Episode 32
■?ノ?
女が連れていた人間達、その一部を見るとあの感覚が蘇った。
何処か、頭がチリチリとする感覚。
何か、忘れているような。
思い出さねばならないことがあったような、そんな感覚。
しかし、どんなに頭を捻ろうにも。
どんなにその姿を見ようにも。
彼の頭には、その忘れた事実は浮かび上がらない。
しかし、これだけはやはりはっきりと分かる。
目の前のあの女だけは、喰らってやらねばならない。
丸飲みにしてやらねばならない。
当初は獲物を逃したという、自身を含めた怒りからくる行動であったものの。
今ではそんな考えは頭の中にはどこにも存在していない。
喰らう。
ただそれだけの為に。
足は。体は度々何かに止められるように動かなくなるものの。
頭を振ってそれを無理やりに振り払い、彼は再度駆ける。
『あぁ、どうして』
心の中で、誰かがそう言った気がした。
だがそれすらも、彼は振り払った。
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■赤ずきん
2本目のHPゲージが底を尽く。
アーちゃんによる、ロデオ式零距離射撃によって順調に削られていったHPは今まで以上の速度で減少していった。
今までのように、攻撃後の硬直やそれ以外の隙を無理やり見つけ出し攻撃を当てるという、ちまちまとした削り方ではなくなったからだろう。
コートードの方もそれが分かっているのか、私を狙うよりも先に自身の背にいるアーちゃんを振り下ろすためその場で暴れているものの。
アナやジョン、そして牛若丸に【憑依】され出来ることの範囲が広がったスキニットによる援護によって、その動きすらも徐々に制限されていっていた。
はっきり言って順調だ。
これならば私の防水ダムが決壊する前に決着を付けられると思うほどに。
しかしながら、現実はそこまで簡単なものではないと私は知っている。
勝って兜の緒を締めよ、というように。
ここで気を抜いては、変化が起こった際に一方的にやられるだろうとそんな確信持った考えも心の内に秘めていた。
そんな私の考えが分かっているからか、私に【憑依】しているスーちゃんは何も言わず。
されど何が来てもいいようにと、私の周囲に【その脅威は這い寄るように】による不可視の刃を多数出現させ迎撃、攻撃準備を整えていた。
「アーちゃん!そろそろ!」
『分かってるわッ!ほら、皆!』
「分かってらァ!行くぞ!!」
『『応!』』
HPゲージが底を尽くギリギリ。
アーちゃんに向かって声を掛け、その背中から退避させると同時。
スキニット達が一斉に攻撃を仕掛けた。
退避させた理由は簡単。
1本目を削りきった時と同様、2本目を削りきった段階で何かしらの変化が起きた時に相手の背にアーちゃんが乗っていては対応がしにくいためだ。
炎が、矢が、そして風の斬撃が。
それぞれ三者から放たれ、アーちゃんが突然離れた事によって隙だらけとなっていたコートードへと襲い掛かる。
全てが全て命中し、爆発のような土煙を引き起こしつつ2本目のゲージを削りきっていく。
瞬間、やはり変化は訪れた。
『G……RAァアアアアアアア!!!』
コートードの咆哮。
しかし今まで対峙していた時にしていたものではなく、どこか人間めいたその叫び声が土煙の中から聞こえた事によって、私達の警戒心は先程以上に上がった。
彼の名前の銘。それを考えればわかるだろう。
土煙が彼の咆哮によって生じた衝撃によって、強制的に霧散する。
その中心、先程まで赤毛の巨大な狼がいた場所には、私達が知らない男がいた。
髪は短い赤毛。目は金色。
誰から見ても見事としか言いようがない筋肉を晒した上半身に、何処か狼の毛を感じさせる長ズボンを穿いたその男は。
「……最後は人型。魔王でも変身は2段階だぜ?」
【人狼王】コートード。
私の呟きに、何かを感じ取ったのか。暴れることはなく、じっと私の方を見据えてくる。
そして、襲い掛かってくることなく口を開いた。
『……思い出した』
ただ、一言。
しかしながら、彼はそれだけ呟くと涙を流し始めた。
突然の行動に私とスーちゃん、果てはスキニット達を含めた1人を除いた全員が呆ける中。
やはり、というか。彼女は動き出した。
どう見ても瞬間移動したようにしか見えないように、突然コートードの背後に現れたモーニングスターというどう見てもその容姿に似つかわしくない武器を持った幼女。
サーちゃんが、ただ涙を流しているコートードに向かってそれを振り下ろす。
普通の人ならば、それだけで頭が潰れるか……そうでなくとも致命傷は避けられないであろう一撃。
しかし、コートードはそれを振り返りもせず片手で簡単に受け止めた。
ダメージが入っていないというわけではないらしく、少しばかりHPゲージが削れたのを確認しながら、コートードの出方を見る。
元々、サーちゃんはこのボス戦が始まってからは特に指示を出さず、彼女の判断で攻撃に加わってもらっていた。
というのも、彼女に指示を出しても勝手に殲滅行動を行ってしまうのが道中で分かっていたからだ。
何度彼女の方が『少女と狼』の赤ずきんに相応しいのではないか?と思ったことか。
そんな攻撃を受け、尚も涙を流し続けるコートードは再度口を開いた。
『あぁ。俺は神など信じてはいないが……それでも信じずにはいられない。またこうして、貴女に会えたのだから』
「……誰の事を言っているのかな?」
『勿論、貴女だ。……いや、直接話している君ではなく。中にいる貴女だ。少女よ』
私の方を、否。
私の方を見てはいるものの、別の何かを見ているその目は、確かに何かが見えていた。
そして、その見られているであろう何か自身も反応を返していた。
私の意思に関係なく手が動く。
この感覚は初めてではなかった。2度目だ。
そう、丁度スキニット・ジョンのコンビと決闘した時と同じ感覚。
(……スーちゃん?)
((……はは、すいません。何処か既視感があったんですよ。見た時から))
震えたような声で応答する彼女は、そのまま私の身体を操り両腕を前へと突き出すような姿をとる。
それと同時、私の周囲に浮かんでいた刃が一斉にコートードの方へと向いた。
((アレは……アレは!))
『あぁ、良い。また……また味わえるのだな!貴女の!あの時の少女の味を!!』
<ボスの名称が変化します>
<個体名『【人狼王】コートード』から『【餓狼】古ノ狼』へと変化しました>
<【餓狼】古ノ狼によるフィールド効果が発生します>
<全ての紡手、及び登場人物は【飢餓】の状態異常を強制付与されました>
周囲の景色が変わっていく。
森林の中だったはずの風景が、赤黒い骸骨が積まれた異質な空間へと変わっていく。
地面も、木も。全てが骸骨へと置き換わり、青い空は赤黒い雲によって覆われた。
『人間!君を喰らい、その内にいる少女をも喰らおう!それが俺の使命であり、この場を任された悪意としての使命だと知らしめてやろう!』
コートード……否、古ノ狼は笑うように高らかに宣言する。
ある種確信めいてスキニットの方を見れば、それだけで伝わったのか彼は私の考えを首を縦に振ることで肯定した。
つまりは、ここからが本当のボス戦。
スキニットが言っていたではないか。
『ボス戦用のフィールドが存在する』と。
ここが、この赤黒く趣味の悪い空間が本当の……【餓狼】古ノ狼のボスフィールド。
HPゲージが回復することはないものの、先程のサーちゃんの攻撃でほぼゲージが削れていないのを見るに、確実に今まで以上にHPが多い事は確かだろう。
……面倒な事になったなぁ。
私はこの時点で、自身の尊厳を投げ捨てることを決めた。




