用済みの名探偵その1
001
僕こと海野杜達也の朝は早い。
まず六時半にセットした目覚ましを止めるところから僕の一日は始まる。
起きてすぐケトルでお湯を沸かしながらその間に洗面所で顔を洗い、眠気を覚まし、ケトルで沸いたお湯でインスタントのコーヒーを入れて一気に飲み干す。
その後、昨日学校帰りにスーパーで買っておいた食材と昨日の夕食の残り物を冷蔵庫から取り出して簡単な朝食を二人分作る。
そして朝食を作り終えた後、僕は身だしなみを整えて、ゆっくりと二階に繋がる階段を上がる。
階段を上ったすぐ横にある一室――愛する義妹の部屋の前にたどり着いた後、僕は一度『コホン』と咳払いをしてゆっくりとドアを開く。
僕は決してまめな性格ではないけれど、それでも愛する義妹に好かれるための努力は惜しまない――愛されるお義兄ちゃんへの道は険しいのだ。
「礁湖、朝だぞ」
そう言って、僕は義妹の部屋のドアをゆっくりと開けながら部屋に入る。
愛すべき義妹はすやすやと寝息を立てて部屋に侵入した義兄に気づくこともなく眠っている。(そして言うまでもないがその寝顔は超かわいい)
僕は十五秒ほど義妹の寝顔を見つめた後、意を決して近くの窓まで歩き、一気にカーテンを開ける。
窓からはとても強い朝日が差し込んできた。
今日はいい天気だ。
「んん……お義兄ちゃんおはよう」
窓から降りそそぐ日光をもろに浴びた義妹は目をこすりながらゆっくりと目を覚まして僕に朝の挨拶をする。(もちろんそんな仕草も超かわいい)
「おはよう、礁湖。朝ごはんできてるから支度が済んだら下りておいで」
この愛らしい少女は海野杜礁湖――僕の愛すべき義妹だ。
このようにして僕こと――『義妹職人』海野杜達也の一日は始まる
「えー、お義兄ちゃん、今日の朝ごはんはイカ墨パスタじゃないの!?」
僕に起こされてから五分ほどたった後、礁湖はリビングに下りてきてテーブルに並ぶ僕の渾身の朝食――目玉焼きがのったベーコンと別皿に盛りつけられたサラダ、それに適量にバターが塗られた食パンを見て開口一番そう言った。
「だから礁湖、いつも言っているけど一般的な家庭では朝食にイカ墨パスタは出さないんだよ。毎日決まって同じクレームを入れてくるのはいい加減やめてほしいんだけど」
「えー、今さら我が家で『一般的な家庭』を参考にされても困るよ。それにお義兄ちゃんの作るイカ墨パスタは世界一美味しんだから。毎日三食イカ墨パスタでも生きていけるまであるよ」
「はいはい、可愛い義妹にそこまで評価されてお義兄ちゃんは嬉しいよ。でもそれはまた今度時間があるときに作ってあげるから今はベーコンとパンで腹を満たしてくれるとお義兄ちゃんはもっと嬉しいかな」
「……絶対だよ? 絶対今度作ってね」
「はいはい」
そう言って不満を言いながらも礁湖と僕はテーブルについて食卓を囲む。
『いただきます』
二人でそうやって手を合わせ、一緒にいただきますを言って朝食をとる。
確かに礁湖の言う通り、きっとうちは『一般的な家庭』とは少し異なっているのだろうけれど、僕は今の生活に満足しているきっとそこには後悔なんてない。
――きっと後悔なんて、ない。
002
「ところでお義兄ちゃんの今日のご予定は?」
「えーっと、今日は二限と三限に講義が入っているから、夕方頃には帰ってくるよ」
「はぁ、そうやって今日もお義兄ちゃんは可愛い義妹を夕方まで家に放置していくのね。いいもん、私は部屋にこもって一日中ゲームしてるもん」
そう言って礁湖は頬を膨らます。
「そう言う礁湖の今日のご予定は?」
「私は毎日が日曜日だよ」
「ちなみに学校に行く気は?」
「ないね」
即答だった。
(それでも、清々しいまでに、ない胸を目一杯張ってそう言い切る僕の義妹はやはりとてもかわいかった)
「愚問だったな」
そう言って朝食を食べ終えた僕はコーヒーを飲みながらまだ朝食のベーコンを半分ほど食べたところの義妹が食べ終わるのを話しながら待っている。
どんなに忙しくても朝食と夕食は一緒にいただきますをして一緒にごちそうさまを言う。それが数少ない我が家の――というよりは僕たち兄弟の暗黙のルールだった。
つけっぱなしにしているテレビにはニュース番組が映っていて、一週間前に起こった銀行口座からの流出事件についてアナウンサーが深刻な顔でコメンテーターたちと話し合っていた。
「これも何だかお粗末な話だよね」
唐突に礁湖がベーコンを口に含んだままそう呟いた。
「礁湖、行儀悪いから口の中にもの入れたまましゃべるんじゃない」
「ごめんごめん」
そう言って礁湖は持っていたフォークを置いて手前にあったコーヒーカップをとって口に運びながら話を続ける。
「だってさ、この流出した銀行やここのグループ会社のセキュリティは超緩いってネットで噂になってるもん。そりゃ普通のちょっとハッキングの知識をかじったくらいの人じゃ無理だろうけど、私レベルのネット知識があれば楽勝だよ」
「……え? ひょっとしてこの事件の犯人お前なの?」
僕は一瞬ひやりとして恐る恐る愛すべき義妹の方を見る。
「ひどいなぁ。お義兄ちゃんは私がそんなネットリテラシーのない義妹だと思ってるの? 私そんなことしないよ? だって万が一でもお義兄ちゃんに迷惑かけるわけにはいかないもん。それに、もし実行するときにはちゃんとお義兄ちゃんに相談してからにするよ」
「……そうか」
どこか考える点がずれているような気がしないでもないけれど、まあ可愛いからよしとしよう。
何を隠そう僕の愛すべき義妹――海野杜礁湖は齢十四歳にしてネットに関する膨大な知識を有している超優秀な引きこもりである。
義兄であり、ネットに関して素人同然である僕の目からしても礁湖のそれはぶっ飛んでいる。
礁湖は二年前、中学校のクラスでいじめにあって以来、学校に行かず、不登校になってしまった。一応中学三年生に進級はしているものの、それ以来学校には一度も通っていない。
本来なら、義兄としてはこの可愛い義妹をなんとか再び学校に通わせて社会復帰させようとするのが正解なのだろうが、僕を含めて今は仕事のため海外で暮らしている僕たちの両親も特に何も言わなかった。
礁湖を甘やかしている――そんなところもあるのかもしれない。けれど、僕たちは礁湖の好きなようにさせたいと思った。
今のご時世、最悪家から一歩も出なくても生きていける。もし仮に礁湖が社会復帰を望むならば、通信制の高校を履修して大学受験を受ければ大学にも通うことはできる。
そう、何も学校に行かないことは人生終了のお知らせではないのだ。
礁湖が登校拒否になった日、僕たちはその頃まだ日本にいた両親も含めて四人で家族会議を開いた。
『礁湖の好きなように生きればいい。ただし、人とは違う生き方をするということはそれだけのリスクを覚悟しなければならない。そしてこういうものは大抵の場合、一度道を踏み外したらもう普通の道には戻って来られない。人生はいつでもやり直せるが、決してリセットできるわけではない。礁湖の好きなようにすればいいし、そのための応援やサポートはしてあげよう。でも、それだけは決して忘れないでほしい』
普段家では笑った顔しか見せたこともない父はこれまでにないほど真剣な表情で、礁湖にそう言った。
その時礁湖は少し考えて、
『私、学校行かない』
と、そう僕たち家族に宣言したのだった。
僕たち家族はそんな礁湖の意見を尊重し、学校に関することは特に無理強いしないことにした。
どんなに『僕たち』みたいな社会不適合者たちにとって生きづらい世の中だって才能と実力さえあれば乗り越えていける。
――両親をはじめ、僕はそう信じて疑わなかった――この頃までは。
それ以降、礁湖は三六五日部屋から一歩も出ることなく、文字通り引きこもった。
その間にネットやプログラムの知識、またどこから覚えてきたのか株式投資やウェブマーケティングなどに関する知識も取り入れ、現在はブログなどを運営する傍ら、ネットビジネスやウェブを通じたコンサルティング業務をこなすことで中学三年生ながら、もうすでに自立した生活を送っている。(それでも引きこもりであることには違いないが)
それでも礁湖から言わせれば、
『いやいや、日本っていう国は中学生にとっては規制が厳しすぎてやりたいことがなかなかできないんだよね。早く大人になりたいよ』
とのことらしい。我が義妹ながら逞しく育ったものである。
――そして、そんな礁湖を見ていると、少しだけ今の自分が情けなくなる。
「あ、やばい。そろそろ家を出ないと遅刻だ。礁湖、悪いけど早く食べてくれ」
「はいはい、ちょっと待ってね」
そう言うと礁湖は最後に一口分だけ残っていたベーコンを平らげてフォークを置くと、僕の方に向き直った。
僕たちは両手を合わせて
『ごちそうさまでした』
と声をそろえて言った。