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 夕方になり、酷暑厳しい江戸にも涼しい風が吹き始めてきた。

だが今日は人通りも少なく、どこかうら寂しい。殺人の噂が広まって、皆が夕涼みを控えているのだろう。

と、そんな江戸の河原岸、葦原を進む二つの影があった。

「へっくち!」

「ちょっと、風邪とかやめてくださいよ。猫からも風邪は移る、って何かの本で読んだことあるんですから」

「俺は猫じゃねえ! ちょっと見た目が猫っぽい妖だ! 人間と違って風邪も移らねえよ! つか、俺の心配の方を先にしやがれ、コンチキショー!」

 嫌そうに距離を取った小さな影へと大きな影はひとしきり怒鳴り、ぶるると身体を震わせ、しかめ面で押し黙った。

 全身びしょぬれで、どうやら虫の居所が悪いらしい。

 その影は――予想通りというかなんというか、猫町と甘斗であった。

 結局、あの後も船は流されに流され、永代橋を越えた河口近くで、やっと岸辺にたどり着くことができたのだった。その間も猫町は髪から服までびしょ濡れで、今はくしゃみ程度で済んだが、夏でなければ確実に風邪を引いていただろう。

 やっとのことで元いた両国橋の近くにまで戻ってきたが、もうくたくたに疲れていた。

 日本橋には、今から行っても間に合いそうにない。甘斗はがっくりと肩を落とした。

「……結局、薬屋行けなかったじゃないすか」

「俺だって締め切り終わってねえよ。数時間の息抜きのつもりが丸一日潰れたじゃねえか」

 そして、二人でため息をつく。

 と。

「あっれ~? おーい、二人とも。どうしたの、不景気な顔なんかしちゃって」

 甘斗は目を丸くした。

 あの、遠くから手を振っている黒羽織は……

「せ、先生!? あれ、二日酔いはどうしたんすか?」

「もう昼前には治っちゃったよ。だから散歩がてら、日本橋にまで行ってきたんだけど。甘斗がまだ来てないっていうから、薬種受け取って来ちゃったよ」

 ほら、と鈴代が見せたのは三つ重ねた風呂敷包みだった。

それを見て、甘斗はどっと疲れがこみ上げてため息をついた。のんきな顔をして、丸一日かけてこっちが死にそうな目に遭っていたとは夢にも思っていない様子である。

「それにしてもさ、二人ともなんでびしょ濡れなの? はっはーん。さては、僕に内緒で女の子と川遊びでもしてたんじゃないの? イケないなー、寄り道するなんて」

「いや……そんなのするのはあんたくらいでしょうが」

 能天気に笑う鈴代に、甘斗はうめいた。どうせ言っても聞きやしないが。

 その鈴代の肩を――猫町ががしっと掴んだ。

「――おい鈴代、ちょっと付き合え。俺とお前の仲だし、まさか断りはしねえよな」

「え? ……いや、それは場所と条件によるかな」

 肩を寄せる猫町に嫌な予感がしたのか、鈴代は一筋汗を垂らして視線をそらした。猫町は完全に据わった目つきをしていて、獲物を狙って舌舐めずりしている猫のようだった。

 いや。

もはや完全に猫だった。目の色が化ける前に戻って、青と金になっている。よく見ると、薄物の裾から尻尾らしきものが見えている。さらに、妖気らしきものまで漂っているような気までして、ぎょっとした甘斗は即座に猫町から数歩離れた。

「今から、お前の言ってたその銭湯とやらに行ってやろうじゃねえか。毒を食らわば皿まで、びしょ濡れなら風呂まで、だ。命の洗濯とやらをしてみようというこの俺の頼みを、まさか嫌とは言わないよな」

 低く笑う猫町に、鈴代はわかりやすく難色を示してみせた。

「ええ? 風呂って安くもないから、今月分のお金がなくなっちゃうんだけど。それに、昨日も行ったからしばらくはいいかなーって……ていうか、それ僕の奢りじゃ」

「うるせえ! 行くったら行くんだよ。てめえそんなナリでも男だろ。なんだっけか? お前、蚤取りしてくれるって言ってたよな? ふ、ふふふふ――」

「ね、猫町。なんか、今日は怖いよ? 僕の気のせいかなぁ。あ、あはは……」

 非常に珍しい戸惑った様子の鈴代と強引に肩を組んでいる猫町を見上げて、甘斗はぽつりとつぶやいた。

「これ、オレも行かなきゃならないんすか?」

 行かなければならないのだろう、多分。

 そうして、ため息をつく。顔を上げると葦が原の向こうから美しい夕陽が照らしている。

 おそらく、今日も湯屋は盛況だろう。

 江戸に人が暮らしている限りは、そしてそこに人が生きている限りは盛況で、それは飽きもしない毎日の繰り返しだ。それが生活で、『生きている』ということなのだろう。

 とりあえず帰ったら薬種の整理をしようとだけ決めて、甘斗は朝に来た道を遡り始めた。



 ちなみにこの日の夜、二人だけで湯屋に行ったことに対して輪廻に散々文句を言われたのだが――それはまた、別の話。



ご閲覧、ありがとうございます!楽浪と申します。

むさしの第四話です。書いてから時間が経っているので拙い文章ですが、どうぞご容赦くださいますよう。


季節はひと月が過ぎ、六月に入りました。

江戸時代は旧暦なので今の七月になります。あっついわけですわー。


ここで新キャラの猫町さんの登場です。名前は草紙作者の恋川春町より。

英語でいうとキャットリバー・キャットタウン。どんだけ猫なんすか。

猫好きには天国ですが、控えめに言って地獄絵図です。

それはともかく、この話では妖怪、あやかしは人間からの呼称、異形は妖からの自称です。姿形は異なれど、同じく知恵を持つ人間ということ。物の怪や神とは違う存在です。

妖は江戸全土に住んでいて、特に浅草、深川の下町によくよく住んでいます。稲荷が職人や武家などに近く格式と身分が高めならば、妖は江戸の庶民代表です。

江戸にはもうひとつの勢力があるのですが、そこはまだ内緒。


まだまだ書き進めるつもりですので、ご覧になりましたらどうぞ温かい一言くださいますと楽浪が喜びます。よろしくお願いします。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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