第十三話:王都危機 前編
うだー。筆が進まぬ進まぬ
数分後、周りの兵士たちよりいち早く正気に戻ったエイルマーはまず最初に大きな疑問を抱いた。
王国を害する存在を妙な術をかけられたとはいえ、易々と通してしまったことに対する怒りもあるのだが、それよりもあのエルフの少女に対する疑問が彼の心の内を埋め尽くしていた。
通常、洗脳術というのは一対一でしかかけることができない。高位の魔術士ならば複数人に術をかけることができるだろうが、それでも二十人を越える人数を相手に一斉に術をかけてしまうなど普通はありえないのだ。そんな化け物じみた力をあんな幼い少女が持っているというのも十分気になってしまうのだが、彼はそれを自分たちとは違う次元にいる存在なのだと思うことにした。決して現実逃避ではない。考えても仕方ないものは深く考えない、というのがここ最近の彼のモットーなのだ。………最近まで付き合っていた彼女に別れを告げられた時にそんな思考が出来上がった、というのは情けない話であるが。
「い、いかん。何を考えているんだ、私は」
ふと、唐突に涙を流したくなったエイルマーは首をブンブンと振ってまだ術が解けていない兵士たちに目を向けた。
そうして頭に浮かぶのは、当然先ほど検問にやってきたあのエルフの少女だ。
彼女は自分たちに術をかける直前自分の名前を高らかと宣言していた。
『メルヴィア・ティレット・ルシール・オルグレン』
それは間違いなく、王家の者の名前だった。しかし、王家にはそのような者は存在しない。
王のオースティン・オルコット・ルシール・オルグレン。王妃のクラレンス・ケアリー・ルシール・オルグレン。第一王女のフローラ・エーメリー・ルシール・オルグレン。第二王女のフィオナ・ローレル・ルシール・オルグレン。他国と比べて王家の者が少ないこの国には、この4人しか王家の者はいないはずなのだ。その点を考えると、あのエルフの少女が『これからこの国を壊し私が王として君臨する』という考えのもと、王家の名を使ったということが考えられるだろう。が、わざわざ復讐をしに来るほどの恨みをもっているのならばこの国の王家の名は決して口にはしないはずである。
「メルヴィア………」
その名がどこかで思考に働きかけたかはわからない。エイルマーはその名を口にした瞬間、6年程前に同僚が言っていた言葉を思い出した。
『知ってるか? 王家には3人目の王女がいるらしいぜ。どうにもその3人目の王女様はこの城のどこかで幽閉されているって話だ。相当なお転婆娘なんだろうな。この国の王家は全員美形だから、その王女様もさぞかし美しいんだろうぜ。いやはや、その噂が本当なら、一目だけでもいいから拝んで見たいな』
騎士団の中で無類の女好きだったその者は、今では実力を認められてなぜか王室騎士団の副団長となっている。今も数少ない女性団員の尻を追っかけているかもしれないという事を思うと自然とため息が出てきた。
エイルマーは脱線しかけた思考を振り払うように首を横に振る。6年も前の何気ない会話を覚えていたこと自分に若干驚いた彼だが、その言葉のお陰であのエルフの少女が名乗った名前を否定することができずにいた。
そして、それが本当なのだとしたらなぜあのエルフの少女は処刑されることとなったのだろうか。
最近の彼にしては珍しく、深く考え始めた彼は視界の端で大きな門が開かれるのが見えた。一旦思考を中断してそちらに目を向けた彼は、そこで目を見開くことになる。
王室の者が使用する馬車と、その護衛についた王室騎士団の者が数人。
やや慌てた様子でこちらに向かってくる馬車を見ながら、エイルマーはこの先に起こるだろう騒動を予感した。
「ミズキミズキ、これとこれどっちが似合う?」
黒色の二つの異なったドレスを身体に合わせながら隣にいる青年に振り向く少女を見ながら、ユリアは今だ複雑な心境に浸っていた。今はメルヴィア自身が選んだシンプルな革靴を購入し終え、次いでだから服を買っちゃおうと何だか高い店に無意識に連れて行かれたところである。
ずっと彼女の頭に浮かんでいるのは、ついさっき見たでたらめな光景とさり気なく『私は第3王女。そして、処刑されそうになるほどに危険なエルフです』とカミングアウトされたものすごく大変な情報である。
もちろん、彼女はそんなことなどすぐに鵜呑みにできるわけがなかったのだが、メルヴィアの『ま、普通は信じないよね』というなんともいえない雰囲気を持った言葉のせいで信じざるを得なくなったのである。
「いや、似合う似合わないかで言ったらどっちも似合うんだけど……」
「むー。ミズキってそればっかりだよね」
「つーかさ、その見た目で似合わない服装があるのかすっごく疑問に思うんだけど」
「そうかな? この容姿でキモノとか合いそうにないんだけど」
「いや、似合うんじゃね? 白髪の着物姿の美少女とかマンガとかにいそうだし」
「それはマンガの話。着物はね、やっぱり東洋系の人が着るのが一番似合うんだよ。それで、どっちが似合う?」
「…………どっちも」
「うー……。ミズキの美的センスに頼った私が間違いでした」
「ムカツク。すっごくムカツクけど反論できないのが悔しいッ!」
「ふふっ。まあ、それだけ容姿を褒められてるってことだろうし、どっちを選んでも似合うんだったらこっちの方を選ぼうかな」
そう言ってフリフリのワンピースドレスを店員に渡す。二人のやり取りを穏やかな笑みで見守っていた店員は、笑顔のまま受け取るとそれをもってどこかへ消えた。
ユリアは嬉しそうな笑顔を浮かべるメルヴィアを見て、複雑な心境が晴れるのを感じるが、やはり完全にそれが払拭されることはなかった。
実を言うと、彼女が王都に来たのはメルヴィアに関係があるといっていいのだ。
王室騎士団と関係がある彼女は、その団長に『君の助けがいる』という連絡を受けた。具体的に何かを言われたわけではないのだが、ユリアは十中八九目の前で笑っているこのエルフの少女と関係があるだろうと見ている。
もしかしたら、団長は自分に目の前の恩人である少女を捕まえるように頼まれるかもしれない。そう思うとどうしても心のどこかがモヤモヤとした霧のようなものに包まれるのだ。
「ユリアさん、もしかして気にしてるの?」
ふと、思考の海に囚われていたユリアは突然顔を覗き込んだ少女に内心驚いた。ポーカーフェイスには自信のある彼女であったが、どうやら目の前の少女には通用しないようだ。
ユリアはじっと見つめてくるメルヴィアの視線に観念し、申し訳なさそうに頷いた。
「すぐに自然体に戻ってとは言わないよ。それがどれだけ大変なのか知ってるつもりだから。ゆっくりでいいからね。私と関りたくないって思ってるなら、少し寂しいけどここで別れても大丈夫だから」
幼い容姿に浮かぶ大人の雰囲気に、ユリアは思わずたじろいでしまう。こうしてみると、目の前の少女が王家の者なのだろうと信じることができるだろうが、ユリアはこの不思議な雰囲気を纏った少女が周りの者と根本的に違う存在なのだと理解する。
そして、その考えに至った彼女は心のどこかに残っていたもやが完全に晴れたのを感じた。
別に、目の前の少女がどんな人物だって構わないのだ。不思議な存在であるというのは一目時から十分理解している。肝心なのは、この少女が『恩人』であること、ただその一点だけなのだ。
ユリアは目の前の不思議な少女がものすごく愛おしく感じ始めた。思わずその感情に掻き立てられメルヴィアを抱きしめてしまう。
「ユリアさん……」
耳元で聞こえるほっとしたような彼女の声。そして、遅れて感じた背中を撫でる感触。涙が浮かびそうになった彼女は、小さな彼女の身体を力を込めて抱きしめた。
「それじゃあ、私は城に向かうわ」
新しい服に着替え終えたメルヴィアを連れて店の外へ出てすぐ、ユリアは名残惜しそうに、それでもって心配そうに別れを告げた。
もともと城に用があってここへ来た彼女は、どの道メルヴィアと別れるしかないのだ。ユリアは王都を無事出れるまでは近くにいると言ったが、やんわりと断られてしまった。その理由が『私と一緒にいると危ない』であるから尚更離れたくなくなってしまう。しかし、時間も差し迫っていた彼女は、やはりここでメルヴィアと別れることになってしまうのだった。
「……俺の身の安全は気にしてくれないのな」
人混みに飲まれ見えなくなったユリアからメルヴィアへと目線を移した瑞希は、微妙な表情でそう言った。
それを聞いたメルヴィアはおかしそうに笑うと瑞希の腰を軽く小突いた。
「命を狙われているお姫様を守る騎士に命の危険は付き物だよ」
「騎士やめていいですかい?」
「ミズキにとってはそれがいいかもしれないわ」
「……いや、素で返されるときついんですけど」
「困った顔するミズキちゃんかわい〜」
隙あらばからかってくるメルヴィアの頭を軽く小突く。それを受けたメルヴィアは可愛らしく舌を出すとぐるりと辺りを見回した。
「今更なんだけど、私たちって目立つね」
瑞希も同じように当たりを見回してみると、何人かの通行人と目が合った。こちらをちらちらと見ている人たちは様々な人種で瑞希としてはものすごく新鮮な光景であったが、それと同じぐらいに自分たちは目立っていることがわかった。
「……よくよく考えれば、俺の服はこっちにとってかなり珍しいもんなんだろうな。俺もユリアさんに服買って貰えばよかった」
「こらこら。ユリアさんを何だと思ってるの」
「見るからに高そうな服を買わせたメルが何を言う」
「うっ……だって、お金のこと全然わかんないし、直感的にこの店は質がよさそうって思ったから……」
「ここにきて世間知らずの王女が前面に出てきたな。それを世間一般でいう『高級』と言うのですよー? わかりましたかー?」
バカにしたような口調で言う瑞希に気分を害したのだろう。メルヴィアは若干頬を膨らますと不機嫌そうに歩き始めた。
「あ、おいどこにいくんだよ」
メルヴィアは答えない。少し歩くスピードを上げる。慌てて追いかける瑞希。
「メル!」
やがてメルヴィアに追いついた瑞希は、メルヴィアの肩に手をかけようとしてするりとそれを回避された。むっと思った瑞希が顔を上げてみると、メルヴィアはなぜか笑みを浮かべてこちらを振り向いていた。それはもう、ニヤニヤという言葉が似合いそうな笑みだ。
「今のミズキって小さな女の子追いかけてる変態みたい」
ごつん、と頭を叩く音。
先ほどと違って威力のあるそれは、少女の瞳にいっぱいの涙を溜め込んだ。
「うぅ……なんで、頭ばっかり……おバカさんになったらどうするの……責任取るの?」
「幼女が軽々しく責任なんて言葉口にするでない」
「よくよく考えたら、王女の頭を平気で殴るっていうのもすごい事だよね」
確かに、人生に一度あるかないかのレアな体験であるだろう。しかし、そう言った類の経験は今更なような気がした瑞希、あえて黙っておくことにした。
その沈黙何かと勘違いしたのだろうか。メルヴィアは瑞希の手を優しく取ると穏やかな笑みを向けてきた。
「………何」
「なんでもないよ。それじゃあ、いこっか」
「行くって、どこに?」
「宮廷。そこに魔導関連の資料があるから、とりあえずそこを漁ってみたいと思います」
なんでもないように言うメルヴィアの言葉に、瑞希は素直に頷こうとした。が、あることに思い至った彼は思わず足を止めて彼女を引き止めてしまう。
「宮廷って……明らかに行っていい場所じゃないだろ」
「だーいじょうぶ。宮廷魔術士とかはいるけど、私の魔術で多分いちころだから」
「なんで多分をつけるんですか!? なんで一々危険に飛び込むんですか!?」
「何を言うの。刺激というのは人生にはとっても大事なものなのよ?」
「刺激ってレベルじゃねーぞ!? 下手すりゃデッドエンドですよ!?」
「ふふん。仮にも国を脅かす存在として恐れられているこの私が、たかが宮廷魔術士程度で止められるものですか!」
妙な自信をもとにずんずんと死地へと突き進んでいくメルヴィアに引っ張られながら、瑞希は頭を抱え込んだ。
「……いいか。これは潜入任務だ。決して敵に私たちの存在を知られてはならない」
「なんというM○S。余裕でカモフラ率マイナスいってる俺らに潜入とか無理です。本当にありがとうございました」
警備兵らしき男の人がいる門の近くでそれっぽいことをしているメルヴィアに向かって、瑞希は盛大にため息を吐いた。そんな彼のリアクションが気に入らなかったのだろう。しゃがみ込んでいたメルヴィアはゆっくりと立ち上がると苦笑を浮かべた。
「もうちょっとノリよくしてくれてもいいのにー」
「何を言う。見てみろ、あそこにいる警備兵が白い目でこっち見てるぞ」
バッと振り向くメルヴィア。瑞希の言う白い目というより、訝しめな目で見つめていた警備兵の男はいきなり勢い良く振り向いてこっちを見てきたメルヴィアにたじろいでしまう。
メルヴィアはそんな警備兵の男を見やってニヤリと笑みを浮かべると、とてとてと小走りで歩み寄った。そして、目の前まで近づくと、可愛らしくお辞儀をしてにっこりと笑顔を浮かべる。
「おやすみなさい」
「こんにち―――へ?」
怪しい行動を取っていたとはいえ、造形美とも言える美貌を持っている彼女に見とれてしまっていたのが運の尽き。
時間的に相応しくないその言葉に思わず呆気に取られた警備兵の男は、次の瞬間急所を襲い掛かった凄まじい衝撃で表情を歪め、泡を吹きながらどさりと倒れた。
完全に意識を失っていることを確認したメルヴィアは内股で地面に伏している警備兵のすぐ側でしゃがむと、耳に指を当てて神妙な表情を作った。
「敵を無力化。これより宮廷内部へと侵入する」
「うっわーえげつな」
「もう! 一人でやってると恥ずかしいんだよこれ!」
顔を真っ赤にして立ち上がるメルヴィアのすぐ後ろでは、瑞希が内股で顔をしかめているところだった。
「いや、恥ずかしいならやらなきゃいいじゃん」
「それも、そうだけどさぁ……あー顔が熱くなっちゃった」
ひらひらと手を扇いで顔面の熱を冷まそうとするメルヴィア。そんなに恥ずかしいのならばやらなければいいのだが、やはり色々とハッちゃけてみたいらしい。
しばらく気絶した警備兵のすぐ側で熱を冷ましていたメルヴィアだが、ふと何か閃いたかのように瞳を輝かせると、本当に嬉しそうな笑顔で瑞希へと振り返った。
「これなら一人でやっても大丈夫だよね? 元ニッポンジンとしてこれはやっておかないとね!」
そう言って、瑞希が首を傾げるや否や、メルヴィアはくるりと振り返ると、その木で出来た大きく立派な門に向かって思いっきり手を突っぱねた。
「たのもー!」
刹那、大きな轟音と共に破壊される門。観音開き式だったそれは、彼女の強烈な張り手によって無残にも粉砕されてしまっていた。
痛すぎる沈黙が数秒流れると、メルヴィアはドレスのスカートをふわりと浮かせるように瑞希に振り返ると、
「やっちゃったぜ」
目の端から星が飛び出そうな程清々しいウィンクを披露する。
あまりにも馬鹿げた光景に口をあんぐりと開いていた瑞希は、やがて我に返るとメルヴィアの肩を掴んで詰め寄った。
「やっちゃったぜじゃないだろ!? なんだよ、こんな騒ぎ起こしてメルさんはどうしたいのですか!?」
「いやぁ、確かに正面突破するつもりだったけど、まさかこんなことになるなんて思ってなかったの」
「潜入は!? 潜入するんじゃなかったの!?」
「ミズキ。過去に囚われるのはよくないよ」
「んな言葉で誤魔化してんじゃねぇぇええ!!」
「こ、……声大きい、耳に響く」
「もっと大きくしてやろうかああああ!!」
「もうー!! 魔術士たちが出てきたらどうするのよー!!」
「もうとっくに出てきていますうううー!!」
「それじゃあ全力で退場いただきますうううー!!」
後半はもうただの叫びあいとなっていた二人だが、なんだかんだで息は合っているらしい。視界の端で何やら魔術士っぽい格好の人がぞろぞろ出てくるのを見た瑞希がそれを伝え、大声でそれに応えたメルヴィアが勢いよく振り返って衝撃波を飛ばす。
その衝撃波は隊列を組もうとしていた宮廷魔術師たちに直撃すると、まるで布切れのように吹き飛ばしてしまう。
「競争!」
「どこまで!」
「あそこの扉を先にぶち破ったほうの勝ち!」
「幼女に負けるかぁあああ!!」
「一般人に負けるかぁああ!!」
全くもって、息ぴったりな二人であった。