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「んんー」

「な、なな、何なんすか!」

 近づいて顔を覗きこんできた船頭に、甘斗はかさこそと反対側へと逃げた。すでに普通の人間でないことはわかっている。骨を食う人間などいないし、意識してみると非常に獣臭い。水や雨を弾く柿渋衣の匂いでわからなかった。

ひょっとしたらそのために身につけているのかもしれない。人間に紛れ、周りの目を欺くために。

「まだ小さくて骨も細っこそうだなぁ。小骨って嫌いなんだよぉ。喉に刺さりそうだろ? けど、仙骨のためならしかたがねぇかぁ」

 深々とため息をつく船頭に、甘斗は聞き返した。小さいとか小骨とか引っかかることはままあったが、他に聞き捨てならない言葉がある。

「せ、仙骨?」

「人間の骨を食えば、仙人になれるんだよぉ。お前ら人間だって、骨を薬にするだろぉ。それと同じだよぉ」

 確かに言っていることは一部正しい。薬種の中には竜骨と呼ばれるものがあり、粉末上になった動物の骨を薬として使うこともある。

けれど、人間の骨が薬になるという話は聞いたこともない。試せば、まず狂っていると言われるだろう。それも、仙人になる効能があるなど、与太話の筆頭だ。

疑わしげな顔をした甘斗の胸中を読んだのか、船頭はまた甲高く笑った。

「お前、俺の正体が人間じゃないってわかるんだろぉ? 霊気のある人間の骨を食えば、今度こそ仙人になれるかもしれないしぃ」

「な……っ」

 今度こそ、甘斗の血の気が引いた。

 骨を抜かれて、死体は川にでも捨てられるのだろうか? このまま川の真ん中に出てしまえば助けも来ない。川に逃げようにも泳げないから、八方ふさがりの絶体絶命だ。

 流されるに従って、ひときわ立派で大きな橋が近づいてきた。幕府普請の、大川にかかる両国橋だ。支える柱は、大人が手を広げても抱えきれないほどである。

「あ……!」

甘斗が空を仰ぐと、大勢の人間が橋を通っているのが目に入った。が、その誰一人としてこちらを見ようとはしていない。単なる渡し船としか思っていないのだろう。

「この橋を越えればもう邪魔する奴も見てる奴もいないねぇ。そうしたら昨日みたいに邪魔されずに骨抜きにできるよぉ」

 嬉しげに言う船頭に、背筋が凍りつく。

と、その時。

 橋を叩くけたたましい足音が聞こえた。人の悲鳴と、聞き覚えのある怒鳴り声。

「そこをどけ、ガキんちょ!」

 太陽を影が覆った。誰かが上から落ちてくる。

 そうとわかった時には、その誰かが船の中心へと落ちてきた。米俵が投げ込まれたような勢いと重量に、少なくとも数瞬は船が大きくたわんだ。

「うおおお!?」

船が転覆しそうな揺れに、甘斗は足をつんのめらせた。水面に顔がぶつかる、その直前に誰かが襟首を持ち、乱暴に船上へと戻した。

船底に尻もちをついた甘斗は目を疑った。飛び乗ってきたのは――

「ね、猫町さん!?」

「ったく、手間かけさせやがって……と言いたいところだが、俺も助かったのは確かだ。なにせ、まったく手がかりが掴めなかったもんでな」

 日に輝く飛沫を嫌そうに避けながら、猫町はにやりと笑った。

「どうやってここに!?」

「ああ? 昨日お前らに言っただろ、乗りかかった船だって。犯人探して川近くを歩いてたら、橋の下から聞いたことのあるような悲鳴が聞こえてな。それを走って追いかけて、やっと追い付いたから飛び乗っただけだろ」

 野暮なこと聞くな、猫町はと口をとがらせた。

 だけ、と簡単に言うものの、水の流れに乗っている船の上に正確に飛び乗ったのだ。尋常な運動神経ではない。そもそも、橋の下に響いた悲鳴を聞きとるのも人間業ではない。

 船頭を向くと、猫町はすっと目を細めた。

「クソ野郎、てめえも人間じゃねえな? だったら、この大江戸で厄介事を起こすのがどういうことか、わかってんだろうな? 大長の顔に泥を塗って、無事に済むと思いあがるんじゃねえ。下衆が」

「なぁに、バレなきゃいいのさぁ。バレないためには、お前も消さなきゃなぁ。この、人間に媚び付いてる泥棒猫をぉ」

 猫町は瞳孔の細くなった目をぎらりと光らせた。

「首だけ残して、失せろ!」

 言うが早く、猫町の刃物のように伸びた爪が空を裂く。

 しかし、すでに船頭の柿衣はなかった。

船頭は櫂を支えとして容易くバランスを取り、ひらりと宙を舞った。まるで見世物小屋の軽業師のようだが、それをさらに不安定な船の上でやってのけたのだ。

「キキキッ」

 積まれた荷の上に着地をした。そのままくるりと櫂を回し、目にもとまらぬ速さで猫町のみぞおちを突いた。ごっ、という鈍い音とともに猫町の身体がくの字に折れる。

「がはっ……!」

 船頭の小さな身体に一体どれくらいの力があるのか。その一撃は剛槍に等しく、猫町は軽々と吹き飛んだ。飛沫が船に降り注ぎ、大きな水柱が上がる。

「猫町さん!?」

 甘斗は水面を覗きこむが、ちょうど水に飲み込まれて見えなくなってしまった。暗色の水面には着物の裾すら見えない。あの風呂すら嫌いな猫町のことで、泳げるとはまったく思えない。甘斗はさらに顔を青ざめさせた。

「キキッ」

 その声に、甘斗はぎくりとした。船頭が、荷の上に胡坐をかいてにやにやと笑っている。

「服を着たまま沈んだら、一生浮かんで来られないよぉ。ケダモノのままなら、人間を助けようなんて余計なこと考えずにいられたのにねぇ」

 まるで、猫町がしたことが間違っているような口ぶりに、甘斗はむっとして言い返した。

「あんたはどうなんすか。仙人になりたいなんて、獣だったら――」

「思わなかったよぉ――子供が、人間に殺されるまでは」

 船頭の顔から、しつけ糸を抜いたように笑顔が消えた。

「生き胆が薬になるからって子供が殺されて、俺は死ぬのが怖くなったよぉ。そう思ったら、ただのケダモノじゃいられなくなった。俺の子供を殺したんだからぁ、人間が俺に殺されるのもお互い様だろぉ?」

「そんなの――無茶苦茶っすよ!」

 いくら叫んだところで通じない。彼が甘斗にとってただの化け物であるのと同じに、彼にとっての甘斗はただの人間だ。見分けや違いをつけろというのはどだい無理な注文だ。

「う……」

 甘斗が後ずさった足は船の縁に当たった。後ろはすぐに川。橋は、まもなく通り抜け終わってしまう。そちらに気を取られ、わずかに目を背けてしまった。

「キキッ。骨、いただきぃ!」

「……っ!」

 指を揃えた四本貫手が、甘斗の胸を目がけて伸ばされる。知覚はできても避けることはできない。時が、無限に等しいほどに引き延ばされる。橋げたを船が通り抜け終わり、日が差した――その刹那。

 ふしゃああああ!

 威嚇の声とともに水面から飛び上がったのは、巨大な猫だった。

 ずぶぬれの着物を身に付けた猫が、船頭に爪を立てて飛びつく。

 甘斗は、今度は歓声をもってその男の名を呼んだ。

「猫町さん!」

 猫の頭と人の身体を持った妖怪は答えず、低くうなり声をあげ、両目をぎらつかせる。その両目は青と金。金目銀目の猫怪がそこには立っていた。


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