのだろう、と瑞希は予想を立てた。ついでに術式解除に取り掛かってどれぐらいかかるか聞き出し、それが終わる頃になったらドロップキックで扉を蹴破ろうかと計画を立てる。勝負とは非情なのだよ、と大人気なく瑞希がこっそりと笑みを浮かべた。
「よし、開いたよ」
そして、動かしていた手を止めたところでどれぐらいかかりそうなのかと聞きかけたところで、一瞬だけこちらに笑顔を見せたメルヴィアが思いっきり扉を蹴破った。
なかなかワイルドなことをする幼女に呆気に取られた瑞希は、色々とぶっ飛んでいるのは今更だと苦笑いを浮かべて先に進んでいくメルヴィアの後を追った。
余談ではあるが、メルヴィアが先ほど破った扉には現世界の魔術士たちではまず解除できないといわれる程の術式が使われていたというが、それが本当かどうかはわからない。
「ちぇー。メルが悔しがる顔が見たかったのに」
「え?……む、ミズキって結構えげつないね」
「男の急所を躊躇いもなく蹴り上げたお前に言われたくないわ。あの警備兵の人潰れてないよな?」
「多分。ただ蹴っただけだから大丈夫とは思うけど。とりあえず数日は色々と違和感残るんじゃない?」
瑞希は先ほどの警備兵の悲劇を思い出し、下腹部に痛みができたような錯覚を感じた。
「ミズキっ!」
顔をしかめていたところで、前を走っていたメルヴィアが珍しく緊張感を含んだ声を張り上げた。
その声に反応した瑞希は、俯いていた視線を上げてそこにあった光を確認すると、それが何なのかを理解する前に咄嗟に体を後ろへと逸らしていた。
「うおおおおお!!」
そのまま地面に倒れる彼の目と鼻の先に、熱量を持ったそれが通過していく。辛うじてそれを避けれた瑞希は通過していった先で陽炎のように揺らめき消えるそれを見て全身からどっと汗を噴き出した。
瑞希に向かって飛んできたのは、拳二個分ほどの大きさの火の塊であった。もしメルヴィアの声に反応できていなかったら、今頃彼の顔は大変な事になっていただろう。初めて命の危機らしい危機に直面した瑞希は、今更ながらとてつもない緊張感に締め付けられるのを感じた。
そして、恐らくまた飛んでくるであろうその攻撃を危惧した瑞希はすぐさま起き上がろうとし、がらりと変わった雰囲気に気が付き身体を硬直させた。
攻撃されたことによって生み出された緊張感によって雰囲気が変わったのではない。異様に静けさが、彼らの周りに漂っていたのだ。
瑞希はその異様な雰囲気に思わずメルヴィアに目線を向け、そこで息を飲んだ。
長身の大人四人が寝転がっても余裕がありそうなほど広いこの通路の先、メルヴィア達が向かっていた先には進入してきたであろう自分達を撃退すべく編成されたらしい魔術士たちがそこで展開していた。男だけではなく、女も含まれたその魔術士たちは皆見た目は違えど同じ服装を着込んでいる。老若男女のその魔術士たちは、皆明確な敵意とプレッシャーをこちらに向けてはいたものの、誰一人先ほどのような攻撃をしようとする者はいなかった。
それどころか、皆身体どころか息さえも止めてしまっているかのように微動だにせず、こちらを正確には瑞希の目の前にいるメルヴィアに目を向けていた。
背中を向けられている瑞希には、彼女が一体どんな表情をしているのかわからない。しかし、こうして魔術士たちを固まらせているほどの威圧感が瑞希にもひしひしと伝わっていた。
こつ、とメルヴィアの革靴が音を立てた。一歩、メルヴィアが前進したのだ。
途端に、衝撃が走ったかのように身構える魔術士たち。しかし、相変わらず攻撃をしようとする者はいなかった。
こつ、とまた足音を立ててメルヴィアが一歩前進した。魔術士たちの中で若い男が、恐怖に煽られたかのように何かを口にした。瑞希にはそれが魔法の詠唱だったのだろうとぼんやりと理解することができたが、彼は次に見た光景に目を奪われてそれどころではなかった。
「うああああ!!」
「バカ、やめなさい!」
叫び声と共に飛んでくる氷の矢。同じ魔術士の誰かが冷静さを失った仲間を静止しようと声を上げたが、それは異様に静かなこの空間にむなしく響くだけで既に撃ち出されたそれを止めることは叶わなかった。
その氷の矢が飛んでいく先、口元をうっすらと歪めたメルヴィアがいた。彼女は、いつの間にか展開していた四つ――いや、新しく二つできた六つの蒼い光の翼を羽ばたかせると、一体どういう原理か飛んできたその氷の矢を空中で掻き消した。
はっ、と息を飲むのが辺りに響く。
「攻撃、しましたね」
静かな空間の中で、やけに綺麗に透き通った彼女の声が響き渡った。ぴくり、と身体を震わせる魔術士たち。
彼らはこの一瞬で理解した。目の前の少女は手を出していい存在ではないと。いや、手を出すべき存在ではなかったと。誰もが手遅れだと思うなか、誰もがそれから与えられる恐怖心に縛られ逃げ出せずにいた。
「今ので私はとっても不機嫌になりました。ええ、それはもう、とっても」
メルヴィアはその蒼く輝く光の翼をゆっくりと広げると、その翼から溢れる光を、燐光をその場に溢れさせていった。その光景は酷く幻想的で、神秘的で美しく、それを後ろから眺めていた瑞希はまるで女神とも言えそうな彼女の後姿に見惚れてしまっていた。
「昔から考えてた技がありましてね。あなたたち、いい機会だから、素直に受け止めておきなさいっ!」
そんな瑞希の視線を知ってか知らずか。メルヴィアは本当にいい笑顔を浮かべ、その光を更に強くさせると、
「ふぁい○るふ○ぁぁっしゅっ!!」
その言葉と僅かに浮かんだメルヴィアは同時に両手勢いよく前へと突き出し、辺りに溢れさせていた燐光を魔術士たちへと飛ばした。その光の奔流は荒れ狂う波の如く、燐光のお陰で目視できるようになったその衝撃波は容赦なく魔術士たちの意識を刈り取ると、その身体を紙切れのように吹き飛ばし、壁や床、天井へとたたきつけた。
そして、通路に溢れていた光が徐々に薄れていく、メルヴィアは神妙な顔を作ってその場で仁王立ちし、
「私の戦闘力は53万です」
なんとも場違いな台詞を吐くのだった。
「DBネタかよっ」
それで我に返った瑞希は立ち上がりざまに呆れたような、ホッとしたような息を吐いた。それを聞いたメルヴィアは勢い良く振り返ると、そのまま瑞希に向かってその小さな身体を突進させた。立ち上がったばっかりなのにまたすぐに倒れそうになりつつも、瑞希は腰に抱きついてきたメルヴィアをしっかりと受け止める。
「ケガない? 痛いところは?」
本当に心配したように、若干焦りを含みながら見上げてくるメルヴィアに瑞希は苦笑を浮かべながら軽く頭撫でる。楽しんでいたのか、心配していたのか、それともふざけることで怒りを誤魔化していたのか。とりあえず、自分を気遣っていることだけわかっていた瑞希はどこも悪くないと笑顔を浮かべて見せた。
「よかった………」
心底ホッとしたように息を吐いて腹に顔を埋めてくるメルヴィアに笑みを浮かべ、瑞希は再び頭を撫でた。
「いや、マジ危なかった。マト○ックス避けしてなかったら多分死んでた」
瑞希としては軽い調子で言ったつもりなのだろう。しかし、それを聞いたメルヴィアはピクリと身体を震わせると更に腕に力を込めて強く瑞希の腰にしがみついた。それまであった光の翼がうっすらと消えていく。
「……そういうこと、言わないで」
「……いや、ごめん」
若干涙声になっているメルヴィアにいたたまれない気持ちになった瑞希は素直に謝罪の言葉を口にするとメルヴィアを軽く抱き上げた。まるで子ども扱いだったが、メルヴィアは特に気にした様子もなく笑顔を浮かべる。
「つーか、さっきのアレ、本当ならレーザーかなんかじゃないか?」
「ミズキ。そんなことしてここがどうなるかわかってる?」
「………吹っ飛んでるな」
「だから、ちょっとアレンジしてやってみたの。それと、本当にそんなもの撃っちゃうと魔術士の人たち殺しちゃうかもしれないし」
さり気なく生き死にに関ることを口にされた瑞希はなんとも言えない表情になってしまった。そして、自然と気絶している魔術士の人へと目が向く。向いたところでバッと別のところに視線が向かった。
「? どうしたの?」
「い、いや、なんでもないぞ。あっはっは」
明らかに怪しい反応であったが、メルヴィアは特に言及することもなく抱きかかえられた瑞希から下ろしてもらうと、先へ進むべく歩みを進める。
そんな彼女のあとを追おうと瑞希も足を動かすが、その前にちらりと先ほど視線を向けたところへ再度目を向けた。
そこには、地面に仰向けに倒れている女性魔術士がいた。ゆったりとしたローブでも分かるほど膨らんだそのお山は、なんともまあアレだった。
それを見た瑞希はメルヴィアに目を向ける。
「………ああなるんだろうか」
いつしか大きくなるとか宣言したことを思い出し、瑞希は彼女が立派に成長した時の姿を想像した。想像して、なんだかメルヴィアの事を変な目で見そうな気がしてきたため慌ててそのイメージを掻き消した。
「ミーズーキー! 何してるのー!」
「悪い、今行く!」
「何なんだあのエルフは!」
気絶した魔術士たちを起こしながら、ロルフは苛立ちを隠しもせず壁に拳を打ちつけた。
少なくとも足止めはできるだろうと考えていた。もし、想像以上の力を持っていたとしてもこの宮廷に入る扉を破るにはかなりの時間がかかる。少なくとも、術式の効果であのエルフの力を削ぐぐらいのことはできるはずだったのだ。
しかし、現実はどうだろうか。魔術士たちの話によると、扉にかけられた術式はものの数秒で解除され、その際に発動するはずだった術式さえも無効化し、あまつさえ殲滅する側だった自分たちがあっけなくやられているではないか。それも、まるでこちらを甘く見ているかのように誰一人殺すことなく。
ロルフの怒りはもはや恐怖へと摩り替わり始めていた。あまりにも、規格外であるのだ。そして、今更ながら彼は事の重大さに気が付く。
防衛線が突破されてまだ間もない。まだ近くにいるはずだろう、とロルフは恐怖ですくむ足を鞭打って駆けた。背後に側近であったフィアの制止の声が投げられるが、折角歩み始めた栄光への道をむざむざと潰されるわけにはいかないのだ。
こういう事態を想定して作られているのか、この宮殿は奥へ行けばいくほど複雑になる。ロルフはそれを迷わず突き進み、進んでいくうちに心の内を焦燥が充たしていくのを感じた。
得てして、いやな予感というとは大概当たってしまうものである。ロルフの脳裏に、あのエルフの目的というのが思い浮かんだと同時に、少し先の方から轟音が聞こえてきた。
「こんなところで……」
ロルフは駆けながらも呪文を詠唱していた。方々に手を回し、無理矢理宮廷魔術士の地位を得たとしても彼はそれに見合うほどの実力は持っている。でなければ彼がこうしてこの宮廷に最深部に足を踏み入れられるわけがないのだ。
探究心、または欲に溺れている人間だとしても、彼は間違いなくこの国の上位に入るエリート魔術士であるのだ。
「私の夢を潰されてたまるか!」
呪文を詠唱し終えたロルフの身体が、薄く発光する。紫色の光を放つそれは、短時間の間ながらも緻密な術式を複数掛け合わせられた最上級魔術。彼はこの術式に、過去に偉業を成し遂げてきた偉人たちと劣ることのないものだと自負を持っている。
そして、その自慢の魔術を粉砕された扉の奥にいる自身の夢の障害に向かって放とうとし―――
「あれ、偽者だねこれ」
その時飛び込んできた幼い声によって、思わず思考を滞らせてしまった。
「あれ、偽物だねこれ」
ふよふよと浮かんでいる石盤に触れ、あっさりとそれにかけられた防護術式を解除したメルヴィアはその石盤を一瞥してからそう言った。どうやら、遅れて追ってきた宮廷魔術士の存在に気が付いてないらしく、暢気につんつんとその浮かんだ石盤を指で突いていた。
「うー、さすがはお父様。きっと偽物と摩り替えたのに違いないわ。まさかこうも早くに手を打たれるとは」
「一応聞くけど、それはノリ? それとも素?」
「半分半分かな。………ああ、なんだ。摩り替えられたんじゃなくて、元から偽物を置いてたというわけね」
「そんなことわかるのか?」
「なんとなく! 仮にもこの国の王様に恐れられている私の実力を舐めてもらっては困るよミズキ君」
不敵な笑みを浮かべてその石盤を指で突いているメルヴィアは今までそんな表情を見せなかったせいか新鮮なものに感じる。瑞希はそんな彼女を横目に見ながら、今更頭に浮かんだ疑問を問いかけた。
「そういや、なんでメルはここにきたんだ?」
その問いにきょとんとするメルヴィア。先ほどまでの不敵さはどこかへ消えてしまったらしく、見た目相応の少女のそれになってしまっていた。
「え? なんでって、ミズキのために決まってるでしょう?」
「は? 俺のため?」
メルヴィアは再び石盤に目を向けるとしっかりと頷いた。その瞳の奥で一瞬何かが揺らめいたような気がしたが、瑞希はそれを気に掛けることもなく彼女の言葉の先を待った。
「一つは、ミズキに力を与えるため。二つ目は、ミズキが元の世界へ帰れるようになる術式の模索。魔導関係のものっていったらこの宮廷しか知らなかったから来てみたんだけど……」
「ハズレだったと」
「まあ、身代わりのためって考えていいかなこの宮廷は。いやはや、ここまでするということは―――」
「偽物とはどういうことだ!」
何かを言いかけたメルヴィアであったが、その時ようやく我に返ったらしい宮廷魔術士が彼女の言葉に強引に割り入ってきた。
突然の怒鳴り声に一瞬びくりと反応したメルヴィアは、ささっとミズキの背後に回ると不機嫌そうに眉をしかめた。
「あらら、宮廷魔術士様だよ」
「メルさんメルさん。俺、ものすごく命の危険を感じるんですけど」
「とりあえずあの不愉快な視線から私を守ってください」
相変わらずマイペースな二人に怒りのボルテージが上がったのか、宮廷魔術士の男は仄かに滲み出させていた紫のオーラをぶわりと膨らませた。明らかに尋常じゃないその威圧感に、瑞希は思わず喉を鳴らした。
「偽物とはどういうことだ!」
「どういうことだ、と聞かれましてもその通りだとお答えするしかできません」
「それが偽物なのだと言うのなら、なぜそんなに強力な術式を――いや、証拠は、それが偽物だという証拠はあるのか!」
「証拠ならこの石盤を防護していた術式にあるではないですか。確かに、偉人たちが作り上げた術式と言える強力な防護術式ではありましたが、それ以上にこの術式には情報操作の作用があるのですよ」
「情報……?」
「というより、幻術の一種でしょうか。ええと、なんていうんだっけ、ほら、あれ、えーと………隠蔽!」
「隠してどうする」
王女モードから一転、幼女モードに戻ったメルヴィアは瑞希の的確な突っ込みで涙目になった。
「えと、情報改ざん! これには三重の術式が複合術式として組まれていたの。第一に、ありとあらゆる物理、魔術的ダメージの無効化。第二に、術式の解除法に関する術式。第三に、中身をそれっぽく見せるやつ! 第一はそのまま、第二は決められた解除の仕方でやらないと解除しようとした者にダメージを追わせる術式で、しかもその解除の方法を―――」
「つまり……最初からすべて無駄だったと?」
説明の途中でまたもや割り入ってきたことに少しムッとしたメルヴィアであったが、とりあえず宮廷魔術士の気の抜けたような声に軽く頷いた。
頷いたところで、メルヴィアに軽い衝撃が走った。それが何なのか把握する前に、彼女の背後から苦痛に満ちた声が届いた。
「ぐああああっ!!」
「ミズキっ!?」
尋常じゃないその声に勢いよく振り返った彼女であったが、振り返った瞬間に瑞希の身体が覆いかぶさる様に倒れてきた。メルヴィアは尻餅をつきながらもしっかりと瑞希を抱きとめると、背中に回した手にヌメリとした熱い液体のようなものが絡みついた。そして、その感触を確かめようとしたところでじわりと服を伝わって生ぬるい何かが浸透してきたのがわかった。
「ミズキ………?」
彼の名前を口にして、その声が酷くか細いことに驚きながらも、メルヴィアは覆いかぶさったまま動かない彼の身体を揺らした。
「ミズキ? 大丈夫? ミズキ?」
反応はない。いくら揺らしても、だらりと地面に流れた四肢は動かず、いくら声をかけても呻き声一つすら上げず。
どこか冷静だった彼女の部分が、それを自分自身に理解させようとした。しかし、突然のことでショックを受けた彼女はそれを素直に聞き入れることはない。
「ミズキ、重いよ。このままじゃ危ないよ? ねえ聞いてる?」
メルヴィアは自分の頬に冷たいものが流れていくのを感じながらも、声を震わせながらも彼の身体を揺さぶった。何度も何度も何度も何度も揺さぶる。しかし、彼は動かない。それどころか、暖かかったはずの彼の身体はどんどん冷たいものへと変わり始めている。
いい加減、まどろっこしくなった彼女は一度彼の身体を押そうとしてその手に絡みついた『ソレ』を見てはっと息を呑んだ。彼女の視界の端で、宮廷魔術士の男が近づいてくるのが見えた。
それは、赤色だった。鉄っぽいにおいを放つそれは、べったりとメルヴィアの手に腕に絡みついている。メルヴィアは不謹慎にも、彼が包んでくれているように思えて気持ちが安らぐのを感じた。
しかし、その赤色が何であるのかを理解すると、彼女の中でどろどろとした感情がうずき始めた。呆然としていた表情は悲痛なものへと変わり始めた。
そんな彼女の視界に、さっと影が差した。ぼんやりとそちらを見上げてみると、おぼろげながらも人の形をした何かがそこにいるのがわかった。それを視界の中央に捉えたメルヴィアは、冷たくなり始めた彼の身体を力強く抱きしめた。
「―――いや」
その時、その人形が何かを喋ったような気がした。しかし、どこか夢心地であるメルヴィアがそれを聞き取ることはなかった。
メルヴィアは呟く。
「……優しくして」
いつの間にか光が失われ、
「……頭を撫でて」
暗い何かが灯ったその瞳を、
「……私に触れて」
冷たくなっている彼に向けて、
「……優しい言葉をかけて、暖かな笑顔を向けて」
彼女の背中には蒼い光の翼が六つ現れ、
「……私の側にいて、離れないで、ずっと守って」
その翼から漏れ出した燐光が彼の身体を辺りを覆い、埋め尽くす
「私を……置いていかないで……」
いつの間にか眩いばかりの光が辺りを覆いつくす中、幼い彼女の小さな願いが、今にも消え入りそうな声で紡がれた。
ロルフの側近であったフィアは、まだふらつく身体を鞭打って多数の魔術士たちを引きつれ宮廷を離れようとしていた。本来なら、宮廷に仕える身として死守でもするべき彼女たちであるはずなのだが、彼女たちだけではあのエルフの少女を食い止めることは叶わないため、一度城へ向かい指示を仰いだ上で部隊の編成をしようとしていた。
「ふ、フィアさん、あれ!」
その時、肩を貸していた同僚の女魔術士の悲鳴にも似た声を聞いた彼女は、その女魔術士が指差す方向に目を向けて驚愕に表情を染めた。
まだ門を出たばかりの彼らは、背後の宮廷に突如発生した眩い閃光に全員身構えた。恐らく、あのエルフの少女が何らかの大規模な魔術を行使したのだろうとフィアは少しでも衝撃を緩和できるようにと壁に身体を張り付ける。しかし、来るはずの衝撃はいつまで経ってもこない。不思議に思ったフィアは、同じように宮廷を覗き込もうとしている者たちに待機するように伝えると、覚束無い足で宮廷が見える場所へと足を運んだ。
「え………?」
別に宮廷は閃光が発生する以前となんら変わりなかった。しかし、フィアはその宮廷から出てきた人物を見て思わず呆気に取られたのだ。
出てきたのはあの白髪紅目の幼いエルフの少女だ。少女は、自分達が気絶させられる時に見た時と同じように蒼い光の翼を空へと広げている。しかし、その翼の大きさが尋常じゃないのだ。
人一人を余裕で包め込める大きさのはずだったその翼は、今では天高く、そして空を覆うほど巨大なものへとなっており、その翼から漏れ出す淡い光を放つ燐光はそれだけでとても神秘的で美しい光景に見えた。
フィアはその光景に圧倒されつつ、翼を展開させている少女へと目を向けた。
少女は一人の人間を大事そうに抱えていた。血に濡れたその人物はまだ若い青年であり、やはりエルフの少女と一緒にいた人物であった。その青年は血には濡れていたものの、外傷らしき外傷はどこにもなく至って穏やかに眠っているようだった。
「今のこの光景を見たら、きっと驚くだろうなぁ」
気が付いたら、目の前と言えるほど近くまでその少女は来ていた。少女は表情こそまるで慈悲の女神の如く穏やかで美しいものであったが、その瞳にはどこか暗い光を灯していた。
フィアは直感的に理解した。この国は滅びる、と。なぜそうもはっきりと思えるのかわからないが、何か確信めいたものがあった。
「ミズキ……目を覚ます頃にはきっとすべて終わらせてるからね」
フィアは優しく響く少女の声を聞きながらその場に力なく崩れた。
「だから――――」
エルフの少女の言葉は酷く小さく聞き取れない。いや、フィアはそれを自分が聞いていいものではないとぼんやりと理解していた。それは、大事に抱えられ眠っている青年に向けられた言葉なのだろうから。
綺麗な光が空から降りしきる中、遠くから聞こえてきた馬車の音を聞きながらフィアはただずっと目の前の少女を見上げていた。