第3章 天使のお迎え
AM10:00
「先生。気分がすぐれないので、保健室で寝させてください」
綾南はそう言って二時間目の授業が始まった教室を後にした。
AM10:04
保健室にて教室で言ったことを復唱し、ベッドの使用許可をもらう。
「わかったわ。昨日あんなことがあったんだもんね……。今日はそういう子が多いのよ。ベッドもあと一台しか空いていなかったのよ。滑り込みセーフね」
ベッドの使用許可を出した女性教員の顔に、疲労の色が見えたのは気のせいではないだろう。
綾南は保健室の隅にある白いカーテンで仕切られたベッドスペースに移動。
3台のベッドのカーテンの引かれていない端のものへ向かう。
細いパイプで組まれるスプリングのあまりないベッドに寝そべる。
「よっ。遅かったな」
そこに声をかけられた。
声をかけてきたのは、綾南の悪友。灰本だった。
隣のベッドスペースを仕切る白いカーテンの隙間から顔だけを出して綾南を見ていた。
「教室に居ないと思ったら、ここだったのか」
「ああ。昨晩の電話から、了かここに来るんじゃないかって推理して、待ち伏せしてたんだ」
「おまえは探偵か」
「それはおまえだろ。了。――俺は『情報屋』だよ」
灰本は、にやり、と笑った。
そこに、
「ほらー。お喋りするんなら教室戻りなさーい」
カーテンの向こうから養護教員の声がした。
声の質からして、話していたのは聞こえていたようだが内容は聞かれていないようだ。
「はーい。すいませーん美沙子先生。おとなしく寝まーす」
そう答えて、灰本はカーテンから首を引っ込めて、自分のスペースに戻った。
「じゃな、了。後でな」
AM10:42
綾南がベッドに寝そべり、まどろみながら時間を潰していると、
ガララララ。――戸の開く音がした。
入室する足音が2つ。
「あ、ごめんね。もうベッドが空いてな――」
養護教諭の大路美沙子の言葉が止まった。
綾南は確信する。おそらく入ってきた人物たちは、生徒ではなかったのだ。
――来たか。
「こんにちは、大路先生。昨日もお会いしましたね。勝石警察署の吉家です」
「あの、まだ私に、ご用件があるのでしょうか? 知っていることは昨日すべてお話ししたはずなのですが……」
「はい。そうなのですが……」
間あって、それから再び声がした。
「大路美沙子さんには、岡島幸夫さん殺害の重要参考人として、お話をうかがいたいのです。これから署まで同行してください」
断定形で話すことによって、任意の聴取だということを、それとなく隠している。
「でも、昨日、全部、話しましたし……私、やっぱり疑われているんですか? 私は、そんなこと、やっていません」
「それも署でしっかり事情をお聞きすれば、わかりますから」
それからまた少し間があった。おそらく悩んでいるのだ。
「…………わかりました。……それでは、少しお待ちいただけますか? 体調を崩して寝ている生徒がおりますので、職員室の先生に事情を話して、留守居していただくので――」
「ちょっと待ってください」
綾南が声をかけた。カーテンで仕切られていたベッドスペースから出て、先生の事務机や薬品棚のある中央エリアに移動。
綾南は見る。
そこには予想していた通り、白衣の大路先生と、淡い色のスーツの吉家。
そして、深い色のスーツの沼場が立っていた。
沼場はずいと前に出る。吉家を背に、綾南の前に。
「おまえは、昨日の探偵少年じゃねえか。大人の事情にいちいち絡んでくんじゃねえ。殺人事件の捜査なんだぞ。わきまえろ」
低く迫力のある声だった。
だが、顔が笑っていた。
後ろにいる吉家には見えないように、意味深に笑っていた。
当然だ。
綾南は思う。――沼場が暗に『助けろ』と綾南に促したのだから。
このまま大路美沙子が警察へ連行されれば、ほぼ確実に『犯人』となるだろう。
警察という組織は『治安の維持』を目的とした組織であり、犯人を捕まえなければならないのである。『殺人犯が捕まっていない』という状況を一秒でも早く解決したいのだ。――重要参考人をすでに確保しているとなれば、マスコミへの印象も変わる。
たとえ『犯人』が――『白』か『黒』か不明瞭でも。
「そうはいきません。大路先生は犯人ではありません」
大路美沙子が『犯人』となれば、彼女の人生は、豹変する。
――終わる。といっても過言ではない。
それが、たとえ『虚偽』だったとしても。
「綾南くん。状況証拠からすれば彼女が犯人であることは、ほぼ確定なんだ。口を出さないでくれ。――あ、すいません。大路さん。『重要参考人』ですね……」
吉家は(昨日の沼場からの叱責が堪えたのか)綾南には厳しい口調で話した。だが、後半の美沙子への訂正で、たどたどしい雰囲気になってしまっていた。
「で、でもね、綾南くん。状況からすると大路先生が一番アヤシイんだよ。彼女は、第一発見者でもあるしね。――ああ、君は事件の全容を知らないんだね」
名探偵も事情を知らなきゃ分からないよね、と吉家は言葉尻に嫌味のように付け足す。
そして、事件について、話す。
「いいかい、綾南くん。岡島先生は体育館に付属している個室、体育教員室の中で死んでいたんだ。ドアは体育館に出るものと外に出るものの二ヶ所。しかし、両方に鍵が掛かっていた」
綾南は「そうなんですか」と初めて聞いたように、反応する。
――まあ、知っているのだが……資料を読んだから。
「つまり、これは『密室殺人』なんだ。でも、それは違う」
「――確かに鍵は掛かっていたけれど、ふつうに鍵を開けて鍵を閉めればいいのだから」
そう。これは密室殺人なんかではないのだ。
「だから、鍵を持っている人物しか犯人にはなり得ない」
吉家はしっかりとした口調で、言い聞かせるように、綾南に伝える。
「ちなみに体育教員室の鍵は全部で3本。電子制御のキーボックスに入っている『職員室の鍵』、生徒が怪我をした際などの緊急時に使われる『保健室の鍵』、そして岡島先生自身が持っていた『岡島先生の鍵』の3本だ」
「はい。つまり、それは――『職員室の鍵』は犯行時刻に電子制御のキーボックスに入っていて使用不可能。『岡島先生の鍵』は殺害された岡島先生自身が持っていたので使用不可能。だから、最後の一本『保健室の鍵』が犯行に使われた可能性が高い。――よって、それを管理していた保健室の大路美沙子先生以外に犯行はおこなえない。そういうことですね?」
「ああ、その通りだ。さすが『名探偵』。話が早いね」
そのように綾南をほめた吉家に、沼場は振り向いて目を鋭くして睨んだ。
「す、すみません沼場さん」
「ちっ」
舌打ちして再び綾南の方を向いた沼場の顔は、にやけていた。
沼場も、綾南に負けず劣らず、百面相がうまい。
「わかったか? 名探偵。だからこの先生は『重要参考人』なんだ。わかったら邪魔してくんな」
沼場は厳しい口調だったが、綾南に見せる顔は意味深な笑いに満ちていた。
綾南は、沼場の笑いに、応えることにした。
「ですが、その理由で大路先生を犯人と決め付けるのは早計です」
ハッキリとその旨を言葉にする。
「だが、綾南くん。体育教員室に入るためには、――いや、鍵を閉めて出て行くためには、鍵が必要だ。だから、――」
吉家の言葉を綾南が引き継ぐ形で話す。
「だから、鍵を管理している大路先生しか犯人になり得ない」
「そ、そんな……」
綾南の言葉に、大路美沙子は不安げな声を漏らした。
「でも、それは矛盾なんですよ」
「なに? どういうことだ」
綾南の指摘に、沼場は不機嫌そうな声をだした。
――ほんとは気がついていたクセに……
だから沼場は、綾南に資料を見せて協力を仰いだのだ。
「もし、大路先生が本当に犯人だった場合、体育教員室のドアの鍵を開けておいた方が絶対に得なんです。体育教員室のドアが閉まっていれば、真っ先に疑われるのは大路先生です。――しかし、開いていれば、犯行はほぼすべての人に可能になります。外部犯の可能性も出てくる」
綾南は一呼吸入れる。
「もしも、大路先生が本当に犯人だった場合、岡島先生の殺害を終えて、わざわざ鍵を閉めて出ていったということになります。でも、わざわざ鍵を閉めて出て行かなくても、そのまま開けておけばいいんです。そうすれば、自分があやしまれるリスクが減りますから。――自分が疑われるようなことを、犯人がするわけないじゃないですか」
その言葉に、吉家は事実で反論する。
「だが、実際、ドアの鍵は閉まっていたんだ。ならば、鍵を持っている大路美沙子さん以外に、犯人は考えられないだろう。……あっ。すみません。『重要参考人』です。はい。」
そのとおり。
その矛盾こそが、大路美沙子を犯人としているのだ。
だから、綾南はその矛盾を崩しにかかる。
「なら、『別の鍵』でドアを閉めればいいんです。――そうすれば、『保健室の鍵』を管理している大路先生が嫌疑の対象になり、鍵を閉めた『真犯人』から警察の捜査が遠ざかります」
「りょ、綾南くん。だが、それは、無理じゃないかな?」
吉家は怪訝な顔をする。
「ピッキングなんて手段も論外だ。そんな形跡はなかったからな。無理矢理に施錠を開閉したら、何かしら痕跡が残るはずだ。だが、現場からそんな形跡はない」
沼場も顔をしかめる。
沼場自身、大路美沙子を犯人とすることの矛盾点には気がついていたようだが、それを覆す要素がなかったのだろう。
「そうですね。じゃあピッキングではないのでしょう。『職員室の鍵』の入っているキーボックスは電子制御なので、その鍵を奪取することは不可能。職員のIDカードが必要だし、どうしても記録が残ってしまいますよね」
ならば――
「だから『岡島先生の鍵』で、『真犯人』は鍵を閉めたんじゃないですか?」
「はぁ!」「はあ?」
沼場と吉家から同時に声が出た。
息がピッタリだった。
この二人、案外いいコンビなのかもしれない。
沼場は綾南に微妙な不安顔をしながら、強い口調で言った。
「そんなわけねえだろ。さっき言ったように『岡島の鍵』は殺されていた体育教員室の中から発見されてんだ。中にある鍵で、外からドアが閉められるかよ」
沼場は無関係の人物を犯人にしてしまう『冤罪』の可能性から、綾南に助言を求めた。
逮捕を引き止めてほしい。――そういう心情なのだろう。
が、その推理は、完全に予想の斜め上だったようだ。――そんな顔だった。
「通気口や窓から投げ入れたり糸を使って、鍵を部屋に戻した、という推理かい?」
吉家は綾南に訊ねる。
「いえ、そういう訳ではないんです」
この件に関しては、綾南よりも、もっと巧みに説明できるヤツがいた。そこで、綾南はそいつに呼びかけた。
「おい。灰本、ちょっと力を貸してくれ」
後ろのベッドスペースへと声をかけた。
が、
「……………………」返事がなかった。
ん?
綾南はベッドスペースへと歩みより、ヤツのいたエリアのカーテンを引っ張った。
そこで、灰本は――爆睡していた。
「…………う~ん。もぉ食えねえよぉ……むにゃむにゃ…………」
寝言をつぶやいた。――マジでそんなアホみたいな寝言を発する人物を綾南は初めて見た。
綾南は、灰本の寝顔にチョップを叩きこんだ。
AM10:59
灰本道士は目が覚めた。
「ううっ。なんだ、了……なにすんだよぉ。あらら? ここはどこだ? 保健室か……美沙子先生おはようございます。……あれ? 沼場のおっさ――」
ベシっ。
綾南は寝ボケる灰本に、再びチョップを実行して止めた。
灰本が「沼場のおっさん」と発言しそうになったからだ。
綾南の悪友である灰本も、何度か変な事件に巻き込まれ、それを綾南の横で見てきた。
その関係で、灰本自身も警察官の沼場と知り合いなのである。――だが、沼場は新米刑事の吉家の前では、『高校生と仲良くしている』というのは伏せている。先輩刑事のメンツがあるのだろう。大人の事情だ。
だから、綾南は灰本を止めた。
実際、沼場も、灰本の口から自分の名前が出てきた際には、少し顔が強張っていた。
大人って大変だなぁ。――綾南はしみじみ思った。
「ああ、気にしないでください。こいつ、寝ぼけてたみたいなんで、今のは『ぬまとらのお』って言ったんだと思います。水場に咲くサクラソウの一種です。灰本は変な知識を集めるのが趣味なんです」
「ま、『情報屋』だからな」
綾南の言い訳に、灰本が相槌を打ちように付け足して言った。
もう、眠気から覚醒したのだろう。
「どうも、はじめまして。警察の方っすか? 俺は三3年3組の灰本道士っす。さっきの話は、カーテンの奥で聞かせてもらったっす」
――ウソつけ。おまえ、爆睡してたじゃねえか。
そんなツッコミを綾南はなんとか呑み込んだ。
「体育教員室のカギの話しっすよね?」
眠っていた灰本が話しについてこられるのは、昨日の晩、電話で綾南と『その案件』について情報を交換したからだ。
「ああ、そうだね。とにかく話を戻そうか……」
吉家が話し、それてゆく軌道を修正する。
「岡島さんの死んでいた体育教員室のドアを閉めるためには、どうしても鍵が必要なんだ。だから、鍵を持っている大路美沙子さんしか犯人はありえない。――あ、何度もすみません。大路さん……『重要参考人』です。まだ、犯人と確定したわけではありませんので……」
ありえない、と言っておきながら、確定していない、と発言する吉家。
その矛盾を綾南は理解できた。――警察は常に『中立』の立場でなくてはならないのだ。犯人だと自分が信じていても、それを態度に出してはいけない。
「で、つづきだ。――綾南くんは『岡島先生の鍵』を使ってドアを閉めればいいと話していたけれど、それはどういうことなんだい? トリックとか、そういうものかい?」
「いいえ、吉家さん。トリックとか、そんな大仰なものじゃないんです」
綾南が返事をして、灰本に目を合わせると、灰本は自身のポケットから、銀の片を取り出した。
吉家が訊ねる。
「こ、これは…………鍵だけど、いったいどこの?」
「たぶん、これで体育教員室のカギ、開くと思うっすよ」
灰本の言葉を聞いて、沼場はハッと気がつく。
「合い鍵、か……」
まさか、という驚きが吉家に見て取れた。
綾南が答える。
「その通りです。体育教員室は、たしかに高校の設備の一つで、学校の管理下の施設です。でも、利用するのは岡島先生のみで、体育教員室は彼の私室のような状態でした。岡島先生自身が『岡島先生の鍵』から『合い鍵』を作っていたとしても、不思議ではありません」
綾南の説明に、驚きつつも吉家は反論する。
「しかし、殺された岡島さんが合い鍵を作っていたなんてことは、警察は学校側から聞いていないよ。学校の施設の合い鍵を作るなら、申請や許可がいるはずだろう?」
「ええ。そうですね。――だから、岡島先生は、学校に秘密で、無許可で合い鍵を作っていたんじゃないでしょうか?」
「え……。しかし、なぜ。失くしてしまった時の『予備』ということかい?」
「吉家。そんな事より前に、きくことがあんだろ?」
沼場が吉家の言葉を遮った。そして、低い声で訊ねる。
「てめえ、灰本とか言ったな」
沼場は灰本に初めて会ったように話した。
綾南は思う。
――沼場さん、初めて会ったような演技がうまいなぁ。
「ハイ」灰本は沼場に応え返した。
「てめえは、その『合い鍵』をどこで手に入れたんだ?」
「岡島先生が脅していた女子生徒からもらったっす」
その灰本の言葉で、沼場と吉家、美沙子は言葉を失った。
綾南は思った。昨晩の資料を読んでから。
理由もなく人間が殺される訳がない、と。
刺殺や撲殺ならば「事故」の可能性もある。しかし、岡島の死因は「絞殺」だ。事故の可能性は低い。
つまり、恨まれて首を絞められるだけの動機があったということ。
だから昨晩、綾南は『情報屋』灰本に電話で頼んだ。
「岡島に恨みのある人物を捜してくれ。体育教員室の鍵を持っているかもしれない」
腕利きの情報屋は一晩で探し当てた。
情報屋は成果を語る。
「岡島に脅された題目は『不純異性交遊を黙っていて欲しかったら』だそうっす。でも『その子』は犯人じゃないっす。おとといは、きちんとしたアリバイがあったんで」
女子生徒を脅して部屋に呼び寄せる。――その行為が意味するところは、説明しなくてもわかるだろう。
「そういう生徒は、まだいるかもしれないっす。まだ一人しか見つかっていないっすけど」
「な、なるほど。」
吉家は動揺しながらも、話す。
「しかし、そうだとしても、――岡島さんが生徒を脅して恨みを買っていたとしても、大路美沙子さんの状況は変わらない。大路さんも他にいるかもしれない脅された生徒と同様に『保健室の鍵』を所有しているのだから、岡島さんを殺すことが可能だ。やはり、彼女は『重要参考人』なんだよ」
吉家も『大路美沙子が犯人ではないかもしれない』という迷いが芽生えたことが、口調からわかる。だが、状況は変わらない。
しかし、綾南は言ったのだ。
大路先生は犯人ではありません、と。
「吉家さん。――岡島先生の殺されたと思われる時刻を教えて下さいませんか?」
「へ?」
吉家は気抜けしながらも、沼場に視線を合わせると、沼場は軽くうなずいた。
教えてもいい、という合図だろう。
「夜6時過ぎごろだよ」
綾南は、すでに知っている情報を、ちゃんと聞いて、それを理由に話す。
「夜6時、ですか。――それなら部活をしている生徒が、ちょうど帰る時間ですね。それなら、校内には、まだいくらか生徒がいたと思います」
「ああ、そうだ。だから晩くまで残っていた生徒を中心に警察では事情聴取を進めている。もう、ほとんど終わってるがな。――だが、それがなんだ?」
沼場のぶっきらぼうな質問に、綾南は冷静に答える。
「まだ生徒の目がある中で、白衣を着用する保健室の大路先生が、体育教員室に行ったり、戻ってきたりしたら、目立つんじゃないですか? 『保健室の鍵』は体育館で生徒が負傷した場合などの『緊急時のため』に置かれているんですから」
「…………」
沼場は言葉を失った。
「『唯一鍵を持っていること』が大路先生を犯人とする条件ですが、その条件は崩れました。――そして、大路先生が6時ごろ、体育教員室に移動すれば、誰かが憶えているはずです。でも、そんな証言は出てきていません。――だから、大路先生は犯人のわけがありません」
綾南は断定する。続いて灰本も語る。
「美沙子先生が女子生徒のコスプレしてくれれば、不可能ではないっすけど。…………でも、そんな事があったら、俺たち勝高の男子が見逃すハズがありません。先生は美人っすからね。俺はぜったいにその姿を写真に収めたい! それこそ『情報屋』の名が泣くぜ!」
ベシっ!
綾南の三度目のチョップが灰本の顔にヒットした。
それら推理を聞いて沼場は、
「ははははははははははははは!」
笑った。
別に灰本の言ったことが面白かったわけではないだろう。
そして、普通の表情に戻り、
「吉家ぇ!」
「は、はい。沼場さん」
「署に戻るぞ」
「え、へ?」
「新しい情報が出てきたんだ。大路美沙子の容疑はこれによって薄くなった。それよりも、これらの情報をこれからの捜査に役立てる方が有意義だろが。ちがうか?」
「は、はい。そうですね」
「よし。なら、署に戻ってさっさと報告書を上にあげるぞ」
「は、はい! そ、それでは、大路さん、綾南くん、灰本くん、それではどうも失礼しました」
吉家は、保健室を後にしようと扉に向かう。
沼場も続く、が、そこで急に振り向いた。
そして、綾南に一瞬、笑いかける。
綾南もそれに応えた。
PM11:30
「それでは美沙子先生、俺たち体調も良くなってきたようなんで、まことに残念っすが、このあたりでお暇して、授業にもどります」
灰本は、真面目に授業に戻ることを告げて、保健室を後にする。
「俺もそうします。どうもお世話になりました」
綾南も礼を告げて、保健室を後にする。
「あ、綾南くん」
それを美沙子は引き止めた。
そして、天使のようにほほえんで言う。
「お世話になったのはこちらよ。――どうもありがとう」
言われた綾南は「いえ」とだけ答えて保健室のドアを閉めた。
PM11:31
「おーおー。了はモテモテだなぁ」
「聞いてたのか」
「先日はかわいい後輩女子。今日は保健室の美人教師。――選り取り見取りかよっ! ド畜生!」
教室に戻る廊下で、灰本はちゃかすにしては、深い憎しみをこめて綾南に言った。
「あーあ。俺だって徹夜でネットやら聞き込みやらで情報集めて裏付けに貢献したのになー。こういうの役得てーんだろうな。名探偵と凄腕情報屋の報酬差額」
感情を隠さないやつなのだ、灰本道士は。
「べつに誰が解決してもいいだろ。それが正しいことなら結果は同じだ」
「でも、感謝されて嬉しいんだろ?」
その灰本の問いに、綾南は、
「さあな」
と、自慢のポーカーフェイスで無感情な顔をして応えた。
「ちくしょーめ」
言葉とは裏腹に、まーべつにいいけどな、そんな軽い感情が読み取れた。
「それにしても、今回は了、やけに張り切ってたな。他人が警察に拘留されるくらい良いじゃねえか。どうせ無罪なんだから、すぐに解放されると思うし、――ああ、そうか」
そこで、灰本は気がつく。
「みさこ先生だから妙に頑張っていたわけか。了は。――その名前をテレビや新聞で『悪者』として報道させたくなかったんだな」
その灰本の問いに、綾南は、
「さあな」
と、自慢のポーカーフェイスで微笑しながら応えた。
そんなところで、
――ヴヴヴヴヴヴヴヴ――
綾南のポケットが震えた。
携帯電話だ。綾南はそれを見る。
メールの差出人は先程の刑事の一人だった。
《重要参考人の逮捕を邪魔したんだ。だから、お前がしっかり犯人を上げろよ》
なんだか、うまくハメられた気がする綾南だった。
放課後。ーーPM5:33
「そんなわけで、岡島の殺された事件、解決するぞ」
帰宅した綾南は、自室までついてきた灰本に宣言した。
「なんだ。毎度のパターンじゃねえか」
灰本は綾南にそう答える。
「オーケー。分かった。いつものように俺も協力してやるよ。――高校は俺のテリトリーだ。そこで殺しをしたヤツを放っておくわけにはいかねぇ」
綾南の宣言に、灰本は同意して協力を申し出た。
綾南は強力な情報力を持つ灰本を、実は(本人には絶対言わないが)すごい奴だと思っている。そんなヤツを戦力に加えられるのは、正直頼もしい。
「ちなみに灰本。他の岡島から脅されていた女子生徒の『情報』は何か掴んでるのか?」
「うーん。なんともいえないなぁ。岡島に脅された女子生徒で鍵を持っていた二人は判明したけど、いずれも『白』だ。アリバイが完璧だ。他に『いるかも知れない女子』は現在調査中だけど、発見は難しいな。なにしろ『脅されていた』なんて人に言える情報じゃないからな」
灰本がそう言うなら、その二人は本当に『白』なのだろうと、綾南は考える。灰本はウラを取らないほど甘い男ではない。
「で、了。これからどうするんだ? 大方のことはケーサツがもう調べてんじゃねえか? 俺たち出る幕があるか?」
「ああ、それなら――」
そんなところで、
ばーん。
そんな風に勢いよく扉が開いた。
「話しは聞かせてもらったわ!」
と、言い放ちながら部屋に入ってきたのは、
「ま、……真意」
綾南了の妹、綾南真意だった。
「わたしも捜査に協力するわ」
元気よく真意は綾南に言い放つ。
「……出てけ」
綾南は、うんざり、と疲れたように妹にいう。
「なんでよ。わたしも協力してあげるって言ってるの」
「出て行けっていったんだよ」
綾南は、真意を部屋の外に追い出そうとするが――
「いやよ。わたしもいつものように協力するんだから。押さないでよ。――あ、そうだ。りょうくん、今からわたしに触れたら、兄から暴行を受けたって学校中に広めてやるんだから。さすがに妹をレイプしたなんて、悪いウワサで持ちきりのりょうくんでも『ありえない』レベルでしょ。――それが嫌なら、わたしにも協力させなさい」
「おまえメチャクチャだなっ!」
綾南は盛大につっこむ。ありえないにも程がある。
綾南としては、兄としては、妹を殺人事件なんかに関わらせたくない、という思いがあるのだが、真意は譲らない。折れない。
「了。別にいいんじゃねぇの? ほんとに事件を解決したいなら『信用できる仲間』は一人でも多い方がいいし、マイちゃんの協力で解決できた事件だってないわけじゃないだろ?」
「まあ、そうだけどさ……」
綾南は煮え切らない。
「そうよ。りょうくんがホームズだとしたら、わたしは、はるみちゃんみたいなものなんだから。協力するのは当然よ」
「ん? はるみちゃん? ホームズにそんな登場人物いたっけ?」
分からない灰本。
綾南は共に生活する兄妹だから分かったので、
「なんで俺が三毛猫なんだよ……」
げんなりしながら解説のようなツッコミをいれた。
「それで、了。これから俺たちはどうするんだ? さっきも言ったが、大方の捜査は、もうケーサツがやっちまったんじゃないか?」
「そうね。わたし達にできることってあるの?」
協力を申し出ておきながら、することあるの? なんておっしゃる妹に綾南はイラッときた。が、もう話が進まないので、そのまま話すことにした。
「俺たちは凶器を探そう」
「きょーき? どゆこと」
真意は首を傾げた。
「岡島を殺害した凶器だ。資料によると岡島は絞殺されたらしいんだが、死体は絞殺後にカッターナイフで首の皮膚を切り裂かれていたらしい。それも、何度も何度も、な」
「殺した後に、首の皮膚を切り裂くなんて…………残酷ね。よほど岡島先生に恨みがあったのかしら?」
もしも犯人が岡島に脅されていた生徒だとすれば、真意の話すように深い恨みがあったのかもしれない。
だが、綾南が見詰めているのは、別の見解だ。
「ああ、そういう考え方もできるかもしれない。でも、俺は違うんじゃないかと思う」
「了。どういうことだ?」
「岡島の死体の首を切り裂いたのは、犯行に使った『凶器』を隠すため、だと思う」
「凶器を隠す? あ、そういうことね。――ただ殺すだけなら、首を切り裂いたカッターで斬りつければ良いもんね。何か『特殊なモノ』を使って岡島先生の首を絞めて殺したから、犯人は絞殺の痕を消すために首の皮膚を切り裂いた、ってことね」
「そういうことだ。つまり、その『特殊な凶器』は犯人に繋がるモノの可能性が高い」
わざわざ発見されてしまうかもしれない時間を負ってまで、首の皮膚を切り裂いたのだ。
犯人にとって絞殺痕は消さなければならなかった、そうとしか考えられない。
だが、灰本はそこに一つの否定意見を見つけた。
「なるほどな。けど、了、それってホントに『凶器』として発見できるのか? 犯人は、腕や手を使って岡島の首を絞めたとも考えられんじゃねぇか? 腕や手なんて見ても、人を殺したかどうかなんて、判断つかねぇよ」
「いや、その可能性は低いと思う」
綾南は自身の考えを述べる。恐らく正解であろう考えを。
「たしかに手や腕で絞殺したとも考えられるけれど……殺されたのは、あの岡島だぞ」
「ん? ああ。そうか」
灰本は理解した。
「え? どういうこと? りょうくん」
真意はわからないようだった。
「岡島は太っていただろ。有り体にいえばデブってことだ。――首回りの太い岡島の首を絞めるのは至難だ。しかも岡島は体育教師。並みのやつでは締め落とせないよ」
岡島を締め落とせるとすれば、それは柔道部や相撲部、空手部の猛者ということになる。が、そうなると『岡島に脅されていた女子生徒』という前提は崩れる。
犯人は、ゴリラのような巨躯の女子。――そういう考え方もできるが。
その考えを否定する意見を灰本がなんだか嫌そうに話した。
「あー。岡島をぶっ倒せるような巨体女は…………学校全体でも、ウチのクラスの萩下くらいなもんだな。――でも、それはないな。あいつ、毎日放課後はソフト部の練習でグラウンドにいるから、6時ごろのアリバイが完璧だ」
そもそもゴリラのような女を岡島が脅して従わせようとするだろうか?
――ありえないと思う。
「だから、なにか凶器を使って殺したというのが自然だ」
綾南はこれらのことを、まとめる。
「だから、俺たちはその凶器を捜すんだ」
「でも、りょうくん。凶器を捜すと言われても……どうしようもないんじゃない?」
「いや、そんな事もない。――岡島を殺害したのは、恐らく岡島に脅されていた『生徒』だ。そして、『その凶器』で岡島を殺したのは『突発的』な事態だったんだろう。初めから見つかっても特定されないような凶器を用意すればいいのに、首を切り裂いて絞殺痕を消すくらいだ。――つまり、『凶器』は、それで殺したと知られてはいけないモノってことだ」
「なるほど。『物的証拠』ってのは、始末に困るもんだからな。どこかに隠したと考えるのが自然だ。捨てると『それ』が発見される不安が生まれる」
灰本の言葉にうなずいて同意を示して、綾南は今後の捜査について述べる。
「ああ。だから、俺たちは『生徒の目線』から学校で、『突発的』に岡島の首を絞めたかもしれない備品や道具を探すんだ」
夜。ーーPM10:23
綾南は暗い部屋のベッドに寝そべり、考えていた。
犯人の動機を。――なぜ、岡島を殺したのだろうか?
脅されていたから? 弱みを握られていたから? 凌辱されたから?
どれもイマイチだ。
答えにたどり着かない。ならば、違う方面から、アプローチする。
自分が誰かを殺したいと思うときは、どんな時だろう?
…………思いつかなかった。
…………やめた。
考えるのをやめた。意味がない。無意味だ。
綾南は思っていた。――どこまで考えても、他人の心は理解できない。
綾南は、もう眠ることにする。目を閉じた。
だが、
プルルルルルルルル。音が響いた。
見ると綾南の携帯電話。画面の発信者は非通知。
――だれだ? まさか。
綾南は疑念を抱きながら、通話を開始する。
『もしもし、こんばんは。初めてのお電話ですね』
「…………」
『今日は一度もお会いできなかったので、了さんのお声を聞きたくなって――』
ブツ。
綾南は電話を切った。
プルルルルルルルル。また再び、音が響いた。
操作して、もう一度、げんなりしながら綾南は通話を開始する。
『い、いきなり切るなんて、酷いじゃないですか。了さん』
「…………」
『なんで喋ってくれないんですか?』
「なんでお前が、この番号を知ってるんだよ? 鳥羽」
綾南の携帯に電話してきたのは、鳥羽綾糸だった。
『灰本先輩から聞きました』
「ああ、もう。なんか、わかってたよ……」
綾南は、本日一番のげんなりで話した。
「じゃ、切るぞ」
『ま、まってください』
「なんだよ……俺はもう眠るんだ」
『いえ、了さんにどうしても聞きたいことがあって……』
「んだよ……」
面倒くさそうに、綾南は聞く。
今までの言動から綾南が考えるに、鳥羽からは「わたしのこと好きになりましたか?」「付き合うなら今がチャンスですよ」「わ、わたしの胸、大きかったですよね?」「こ、今晩の、お、オカズに使ってくれても構いませんよ」「ほ、本物のわたしを、使ってくださっても……」なんていう言葉が出てくると思っていたからだ。
さすがに行き過ぎかと思ったが、それくらいの言葉が出てくるような気がしたのだ。
ちなみにそんなワードが出てきた場合――通話を即時終了させる準備もできていた。
だから、綾南は反応が遅れた。
『了さんは、岡島先生を殺した犯人を見つけたいんですか?』
「…………」
その質問の返答を、綾南は準備していなった。
『どうなんですか?』
「あ……ああ、そうに決まってるだろ」
別に俺が見つけなくてもいいけどな。
誰でもいいから犯人を捕まえてくれればいい。
そんな風に付け足した。
『そうですか……』
鳥羽は消入りそうな声でそう話した。
少しの沈黙が続く。――なんだろう。この空気は?
しかしそこで、不意に、
『……了さん』
「ん?」
『愛しています』
「……………………」
綾南はその言葉の返答を持ち合わせていなかった。
しかし、文句でもツッコミでも、とにかくなにか言わなければならないと思い、口を開く。
「鳥羽、――――俺は……」
ツーツーツー。
電話は切れていた。
綾南は鳥羽を――本当に自分勝手な女だ――と、そう思った。




