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ちりん――
風鈴が一声鳴いた。風が蝋燭の炎をかすかに揺らす。
「……なんで行燈消したんですか? つけときゃいいのに」
「だって、雰囲気でないでしょ? こういうのは風情が大事なんだよ」
きょとんとした鈴代の顔も、うすぼんやり照らされて、なんとなく怖い。
ひとつ咳払いをすると、さっそく猫町が切り出した。
「これは俺が人づてに聞いた話だ。もちろん人じゃなくて妖仲間だがな。俺たち妖は、人間の立ち入らないような場所にもけっこう行くから、こういう話には事欠かねえ」
前置きを終え、猫町はゆっくりと低い声で語り始めた。
「――この江戸には川が通ってる。そのお蔭で魚も食えるし、船で荷を運ぶことも容易い。万々歳なんだが、暮らしの面はちと不便だ。川を渡るのにいちいち渡し船を使ってたら、混みあってきりがねえ。だからこそ、川には多くの橋がある」
そこで、猫町は大袈裟に息をついた。
「この橋が厄介もんでな。作るのも一仕事だったけど、しょっちゅう流されるわ落ちるわ。そのたびに金と人手を使ってかけ直すのも大変っていうんで、橋作りの責任者は一計を案じた。もう二度と落ちないように、一種のまじないをしたんだ」
「おまじない?」
輪廻が不思議そうに聞き返した。猫町も頷く。
「人柱ってやつだ。昔から大洪水が起きた時には、生きたまま人間を穴に埋めた。すると水が引いたっていう伝承がある。そうやって柱を押し立てりゃ、土台がぴたりと固まって、橋も二度と落ちない頑丈なものができる。埋められた人間が土や水で死ぬのか、柱に押しつぶされるのかは知らねえけどな」
こういう風に、と猫町は手の平を合わせてみせた。
淡々とした語り口であるぶん、どこかそら恐ろしい。人の命など、あっさりと消える。そう伝えているようであった。
「人柱は平等になるよう、近くに住んでた老若男女問わず、くじを引いて選んだらしい。神様の言う通りってな。まぁ、そういうわけで人柱を立てて橋は完成した。おかげで、他の橋が洪水でじゃんじゃん流されてるのに、そこの橋だけはびくともしなかったらしい」
「……なら、良かったじゃないですか。死んだ人はともかく」
甘斗は小さくつぶやいた。生暖かい風が吹き込んで、蝋燭の火はひときわ頼りなく揺らめく。
「――ところが、だ」
猫町は一段と声を低めた。
「次第に変な噂が広まり始めた。その橋を夜中に通ると、川の中から悲鳴が聞こえる。何だと思って川を覗いてみると、足を掴まれて引きずり込まれる。その手は骸骨で、捕まった人間は殺されて骨を取られちまうんだと。どうも、人柱にされた連中が祟ったらしい」
ごく、と誰かが息を飲んだ。
それが誰でも構わない。誰もが同じ気持ちだっただろうから。
「そのうち、橋を通った人間だけでなくて周りの町にまで被害が広まったらしいからな。近くの寺から有名な坊主を呼んで、怨霊を封じてもらった。けど、骸骨どもはまだ諦めてなくてな、夜のうちに橋を通った人間を殺すことは止まなかった。今でもその橋を通ると、川の中から悲鳴が聞こえてくるそうだ。そして、こう叫ぶ――『骨をよこせぇ!』」
「きゃああ!?」
「うわあっ!?」
猫町ががばっと手を広げ、部屋に大きく悲鳴が響いた。
その瞬間。
ふっと蝋燭の火が消え――そして、部屋の行燈全てに灯りが点いた。
懐から出した扇を広げて、鈴代が苦笑した。白い肌から朱も抜け、すでに酔いは醒めたようだ。
「はいはい。うちの子たちをあんまり怖がらせないでくれない? これじゃ、夜中に厠に付いていかなくちゃならないだろう?」
ぱちん、と扇を閉じて懐へと収める鈴代に、猫町は鼻を小さく鳴らした。
「てめえももっと怖がれよ、鈴代。猫町さん渾身の怪談話だぜ?」
「だってー、昔っからよくある話じゃないか。人柱なんて古典的な怪談。僕を怖がらせたいなら、もっと斬新な発想が欲しいところだけど?」
「けっ、ぬかしてろ。まぁ子供どもをビビらせただけで重畳としとくか」
にやにやと笑っている猫町に、甘斗はむっとして言い返した。
「べ、別にオレは怖くもないっすよ。輪廻さんは驚いてたみたいだけど、よくある話なんでしょ? ていうか、作り話だし」
「あっれ~? さっき、悲鳴は二つ聞こえたはずだけどなぁ?」
「うぐ……! そ、それは」
意地悪く首を傾げる鈴代に、甘斗は思わず顔が赤くなる。絶対わかって言っている。この師は、本当に人が悪い。
「ともかく話してやったんだから、てめぇらもう帰れ。すぐ帰れ。邪魔すんな、しっしっ」
手を払いながら、猫町は嫌そうな顔をした。
「ま、そろそろ宵も更けて来たし帰ろうか。ああそうだ。猫町、また銭湯の帰りに寄るから、それまでに部屋を片付けといてよ。ついでに風呂くらい入りなよ」
「帰れ!」
怯えて足にしがみついている輪廻の背をさすりながら快活に笑う鈴代へと、猫町の威嚇の声と投げた手拭いがかぶさった。