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第2章 終わらせる名探偵

 朝。――AM7:32

 綾南(りょうなん)(りょう)はいつものように登校した。

 いつものように目覚めて、いつもように歯を磨いて顔を洗い、いつものように着替え、いつものように祖母の作った朝飯を食べ、いつものようにテレビのニュースを見て、いつものようにランニングシューズを履いて家を出た。

 しかし、そんな『いつものように』は高校の校門までだった。

「お、おはようございます。了さん!」

「………………」

 照れ笑いしながら声をかけてきた少女に、綾南は返事をしなかった。

 そのまま歩く。

「ちょ、ちょっと、了さん。私です」

「………………」

 綾南は慌てて注意を引こうとする少女に返事をしなかった。

 そのまま歩く。

「私です。鳥羽(とば)です。鳥羽綾糸(あやし)です。聞こえてないんですか?」

「………………」

 綾南は名乗る少女を無視して校舎へ。ごく自然に早足で歩く。


「昨日、わたしと『契り』を交わしたじゃないですか」

 大きめな声で確かめられた。

「んな、なにもしてねえだろうが!」

 大きめな声で否定した。

 さすがにそれは看過できない。

 ここは朝の校門前で、なかなかの人目に付く場所なのだ。


「あ、やっと気付いてくれましたね」

 そういう鳥羽の顔は笑っているが、少し朱に染まっている。

 言った本人も朝の校門前で言うにはそぐわない言葉だと心得ているようだ。

「おまえ。こんなところでデタラメをいうな」

 自らと鳥羽の無実を証明するために、綾南は文句を言った。

 登校中の生徒達が綾南と鳥羽を遠巻きに見ながらコソコソ話しているからだ。

「デタラメなんて言っていませんよ。昨日、友達になってくれるって約束してくれたじゃないですか。『契り』っていうのは『約束』のことですよ」

 朱のかかった顔で鳥羽は言った。

 恥ずかしがっているところからも、鳥羽自身も『もうひとつの意味』について理解しているようだが、間違っていないと主張した。

「ああ、そうか。忘れてたよ」

 綾南は適当に流して、無かったことにしようとした。

「それは嘘です。了さんがそんなことを忘れるわけがないじゃないですか」

「お前はなんだ。嘘発見器か何かか?」

 綾南はツッコミをするというよりも、げんなりとした口調で独り言のようにいった。

「それよりも、了さん。用事があるんです」

「なんだよ……」

「あれです」

 そう言って鳥羽は校門に停まっている一台の車を指差した。

「さっき職員室に来るようにっていう放送があって、了さんの名前が呼ばれていたので、わたし、知らせに来たんです」

 その車種は、警察車両――パンダカラーに赤い回転灯の付いたパトロールカーなのだ。

 綾南の『いつものように』は『よくあるように』へと形を変えた。




AM8:11

岡島(おかじま)先生が殺されたんだ」

 それは、呼び出された職員室から渋い顔して現れた担任教諭の菊田(きくた)京介(きょうすけ)に連れて行かれた来客用の応接室を兼ねた校長室で、綾南がソファに腰掛けたところ、対面の座る二人組のうちの一人、若年で背広の警察官から放たれた言葉だった。


「…………」

 綾南は呆然として何も言えなかった。

 そんな綾南を見て、若手の刑事は話し直す。

「おっと、ビックリしたかい。話がいきなり過ぎたね。すまない」

 謝罪を入れて、間をいれて、順序よく話す。

「僕は勝石警察署の吉家(よしいえ)(つとむ)。こっちのぶすっと座ってるおじさんは沼場(ぬまば)純也(じゅんや)

 吉家が紹介して綾南が沼場を見ると、彼はギロリと綾南を睨み返した。綾南は吉家に視線を戻す。

「僕たちは岡島先生になにが起こったのか、捜査しにやってきたんだ」

「……それで、なんで俺が呼ばれたんですか?」

「綾南くん。君は確か昨日、体育の授業中に怒られて、放課後に岡島先生に呼び出されていたと聞いているけれど? 違うのかい?」

 ――そういえば、そうだった。

 綾南は思い出す。

 昨日は結局、岡島の元には出頭せずに、そのまま帰ってしまったのだ。


「だから、君に昨日の放課後、岡島先生がどういう様子だったのかを聞きたいんだ」

 その言葉の裏側には、射抜くような鋭さが秘められていた。

「なるほど。俺のことを疑っているし、アリバイ確認をしたいってことですね」

 吉家に、綾南は忌憚ない言葉を使って『遠慮はいらない』という意思表示をした。

 綾南の横に控える担任の菊田は「おい綾南、失礼だろ」という焦りと戸惑いを顔に示すが、綾南は経験上こういう話はシンプルに手早く話すことが望ましいことを知っていた。だから、自分自身が犯人ではないことを誰よりも理解している綾南が、吉家や沼場の業務を手早く済ませるためにもこのような言い方をしたのだ。だが、――


「了さんが犯人なわけないじゃないですかっ!」


 鳥羽だ。

 綾南の隣に座る鳥羽から、キレのある怒号が警察官二人に放たれた。

 その言葉に、綾南の担任菊田は『おまえ警察の人になにを叫んでいるんだぁ』という蒼白な焦りを顔に示して、嫌な汗を流して固まっていた。

 吉家刑事は冷静に話す。

「ごめんよ。けれど別に綾南くんを疑っているわけじゃないんだ。ただ誰にでも聞く質問だから――」

「吉家さん。別にいいですから気にしないでください。昨日の放課後は――」

「了さんは昨日の放課後はわたしと一緒にいました」

 聞かれてもいないのに、綾南の言葉を遮り、鳥羽は横から口を出した。

「わたしが了さんを呼び出したんです。放課後すぐに了さんは来てくれたので岡島先生のところに行く時間はありませんでした。その後も了さんは私と話をした後、すぐに帰宅されました。だから、犯人ではありません! はい、証明完了」

 怒るような口調で綾南は犯人ではないと、鳥羽は眼前の刑事に向かって宣言する。

 そこで綾南は横に腰掛ける彼女に、小声で話す。

「おい。鳥羽。俺が訊かれてるんだから、黙ってろ」

「そんなわけにはいきません。了さんは疑われてるんですよ。何とも思わないんですか? 怒るところですよ」

「鳥羽が怒るところじゃねえよ」

 ――その前に、なぜこの場に鳥羽がいるのであろうか?


 綾南が職員室に向かうと、なぜか鳥羽もそれにくっついてきた。そして、菊田から校長室へ促されると、なぜか鳥羽も一緒に入室した。その後、校長室の中に入りソファに腰掛けると、やはりなぜか鳥羽も綾南の横に自然と腰をおろしたのだ。

 …………どこかでツッコミを入れるべきだった。

 初めのうちは、鳥羽も何らかの事情で教師か刑事に呼ばれているのかと思いきや、ただ綾南の呼び出された案件が気になって、そのままついてきたようだった。

 その振る舞いがごく自然過ぎて、「お前関係ねえじゃん」という言葉が出なかったのだ。


「ということは、綾南くんは昨日の放課後に岡島先生とあっていないんだね?」

綾南が質問に「はい」と応えると、吉家は手元の手帳にメモを取りながら続けて、

「ところで、君は、なんなのかな?」

 と、鳥羽に尋ねた。――当然だ。綾南は思う。

「一年二組、鳥羽綾糸です」

 鳥羽はハッキリとふんぞり返って応えた。

「昨日の放課後、綾南了さんを呼び出した女です。つまりアリバイの証人です」

 鳥羽は堂々と言い放つ。

「だから、了さんはアリバイがあるんだから、犯人じゃありません!」

 しかし――

「おい。鳥羽……」

「なんですか? 了さん」


「吉家さん達は、()()()()()()()()()()()を言っていないだろ。殺害時刻が分からないのに放課後のアリバイだけあっても仕方がないだろ」


「え?」

 綾南は思う。――鳥羽は思い込みが激し過ぎる。

 思い違いというべきだろうか? とにかく、自分の信じた道を疑わない。

 だから、綾南は一直線に暴走する少女を止めに入った。

「だいたいなんでお前は放課後のアリバイだけ堂々と宣言すんだよ。岡島先生が殺されたのが『本日早朝』だったら意味ないぞ。なんで、昨日の放課後だと思ったんだ?」

「え……それは、なんとなく……だって、了さんが放課後の事を話そうとするから……」

「そりゃ、昨日の放課後から今までのアリバイを話さなきゃならないだろ。犯行時刻は『昨日の放課後の午後五時から、今までの間』だからな。岡島先生の遺体が発見されたのが今朝だったら、検視だってまだ終わっていないだろうしな」

「…………」鳥羽はそこまで綾南が説明すると黙った。

 そして、全身の皮膚を真っ赤に染めて、うつむいた。

 ようやく自分が場違いなことを言っていることに気がついたのだろう。

 そこで、その少女を哀れに思ったのであろう吉家から慰めの言葉が入る。

「でも、まあ、うん。そうなるよ。うん。大事な……そのカレシを疑われたら、まあ」

「違います」綾南の訂正。

「そうなのかい。まあ知人を疑われたら、怒るよね。うん。大丈夫だよ。当然だよ当然」

 吉家刑事はどうやら『いい人』のようだ。――綾南は結論付ける。

「でも、綾南くんはずいぶん冷静だね。そんな髪の毛をしているから、怒って暴れられるんじゃないかって、初めは少し思っていたんだよ? 冷静な子でよかったよ」

 髪のことを言われて、綾南は少しだけ感情が揺らいだが、反応は見せなかった。

 だが、返答に困った。

 吉家に「慣れていますから」と返事したのでは、色々と都合が悪い。だから、困った。

「……それはそうですよ」鳥羽が小声で話した。

 下に向けた顔を上げながら、まだ少し残った熱を引きずりながら、


「了さんは――『名探偵』ですから」


 自慢するように言明したことによって、冷静だった綾南了は初めて感情を顔に示した。

 ――げんなり、という感情を。

 ………………………………………………………………………………。

 部屋の中は、数秒間の無音が鳴り響いた。

 そして、

 その言葉を理解して、校長室内の人間はそれぞれの反応を示した。

 まず、一歩離れた場所で話しを聞いている綾南の担任である菊田は「へ?」という言葉を発し、なに言ってんだろうこの子? という当前の反応。

 また、ソファに座るもう一人の刑事、沼場は渋い顔を崩さずに眉だけをピクリと動かす。

 そして、一番の反応があったのが、

「ま、マジか……」

 事情聴取を進めていた吉家だった。

「え? 君がもしかして『名探偵』の綾南了! え? ほんとに? 署でいろんなウワサを聞いているよ。うわっ本物か。数多の事件を解決に導いた現代のシャーロック・ホームズ! たしか『流水号事件』とか『アクセルトリップ事件』の謎を紐解いた白髪の天才かっ」

 座っていたソファから立ち上がり、綾南を尊敬というまなざしで見つめて、心ここにあらず、という雰囲気で語る。

「まさか、こんなところで本物と出会えるとは思わなかった……。名前を聞いた時にもしかしてと思っていたんだけど。未成年ということで『名探偵』の個人情報は署内でも極秘扱いでね」

「はぁ」綾南は気抜けした声を返す。

「そうだ。綾南くん。良ければ、この岡島先生の事件も君が協力してくれ。そうすれば早く解決するか――」


「オイ!! 吉家ぇ!! てめえなに言ってやがんだぁ!!」


 とてつもない怒鳴り声が室内に響いた。

 それを叫んだのは、吉家の隣に腰掛けていた沼場だ。先程までの不機嫌な態度から、その怒りは爆発し、立ち上がり、隣の同僚を怒鳴りつける。

「このバカ野郎がっ! こんなガキに協力しろだの頼むとは、お前には刑事の自覚やプライドがねえのかっ! 殺人事件だぞ。何年刑事やってんだ。少しはモノを考えろ!!」

 いまにも撲りつけんとする勢いで沼場は吉家に怒鳴る。

 その声に室内の全員――綾南をはじめ、鳥羽、菊田、そして怒鳴られる当人である吉家は委縮した。

 そして、吉家は恐る恐る口を開く。

「は、はい……すみません。沼場さん……」

「ったく……」

 沼場はふんぞり返ってイスに座り直す。そしてグチグチとのたまる。

「てめえみたいなのが、ただの高校生のガキにイヌみてぇに尻尾を振るから警察が舐められんだ。自覚持ちやがれ。こんな乳クセぇガキをあてにすんじゃねえ」

 沼場のぼやきには、綾南を侮蔑する言葉が含まれていた。なので、

「了さんは乳臭いガキなんかじゃ……ん、んー! んー!!」

 そこに異論を挿もうとした鳥羽を綾南は、彼女の口を手の平で封じることで制した。

 この女に口を開かせていたら話が進まない、と判断したからだ。

「そ、それじゃあ綾南くん……昨日のアリバイを聞かせてくれるかい……?」

 上司の叱責から、なんとか精神を立ち直そうとする吉家刑事に、

「はい。昨日俺は――」

 と、綾南は昨日の放課後からの行動を淡々と簡潔に、しかし要所を抑えつつわかりやすく説明した。




 AM8:59 

 綾南と鳥羽は事情聴取が終わると校長室から解放された。いや、鳥羽は無関係なので、校長室から出てきた、と表現するのが正しいかもしれない。

 廊下を通りそれぞれの教室へ向かう。そんな中で、

「まったく。了さんを犯人扱いするなんて、まったく警察はなにしてるんですか。まったく、そんなんだから無能だとか役立たずとか叩かれるんですよ! もうっ」

 綾南の横を歩きながら、鳥羽は眼を鋭くしてイライラと怒る。

「おまえ警察嫌いなのか、鳥羽」綾南は再びげんなりしながら言う。

「ちがいますよ。私が嫌いなのは了さんの敵です。了さんを傷付けようとする全ての存在です」

 その言葉に綾南は不思議に思う。

 なぜこの鳥羽綾糸は俺にこんなにも異常に妄執しているのだろうか? と。

 綾南自身、鳥羽に特別に思われる理由が分からない。『好き』だとは言われたが、それだけでココまで異様に人を思えるのだろうか。

校内放送で名前を呼ばれただけで捜しに来たり、警察に食ってかかったり……。

――まあ、ただの思い込みの激しい異常者ということで処理することもできるが……。

 綾南は『名探偵』という肩書を有し、あらゆる難事件を解決してきた。だがしかし、いつも《人の心》というものが理解できない。いや、理解しがたいというのが表現としては近い。

 相手の心が分からないからこそ、人はすれ違うのだから。

「とにかく、さっきの刑事さんは別に俺の敵じゃないし、そもそも俺は犯人呼ばわりされた程度じゃ別に何とも思わない」

 だから、綾南は鳥羽に問いかける。

「鳥羽。おまえもう知ってんだろ?」

 初めに会ったときにも言っていたのだ。それに先ほどの言葉。この鳥羽綾糸は、綾南了について、もう知っているのだ。理解しているはずだ。

綾南は確認する。

「俺は幼いころから何度も変な事件に巻き込まれて、それをたまたま解決してきた。それを勘違いして『名探偵』とか言いだすヤツも出てきた。つまり、もう慣れてるんだ。だから、事件に最も近い位置にいる俺が、そんなことで――犯人呼ばわりされたところで傷ついたりしない。そんなことは何度もあったんだから」

 しかし、

「そんなことないですよ!」

 鳥羽は反論する。

「何度も経験しているから傷つかないなんて、慣れているから大丈夫なんて、違います。ただそれは痛みがマヒしているだけです。犯人呼ばわりされたら、人から敵意を向けられたら、誰だって傷つきます。痛くないから傷つかないなんて、そんなのは違います」

 綾南はその言葉の正しさを理解していた。実際、綾南は鳥羽が怒ってくれたことが、残念ながら少し嬉しかったからだ。――でも、そんな感情は余計なモノとして表には出さない。

「……また精神論の話しだな。前にも言っただろ。それはお前がそう思ってるだけだ」

 クールに否定の言葉を告げる。認めてしまえば、自分が傷ついていることになるからだ。自分が傷つけば相手を心配させる。――だから、自分は大丈夫だということにするんだ。

 それが、綾南了の思考だ。

「とにかく、俺は何ともないし、警察だって犯人を捕まえるために仕方なくやってるんだ。別に敵なんかじゃない。――それと余計なこと逆ギレ気味に話すな。警察に睨まれるぞ」

 そんな綾南の注意に鳥羽は少しだけ黙った。そして、歩きゆく綾南を見つめながら、

「……了さんは優しいですね」

「は?」

「だって、そんな事を言うのは、言って下さるのは、私を心配してくれているからですよね?」

 出会ったときと同じように、ほほえみながら、鳥羽は確認した。

 その言葉は、綾南の思考を理解して発せられたものなのか、警察に目をつけられるという注意への感謝なのか、はたまた恋する乙女の幻想なのか、彼には判断できなかった。だから綾南は――

「おまえ、もう黙ってろよ……」

 自慢のポーカーフェイスで、うんざりとした感情を作りながら言った。

 鳥羽綾糸への感情がわからなくなる。昨日まで綾南がこの女に思っていた感情は『うざいヤツ』だった。しかし、会話をするうちに、だんだんと『うざいヤツ』から『別のなにか』へと変わってゆきそうになる。

名探偵の綾南はその変化を快く思わない。――黙っていれば、そこには変化は生まれない。

「でも、了さん」

 しかし、少女は口を開いた。

「ん……?」

「先ほど、校長室でも思っていたんですが……」

 鳥羽は少し赤くなり、綾南の顔を見ているが視線を泳がせながら、もじもじと話す。

「お、女の口を封じるなら、……その、あの、手を使って封じるよりも…………き、…………き、キスするのが、有効ですよ……?」

 綾南は本気でうんざりした。なので鳥羽を置き去りにして、超速い早足でクラスルームへと高速で移動。それはもう脱兎のごとく。逃げ出した。

「ちょ、ちょっと、りょうさーん!」

 綾南は校則違反だが上履きもランニングシューズを使用していてよかったと思った。



 AM9:09

 綾南が教室に戻るとホームルームは終わっていた。

一時限目の数学が始まっていたが、案の定その授業は自習となっていた。

 教師も教卓という定位置にはいない。時々廊下に巡回するのみ。そこでクラス内は噂の嵐が巻き起こっていた。パトカーがあり警察が来ていることから「爆弾が仕掛けられた」とか「金庫のカネが盗まれた」とか「誰かが殺された」とか。

 自習は三時限目まで続き、四時限目に担任の菊田からクラスに、岡島先生が亡くなったこと、現在警察が死因を調べていることなどが連絡された。それから生徒は即時下校となった。



 PM0:21

 綾南はまっすぐ家に帰った。

 授業が潰れて、はしゃぐ生徒もいたが、綾南はそんな気分になれなかった。

 今日一日は家でおとなしく過ごそう。そう思う。

 髪の毛や態度にいちいち文句を賜った岡島に、綾南は特別な感情も思いも何もなかったが、人間が殺されたのだ。

 綾南が家にたどり着いたところで、携帯電話に一通のメールが届いた。

 メールを見る。

「ばーちゃん」

「なんよ、りょー」

 リビングルームにテレビを見ながら寝そべっている祖母のみさこに、綾南は話しかけた。

「って、了。あんた学校は! ふけたんじゃないやろねぇ!」

「ちがう。学校で事件があったから、休みになったんだ。午後は」

「ああ。ほー。そうなん?」

「で、俺、今日の夕飯いらないから」

「わかったわ。どっかいくん?」

「あー、うん。友達が晩飯を御馳走してくれるって」

 綾南は嘘ではないが、事実とは言い難い事情を答えた。



 PM7:30

 綾南は焼き肉店の前に立っていた。理由は簡単。そこに呼び出されたからだ。

 店内に入り、予約者の名前を言うと、綾南は店員に個室へと案内された。

 畳の敷かれた部屋の中に入ると、綾南を呼び出したその人物は、煙に巻かれながら、おいしそうに炙った肉を口に運んでいた。

「おう。遅かったな。まあ座れよ」

 その中年の男は、綾南に気楽な言葉をかけた。

「時間ピッタリですよ。()()()()

「そうなのか。まあ、お前も食え。好きなモン注文していいぞ。――あ、ただしメニュー表のこっちの高い肉は頼むんじゃねえぞ。食べ放題セットの料金とは別会計になってるからな」

 公務員のクセにケチケチした金銭感覚だと綾南は思った。だが、奢ってもらう立場なので、特に何も言えない。言えるはずもない。

 綾南は座布団に座りながら問う。

「で、沼場さん。なんで俺を呼び出したんですか?」


「ああ、お前から勝石高校で体育教師、岡島幸夫(ゆきお)が殺害された事件について、参考意見が聞きたい。

 ――いや、もう、ぶっちゃけ、綾南。お前が解決してくれ」


「……………………」

 絶句した。

「ん? どうした?」

「……二の句が継げなかったんですよ……」

 綾南は心の底からあきれながら答え返した。

「ああ、昼間は『ガキに頼むんじゃねぇ』とかキレておいて、手の平返しかよ、とか思ってるわけか? ――でも、しゃーねぇじゃねえか。大人には体面と事情つーモノがあんだよ」

 ようするに、後輩刑事である吉家の前であったから、綾南の担任である菊田の目があったから、気難しい刑事のオーラを発していた、ということらしい。

「まあ、協力してくれよ。俺とおまえの仲じゃねえか?」

「……どんな仲ですか……」

 綾南はやはりあきれながら答える。

 この二人、綾南と沼場は、前々から知り合いなのだ。

 綾南は幼いころから何度も変な事件に巻き込まれ、偶然それを解決してきた。

 その過程で警察官と知り合いになるのは、必然なのである。


「でも、俺、この事件について、とくになにも知りませんし……」

「これ、事件の捜査資料な」

 沼場は焼き肉を咀嚼しながら、綾南にA4判の茶封筒を手渡す。

――その封筒には『勝石高体育教師殺害事件 資料』という印字。

「…………沼場さん。『部外秘』って赤い文字が書かれているんですが……」

「ああ、俺、そろそろ老眼きてんのかな。そんな文字は見えねえわ」

「…………」

 二の句が継げない、第二弾だった。

 相手が悪友の灰本とかならば、綾南はを容れずにツッコミを放つが、相手が年上でしかも刑事では、そんなわけにもいかない。

「……でも、ほんとにいいんですか? 沼場さん。俺、事件の容疑者ですよ?」

「大丈夫だよ。お前のことを俺は信用してっから」

 そう言われてしまうと、もう返す言葉は無い。

「そもそも、あの事情聴取だって形式的なもんだぞ。これは吉家も言っていたか。綾南が犯人じゃねえってのはよぉーくわかってっから。灰本と一緒にいたってアリバイがあるし、なにより――信用してるからな。俺たちが何年の付き合いになると思ってんだ」

「それは、その……ありがとう、ございます」

 そう言われてしまうと、悪い気はしないのが人間というものだ。

 ――じゃあ、仕方がない。

 綾南は茶封筒を開けた。――中から書類を取り出す。

 まず一枚目。

 顔が青白く変色した岡島の死体写真だった。

 首周りが赤く染まっており『中身』が見えている。

「…………沼場さん。食事中じゃないんですか?」

「ん? 慣れているから大丈夫だろ? 俺もおまえも」

 沼場は油の滴る肉を口に運びながら答えた。

 ……………………。

 綾南は、とりあえず資料に目を通し始めた。




 殺害されたのは岡島幸夫。男性。39歳。私立勝石高等学校体育教員。

 死体発見場所は、勝石高校の体育教員準備室。――体育館の隅にある一室である。6畳ほどの大きさがある。

 綾南が体育の授業中に怒られ、呼び出された場所でもある。

 そこは体育教師専用の小さい職員室のようなものだが、勝石高校で利用しているのは主に岡島だけであり、ほぼ岡島の私室のような状態だった。

 事務仕事用のデスク。大きいソファ。コンロにポットにコーヒーセット。人に言えないプライベートな私物。

 いや、私室ような状態ではなく、完全に岡島の私室だった。


 この体育教員室の出入口は体育館内部に通じる『内ドア』と体育館裏の外へと通じる『外ドア』の二ヶ所。窓も存在するが鉄格子がついており、出入りは不可能。


 ドアの鍵は、3本。

 職員室のキーボックスに保管してあるモノ。

 保健室で緊急用に常備しているモノ。

 そして、岡島自身が持っていたモノ。

 その計3本。――ちなみに『岡島の持っていた鍵』は死体の発見された体育教員室内部から発見されたらしい。


 死体発見者は二名いた。

 同校三年の荻上(おぎうえ)と、養護教諭の大路(おおじ)美沙子(みさこ)

 本日早朝、ソフトボール部の荻上が早朝練習のために学校に登校したところ、体育教員室の明かりがついているのを発見。『外ドア』をノックしても中から返事がなく、まだ早朝だったため『電気の消し忘れ』だと判断して、出勤していた大路に声をかけ『保健室の鍵』を使用して、ドアを開けてもらい電気を消すことにした。

 ――そこで、岡島の死体が発見された。

 死体はソファの上に転がされていた。



 死因は絞殺による窒息死。

 首周りを切り裂かれているのに、血が飛び散っていないこと。薬などの毒物が体内から検出されなかったこと。これら理由から『絞殺』と認定されたようだ。

 絞殺された後に、首周りの皮膚と肉が切り裂かれたようだ。

 首の皮膚を切り裂いたカッターナイフは、体育教員室内部から発見され、指紋などは出ていない。

 死亡推定時刻は――死後硬直の状態から夜7時ごろと推定。この時間は、綾南が家に居た時刻、灰本と自室でだべっていた時刻だ。


 死体を発見する際にあけた『外ドア』、そして体育館内へと繋がる『内ドア』の鍵はかかっており『密室状態』であった。

 



 綾南はそれらの資料を読み終えた。――そして一息つく。

 綾南は岡島を、丸顔デブでハゲ頭のよくキレるおっさん先生、という程度の認識しか持っていなかった。

 それくらいしか認識がなかった相手でも、実際に殺されて資料となってしまった今では、その思い出せる言動の一つ一つが、感慨深く思えてくるから不思議だ。

「で、どうだ、綾南。なんか気になるところはあるか?」

「そう言われても……」

 綾南は資料を封筒に戻しながら、歯切れの悪い言葉を返す。

「ま、そうだろな」

「でも、この資料の内容からすれば、あやしいのは――」

「ああ、さすが綾南了だな。その通りだ」

 まだ内容を言っていないのに、沼場は綾南の言おうとした言葉を汲んで、話した。

「おそらく明日、警察は『その容疑者』を任意事情聴取することになるだろうな。それから逮捕状を請求して、拘留、そのまま『犯人』一直線だ。――そいつが『黒』でも『白』でも、な」

「…………」

「だから、お前に話しておきたかったんだよ。綾南」

「…………」

 意味深に笑う沼場に、綾南は何も言わなかった。

 無感情な顔で沼場を見返した。

「まあ、つーわけだ。――そんじゃ、解散するか。ゴチソウサマデシタ」

 沼場はきれいに食べきった肉の皿や茶碗に、手を合わせて唱えた。

「え、へ、あっ! ちょっ沼場さん。俺まだほとんど何も――」

「食べねえのがわりぃんだろ。もう食べ放題プランの1時間、終わっちまったしな」



 PM8:25

 沼場は個室から出て、靴を履き、レジに向かう。綾南も後を追う。

 沼場はレジできっちり一人分の会計を済ませて店を出ようとした。

 ――って、おいおいおいおい。

 そんなところで、沼場は綾南に振り返る。

「おいおい、綾南。なんだ、金を持って来てねえのか? しょうがねえなあ。俺が立て替えてやっから、――今回の件、ちゃんと協力しろよ」

 この日、綾南了は刑事からソフトに脅されるというレアな経験をした。

お読みいただきありがとうございました。

お疲れ様です。


次回は、登場人物紹介を付けようと思います。

推理の参考。想起にご活用ください。

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