鳥羽綾糸の思いと想い
父にあまりいい思い出はなかった。
頭はよかったようだが、気分屋で機嫌が悪いときは、わたしや母に、よく当たっていた。暴力や乱暴というには優しい。だから問題にはならない。そんな「いじめ」を受けていた。ストレスのはけ口に、言葉で攻められたり、手加減しているが殴られたり。
一直線で、何かを思いつくと止まらない。そんな父だった。
でも、父だ。
そんな父の逮捕のきっかけとなった少年。私が興味を抱くのは当然だった。
事件のことを調べて彼にたどり着くまでに、そんなに時間はかからなかった。
名前が広がらないように配慮しているようだが、隠しているわけではない。
だから真剣に探せば、見つけることができた。
彼が気になった。
どのような人間なのか。
だから、彼の後を追った。
「ストーカー」という言葉を当時のわたしは知らなかった。
迷惑をかけなければ、見つからなければ、犯罪じゃない。
そんな考えもあった。
ある日、彼が遠出した先の書店に寄った。
私も続いた。
とくに何かを買うわけでもなく店内を散策して、彼は店を出た。
私も続いた。が、――
ビビー!
と、アラーム音が鳴り、赤い光がゲートから点滅した。
「え」
「ごめんね。ちょっときてくれるかな」
店員が私を呼び止めた。
私は反論する。
「そんな、何かの間違いです。私、何も盗んでなんていません」
持っていたトートバッグをその場で開いて、無罪を証明しようとする。
が、――
「えっ……うそ」
バッグには覚えのないDVDが入っていた。
「ちょっとお話を聞かせてくれるかな。お名前と小学校を教えてくれる?」
「そんな……」
警察は嫌だ。絶対に嫌だ。
ただでさえ犯罪者の娘としてのレッテルを貼られているのだ。
たとえ無罪でも、警察の厄介になったと知られれば――絶対に信用してもらえない。
「ちょっと待ってください」
冷静な声だった。
店の外に出た彼が、戻ってきたようだ。
「いくら万引きしようと思っても、ふつう、アラームが作動するような高額な商品。狙わないと思うよ」
中学生だ。異常に白髪の多い少年が店員に話しかけた。
「だから『犯人』の狙いは騒ぎを起こすことだ。だから、その子のバッグにDVDを入れて、アラームを作動させたんだ。その隙に、万引きした商品を持って逃げるために。――そうだろ? いま店から出ていこうとしている二人」
ビクリっ。
そんな挙動で子供二人がこちらを見た。
まずい、という空気を出して、一目散に店から駆け出した。
「なに、ちょっ! ちょっとまて。ドロボー!」
店員が二人を追った。
不安が消えた。
「きみは店員が戻るまで、一応ここにいたほうがいいぞ。――じゃあな」
「あ、」
彼は去っていった。
接触はそれだけだった。
初めは、ただの興味本位だった。
でも、ストーカーを繰り返すうちに、私の心は、彼でいっぱいになっていった。
この感情は、きっと――
このためなら、すべてを投げ出せると、私は胸を焦がす思いを自覚した。
数多の巨大な事件を解決してきた彼にとって、この一件は次の日には忘れられる小さな出来事だろう。
でも。
そんなことで、と思われるかもしれないけれど。
私にって、充分に過ぎたことだった。
――――
月曜日――PM5:21
ついに、彼に告白した。
小学生の時からの想いを、ついに伝えた。
――盛大に断られたが……
「それでも、やっぱり了さんは優しいなぁ。断られたのは残念だけど、それはわたしを事件に巻き込まないようにって思って、断ってくれたということかもしれないし。それに……友達に、なってもらえたし、これから少しずつ『仲良く』なっていけばいいですし」
しかし、足が震えていた。緊張しすぎて、身体がガクガクしていた……。
「まあ、だって、5年越しの想いだし……」
そんな彼女はようやく、ゆっくり動き出す。
帰宅しようと南校舎の裏をあとにする。
そこで――ガチャリ、そんな音がした。
ん? 施錠の音。
進行方向だ。体育館の裏。
緊張が切れたよろよろな動作で、音源のほうへ。
――あれは? 了さんの妹の、真意さん?
火曜日――
大変なことを知ってしまった。
そのことに気が付いた。
水曜日――PM10:23
悩んだ。とても悩んだ。
だからもう、彼に直接聞くことにした。
でも、どう聞いたらいいのか、わからない。
すこし茶化してから、端的に、たずねる。
「了さんは、岡島先生を殺した犯人を見つけたいんですか?」
『…………』
その質問の返答を、彼はすぐに答えなかった。
「どうなんですか?」
『あ……ああ、そうに決まってるだろ』
別に俺が見つけなくてもいいけどな。
誰でもいいから犯人を捕まえてくれればいい。
そんな風に付け足された。
「そうですか……」
それで、決意した。
わたしが、この事件を終わらせよう。
1番、彼が傷つかない方法で。
どんな結末でも、彼は傷ついてしまうだろうけれど……
だから、――
「……了さん」
『ん?』
「愛しています」
電話を切った。
――だから、わたしが守ります。
木曜日――AM5:23
彼女に会って話をしよう。
そう思って早朝から綾南家に、張り込んだ。見張っていた。
彼を尾行したことがあったので、住所は知っていた。
彼女が家から出てきたら、声をかけて直接話をする。
彼には見つからずに、まずは彼女と2人だけで話をしたかった。
だから、彼に見られてもバレないように、パーカーのフードを深くかぶった。
彼と彼女は、2人でいっしょに家から出てきた。
――AM7:47
体育館の裏。
チャンスをうかがっていた。
彼女が電話を切った。
よし、話そう!
「あ、あの、すみません。りょ、綾南真意さん!」
「ん?」
彼女が振り返った。
「えと、わたしは、鳥羽綾糸と申します。了さんの――……友達、です」
「……ふーん。りょうくんの、友達……? りょうくん友達いたんだ」
「はい。この前から……」
「それで、鳥羽、綾糸ちゃんだっけ? 私に何の用かな?」
彼女はわたしに、にっこりと笑いかけた。
かわいくて、きれいな人だ。そう思った。
でも、言わなければ――
気を引き締めて、告げた。
「わたしは、あなたが体育教員室の鍵を閉めて出ていくところを見たんです」
「…………」
その声で、彼女の表情が消えた。
「いや、正確には、鍵が閉まる音がして、その後に体育教員室の近くにいるあなたを見た。というのが正しいですけど……」
「………………」
「誰かに話す気はありません。素直に認めて、大人しく自首をしてください。それが一番、誰も傷つかない方法だと思います。わたしが言いたいことは、それだけです」
「……………」
そこで彼女は、踵を返す。
背を向けて堂々と歩き去ろうとする。
「え、あの、真意さん?」
彼女は背中を向けて、空を見上げながら、私に言った。
「そっか。でも私、岡島先生が殺された時間は家にいたよ。アリバイがあるよ?」
「え」
「まあ、警察に話したいなら、言ってもいいよ」
「……でも、そんなことしたら……」
「りょうくんに嫌われちゃうもんね?」
「っ!?」
気持ちを見抜かれた!
そして、気づかされた。
――そうだ。
――彼の妹に疑いをかける。
そんなことしたら、もう友達ですらいられない。
だから、自首してほしかったのに……
そもそも、わからなくなる。
――本当に彼女が犯人なのか?
アリバイがある? 家にいた?
おかしい。わたしは確かに彼女を見たのに。
「でも、ごめんね。私、自首する気はないの」
「そ、それは――」
犯行を認める言葉だ。
わからない。彼女がわからない。
でも、自首する気がない?
それは、彼を一生、苦しめる行為。
「だから、誰にも言わないでね?」
そういって、彼女は歩いていく。
――このままでは、まずい。最悪だ。
――それなら、もう、いっそのこと……
彼女が、いなくなれば、彼は傷つかない。
背後から、その首に、手を伸ばした。
――AM7:50
痛む腹を押さえながら逃げる。
後悔した。
あんなに必死な彼は、初めて見た。
それはきっと――
そして、わからなくなった。
本当に彼女が犯人なのか?
そして、わたしは、
――なんてことをしてしまったんだろう。
ぐるぐる回る思考。
悲鳴を上げるこころ。
ただ、その場から必死に逃げた。
――PM4:50
綾南家。
祖母のみさこさんに丁寧に話をして、部屋で待たせていただくことにした。
そして、彼女の部屋に忍び込んだ。
本当に犯人が彼女なのか、明らかにするためだ。
体育教員室の鍵。
それこそが、鍵だ。……鍵だった。そのものだ。
それがなければ、そもそも犯行は不可能。
心のどこかで、出てこなければいいと思っていた。
そもそも自分で持っている可能性がある。別の場所に隠していることもありえる。この場で見つかる可能性は低い。
だが、
案外簡単に見つけることができた。
忍び込んだ部屋の引き出しに入っていた。
これで、確定だ。――やはり彼女が犯人だ。
そんなことは、もともと、わかってはいたのだが。
――許せない。
でも、それは……
その鍵を持ち去った。
――PM6:08
それは懺悔だった。
あれで、彼は気が付くだろう。
――彼は名探偵だ。
彼の心がすこしでも軽くなるのであれば、いくらでもわたしを責めてくれればいい。わたしはいくら傷ついても構わない。
彼の力になりたかった。守りたかった。
彼は気が付くだろう。
金曜日――AM8:32
あれ?
――もしかして、本当に気が付いていない?
わたしは昨日、彼に肌を曝した。
あの行為は、無理やりにでも味方だと信用してもらうため。
そして、わたしの腹の負傷で罪を暴露するため。
そんな目的だったのだが……学校に現れた彼には、私に向けた『怒り』や『憎しみ』の感情がなかった。
いやそんな馬鹿な。
彼は名探偵だ。気が付かないはずが……
それは灰本先輩の一言で、謎が解けた。
「了は家族や身内に甘いからな。襲われた恐怖を思い出させるようなことを真意ちゃんに聞けなかったんだろ」
PM1:58
「やはりカエルの子はカエル。犯罪者の娘も、やはり犯罪者か」
どこかから、そんな言葉が聞こえた
「……」なにも答えられない。
わたしのトラウマだ。
でも、なんで今?
原因は目の前にあった。
わたしは、――彼女の首を絞めていた。
やわらかい首に、ロープが沈んでいく。手に込める力が、ゆるまない。
「ああ、苦しい。くるしいくるしいやめてやめてやめて、……あぁ」
彼女が、責める。首を絞められている彼女が悲痛に声を上げる。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、なんで、こんなことに……。
ああ、そんな。わたしは、ただ、彼を、守りたかっただけで……
手の先にいる彼女が力を失った。
彼女が死んだ。
彼が、こちらを見ていた。怒りに顔をゆがめて――
「鳥羽。おまえが――」
ああ!!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ――――――
「ごほん。」
そんな咳が聞こえた。
目が覚めた。
――いや、あれは咳払い?
彼はなにもないように、読書をしているフリを続ける。
「……あ、あの、了さん」
「ん? なんだ鳥羽」
「わたし、さっき…………いえ、なんでもありません……」
そう言って、資料に目を戻した。
「そうか」
でもやはり、言いたかった。
「……………………ありがとうございます」
――わたしを悪夢から救ってくれて。
「ん? なにかいったか?」
「いえ、なんでもありません」
PM7:07
彼の家を後にして、帰り路を歩く。
――凶器や動機。それはわかった。
アリバイはよくわからない。
どうしたらいいのか、考えていた。
彼が傷つかない方法。
――ない。なにも浮かばなかった。
「やあ、綾糸ちゃん」
「え!?」
振り返る。
「ま、真意さん……」
そこには彼女が立っていた。
どうやら、わたしを追ってきたようだ。
「やっぱり女の子が1人で帰るのはよくないと思ってね。送りに来たよ」
「え。でもそしたら、真意さんが……」
「まあ、細かいことは気にしない!」
にこっと、彼女は茶化すように笑った。
そして、笑顔が消える。
「それに、話もしたかったし、ね」
「あ、……はい。わたしもです」
自分から切り出す。
「真意さん、この前は、本当にごめ――」
「ちょちょちょって、え。ストップ! なにいってんの、綾糸ちゃん」
「いや、この前のことを、謝罪しようと……」
「そんなのいらないよ。謝る必要はないよ。悪いのは私だし、なんたって、もっと悪いことしてるからね……」
「…………」
「だから、お互い許しあうことにしましょう」
「でも、許すも何も真意さんは、わたしに悪いことなんて、なにも――――えっ」
彼女の手が、わたしの首に触れた。
「今からするから」
絞められた。
「あたしの部屋にあった鍵、盗ったのあなたでしょ?」
彼女は怒りと不安の混じった顔で力をいれる。
「どうするつもりなの、それを! 警察に持っていく気なのかな。やめてほしいんだけど。それと、部屋を漁ったなら、あたしの秘密にも気が付いたってことだよね。絶対に知られたくない秘密を。りょうくんに話すつもりかな。だとしたら、やっぱり――」
「かっ、はぁ…………」痛い苦しい。
でも、想像よりも痛くも苦しくもなかった。
首を絞めた時のほうが、つらかった。
……ここで死ぬのかな。わたし。
でも、そのほうがいいかもしれない。
――わたしがいなくなれば、彼女の犯行はバレないかもしれない。
それで、彼が好きな人と一緒にいられて、幸せになれるなら――
そこで、気が付いた。
わたしがいなくなれば。
「なっ! おい。――とばぁああああああああああああああああああああああぁ!」
彼女がわたしを突き飛ばす。
そして、駆け出した。
あの声は――
「鳥羽っ! 大丈夫か」
「かはっ……、りょ……さん……」
彼だ。
わたしに駆け寄って、触れる。
そして、――
「あの野郎!」
犯人を追いかけようとする。
だが、しかし、それは、ダメだ!
「ま、……っだ、まっでください」
彼の腕を掴んだ。――力が入らないけれど、それでも強く強く。
「鳥羽……」
「お、……ねがい、です。……い、いかない、で、ください」
もし見つけて、もし捕まえてしまったら――
――あなたが、傷ついてしまう。
だから、彼を引き留めた。
土曜日
AM9:00
「わたしのこと、了さんはどう思われているんですか……?」
それは確認だった。
最後の機会。
もしも彼が、わたしのことを「愛してる」とか「好きだ」とか、そんなことを言ったならば、やめようと思っていた。そんなことは絶対にないと思っていたけれど。
「……ともだち、だから、だろ」
そう言って、彼は帰っていった。
「……友達」
それなら、まだ、間に合うはずだ。
件の鍵を持って、警察署へ向かった。
PM1:24
わたしは彼の敵になることにした。
そのほうが、彼の傷は浅くなる。
彼は優しいから。
そういう演技をした。
警察署の取調室にて。
「さて、これで最後です」
愛しい彼に、くちづけをした。
これくらいは、許してほしい。
わたしはこれからあなたの為に、地獄に落ちるのだから。
思い出くらい、ほしい。
いや『あなたのため』なんて思っても、結局は
自己満足なのだけれど。
でも、わたしはあなたを守ります。
わたしは、彼の幸せを願った。
でも、――――




