〈黒〉1
目覚まし時計が軽快なリズムを歌いだす。
デジタル数字が示すのは午後三時だ。
よろよろと布団から手が伸び、目覚まし時計のスイッチを押す。音が鳴りやんだ。
ふぅとため息をついて千夜子は再び眠りの世界に帰ろうとした。
が、それは許されなかった。
「起きろ」
無慈悲に布団がめくられる。
薄く開いたカーテンから細い帯のように部屋に入り込んだ日の光が、千夜子の顔に落ちる。
「うぐぐ」
無駄な抵抗としてうつぶせになり光から逃げようとする。
慣れたもので、クロミネは鼻先で千夜子の髪を掻き分けると露出した耳を舐めた。耳穴に鼻をつっこみ鼻息を送り込む。
こしょばゆさに負け、とうとう千夜子は上体を起こした。
「まだ眠い…」
「十時間は寝ている。さすがに俺もこれ以上暇を持て余すのは飽きた」
「おうぼうだぁ…」
ぼんやりとあたりを見るとベッドに置いてある小さいテディベアが枕を取り囲むように配置されていた。クロミネが寝ている千夜子へいたずらしたのだろう。
「今日は忙しいって言っただろ。迎えが来る前に身支度ぐらいは整えろ」
「やだー。ボスがやってよー」
「お、ま、え、が! やらないと、意味が、ないん、だよ!」
パジャマズボンの生地を咬むと、ずるずると下げていく。
色気のかけらもないベージュ色のパンツがのぞいた。
「もうちっとばかし洒落た下着も買うべきだな」
「へんたい!」
「おうおう、変態は腹が減ってるんだ。さっさとベッドから出ないと食っちまうぞ」
「きゃあ」
けらけらと笑いながら千夜子はベッドから降りてパジャマをするりと脱ぐ。
黒柴は一仕事終えたような顔をして千夜子の寝室から出ていく。彼女は今更裸を見られることを気にはしていないが、男のマナーというものだ。
下着だけの姿になると、顔を除いて全身に走る様々な傷跡があらわになった。肩口には「46」という刺青が入れられている。
クローゼットの中からブラウスにショルダーベルト、黒のスラックス、靴下を出してきぱきと身に着けていくといつもの服装にできあがった。
洗面所に行くと新しいタオルを取り出し、顔を洗いうがいをする。
水分をぬぐいながら、じっと鏡に映る自分の顔を観察する。
千夜子の顔は整った顔である。彫りの浅い顔に、大きい眼と常に上機嫌そうな孤を描いた形をしている唇のおかげで愛嬌が――というより、17、18歳という年齢より幼く見せている。実年齢は推測でしかないが。
ただ、左側の眉から頬骨にかけてくっきりとした痣が彼女の顔を覆っている。失礼な初対面の人間ならその痣を見てしかめ面の一つはするだろう。
あまりにも目立ちすぎるそれを隠すために、千夜子は普段顔の半分を髪で隠す。結果的に左目も隠れてしまうのだがもう慣れたことなので困らない。
「……」
穴が開くぐらいに彼女は自分の顔を観察する。
痣の輪郭をなぞり、下瞼に指を這わせ、舌を出す。最後に瞬きを二回。
「ん、わたしのかお」
満足げに頷くと千夜子は洗面所を出ていった。
毎回の儀式と言ってもよかった。彼女は自分の顔を認識できない。