最終章 はて
「わっかんねぇなぁ」
ざわめく放課後直後の教室で灰本は声を上げた。
「おい。了、おしえろよ」
「数学の宿題か? 灰本。自分でやれよ」
机上の真っ白なプリントを見て、悪友にげんなりと言い返す。
「高三の数学は難し過ぎる。――こりゃ大学受験するとしたら、俺の情報力を駆使して入学試験の解答を入手するしかないな……」
「職権乱用するな」
綾南は一応つっこんでみるが、そもそも『情報屋』というのは灰本の自称であり趣味である。微妙なつっこみだった。そもそも、一介の高校生である灰本に、大学入試の試験問題など入手できるわけがないのだが……。
「しかし、わかんねえなぁ」
「だから、灰本。自分でやれって――」
「真意ちゃんは、いったい誰に襲われたんだ?」
「は?」
いきなり事件の話題に切り替わったので、綾南は聞き漏らした。
「先月の事件だよ。――真意ちゃんは誰に襲われたのか。それがずっと気になってるんだよ」
「ああ、」
先月の連続首絞め傷害殺人事件。
岡島を殺した犯人は、真意だったが……その真意を襲った犯人。
「鳥羽だよ」
綾南はなんてことなく、ただ言った。
「……了。いきなり核心を突くにも程があるぞ」
「お前が聞いたんだろうが」
綾南はげんなりといった。
「でも、なんで綾糸ちゃんなんだ? どこで分かったんだ? あの時、真意ちゃんを襲った時の背格好を見ていて、覚えていたとか?」
「いや、そういう訳じゃない」
綾南は話す。
「真意を襲った『首絞め犯』を俺は蹴り飛ばしたわけだが、鳥羽の身体を見たら――その『首締め犯』を蹴った個所――『腹』を、怪我していたんだ。まあ、偶然かもしれないし、半信半疑だったけどな。……だから、あの犯人は――」
「ちょっとまて、了! なんでおまえ綾糸ちゃんの腹を直に見てんだ!?」
「…………」
綾南は言って後から、失敗した、と思った。
「どんなシチュエーションだよ。……やっぱりおまえら、そゆー関係だったのか!?」
「……ちがう」
灰本の言葉を聞いて、綾南はげんなりしながら答えた。
「だいたい、鳥羽は俺のことが憎いらしいからな。大嫌いらしいぞ」
「ん? そうなのか」
「そうなんだよ」
綾南と鳥羽の因縁については、わざわざ灰本に説明する義務はない。
そう考えて、綾南はそれだけ言った。
「まさか、綾糸ちゃんとちちくり合っていたことを自慢するか……ねたましいぜ。俺の情報力で、どんな悪いウワサを流されても知らないぞ……。うらやまし過ぎるぜちくしょう」
灰本は憎々しげに言った。
「だから、ちがうって言っただろが……」
なおさらにげんなりと綾南は言った。
「まあ、そんなわけだ、了。――悪いウワサを流されたくなかったら、菊田に出された数学の宿題を手伝ってから帰りやがれ」
そんな風に灰本は綾南を脅迫した。
だが、
「わるいけど。俺、今日行くところがあるから、無理だ」
綾南は拒否した。
「行くところ? どこに? ん。そりゃ何だ? 何を持ってんだ? ――よっと」
「あっ……おい」
灰本は、綾南が持っていたメモのような用紙をひったくった。スムーズに奪い取った。
その紙の文字に、素早く目を走らせる。
「おいおい。了。……ラヴレターかよ」
その手紙は、突然のお手紙で驚かせてしまい申し訳ありません、と始まって中略すると、放課後に南校舎裏まで来てください、という内容が記されていた。
「返せよ」
綾南は強引に灰本から手紙を奪い返した。
「なるほど。行くところっていうのは、そういうことか。だけど、了。それは――」
「ああ、わかってるよ」
灰本の言葉の意味を理解して、それでも行く、と言った。
「ちょっとムシャクシャしてるから、発散させたいしな」
「了。行くなよ。――悪いことは言わないから俺に宿題を教えておけ」
綾南は、友人思いの親切な脅迫に、
「俺は行く。――勝手にしろよ」
拒絶して、灰本に背を向け歩き、教室を後にした。
綾南は、その手紙が恋文ではないことを見抜いていた。
――怪しかったのだ。
文字は丁寧に書かれているが、でゴツゴツしたクセみたいなものが感じられた。
受取人の綾南了の名前は書かれているのに、差出人の名前は書かれていない。
綾南を罠にかけてやろうという、悪意が見え隠れしていた。
よって、この手紙はラブレターなどではない。
指定の場所へ行くと、そこに待っているのは拳を構えたいかつい不良たちで、「オイてめえ、そんな白い髪しやがって、むかつくんだよ」と吹っかけられるだろう。
それは果たし状。――いや、リンチ状だ。
だが、綾南はそこに向かう。
灰本に言ったように、ムシャクシャしていたからだ。イライラと憤りを感じていた。
だから、殴りつけてやりたかった。蹴りつけてやりたかった。――ケンカしたかった。
怒りのはけ口がほしかった。
その果てに、ボコボコに殴られ蹴られても、それはそれでいいと思えた。
だから綾南は、悪友の忠告も聞かずに、そこに向かう。
堂々と、綾南は南校舎裏に侵入した。
だが、そこには。
――少女がいた。
青々と茂る葉桜の木々の間に、ぽつりと立っている。
黒髪を白いリボンで結って束ねたポニーテール。遠目から見てもわかる、ぱちりとした大きな眼。私立勝石高等学校指定のセーラー服。胸には赤いリボン。
綾南了は驚いた。
そんな綾南を見つけた少女は、無表情で近付いてきた。
「……こんにちは、お久しぶりです。了さん」
「何でお前がここにいるんだよ、鳥羽」
綾南は尋ねながら辺りを見回すが、拳を構えた不良は見つけられなかった。
――まさか……。
そんな訳のわからない綾南には一つだけ予想があった。
鳥羽は告げる。
「了さんを呼び出したのは、わたしです」
「……ああ、なるほど」
綾南は納得して、再び尋ねる。
「……しかし、なんでそんなことしたんだよ……」
「だって、了さんの携帯電話は、着信拒否にされているようですし、メールやLINEも恐らく読んでもらえていませんよね?」
「…………」
その通りだったので、綾南は何も言わない。
「だから、直接会って、話すしかないと思ったんです」
それにしても、鳥羽がいるとは思わなかった。――この1カ月、ずっと避けていたのに。
――盲点だった。
この場所は、鳥羽が綾南を呼び出して告白をした場所だ。
そんな場所を指定してくるあたり、そこで待っているのが鳥羽だとは、絶対に考えられない。
そんな盲点をついてくるとは、さすがの名探偵も思わなかったのだ。
「まさか、手紙の筆跡を工夫して罠を仕掛けているとは、な」
「ええ、とても苦労しました」
「……ご苦労なこったな」
綾南はげんなり言った。
しかし、そこまでして、鳥羽が話をしたい理由が綾南にはわからなかった。
思えば、先月の事件の『彼女の行動』も綾南には理解できなかった。
それだけ――『彼女の行動理由』だけが、綾南には『謎』のままだった。
しかし、それでもいいと綾南は思う。
どうせ、他人の心など理解できないのだ。
「それで、なんで俺をここに呼び出したんだ? おまえも俺に会いたくないはずだろ」
過去の因縁と彼女自身の言葉から、綾南はそのことを理解していた。
それに綾南は、鳥羽を先月の事件に巻き込んだ張本人だ。
「俺に関ったところでいいことないぞ。――むしろ悪いことが増える」
いつかの言葉を繰り返した。――綾南は彼女を拒絶する。
「……ごめんなさい。それでも、わたしは、我慢できなかったんです」
綾南を憐れみの目で見つめながら、鳥羽は話した。
「了さんが、ここに来てしまうような状態であることが……」
自暴自棄。
端的に言ってしまえば、綾南の今の状態は、そういうことになる。
綾南は、ここに殴りに来たのだ。蹴りに来たのだ。
殴られに来たのだ。蹴られに来たのだ。――敢えて暴力を受けに来たのだ。
綾南の精神状態は、異常だった。
「どういうことだよ……」
だが、それを聞いても、綾南は鳥羽綾糸がここに呼び出した理由を理解できなかった。
「わたしは、あなたのことが心配なんです」
「なんでだよ。関係ないだろ」
「いいえ。関係あります!」
鳥羽は強い言葉を発する。
だが綾南は理解していない。その訝しげな顔を見て鳥羽は残念そうにうつむいた。
だがやがて、
「やっぱり……伝わってないんですね……。なら、やはり、もう一度、言うしかないですね」
――はて?
綾南はその少女の行動とその意味をまだ理解していなかった。
鳥羽綾糸は、親の仇である男に、意を決して告げる。
鳥羽綾糸は、自身を絞殺しようとした犯人の兄に、心を伝える。
顔を上げて、頬を朱に染めながら、恥ずかしがるように鳥羽は話した。
「綾南了さん。わたしはあなたのことが―――――――――――」
告白を聞いて、綾南は有り得ないと思った。
だが、人の心はわからないのだ。
それが真実であるならば――
その言葉で、すべての謎は解けた。
お読みいただきありがとうございます。
完全読破、お疲れさまです!
あ、でも、
もう一本、番外編ーー補足があります。
副題からお察しされるかと思いますが、
彼女のことです。
ですが、
ここでスッキリと終わったほうがいいと思います。
また本編を見直したくなるかもしれないので。
全章をご覧いただいた方、
ありがとうございました!
「END&END&theEND」
ここに完結です!




