幼少期、精進す⑦
思い切り殴った扉はくの字に曲がり、数メートル吹き飛んで向かいにあった建物にぶつかった。
「な、なんだ!?」
慌てた見張りの男が倉庫の中を確認しにくる。僕は男の背後に回り込むと、気絶させるつもりで軽く後頭部を蹴った。しかし緊張のあまり力加減を誤ったらしい。男の頭が粉々に砕け散った。所々にこびりつく生暖かい血液。鉄の匂い。一瞬何が起こったのか分からなかった。
唖然としていたが、イリスさんの小さな悲鳴に我に返った。イリスさんを見ると、僕の方を見て青い顔をしていた。その瞳には怯えが混じっている。僕は首の後ろのあたりがヒヤリとするのを感じた。
――レベルアップしました。
――レベルアップしました。
――レベルアップしました。
…………
天の声が何か騒いでいた。だがその声すらもどこか遠く感じる。動悸が激しくなって、呼吸が上手くできなくなるのを感じた。肺に空気が入ってこずに息が苦しい。
「ち、違うんだ……イリスさん。僕は、殺すつもりなんか……なくて」
何とか言い訳を探そうとするも、どれも空々しい。何せ僕は人を殺した殺人者なのだから。殺人者がどんな口上を述べたところで、何時殺されるか分からない恐怖が消えるわけがないのだ。
イリスさんはしばらく黙って僕を見ていたが、喉を一度鳴らして震える手を僕に差し出すと、
「手を」
と裏返った声で言った。
「手を貸しなさい。腰が抜けて立てないのよ」
言われた通りにイリスさんの手を掴んで立ち上がらせると、そのまま体重を僕によりかけてきた。顔はなおも青く、震えは止まっていない。
「アンタがあの男を殺したとき、アンタを怖いと思ったわ。そして今でも思ってる。でもそれは私を護るためにやったことで、それに……」
そう言って僕の手を握る。血液でない、人肌の温度が心地よかった。
「それに、アンタこんなに震えてるじゃないの。アンタだって怖くないわけないわよね。私より年下だもの。私に力が無いから、アンタが傷ついた。だから……私のために殺してくれて、ありがとう」
暫し放心して、その後泣いた。目頭が熱くなって我慢できそうになかったから、声を殺して涙を流した。僕だって人を殺したくなかった。自分が殺人者だという事実に打ちひしがれそうになった。でも彼女の言葉で救われた気持ちになった。人を殺した事実に向き合おうと思えた。
――『絶望耐性Lv.1』を獲得しました。
「すみませんイリス様。心配をかけましたが、もう大丈夫です。一緒に帰りましょう」
「イリスでいいわ。家の地位も実力もアンタの方が上なんだから」
「わかりました、イリスさん」
「さんもいらないんだけど……まあいいわ」
倉庫の中から外の様子を確認する。範囲最大限で索敵をかけるが反応は無い。これなら逃げたことばバレても振り切れるはずだ。二人で顔を合わせて頷くと、倉庫の外へと駆け出した。叡智で屋敷の方向を調べ、一直線に駆け抜ける。
不意に索敵に反応があった。ありえない速度でイリスさんに向かってきている。反射的にイリスさんをかばう位置に立ち、体に魔力を流す。方のあたりにチクリとする感覚があり、地面にナイフが転がった。
ナイフが飛んできた方向を見るが誰もいない。索敵にも反応はない。しかし直後高等部から衝撃が走り、地面に顔をたたきつけられた。身体強化していたのに頭から血が流れ、視界が赤く染まった。
……まずい。集中力が……。
意識外からの攻撃に動揺し、体を強化していた魔力が乱れる。僕を攻撃した何者かは後ろから僕をナイフで突き、それはすんなりと僕の肉に刺さった。
「ああああああああああああぁぁ!」
「嫌ぁ!」
思わず悶絶する僕を見てイリスさんが甲高く叫んだ。
「ガキ。体内に魔力を流す肉体強化なんて芸当初めて見たぞ。そんなことしてるやつはこの国にゃいねぇ。本当にナニモンだてめぇ」
「お前は……」
「俺は夜のとばり団長のガラクってんだ。よくも俺の部下を殺してくれたな。こうなりゃお前を売り飛ばすのは無しだ。たっぷりと報復してやんよ」
「索敵には反応が無かったぞ。どうやって近づいた」
「やっぱてめぇ索敵持ってんのか。てかなんでさっきからお前が質問してんだ? 聞いてんのは俺だろう……が!」
そう言ってガラクは俺の顔を再度地面にたたきつけた。今は身体強化がされていない。意識が朦朧としていくのを感じた。
「まあいい。冥途の土産に教えてやるよ。部下どもの話を聞いてお前が索敵持ってんじゃねえかって俺は予想した。あいつらの隠蔽を見抜けるのはLV.2からだ。そしてその年じゃLV.2が良いとこだ。だが俺達は一応保険をかけてLV.3の索敵範囲のギリギリ外から見張ってたわけだ。そんでお前ら逃げ出した瞬間、縮地でここまで飛んできたってわけだ」
これが叡智の言ってた格上の団長か。頭も良いし何より強い。他の人たちとは大違いだ。五歳の僕相手にここまで警戒できることからもそれは分かる。叡智、縮地って何?
――回答。スキル『縮地』とは、自分の目指す場所と現在地の距離を限界まで縮めるスキルです。スキルレベルによって一度に移動できる距離が伸びていきます。
移動距離の短い瞬間移動ってことか。索敵範囲外から一気に飛べるってことは相当スキルレベルが高いみたいだ。ガラクのステータスを教えて。
≪ガラク≫
種族:人間
性別:男
職業:盗賊
年齢:32
レベル:56
HP:536
MP:57
魔力:46
攻撃力:245
防御力:156
俊敏力:457
魔攻撃:16
魔防御:12
≪スキル≫
『縮地Lv.8』『影縛りLv.5』『影移動Lv.4』『短剣Lv7』
≪称号≫
『人殺し』『盗賊の長』
強い。想像していたよりもずっと強い。でもここで負けたらイリスさんが……
悔しさに唇をかむ僕に、さらなる絶望が襲う。索敵の反応が三つ増えたのだ。
「お、来たか。お前らおせぇんだよ」
「いやいや、お頭が速すぎるんすよ。俺達縮地も影移動をできないし」
「まあいい。それじゃ公開処刑だ。まずこのガキの前で女を犯す。そんでもって男を殺す。んで最後に女を売っぱらう。それでいいな?」
ガラクが三人に視線を向けると、彼らは嬉しそうにうなずいた。良く見ると股間が膨らんでいる。僕は体が焼けるような憤りを覚えた。
なんで大の大人がこんな小さな子に興奮しているんだ!
怒りのままに体を起こそうとするが、ガラクの拘束は解けない。彼のステータスを思えばそれも当然に思えた。何とか集中力をかき集めて身体強化をかけようとしていると、イリスさんがポケットから何か光るものを取り出して口を開いた。
「ね、ねえ。貴方たちお金が欲しくて私を攫ったんでしょう? じゃ、じゃあこれを上げるから、その子の命は助けてくれないかしら。私は好きにすればいいわ。パパに言えばもっとお金も貰えるはずよ」
「……おいおい。大金貨じゃねぇか。やっぱ金持ちの家は小遣いもすげぇんだな。いいぜ、じゃあこうしよう」
ガラクがため息交じりに頭を書いた。イリスさんの顔が一瞬明るくなるが、次の言葉で彼女の表情は一転する。
「お前を犯すついでに大金貨も奪い取ることにしよう。いいな?」
「そ、そんな……」
イリスさんは数歩後ずさって泣き出しそうな顔をするが、僕は一点の希望を手繰り寄せるように頭を回転させていた。
叡智、大金貨ってどれくらいの価値があるんだ?
――回答。この世界の硬貨は価値の低いものから、銅貨、銀貨、金貨、大金貨、白金貨とあります。銅貨一枚で1マネー、日本円で10円相当です。それぞれの硬貨は100枚で一つ価値が上の硬貨と同価値になります。よって大金貨の価値は一枚100万マネー、一千万円相当です。
ってことは、これはいけるんじゃないか?
――回答。
いや答えなくていいよ。これで駄目ならそれまでだ。
「イリスさん!」
力の限り叫んだ。イリスさんの体がビクリと震える。
「その硬貨を僕に貸してくれ! いつか必ず返す! だから、今は僕に預けてくれ!」
「わ、分かったわ。貴方にあげる!」
そう言った瞬間、僕の視界のはしに数字が浮かぶ。恐らくこれが僕の使える金額ということだろう。彼女の言葉で所有権が僕に移ったのだ。
「どうなるのって決まってるじゃねえか。このガキは俺に殺されて金を奪われると。それだけだ。おいお前ら、もう犯しちまえ」
ガラクが男たちをイリスさんに仕向けた。だが彼らが彼女に触れることはない。僕が彼らを排除するのだから。
「いや、お前たちはもうここまでだ。ここで倒されるか……もしくは死んでおしまいだ。出来ることなら、生き残ってくれ」
「はぁ……お前何言って――」
「マネーブースト。100万マネー」
直後、形容し難い全能感が体を襲った。世界の全てが止まって見え、視界の全ては金色一色で染まって見える。先ほどまでの数字の表示が反転し、タイマーが現れる。時間は一分間。この状態があとどれだけ続くのか示しているのだろう。
僕はガラクの下から抜け出すと、盗賊全員の首を軽くたたいた。叡智の意見ではこれ以上強くすると衝撃でイリスさんに被害が及ぶ可能性があるらしい。だから歩く時もすごくゆっくり歩く必要があった。こんなことなら叡智の話をちゃんと聞いて使う金額を少なくしとけばよかったと後悔した。
そんなことを考えているとタイマーはゼロを示し、世界は金以外の色を取り戻していく。と同時に盗賊たちの頭がすべて吹き飛び、赤い噴水四つ完成した。
――レベルアップしました。
――レベルアップしました。
――レベルアップしました。
………………
…………
……