特別な夜のまんまるの月が
あなたのクリスマスが幸せでありますように
ひとによっては不快に感じかねない描写がございます
ネタバレになってしまうため内容の記載は致しませんが
何らかの地雷をお持ちの方は自衛をお願い致します
誰だ、あの子。
仕事に一区切り付いて、昼にしようかと何気なく顔を上げ、偶然目に入ったオフィスの窓から見えた人影に、俺は眉を寄せた。
高層ビルの建ち並ぶオフィス街に、似つかわしくないぴらぴらした白っぽいワンピース。何だっけ、ロリータ衣装?みたいな。
髪の毛もピンクの巻き毛で、背中には白い翼みたいなものまで付いている。
……。
目をこする。
まだいる。
何かを探すみたいにきょろきょろして居る女の視線が、不意にこちらを向いた気がした。
否、うん。気にしたら負けだ。
俺は目にした光景を見なかった事にして、パソコンに目を戻した。
パソコンの電源を落とし、さあ昼食だと立ち上がって見下ろせば、場違いな女はいなくなっていた。
「……」
昼休憩から戻って、絶句する。
白いびらびらワンピースに、ピンクの巻き毛、ちょこんとしたふわふわの翼に、真っ赤な厚底ストラップシューズ。
在るべきでない存在がそこにいるのに、他の奴らが気にしている様子はない。
俺、疲れてんのかな……。
俺が今から行こうとしているオフィス前で陣取って、中を覗き込む浮いた存在に、どうして良いかわからなくなる。
俺にしか見えていないのか、何か理由があって滞在を許されているのか。
困って一瞬立ち止まり、無視しようと決心して歩き出すも、横を通る時つい見てしまった。
「あ……」
思わず声がもれたのは、その顔が想像と違ったからだ。
俺のもらした声に気付かず一心に一点を見つめる顔立ちは、お世辞にも服に相応しいとは言えなかった。
良く言えば大人しい、歯に衣着せず言えば平凡な、化粧っ気のない童顔。
普通、こういう格好する奴は、相応のメイクをするもんじゃないのか?
完全に衣装負けした顔を、ついついまじまじと見つめてしまう。
「前田さん?どうしたんすか、突っ立って」
入り口で立ち止まった俺を、後ろから来た後輩が首をかしげて見上げる。
「あ、いや、なんでもない」
見えてないのか、とは、訊けなかった。
首を振って歩き出した俺を、後輩は怪訝そうに見ていた。
仕事に集中しようと思うのに、気が散ってしまう。
間違いない。あの女のせいだ。
相変わらず、入り口から何かを見つめている。
誰を?
目線を追って、ため息をつく。
部内一のモテ男、桑原丈じゃないか。片思いか。
納得してうろんな目を向けようとして、違う、と思う。
単なるイタい片思い女じゃない。
だって、見回しても、俺の他にあの女を気にしている奴が誰もいないのだ。あんなどピンク頭の、悪目立ちする女なのに。
見えていない?
そんな馬鹿な。
やっぱり、疲れてるのか?
女を見る。
透けたり、ぼやけたりはしていない。さっき見た所では、足も生えていたと思う。
慈愛に満ちた。思慕のこもった。憧憬を含んだ。痛みにあふれた。懐古じみた。恐怖に狂った。悲しみに囚われた。幸福に酔いしれた。
どれでもなくて、どれでもある様な。何とも言えない複雑な感情の見える瞳。
そんな目で、脇目も振らず微動だにせず、一人の男を見つめている。
場に不似合いな少女じみた服装に、ただでさえ目立つピンクの巻き髪の上、左右の高い位置で一房ずつ白いレースのリボンで結ぶなんて頭の悪そうな髪型をして。
なんなんだよ。
訳がわからなくて、頭を抱える。
気にしたら負けだ。気にしたら負けだ。気にしたら負けだ。
俺は必死に唱えながら、無理矢理ピンキー女を頭から排除した。
それからは無心に仕事を進めて、気付けば夜になっていた。
ふっと顔を上げればオフィス内は人もまばらで、あのピンキーもいない。
一段落したし、帰るか。
不必要に残業する義理もないと、帰り支度してエレベーターに向かう。
誰もいないエレベーターに乗り、一階を押す。
途中で誰かが乗る事もなく目的の階で扉が開き外へ出て、
「うわっ」
「うきゃっ!?」
あろう事かエレベーターに背を向けて突っ立っていた女に激突した。
弾き飛ばされて転けかけた女の腰を、慌てて支える。
細い。軽い。ピンキー。
右腕に与えられた余りにも頼りない感触と、目の前に広がるピンクにぎょっとした俺以上に、俺に支えられたピンキーはぎょっとしていた。
あわあわと俺を見て、突っ立って見つめていた先を見る。
とりあえず、見つめる先の相手が気付いていない事に、ほっとしたようだ。
振り向きもせず歩き去る、桑原と、知らない女。
腹に腕を回す俺も忘れて、ピンキーは桑原を見つめていた。安堵か、諦めか、喜びか、痛みか、良くわからない、うるんだ眼差しで。
見えなくなるまで桑原を見送り、深く吐息を漏らしてから、ピンキーはようやく状況を思い出したらしく固まった。
条件反射のように跳ねた翼が、べしんと俺の胸に当たる。
「あっ、あー……えっと、あの、もしかして、見えてます?」
顔は平凡だが声はなかなか良かった。
無言で腕をピンキーから離し、頷く。
見えているのかと訊くと言う事は、少なくともピンキーの中では自分が見えていない設定なのだろう。
「えー……。おかしいな、見せてないはずなんだけど……」
ピンキーがぱたぱたと、自分の身体を確認する。
「こんな格好でオフィス街を出歩くとか、どんな拷問だよ……」
げんなりしたピンキー。どうやら服装は本位でないようだ。顔と格好の不一致は、そのせいか。
少し、ほっとした。このピンキーはピンキーでも独創的な価値観は持たないピンキーらしい。
「日本人だしせっかくめずらしいピンクの巻き毛なんだからこう言う格好が良いよねとか、あのクソ野郎が……。世界的にどうであれ、日本的に見ればちっとも童顔じゃないし、原宿が日本全土の常識じゃないっつーの」
……その格好でその口調はどうなんだ。
あと、自分でどう思ってるか知らないが、十分童顔だと思うぞ。
と言うか、
「ピンク頭は自前……?」
染めたのか、地毛なのか。地毛なら少なくとも、純粋な日本人ではないだろう。
「っと」
背後で開いたエレベーターに、ピンキーをかばいつつ避ける。
「あれ?前田さん。どうしたんすか、こんな所で一人で」
昼も話し掛けて来た後輩だ。良く会うな。
「電話来たからつい立ち止まっちまったんだよ」
ピンキーを背後にかばいつつ適当な言い訳を述べる。
「へー……。あ、もしかして、カノジョさんっすか?イヴですもんねー」
「そう言うお前はどうなんだ」
「あははー……。訊かないで下さい」
笑った顔が笑ってなかった。
「……頑張れよ」
何とも言えなくなって、後輩の頭をなでる。
「うわー、リア充の同情!?良いんすよ、オレは一人さみしくホールケーキでヤケ酒を煽るんすーっ」
大袈裟に泣き真似をして見せた後、後輩はへらっと笑った。
「じゃあ前田さん。また明日。カノジョさんによろしくー」
ひらひらと手を振って立ち去る後輩を見送り、背後で所在なさげにしていたピンキーを振り向く。
随分な厚底を履いているくせに、頭の位置は俺の肩辺りだ。さっき支えた腰も細かった。童顔の上に、小柄らしい。
「……他の奴には、見えないらしいな」
小柄で後ろに立てば見えない。なんて事はない。
いくら本人は小柄でも、傘みたいに膨らんだスカートで、横幅は本人の三倍以上になっているのだから。
生成とは言え白系統の装飾過多なスカートだ。目に入れば見過ごさないだろう。
「ですね」
ピンキーが安堵と困惑の入り混じった顔で頷いた。
「……あんた、暇?」
「暇ですよ」
「あっそ、じゃ、付き合え」
ピンキーの手を掴んで、歩き出す。腰と同じく、痩せて頼りない。
「え!?ちょ、」
「あんたが何だか知らないが、そんな天使みたいな翼付けてるんだ。イヴに独りぼっちの独身男を、哀れんで慰めてくれよ」
「ええっ!?まぁ、良いですけど。どうせなら、ケーキ食べたいなぁとか」
食えるのか、食べ物が。
生憎とクリスマスの晩餐なんて用意してない。
「わかった。買ってやる。……売れ残ってたらな」
周りに見えないらしいこの女を連れて、ケーキを出すような飲食店には行きたくない。
スーパーにでも行きゃ何かクリスマスっぽい食いもんくらい買えるだろう。
「食べたいもんあったら指差せ」
電車で家の最寄り駅に向かい(ピンキーは無賃乗車だ)、最寄りのスーパーに入った。
イヴの夜でも変わらず24時間営業。ご苦労な事だ。
「ほんとに良いんですか?」
「良くなかったら連れて来てない。……付き合わせる礼とでも思っとけ」
何でこんなうっさん臭いピンキーに付き合ってるのか。
自分でも謎だが、何となくほっとけなく思った。
「うわー。ちょ、嬉しいです。ありがとうございますー」
若干おざなりに礼を言ったピンキーのきらきらした目線は、これ見よがしに作られたクリスマスコーナーに釘付けだった。
ぱたぱたと羽根を揺らしながら小走りで突進する。
「はわー、ケーキだケーキぃ……どれにしよ、うぅー……」
ちょっと余り過ぎじゃないかと思うくらい並べられたケーキを、きょろきょろと見回し真剣に吟味する姿は微笑ましい。
「好きなものを買って構わんが、二人で食べきれる量にしろよ」
周りに人がいない事を確認して声を掛ける。
「甘いもの、平気なんですか?」
「嫌いじゃないが、量は食えん。ま、明日までは保つだろうし、あんたが消費するなら多めに買っても良い」
「え、じゃあ、ケーキ二個とか」
「責任取れるなら好きにしろ」
明日、と言う言葉を気にしなかったピンキーに防犯意識を問いたい。
男の部屋に行く事をほいほい納得して、平気なのか、このピンキー。
「あ、七面鳥。珍しい。日本じゃローストチキンが主流ですよね」
ピンキーが所望した小さめのホールケーキ二個をカゴに入れていると、ケーキから目を移したピンキーが呟いた。
見ているのは七面鳥のローストだ。ローストチキンの横に、控え目に置いてある。
「日本人の好きな食感じゃないですよね、七面鳥。わたしは好きですけど」
「どっちが良いんだ?」
「え、あ、チキンで…」
言いつつ目線はターキーに行っている。
……ピンキーのくせに一丁前に遠慮しやがって(偏見)。
無言でローストターキーを掴んでカゴに入れた。
「ふぁ!?え、良いんですか?」
良いんですかって、やっぱりターキーが良かったんじゃないか。
「欲しいものを素直に言え、面倒臭い」
顔をしかめると目をまん丸にして見つめられた。
ぱちくりと瞬かれた黒々とした瞳は、少しうるんで見える。
一瞬、ピンキーの顔が泣きそうに歪んだ気がした。
瞬く間に表情は変わっていて、それが実際の表情だったのかわからない。
俺から視線を外したピンキーは、ふにゃりと笑って頷いた。
「はぁい。あ、ポテト食べたいですポテト。後、あれ、ローストビーフ!」
明るい声に楽しそうな顔で、欲しい食べ物を指差す。
さっきの表情は気のせいだったのか、それともあえて、気付かせないように振る舞っているのか。
買い物に付き合いながらピンク髪にふちどられた顔を見る。
地味で童顔で、痩せた顔だ。全体的に小作りでパーツが下寄りだが、目は大きい。
……良く見れば、可愛いと思えなくもない。
「お酒買っちゃいます?折角だから、シャンパンとかワインとか!」
クリスマス仕様に飾られた洋酒を指差したピンキーが、こっちを振り向いて目線が合った。
ずっと見ていたと気付かれないように視線を移す。
「別に構わないが、あんた飲めるのか?」
「飲めますけど、酔えないと思います」
ちょっと困った顔になったピンキーが答える。
「雰囲気を味わうだけになるかと……んー、それなら、ジュースで十分ですね。オレンジジュース買って良いですか?」
「シャンパンとワインとオレンジジュースなら、どれが好きなんだ」
「え、あ、ワインが。炭酸得意じゃなくて」
「色は」
「どれでも」
頷いて、甘めの白を二種類手に取った。ついでに、横にあったチーズの詰め合わせもカゴに入れる。
「俺はワインなら白だ。付き合え」
「ええと」
「相手がオレンジジュースじゃ雰囲気が出ないだろ。格好も含めて未成年連れ込んでる気分になる」
「なっ、格好は、わたしのせいじゃ」
「わかったよ。で、ほかに欲しいもんないなら会計するぞ」
「はい。大丈夫です」
にこにこ顔のピンキーを引き連れて、会計に向かう。
「ふふっ、チーズ好きなんですよねー」
ぱたぱたと歩くピンキーの歩調に合わせて、リボンで結われた左右の髪が跳ねる。さっきは揺れていた羽根は、今は揺れていなかった。
会計を済ませ、品物を袋に詰めてスーパーを出るまでのあいだ、ピンキーは黙って後ろについていた。
暖房のきいたスーパーから出ると、息が白い。
「……あんた、寒くないのか?」
そう言えば冬にしてはずいぶん薄着のピンキーを振り向いて、気付く。
ピンキーの周りに、白い息は見えない。
「寒いとか、暑いとか、感じる身体がないので」
俺の視線を察したか、苦笑したピンキーが答えた。
「あー……」
「あ、見てください、満月ですよ!イヴに満月って、すごく珍しいんですって」
俺が言葉を探すのを待たずに、ぱっと上を向いたピンキーが空を指差す。つられて見上げた空はよく晴れて、まんまるの月が煌々と輝いていた。
「なにかお願いとかありませんか?今夜なら、お月さまが叶えてくれるかもしれませんよ?」
月の明るい夜は、星がよく見えない。
星と雲のない空にぽっかりと浮かぶ月は綺麗だが、どこか少しさみしげに見えた。
「願いごと、ねぇ」
首をかしげつつ、歩き出す。
「考えとく。ほら、こっち」
歩きながら考えるのは自分の願いごとではなく、後ろを歩くピンキーなら、なにを願うのだろうかと言うことだった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続き読んで頂けると嬉しいです